山崎璃子の追憶・1
「おめでとうございますっ!元気な女の子ですよ!」
豊田家の跡継ぎとなるであろう長男が生まれ、クソ親父は狂喜乱舞。次は女の子を、との願いは叶わず、二年後に生まれたのは男の子。子作りを諦めかけた頃…次男が生まれた三年後に奴の念願が叶って市民病院で私はこの世に生を受けた。誕生日の度に、嫌になるほど聞かされていたから憶えているけど『生まれた時に、まるで宝石のように輝いて見えた』という理由で『璃子』と命名されたんだって。大人になった今になって考えてみると、溺愛されることを前提に付けられたような名前のような気がしなくもない。まあ、それは現実になったんだけどね…
物心ついたときから何となく気づいていた。家族の中で私だけ異常といっていい程甘やかされている。家族をぐるりと見渡してみよう。クソ親父の前、母は絶対服従。いや、寧ろ下僕か奴隷だ。兄二人は厳しく躾けられて、縮こまるように生きていたのに私だけは甘やかし放題。
月に一度、新幹線が停まる駅のすぐ近くにある駅のデパートに買い物に行っては
「璃子に可愛いお洋服買ってあげようか♪」
「好きなおもちゃを買ってあげるよ」
クソ親父が嬉しそうに私を見つめる。ちょっと待て、アンタの子どもは私だけじゃない!そう思いながら私が兄二人のほうをチラ見すると、何も言わずじっと私の方を見ていた。兄二人が我慢を強いられているのに、私だけ好き勝手するわけにはいかないよね。て言うか幼児にそんな気遣いをさせる時点でオマエは異常だ。いい大人なんだからそういうことに気づけよ!
「今あるお洋服が気に入っているから今日は買わなくてもいい」
「おもちゃは、お兄ちゃん達と一緒に遊べるものがいい」
いつもそうやって答えるのがお約束。兄二人がデパートで服を買ってもらったことなんて見たこともなかった(大人になってから聞いてみたら、実際になかったそうだ)し…私だけおもちゃや綺麗なお洋服を買ってもらったりしたら兄二人はどんな気持ちになっただろう…幸いにして兄二人は物わかりのいい人だったから何か不平不満を言うわけでもなったんだけど…
七五三。クソ親父だけ異様に大盛り上がり。大人しくて何も言わない母ですらドン引きしてアイツを諫めようとした位。隣近所にお菓子の詰め合わせを配り歩くなんて、嫁入りじゃないんだからさぁ…
「璃子、七五三は綺麗な着物を着てお父さんとお参りに行こうね」
「嫌だ。私、お洋服の方がいい」
着物なんて窮屈なだけだし子供用の着物なんて七五三以外に使い道はないだろうけど、お洋服だったら他にも使える。どうしても着物を着せたいって言うんなら、レンタルでいいじゃん。て言うか七五三を迎える時点でこんな気遣いをしていた私って…全てはあのクソ親父のせいだ!
ところがあのクソ親父、近所の呉服屋でとんでもない値段の着物を買ってきやがった。いつも畑仕事の手伝いに行っている母の『新しい軽トラを買って欲しい』というお願いをフル無視しやがったアイツは、新車フル装備の軽トラが余裕で買えるような金額をポンと出したそうだ。
私は渋々着物を着る(正確に言うと『着せられる』だ)ことになったので、七五三の時の写真はいつも微妙な表情をしていた。そりゃそうだ。適当なお出かけ着を着せられて写真を撮った長男、そのお古を着せられた次男、ポンコツの軽トラに乗ることを余儀なくされた母。複雑な感情が渦巻く家族を見て笑顔なんか出来るか、この莫迦っ!
