長谷川光子
「何でこんなところにいるんですかっ」
「私だって仕事帰りに飲みたくなる日だってあるわよっ」
リコさんが少しむっとした表情で応酬する。
「営業所の連中にクソほど誘われたって言ってたじゃないですか!それを断って、何で態々ひとりで?」
「仕事を終えてまで、莫迦共の相手はしたくないのよ」
店の人と常連さんに促され、リコさんが席をチェンジして俺たちの隣に陣取る。他のお客さんに詫びとお礼を述べた後、リコさんは丸椅子にちょこんと腰かけた。改めて見ると、親に連れて来られて定食を喰っている子供みたいだ。ただ、手に持っているのはビールジョッキだからある種異様ではあるけど。
事情を知ったはなが、リコさんに話しかける。
「なんだ、お兄の先輩だったんですね…いつもウチの兄がお世話になっています」
「こちらこそお世話になっています。後藤クン、ウチの営業所ではエース級だからさぁ。営業所の中でも十屯トラックを余裕で振り回せる奴なんてそういないんだから」
どうでもいいけどリコさん、なんでそれが普通のことであるかのように俺たちの間にいるんだ?て言うかなんではなと二人きりの楽しいディナーに合流して、はなと二人で盛り上がっているんだ…
いつの間にか二人は楽しそうに名物のロールキャベツと肝のステーキを食べながら連絡先の交換までしてやがる。
「後藤クンってさぁ、仕事中は物凄くクール、っていうかあまり感情を表に出さない感じなんだけど、お家ではどうなの?」
ややほろ酔いのリコさんに問われたあたしは少しだけ戸惑った。あたしがこんな質問に答えることをお兄は望んじゃいない。何も言わず知らん振りをして焼酎を呷るお兄を横目に見ながら、あたしは適当に惚けよう。
「え?ウチにいる時はたぶん普通ですよ?あたしのことを大切に思ってくれている家族ですし、あたしを守ってくれる唯一の人で一家の大黒柱。でも家に戻ってきたら優しい兄……」
「そう、そうだよね……何かを守る為に生きている人って、周りのボンクラとは何か一味違うんだよねぇ!」
よかった。お兄は色々詮索されたりとか生き方に意見されたりとかって物凄く嫌がるから、ここは適当に逃げといて正解だった、かな?
ちょっと一杯のつもりで飲んで…誰かの古い歌で聞いたことがあるな。未成年のはなは勿論飲まないが、俺とリコさんは(勘定をしてくれた姉さんが何度も計算し直した挙げ句に卒倒しそうになる程)結構な量の酒を飲んだ。今まで知らなかったけど、社宅の棟が隣同士だった俺たちは表の道で別れを告げるとそれぞれの家に戻った。さあ、明日は休みだ。二日酔いの身体をゆっくり休めて、はなとのんびり過ごそう…
そう思っていた俺の目論見はものの見事に打ち砕かれた。はなは『お兄、先週ちゃんと言ったよ?今日は友達と映画観に行ってくる』と言い残して朝早く出て行った。そうだ、すっかり忘れていた…じゃあ俺は、夕方まで寝るだけだ。夕方になりゃ買い物に行って晩飯の支度でもすればいい。
そう考えていた俺の静寂は、不躾なノックの音で台無しにされる。
「後藤星來さまのお宅、で宜しかったでしょうか」
我が家に突然訪ねてきた若い女は俺にそう告げた。就活中みたいな似合わないスーツの襟に何かのバッジが光る。
「誰だお前」
「申し遅れました。わたくし、中山県弁護士会所属の弁護士、長谷川光子と申します。突然押しかけて申し訳ありません」
そう言って名刺を差し出した彼女は、先日俺とはな宛に書留を送りつけてきた奴だった。言われてみれば襟元に光っているのは弁護士バッジ。
「何の用だ」
彼女は淡々と、かつ事務的に俺に言いたい事だけを告げる。
「先日、郵便にてお知らせいたしましたお父様の相続の件です。お二人に引き継がなければならないものが色々ございまして」
「俺たちには関係ない話だ。家族を捨てた人間の事をそもそも父だと思っちゃいない」
「家族が離れ離れになられた理由もお父様から伺っております」
「だったら余計な事をするんじゃない。今更家族ヅラされたって、こっちが迷惑だ。帰ってくれ」
そう言ってドアを閉めようとしたその時、彼女は意味深な言葉を口にした。
「お父様に資産があったとしても、ですか?」
事態が飲み込めずポカンとしている俺に、彼女は淡々と言葉を連ねた。
「ご家族の感情についてはわかりませんし介入する気も毛頭ございません。私は依頼を受けた『相続』手続を進めるのみです。では、本日はこれにて失礼します。ご連絡お待ちしています」
あいつは俺に何を伝えようとしていたんだ?俺は玄関の扉を閉めると、暫く考え込んでいた。
ちなみにこのお店、実在する店舗をモチーフにしています。
希望ナンバープレートで坊やのデザインを採用した街に店を構えて、
主が野球好きで、
肝のステーキが……
バレバレですよね。