危篤
朝早く、予定時刻より若干早めに営業所に帰還した俺をリコさんがプラットホーム上で今か今かと待ち構えている。普段は『関係者以外立入禁止』とか言っている営業所内に、はながいるのはなぜだろう。運送屋のプラットホームにセーラー服姿で佇むはなが、異様な存在感を示している。
「後藤クン、おかえり!何か問題とか無かった?」
俺はエアブレーキの排気音と共に安堵の溜息をつくと、日報をリコさんに手渡した。
「仕事上では何の問題も無かったです。それよりも俺がいない間、はながお世話になりましてスミマセン」
そう答えた俺を無視するかのように、リコさんはトラックのキャビンに入り込む。
「さあ、リコ様へのお土産でも拝見しようかしら♪」
リコさんは、俺が村で半ば押し付けられるようにも貰ってきた野菜やら何やらのコンテナを見て絶句した。
「何これ?」
「いや、あの、向こうで何やかんやありまして…」
「普通、お土産に野菜なんか買うワケないよねぇ。てかこのコンテナ、農協のヤツじゃない?こんなもん持って帰って来るって…」
俺は必死に弁解した。
「いや、これは村の連中が半ば強引に積み込んだもんで…」
最終的に営業所の中まで入り込んで無理矢理積んだのは事実だ。
「私的な荷物を積んじゃダメっていつも言ってるじゃん…全くアンタって奴は…」
「スミマセン…」
リコさんはそっぽを向いて半ば吐き捨てるように呟いた。
「まあ、これ位は大目に見てあげる…でも、こんな莫迦みたいな量の野菜をどうするつもりで持って帰って来たワケぇ?白菜がたくさんあるからキムチとか、何なら道端で露天でも…あ、でもそんなことしたら畑泥棒と間違われたりして。ウヒヒ」
答えに窮する俺を一通り弄り倒して楽しんだリコさんは、ニヤリと笑うと俺に一つの提案をした。
「これだけの野菜があるなら、ウチで鍋パーティーね。はなちゃんもいたらこれ位の量はあっという間に捌けるわよ、きっと」
「急にお邪魔してスミマセン」
「またまたお邪魔してスミマセン」
ひたすら恐縮して詫び続ける俺達兄妹を眺めながら、リコさんが何時もの調子でケラケラ笑う。
「後藤クンが莫迦みたいにお土産貰って来たおかげで食費が浮いたわ。はなちゃんとはまた一緒にゴハン食べたいと思ってたから丁度良かった」
「あ、あたしもリコさんとまた一緒にゴハン食べたいと思って…」
「だよね〜。私達、後藤クンがいない間に姉妹の契りを交わしたもんねぇ?盃は血よりも濃いのよ?後藤クンにそんな難しいこと言っても解らないか…」
楽しそうに笑う二人を見て俺は軽い目眩を覚えた。杯の話は俺でも解るが、リコさんは重大な勘違いをしている。そもそも盃兄弟ってヤクザの世界だろ…
皆でワイワイ言いながら、俺は山のような土産を持ち帰る羽目になった経過を話し始めた。
「この莫迦みたいに沢山ある土産のうち、普通に旅行か出張の土産っぽい『紀州名産袖もなか』ってヤツは後藤クンが買ってくれたのね」
ある程度正しいけれど、リコさんは一つ間違えている。『袖もなか』じゃなくて『柚もなか』だ。そでじゃなくてゆずだ。
「で、単にもなか買ってくる以外に山のような野菜を持って帰って来たのは何故なの?」
理由はキチンとあるんだが、赤の他人であるリコさんに話すことを俺は躊躇った。だが、はなが『リコさんには本当の事を全て話して欲しい』と言ったから俺は二人に中山県で何があったかを全て伝える事にした。
「え、嘘…。そんなつまらない事でお父さんとお母さんは離ればなれになっちゃったの…?そのせいでお兄とあたしは捨てられた…」
はなが取り乱した様子で箸を落とす。
「…俺が知り得たのは父親側の言い分だけだ。必ずしもそれが正しいとは言えない。それが真実かどうかなんて解らない。俺が今話したのは概要みたいなもんだから…詳しくは父親の日記を持って帰って来たから後で読むといい」
はなが突然涙を流し始める。
「嘘だ…そんなことあたしは信じたくない…ただそれだけで家族がバラバラになったなんて…そんなの悲しすぎるよ…」
そう言ってはなはリコさんに飛びついて泣き崩れた。
その夜は鍋をつつきながら酒を喰らって楽しい宴会になる筈だったんだが、すっかりブチ壊しにしてしまった。やっぱりリコさんの前で切り出す話じゃなかったのかも知れない。俺はただひたすら後悔していた。でも、この場を適当に取り繕って宴会なんかしていたら、はなはもっと傷ついていただろう。どっちみち、はなが傷つくことに変わりはないからリコさんがいてくれて良かったのかも知れない…
