イルカに乗った少年
リコさん家にお泊まり二日目。あたしを連れてスーパーに行くと、リコさんは手当たり次第に食材を買物カゴに放り込み始めた。
「あ、あの…」
「何?はなちゃん」
「いつもそんな豪快に買物するんですか?」
リコさんは平然と答えた。
「毎日チマチマ買物するのが面倒なのよ…で、私の仕事も結構忙しいから遅くなるともうコンビニ弁当かファミレスになるでしょ?私、アレが嫌なの」
確かにコンビニ弁当とかファミレスメニューって、変に味が濃いから苦手。
「とは言え、遅くなったら料理する時間もないから炒め物や焼き物中心になるけどね~」
「え、じゃあリコさんの得意料理って何ですか?」
「この食材から何か思い付かないかしら」
種類があり過ぎて解らない。リコさんが不敵な笑みを浮かべる。
「今晩見てからのお楽しみよん♪」
食材を抱えて戻って来ると、リコさんは物凄い勢いで支度を始める。あっという間に野菜と肉を切り終えると、隣の部屋からパラボラアンテナみたいなデカい鍋を持って来た。
「まさかリコさん、得意料理って…」
「この鍋でフランス料理とか懐石料理は無理だよねぇ」
この小さな身体のどこにそんな力が…鍋の中で具材が激しく舞い踊り、あっという間に次々と料理が出来上がる。
「何だか餃子のチェーン店みたい…」
「あら?私の方が早いしヘルシーだし美味いわよ」
「はなちゃんお待たせ。じゃあ戴きましょう」
「いただきま〜す。うわっ、美味っ!何コレ…こんなに美味しい中華は初めてですぅ」
「でしょ?」
リコさんがドヤ顔で缶ビールを飲み干す。
「しかしあんな大きな鍋振るなんて凄いですね…」
「ああ、あれ?ウチの実家が五人家族、親父は製鉄所で毎日汗だく、しかも兄弟は体育会系バリバリの兄二人、必然的にあの鍋が必要になったのよ。で…私が結婚する頃には二人とも所帯を持ってて既にデカい鍋を持ってたし、年寄り二人にあんな大きな鍋は要らないから私が譲り受けたワケ。まあ、大き過ぎて台所の収納に入らなかったのだけは誤算だったけど」
新しいビールを取りに台所へ来たついでに、中華鍋を振り回しながらリコさんがケラケラ笑う。
「でも、あの鍋を振れるリコさんのパワーって凄いですね。あんな大きな物をいとも簡単に振り回せるなんて…」
「ああ、私も子供の頃からスポーツやってたからねぇ」
リコさん、何のスポーツやってたんだろう。だんだん興味が湧いてくる。これって聞いても怒られないかな…そう思いながらもあたしは『リコさんに聞いてみたい衝動』を抑えられない。まあ、優しいお姉ちゃんだからきっと怒らずに教えてくれるだろう…
「あの…中華鍋をブン回せるスポーツって…」
リコさんが『待ってました』とばかりにドヤ顔であたしを見つめる。
「柔術」
「え、何か全然イメージが湧かない、って言うか柔術と中華の接点が見出せないんですが…」
リコさんがビールを一気に呷る。さあ、エンジン全開!リコ劇場の開演だっ!
「アハハハ!そりゃそうよ!必要なのは最低限の体力だけだから、あとは経験。実家は母も仕事してたから、必要に駆られて料理を覚えただけ」
「リコさんは、どうして柔術を?」
リコさんは眉を顰めると、何故か小さな溜息をつく。
「クソ親父がね…値打ちこいて子供の教育方針に『文武両道』ってのを掲げてたワケ。で、兄二人は空手を習わされて…私も小学校に上がる時に同じ空手道場に入門させられそうになったんだけど、勝手に人生のレールを敷かれるのが嫌で近所にあった柔術道場の門を叩いたの」
「ちなみに、柔術はいつ頃までやられてたんですか?」
リコさんが指をバキボキ鳴らしながら微笑む。柔術と指を鳴らすことはあんまり関係ないと思うんだけど…
「現役よん♪今でも仕事帰りとかオフの日に時間が空いてたら道場に通ってる。だから素人相手なら関節や骨の一つや二つ、いつでも使い物にならなく出来る!まあ、オトナになってからはそんな莫迦なことしないけど」
リコさんって凄い…え?『オトナになってから』という言葉の意図するところがあたしには理解出来ない。でも、ここは触れない方がいいよね。そこら辺はもう少し仲良くなって『ほんとうの姉妹』みたいな関係になってから改めて聞いてみよう。
リコさんがリビング隣の和室に吊してあるあたしのセーラー服を見て呟く。
「はなちゃん、この制服って暁達館高校のだよね」
「ええ、よく御存知ですね」
「私が通ってる道場、暁達館高校の道向かいにあるの」
「あ、あの『ブラジリアン柔術』って派手な看板出してるところ…?」
「ご名答。あの看板を掲出し始めたのはここ数年の話だけど、私が通い始めた頃はそりゃ地味な存在だった。先代師範が亡くなられたのと、ここ数年の格闘技ブームに乗っかろうとした結果がアレ」
あの道場って格闘家養成を謳い文句にしてたような気がしてたんだけど…昔はそうじゃなかったんだ。ん?待てよ…そこであたしは一つの事に気付いた。
「え?じゃあリコさん、この街で…」
「鞆浦市生まれの鞆浦市育ち。大学だけは浪花市だったけどね」
と言うことは実家はこの近所…?