クソ親父に溺愛されて何一つ不自由のない生活を送っていた私に一つだけ足りなかった、いや望んでも得られない運命的なもの。いまでもそれはコンプレックスなんだけど…決定的に足りないもの…それは…
「や~い、チビ!お前このまま一生背が伸びないんじゃないか」
別に好きでこんな身長になったわけじゃない。そもそも論だけど、いまこれだけ背が低いからって死ぬまでそうとは限らない(後に、死ぬまでそうなんだって残酷な事実を突きつけられるんだけど)。
人は、何故『自分より劣っている何か』を他人に求めるんだろう。百歩どころか一万歩位譲って『自分のほうが優れている、秀でている』事を何やかんや言うのは許してやろう。学歴、収入、はたまた容姿…なんでもいいや。
でも、自分に秀でたところは何もないからって『上見て暮らすな、下見て暮らせ』的な発想で物を言う奴はただのクソだ。
他人のことなんか放っておけばいいのに、自分の不平不満や劣等感の捌け口を求めて他人を揶揄し続ける、そんなオトナの世界を私は小学校入学前に嫌というほど味わっていたんだけど…
いつものように私をからかい続ける近所のクソガキ。確かに奴らが言う通り私は背が低い。だからってそれが何だ!お前らに迷惑をかけたことがあるか?て言うか私の身長なんかお前らに何の関係もないだろ!
小学校の入学式に何を着せようかしら、なんて事を同世代の子供達の父母が気にし始めた頃…
「チ~ビ、チ~ビ!お前、チビだから小学校、一年遅れじゃ…」
そう言いながら隣家のクソガキが私が大切にしていた幼稚園のフェルト帽を鷲掴みにした瞬間、遂に私はブチ切れた。
「うわっ!」
私に引っ叩かれた隣家のクソガキが後ろに転がって泣き出す。
「おっ、チビが暴れ出したっ!」
「チビのくせに生意気なっ」
そう言ってその他大勢のクソガキにいとも簡単に吹っ飛ばされた私は、たちまち周りを囲まれる。こうなりゃ多勢に無勢、私に勝ち目はない。力任せに押さえつけられて動けない私の顔を誰かが踏みつけようとした時!
「こらっ、お前ら何をしてるんだ!」
兄二人が割って入る。散り散りになったクソガキどもの姿が見えなくなると、兄二人は私の服や身体に付いた土や埃をポンポンと払いながら私を諭す。
「そんな無茶したら駄目じゃないか」
「でもお兄ちゃん達『チビ』とか言って莫迦にされたことないでしょ」
「…それはそうだけど…だからって、暴力は良くないよ」
「そんなこと言ってるお兄ちゃん達だって空手習ってるじゃん。あれって強くなるためのものじゃないの?」
「あのね、璃子。僕たちが習っている空手は、心を鍛えるためのものなんだ。意地悪されても負けない強い心を養うのさ」
「じゃあ、戦えないの?」
「アハハハ…!父さんが毎週テレビで観てるプロレスみたいに戦ったりはしないよ。あ、そうだ…父さんが言ってた。璃子も再来月から小学生だから空手道場に通わせるんだ、って」
「そんなの嫌だっ!」
私はその場から駆け出した。私はチビだから、女の子だからって莫迦にされたくない。いつか強くなってあいつらをぎゃふんと言わせてやるんだ。
そうは言ったものの。
何をすれば強くなれるかなんてさっぱり思いつかないまま、私は高校の前の道を一人トボトボと歩いていた。とある建物の前を通った時、私はガラス越しの光景に目を奪われる。何、アレ!
