山崎璃子の追憶・7 越えられない壁、すれ違い始めた心
結婚の報告と御挨拶は、先ず彼の実家からにした。
「いやあ、ウチの貴宏がこんな素敵なお嬢さんを射止めるなんて。僕ら家族には勿体無い位だよ」
「いや、まあ…人の値打ちなんて学歴や何やらで決まるもんじゃないですから…」
お義母さんが口を挟む。
「そうは言っても、璃子さんはいい子だしいい大学を出ていらっしゃるし…貴宏も私も高卒だし、お父さんは中卒で仕事しながらやっと定時制高校を出た位のレベルなのよ」
「私も貴宏クンも、卒業証書や家柄と結婚する訳じゃありません。私は彼が真面目で優しくていい人だと思ったから…」
彼が真っ赤になりながら言葉を続ける。
「僕だって璃子さんの肩書に惚れた訳じゃない。彼女の気遣いと人を惹きつける力に…」
ふと首をかしげたお義母さんが、心配そうに私に問いかける。
「親の私が言うのもなんだけど、貴宏って引っ込み思案だから恋愛とかそういうのに全然疎くて…まさかこの子、いきなり『結婚してくれ』とか言ったんじゃ…」
コレきっと駄目なヤツっ!私は飲みかけたお茶を噴きそうになるのを堪えた。
「そのまさか、ですよお母さま♪」
「それを言うんじゃないよっ!」
全員でひと通り笑い転げたあと、お義父さんが心配そうに問いかける。
「で、璃子さんはそれでいいの?」
「営業所の莫迦共とは違って、貴宏クンは本当に私の事を心から想ってくれてるんだって解ったから…私はそれだけで十分ですよ」
さあ、後は唯一にして最大の難関、ウチのクソ親父だ。
「で、君はウチの璃子に一目惚れ。トラックの運転手が総合職のエリートと一緒になろうって訳だ」
父は私の自慢話を山手線がぐるぐる回るように何度か繰り返した後、吐き捨てるように告げた。
「何言ってんの?彼は営業所のエース級よ。逆に私なんかじゃ勿体無い位の逸材なんだから。て言うか教科書や成績表は人の価値を決めるものじゃない!それ言い出したらアンタだって田舎のポンコツ工業高校出ただけでしょうが」
私は苛々しながら反駁した。貴宏は何か言いにくそうにモジモジしている。
「いや、あの…僕なんかが璃子さんと結婚しようだなんて身分違いかも知れないんですが…ただ、僕が璃子さんを想う気持ちだけは嘘偽りのない真実です。せめてそれ位は理解してください」
けっ。
そんな声がどこかから聞こえてきたような気がする。いや、その瞬間に母の顔が真っ青になったから間違いない。クソ親父、態と聞こえよがしにやりやがったな…私の苛立ちは頂点に達した。
「…私が決めた人に、何か不満でもあるワケぇ?」
「いや、そうじゃなくて…ただ、」
「ただ、何?」
父は溜息をつくと、私に、いや、面と向かってじゃないけど貴宏に対して嫌味を言った。
「璃子みたいな才女なら、もっと…」
「もういい。私が決めた事だから、後は放っといて。それ以上何か言ったら只じゃ済まないわよ」
そんなすったもんだを経て、私達は夫婦になった。父が望んだド派手な結婚式もやらず、私達は地元の神社で二人きりの式を挙げた。
貴宏のご両親はとてもいい方で、度々私達を家に招いてくれた。皆で一緒に御飯を食べながら、時にはお酒を酌み交わしながらいろんな話をした。実家にいたときは皆がクソ親父の顔色を伺いながら無言でご飯を食べていたから、お招き戴く度にワクワクしていた。
ある日。
「で、璃子さんはご実家には…?」
私は溜息混じりに答えた。
「会う度に家柄がどうとかいう下らない話ばかりするからいい加減面倒臭くて…」
「それは不味いな」
珍しく貴宏が口を開く。
「璃子が僕の親とこんなに仲良くしてくれているのに…」
「父には何を言ったって通じやしないわ。いつも己の家族と田舎の家の自慢ばかり…」
ふと、お義父さんが口を開く。
「そう言えば、偶に璃子さんのお父さまが電話をくれたりウチに来てくれたりするけど、いつも璃子さんの自慢話ばかりしていたなあ」
あのクソ親父、そんなことまで…態々この家まで来て娘の自慢ばかりしてやがったのか…
「たぶん、お義父さんは璃子さんが可愛くて堪らないんだと思う。だけど…家の話を聞いていたら…何だかウチと豊田さん家の間には『越えられない壁というか、明らかな差みたいなもん』があるのかなって思ったりもするよ。まあ気のせい気のせい」
お義父さんはそう言うと、力なく笑った。
後で解ったことなんだけど、その後貴宏は何度も私の実家を訪ねていたらしい。『ナイショよ』って母が何度か連絡くれてたから。でも、貴宏は私にその事を一切言わない。偶に聞いてみても「いやあ、お義父さんにちょっと昔の璃子の話を聞いていただけだよ」とか言ってはぐらかすばかり。私はある日、貴宏を問い詰めた。
「私の実家で一体何の話をしていたの?あの自慢話ばかりするクソ親父の御機嫌取りでも?」
貴宏がしどろもどろに答える。
「いや、あの…僕の親がお義父さんと会うのを避けるようになってしまっていて…で、僕が間に入って何とか間を取り持とうかと…」
だったら事前にそう言えよ!もう無理。私は怒りを爆発させた。
「それって夫婦の問題でしょ?何で君が一人で何でもかんでも抱え込むワケぇ?そんなこと、二人で協力して解決するもんじゃ…結婚するときに、お互い何でも助け合って生きていこうって言ったじゃない!」
私は涙が止まらなくなった。己の間違いに気付いた貴宏が、私を優しく抱きしめる。
「璃子、ごめん。僕は君を巻き込む事で君を苦しめたくなかった…ただそれだけで…」
「私は、君と一緒になるって決めた時からずっと『夫婦ってもんは何でもかんでも二人で話し合って、助け合って生きていく』もんだって思ってた。でも、それは私の独りよがりだったのかも」
彼は涙を流しながら微笑んだ。
「よし。じゃあ僕は明日から考えを改める。これからはどんな事も君と話し合ってから物事を進めて行こうと思う」
「本当に?」
「ああ、勿論さ」
私は涙を拭うと、貴宏に告げた。
「じゃあ、あの車買い替えてくれる?あれ、二人ならいいけど家族で乗る車じゃないじゃん」
彼は溜息をつくと、今まで言ったことのないような強い口調で答えた。
「それだけは無理。お小遣い減らされても文句は言わないけど、あの車は絶対に手放さない」
私達は暫くの間、笑い転げていた。まさか、それが最後の笑いになろうとは…