「ほら、海沿いに大きな製鉄所があるでしょ?親父があそこに勤めてたから、ずっと近所の社宅に住んでたの。まあ、今は定年退職して『家を継ぐ』とか意味の解らない事言って瀬戸内の島に引っ越したけど」
「定年後は海沿いの街で暮らす、か。…いいなあ」
リコさんは焼酎にチェンジすると、吐き捨てるように呟いた。
「親父は、島で古くから続く家の『ぐべんしゃの子』…じゃ解らないか…所謂小金持ちのお坊ちゃんだったの。定年退職したら家を継ぐんだってずっと言ってた。その島に継がなきゃならない家業があるわけでもないし、クソ田舎に値打ちこいたボロ家と仏壇、あと無意味に広い土地があるだけなのにね」
あたしが何気無く視線を隣の部屋に向けると、そこには昨日と同じように亡くなった御主人の写真が飾られていた。そっか…いま聞いた話だと、お父様との関係は相当悪いのかな…?
リコさんがあたしの視線にいち早く気付いたようだ。
「親父とは、彼の葬式以来会ってないわ」
考えを巡らせる。リコさんは、あたしとお兄の為にトリガーを引いてくれた。あたしはリコさんに何か恩返しがしたい。ひょっとして今がその時?餓鬼の浅はかな知恵で大人に歯向かったところで一蹴されるか莫迦にされるだけかもしれないけど、大恩人のリコさんの為にあたしがトリガーを引いてやるっ!
意を決してあたしは立ち上がった。ダイニングの椅子が音を立てて後ろに倒れる。
「どうしたのはなちゃん?」
「あの、あたし、リコさんの実家に行ってみたい…」
リコさんは苦笑交じりに答えた。
「来てどうすんのよ…だいたい若い子が観光するようなスポットなんてないし、人に知られている所ってイルカに乗る歌を唄ってた歌手の実家か隣町にある海上護衛隊の兵学校くらいしかないところよ。余程のマニアでない限り行こうとは思わない…」
ありゃ。適当なこと言ってもやっぱり通用しなかったか…じゃあ、仕方ない。お兄には申し訳ないけど、リコさんに嫌われてもいいからここは一発ドカンと正攻法で…
「昨日の晩、リコさん仰ってましたよねっ!」
「あら、私何か大層ななことでも言ったかしら?」
あたしの尋常ではない気配を感じて、リコさんが惚ける。
「色んなことを抱え込み過ぎて身動きできなくなった時に、誰か周りの人間がトリガーを引かななきゃいけない、って…」
「うん、まあ、確かにそう言ったわよ。あの言葉には嘘も偽りもない」
あたしは困った表情を浮かべたリコさんに向かって一気に捲し立てた。
「解りあえないまま離れ離れになってしまうのは、私を最後にしたいって…亡くなったご主人とはもう会えないけど、お父様とはまだ会って話は出来ますよね…何で、何で解りあえないまま放ったらかしに…」
「言って聞くような相手じゃなかったのよ」
「今日まで言って駄目でも、明日なら何とかなるかもしれないじゃないですかっ!あたしは、リコさんにもう一度お父様に向き合って欲しいんですっ。あたしに大切なことを教えてくれた人が…あたしの大切なお姉ちゃんが…すれ違った心を抱えたまま生きていくのなんて見たくないから…」
リコさんは涙を流し始めたあたしを抱きしめると、優しく語りかけた。
「そう、はなちゃんの言う通りね…人に偉そうなこと言ってるくせに自分が逃げ回ってちゃ駄目だわ…解った。今まさに、はなちゃんが私に向けてトリガーを引いてくれたんだ…その気持ち、しかと受け止めた!じゃあ、善は急げっていうか私もあまり暇がないから、後藤クンが出張に行っている間にササッと行っちゃいましょう。でもね、はなちゃん…」
「え、何ですか?」
「忠告。あの海域にイルカはいないし、イルカに乗ったおっさんは島に住んでない。で、あと一つお願い!実家でもし私が暴れそうになったらゼッタイに止めて欲しいの。私、キレると何するかわからないから…目の前で傷害事件とか殺人事件を見たくないでしょ」
リコさんは本気とも冗談ともつかない表情で私に告げた。