道着を着た二人が向かい合う。取っ組み合いになったかと思うと、一方が巧みに腕を掴む。その瞬間、掴まれた人の方が床に転がりあっという間に組み伏せられる。
私は飽きもせずその光景をガラス窓にへばりついて眺め続ける。ガラス窓が私の鼻息で曇る頃、一人のおじさんが私の肩をポンと叩いた。
「お嬢ちゃん、そんなに興味あるのかい。だったら中に入るといい」
「そうか、そういう事だったのか…」
稽古を続ける二人を見ながら、おじさんはそう言った。後で知ったんだけど、私に声をかけてきたおじさんはこの道場の師範。
「これは柔術、というんだ」
「じゅうじゅつ?」
「そう。まあ、柔術にもいろいろあるんだが、今やっているのは『身を護る為』の柔術だ。喧嘩やプロレスみたいに殴り合うとかじゃなくて…例えば…」
暫し考えていたおじさんは、お稽古真っ最中の若い二人に声をかけた。
「おい、ちょっと手伝ってくれ」
おじさんが駆け寄ってきた一人の練習生さんと対峙する。何も知らないド素人、しかも幼児が見ても一撃で解るくらいの物凄い殺気…
「よく見ろお嬢ちゃん。今から俺が、この若いもんに殴りかかる。こいつは相当鍛錬しているから、俺はあっという間に押さえられる。面白いぜ。これを『護身術』って言うんだ」
そう言うなりおじさんは若い人に殴りかかる。その瞬間、彼の身体はあっという間に宙を舞い、腕を極められ床に突っ伏していた。
「こうやって自分を護るんだ。これは決して人を傷つけるためのもんじゃない」
おじさんは起き上がると私にそう告げた。
「ま、ここに通いたいんだったら親御さんに相談して、今度は一緒においで」
鼻息荒く走って家に戻ると、クソ親父が私の帰りを待っていた。
「おかえり、璃子。私も丁度仕事から戻って来たところでな。今から道着を買いに行こう。再来月から璃子も小学生だから、お兄ちゃん達と同じ道場に通うんだ」
私はアイツの言葉をものの見事に切り捨てた。
「行かない」
父は唖然とした表情で私に問いかけた。
「どうしてだ、璃子!我が家は『文武両道』がモットーだ。いつも言っているだろう?ウチの子は強く、賢くなくちゃならん。それに、親の言う事を聞かないだなんて、一体…」
初めて反抗する娘に、父は狼狽してするしかなかった。
「勉強もする。強くなる。でも、空手道場には行かない!」
私の意図することが全く理解出来ないクソ親父の怒りと混乱は頂点に達した。
「お父さん、私について来て」
「初めまして。私はこの道場の師範をしております木村と申します」
「何だって貴様はウチの娘をこんな道場に入れようと…!」
クソ親父が凄んでみせる。でも、百戦錬磨の師範は全く動じない。
「お嬢さんが望んだから、としか言いようがないですが」
「私、ここに通って強くなるの!空手道場になんか行かないもん!」
娘の初めての自己主張に、クソ親父の狼狽がヒートアップ。
「だからって何もこんな物騒なところで強くならなくても…」
「私、喧嘩するためにここに通うんじゃない!自分を護る為だもん!」
その時はそう思っていた。でもこれは、後に嘘となるんだけど…
何故かは解らないけど、クソ親父が突然キレた。
「おい、お前も黙ってないで何とか言え!」
「入門するかどうかはお嬢さんとお父さんで話し合って決めること。私どもは来る者を拒みませんし、去る者を追いません。どうぞご自由になさってください」
「何だと、無責任なことぬかしやがって!」
そう言ってクソ親父が師範に掴みかかろうとした瞬間、私の視界から奴が消えた。秒殺、若しくは瞬殺って言うのかな…
「私が習いたいのはこれ!お父さん、いつも『璃子がお稽古事したいなら何でもさせてあげる』って言ってたよねぇ」
「では…娘のことを宜しくお願いします」
そう言って、よろよろと起き上がったクソ親父が師範に頭を下げる。そう言えば、コイツが人に頭を下げるのを初めて見たような気がする…
小学校に入学してからも、私をからかう奴はいた。
「や~い、このチビ。おい、返事しろ」
今までずっと我慢してやっていたのに、お前ら調子に乗りやがって…!
そう言って私の通学帽を取ろうと手を伸ばしてきた隣家のクソガキに照準を合わせる。遂にこの時が来たっ!私の帽子に手を触れた瞬間、私は師範に教えられた通りに行動した。腕を極められ地面に這い蹲って泣き喚く彼に、私は鼻高々に自分の帽子を拾いながら呟く。
「私に気安く触らないでくれるかしら」
子供の人間関係なんていい加減なもんだ。一つの事象をきっかけに力関係なんて簡単に変化する。師範のおかげで次の日から私がからかわれることは無くなったんだけど、同時に『お転婆』であるという評判が町中に広まったことを母が今でも気にしているのは気のせいだ、きっと。