誰かが何か喋るでもなく、ただ黙々と鍋を食べ空腹を満たすだけで夕食の時間は終わった。玄関の横に、缶ビールの箱が寂しそうに佇む。済まない、今日はお前の出番は無さそうだ…
はながあまりにも不安定な状態だったので、心配したリコさんが俺の家まではなを送ってくれた。そこで、俺達を更に動揺させる残酷な事実を突きつけられる。
社宅の五階まで階段を登ると、玄関の前で見慣れない奴が俺達を待ち受けていた。
「夜分遅くにすみません。後藤星來さまですか?」
いつかの弁護士みたいな、不躾な質問。俺を苛つかせるその一言。
「だったら何だ?」
そいつは俺に名刺を手渡し、職員証を呈示した。
「私は中山県南部広域連合社会福祉事務所でソーシャルワーカーをしています横山と申します。本日は重要なお知らせがあって失礼を承知で参りました」
役所やら弁護士が家に来るときはたいていロクな用事じゃない。俺は身構えた。
「後藤星來様とはな様が児童養護施設に措置されたことは当方も存じております。本日はお二人を施設に預けられた、お母さまのことで伺いました」
リコさんに抱えられたはなの肩がピクリと動いた。父親のことで精神的に参り切っているはなに一体何を伝えに来たんだ。よりにもよってこんな時に来やがって…!
「まあ、ここで立ち話ってのもなんだから、中に入れ。話くらいは聞いてやる」
「では、失礼します」
彼女はそう言うと、何か覚悟でもしたように台所で俺たちを見据えた。俺はやや苛立ちながら次の言葉を待つ。
「…お母さまは、現在危篤状態にあります」
俺達三人は息を飲んだ。
「お母さまは心の病で日常生活もままならない位な状況に陥り、県内のサナトリウムで療養しておられたのですが、心疾患もお持ちで…で、数日前から容態が急変して」
「だから何だって言うんだ」
俺は冷ややかに告げた。
「今すぐ駆けつけろ、とかいうつもりはございません。ただ、私どもは…」
「何が言いたいんだ?こんな夜遅くに家まで押しかけて、俺達に何をしろと?」
横山さんとかいう人は、一瞬だけ戸惑ったような表情を見せたあと事務的かつ冷やかに言い放った。
「何かをしろと言うつもりは毛頭ありませんしその権限もございません。ただ、我々が措置した方のうち、ご家族がおられる方については何かあった時に御連絡を差し上げるのが決まりでして」
「だったら何故今まで知らん顔してた?」
彼女は溜息のように息を吐くと、俺達に答えた。
「御本人様の意思です。子供を捨てた以上、自分の居場所を教えたりする事は出来ない、と」
「だったら何で今更…」
「先程も申し上げましたが、生命に関わる事態、若しくは亡くなられたような場合は御本人の意思に関わらず親族に連絡する決まりでして…」
ああ、そうか。御苦労なこった。彼女は母親がいるというサナトリウムの所在地を告げると俺達の元からそそくさと立ち去った。
中山県本宮郡…俺が出張した営業所と内削村の近所じゃないか…そんな近くに俺は昨日までいたのか…
台所でリコさんはずっとはなを抱きしめていた。はなは何も言わない。重苦しい沈黙が俺達を支配する。いい加減その沈黙に耐えられなくなった頃、はなが俺を見つめる。
「ねえ、お兄」
はなが言葉を絞り出す。
「…お兄とあたしを捨てた人かも知れないけど、あたし、自分の母親がどんな人だったのか知りたい。会いたいよっ!」
「解ったよ、はな。お前が母親に会いたいんなら一緒に会いに行こう。ただ、もうこんな時間だから今晩は準備だけして明日の始発電車で…リコさん、こんな状況なんで明日から暫く欠勤してもいいですか」
リコさんは全く動じる気配もなく言い放つ。
「それを調整するのが私の仕事よ。後藤クンの代役は私が探す!て言うか有給休暇をクソ程残してるんだから、こんな時こそ休みなさいよっ!」
「ありがとうございます、リコさん。でも、明日の朝まにお母さんが死んじゃったら…」
はなの身体が小刻みに震えている。
「そうは言っても、はな…電車はもう無いし、移動する手段は…まさか会社のトラック借りる訳にもいかないし…」
「当たり前でしょ。社員の個人的な都合でトラックを空荷で走らせる莫迦がいるもんですか。そんなことしてたら会社が潰れちゃうわよ」
リコさんはそこまで言うと、はなに微笑んだ。
「はなちゃん、今こそセラ君の出番ね♪」
はなが何かに気付いた。
「え?俺が何を?」
「莫迦。君の事じゃないわよ」




