璃子とクソ親父
次の日。
はなちゃんを学校に送り出した私は、駅前の百貨店でお土産を見繕うと東に向いて歩き出す。そういえば、このブランデーケーキを食べただけで貴宏は真っ赤になってたっけ。
そんなことを思い出しながら彼の実家へ歩を進める。駅から離れたところにある家は、最近になって再開発されたショッピングモールが道向かいにあるけど、元々は寂れた飲み屋街が立ち並ぶ寂れたところにあった。
やや緊張しながら、家の呼び鈴を押そうとしたその時…
「あれ?璃子さんじゃない…?」
後ろから不意に呼びかけた私が振り向くと、自転車で戻って来られたお義母さんがいた。
「どうして…?」
戸惑いを隠せないお義母さんの後ろから聞き慣れた、でもこのシチュエーションでゼッタイに聞きたくない声が聞こえる。
クソ親父め、今更何しに来やがった…
お義母さんの戸惑いが頂点に達する。
「いや、まぁ…ここで立ち話ってのもアレなんで…取り敢えず中にお入り下さいな」
玄関に入ると、声を聞いたお義父さんが出てきた。玄関に入ろうとする私を押し退けてクソ親父が割り込んだかと思うと、父は玄関で額を床に付ける姿勢…所謂土下座で貴宏のご両親に詫びを入れる。
「私はただ、娘が可愛いばかりに…貴宏君とご家族に莫迦みたいな自慢話ばかりして、挙げ句に大変不愉快な思いをさせてしまったこと…誠に申し訳なく…」
お義父さんは父を抱え上げると、優しく微笑んだ。
「頭を上げてください…何もない家ですが、上がってお茶でも」
「なるほど、昨日そんな事が…で、顔のお怪我は」
当然そこには気付くわね…
「いや、あの…ちょっと親莫迦ならぬ莫迦親の目を覚まそうとして一発かましちゃいまして…」
そう言いながら私は頭をぼりぼり掻くしかなかった。
「そう言えば、貴宏がいつの日か言ってたわ。『璃子は柔術をやってるから、いつの日か僕が彼女を怒らせる日が来たら僕も関節を極められるか絞め落とされるんじゃないかなぁ。気をつけなくちゃ』って」
お義母さんが懐かしそうに話す。
「いや、流石にそれはないかと…」
「ふふっ。璃子さんならそう言うし実際に絞めたりしないと思ってたわ」
ホッとした。私にDVの嗜好はない。
「本日は、態々お越しいただいたうえに丁重なお詫びまでいただいて恐縮です」
お義父さんが口を開く。
「いや、僕達も心の何処かで『嫌味とかを言ってるんじゃなくて、単に璃子さんを溺愛しているが故の自慢話なんじゃないのかなぁ』って薄々感じてはいたんです。ただ…それを確かめる勇気も無くて『逃げる』という方向に舵を切った」
クソ親父が項垂れる。お義父さんは、そこで一つ溜息をついた。
「でも、貴宏は『そんな事しちゃ駄目だ。逃げちゃいけない。何なら僕が間を取り持って』って。今まで親に反抗したことがない子が噛み付いてきた」
やっぱり、貴宏は間に挟まれてたんだ…
「で、暫くしたら『璃子と話し合って、これからは二人で解決するって決めたんだ』って嬉しそうに話してくれたんです。でも、その矢先に…」
暫く席を外していたお義母さんが戻って来た。
「お葬式の後、何も言わずに遺品とか全部引き上げちゃってごめんなさい。でも…璃子さんはまだお若いし、次の人生を歩んでほしいと思ったのは本心なの…だから、何も遺さなかったし遺骨の在り処も伝えなかった…」
お義母さんはそう言うと、項垂れて『申し訳ない』と繰り返すばかり。お義父さんは、お義母さんから受け取った封筒をそっと私に手渡した。
「これは…」
「開けてご覧」
封筒の中には、鍵が一本と住所を書いた紙が一枚…あ、あと写真が一枚入っていた。
「その写真はね…貴宏が初めて営業所で十屯トラックを扱わせて貰える事になった時のもの。営業所の人にお願いして、営業所内で写真を撮らせて貰ったんだ。その話は璃子さんも知ってるかな?」
勿論。立ち入りを許可したのは庶務の私だし、写ってる車は後藤クンが乗ってる。貴宏が事故にあった時は、ヘルプで別の四屯だったから。
「想い出を押し付けようなんて気持ちは全くないんだけど…写真の一枚でもお渡ししておいて、今後もし貴宏の事を思い出すような事があったら、この写真を見て…こんなの親のエゴだよね…ごめん」
お義父さん、お義母さんと私も涙が止まらない。
「この写真、一生大事にします」
「ありがとう」
涙が止まらず声にならないお義父さんに代わってお義母さんが説明してくれる。
「そこに書いてある住所なんだけど…もうすぐ定年退職するのを機会に、主人の生まれ故郷で暮らす事に決めたの。だから、貴宏のお墓もその近所に…家は義母が住んでたところをそのまま使うんだ…今は空き家だから、もし…私たちが移住するまでの間にお墓参りに来ていただけるんならその家を使って。恐ろしく不便な田舎だから日帰りなんて無理だし、宿泊施設もないし…鍵は預けておくけど、行くときは必ず事前に連絡してね。私たちから向こうの人に連絡しときゃ後は何とかなるから」
クソ親父を引き連れて駅前のロータリーまで戻ると、案の定上の兄(海上護衛隊のほう)が父を迎えに来ていた。兄の車に乗った父が最後に何かを言おうとしてパワーウインドウを開けたが、言葉を発することは叶わず。
アタリマエだ。私の右手が動くと同時に、父の頬に鈍い衝撃が走る。
「一生かけて反省しろ、このクソ親父!」
さあ、そろそろはなちゃんの学校が終わる頃だ。早く支度しなくちゃ!私はガレージに向けて全力で走り出した。
終業後暫くして、暁達館高校ではちょっとした騒ぎが起こっていた。正門前に見慣れぬ車が停まっている。あたしだけはどんな車で誰が乗っているか知ってるけど。
「え?何あの車?ちょっとヤバくない?」
「何かドアが斜め上に開いてるし」
「てかあの美人のお姉さん誰?」
「ねえ、誰かの知り合い?」
「あ、あたしのお姉ちゃんだっ!」
「え、はなちゃんってお兄さん以外に兄弟いたっけ?」
クラスメイトが唖然とする。
「あ、じゃあ今日はお姉ちゃんと帰るから!それでは皆さん、ごきげんよう♪」
「迎えに来てもらってスミマセン…」
「いいのよはなちゃん。その代わりこれから買い物行って荷物持ちよん」
「ハイ喜んで!」
聞いていいものか否か。街を颯爽と駆け抜ける車内で、あたしは恐る恐るリコさんに尋ねた。
「あの、昨日の件は…」
「はなちゃんがトリガーを引いてくれたおかげで一応解決、ね。お互い誤解は解けたみたいだし」
リコさんはそう答えると車をスーパーの駐車場に滑り込ませ、いつもより派手めにドアを開けた。軽やかなステップで店の入口まで小走りすると、私に微笑む。
「さあ、今日はお酒も買うから重いわよ。覚悟はいい?」
そう言って大型のショッピングカートに片足を掛けて、キックボードみたいに漕ぎながら店内に入っていくリコさんを追いかけながら『あ、吹っ切れたんだ』って思った。
その日の晩御飯。
「ほへぇ〜っ。リコさん、和食も相当な腕前ですね…凄く美味しいですっ!あたしなんかと比べ物にならない位」
「キャリアの違いよ、私の方が料理歴長いもん。はなちゃんの料理も中々のモンだから、そのうち追い越されるかもねぇ」
リコさんはそう言ってケラケラ笑うと、いつになく速いペースで焼酎を煽る。
「今日は飲むペース速くないですか…?」
「気のせい…って言ったらバレバレか。そう、今日は夫の実家に行ってきたの。ご両親にお詫びしなきゃって思って」
流石はリコさん、行動が早い。
「でね、家の表でお義母さんと会ったから少しお話してたら、あのクソ親父が来たのよ」
「ええっ…確か昨日お顔に怪我してましたけど…」
「そう。母に手当てしてもらったみたいで、ガーゼをあちこちに貼った上からネット包帯被ってたわ。何か特売の玉葱みたいで凄いウケた」
あの、玉葱をネットに入れた原因はリコさんではなかったでしょうか…
「今まで人に頭下げることなんか無い人生を歩んできたあのクソ親父が、いきなり玄関で土下座なんてするからそりゃもうビックリしたわよ。アイツが人に頭下げるのを見るのって私の人生で二回目かな」
私は、恐る恐るリコさんに尋ねた。
「あともう一回は…」
「私が道場に入門した時よ。自分の思い通りにならない私に腹を立てて、師範に言いがかりつけた挙げ句に掴みかかろうとしたから瞬殺。で、私の事を宜しくお願いしますって頭を下げたワケ」
「え、じゃあ…」
リコさんは大きく頷いた。
「そう、本気で痛い目に遭わないと解らない奴なの。言って聞く相手じゃないって私が言ったのはそういうこと」
「それにしてもリコさん、あれはちょっとやり過ぎじゃ…て言うか座卓飛び越えてマウント取るなんて!」
「うん…あれはちょっとやり過ぎたかな。テヘッ♪」
「テヘッ、じゃないですリコさん!」
「次からは手加減する…」
「手加減じゃなくて暴力行為は一切禁止、ですっ!」
暫くしゅんとしていたリコさんが、あたしの手を握るとじっとこちらを見つめた。
「途中経過はかなりマズかったけど、少なくとも『お互いの心がすれ違っていたことと、すれ違った原因』は解りあえた。今日からいきなり仲良くって訳にはいかないけれど、振り出しに戻る位の事にはなったんじゃないかな。トリガーを引いてくれた人に報告できるのはこれ位」
あたしの手を握るリコさん。只でさえ力強いその手にギュッと力が込められる。
「おかげで、お墓の場所も解ったし、あの愛想無い写真も入れ替わった」
あ、本当だ…トラックの前でドヤ顔してる写真に変わってる…
「はなちゃんがトリガーを引いてくれたおかげよ」
え、やだそんなことないですリコさん。もう少し良いやり方もあったんじゃないかと…
「ありがとね」




