Rico♪
夕方に突然訪れた郵便屋さんから、お兄宛の書留を受け取ったあたしはどう対応したらいいか少し戸惑った。見ちゃいけないと思いながらも差出人の名前を確かめる。
一通目、銀行。清く貧しく、がモットーの我が家に銀行から手紙が来るなんて良い知らせの筈がない。あたしの想像でしかないけれど、きっとお兄はあたしの為に、生活の為に借り入れでもしてくれているんだろう。多分その関係の通知か何かだ。あたしのせいでお兄に何か迷惑がかかっているんだとしたらどうしよう…何か申し訳ないな…
二通目、弁護士。お兄、何かやらかしたの?いやいや、お兄が悪いことなんかするはずないよ。でも、何でお兄のところに弁護士から手紙が来るの?あたしは差出人の住所を見て凍りついた。
『中山県』。あたしとお兄にとっては忌まわしい場所。お兄がいつも言ってた、あたし達が生まれ育った街。両親があたし達を捨てた街。あたし達が預けられた施設があった街…
こんな手紙、どうやってお兄に渡したらいいのよ…暫し考えたあたしは、中身を全く知らないふりをしてテーブルの上に放置することにした。あとはお兄が上手くやってくれるだろう。いや、あたしが何かしようとしたところで、お兄は絶対に受け入れてくれないだろうから。
晩御飯の支度をしているうちに、あたしは眠ってしまったらしい。目覚めるとそこにはいつものように優しくて疲れ果てたお兄がいた。いつもと違って無理に冗談を言ってあたしを笑わせたお兄に少し違和感を覚えたあたしの手元には、あの手紙はもうなかった。お兄、あたしを巻き込まないように気遣ってくれてるんだね。
でも、何でもかんでも一人で抱え込まなくてもいいじゃん。少しは弱音の一つでも吐いてほしいな、たった一人の肉親なんだから。お兄、あんまり無理しないでね。
ありがとう。
訳の解らない手紙を受け取った俺は、極力そのことを考えないようにした。手紙を受け取ったからといって急に何かが変わるわけじゃない。俺たちを捨てたあの男が今更相続だ何だと言ったところで、俺の知ったことか!トラックを洗車機にかけなから俺は自然と湧き上がってくる忌々しい記憶を心の奥へ追い出そうと足掻く。
「お疲れ様です」
洗車を終えた俺は勤務終了の時刻をカードリーダーに記録すると、営業所の皆に別れを告げて帰り支度を始めた。今日は珍しく定時で帰れそうだ。定時で帰れるなんて何日ぶりだろう…
「後藤クン、お疲れさま!」
小学生かと思う位の背格好の女性がヘリウムガスでも吸ったみたいな甲高い声で俺を呼び止める。黒髪のショートボブで何故かは知らないがいつも白いブラウスに黒いパンツルックのこの女性。俺はこの人のテンションの高さがどうも苦手だ…気づかないふりをしようとした俺を苦手なハイトーンボイスが引き留める。
「ああっ!今私のこと無視しようとしたでしょ!営業所の天使、マドンナと言われるこの私のことを無視しようってワケぇ?」
「いや、そんなことないですリコさん……スミマセン。ちょっと考えごとをしてたもんで気づかなくて」
彼女は営業所の庶務主任、リコさん。先輩だから本当は山崎さん、若しくは山崎主任とでも呼ぶのが正しいんだろうが、この営業所には男女合わせて三人の山崎さんが存在する。必然的に彼らを下の名前で呼ぶことになり、俺もそのノリで彼女をリコさんと呼んでいるが彼女は七つ上の大先輩。本人が天使だのマドンナだのと自称する通り、確かに美人ではあるけど…
「もう、偶に早く仕事が終わったと思ったらそそくさと帰ろうとするんだからっ」
「いや、あの……ウチにはまだ学生の妹がいるもんで」
「知ってるわよ!君から何回その話を聞いたかっ!て言うか君から妹ちゃんの話以外聞いたことないっ!」
だったらいちいち聞くなよ…
「で、折角の定時退社、今日は楽しい給料日。でも君は可愛い妹の為に脇目も振らず真っ直ぐ家に帰るって訳ね」
さっきそう言った筈だけど……
「ええ。今日は妹と…」
「はっはぁ~ん…今日は妹ちゃんと月に一度の楽しい外食の日かっ!」
リコさんにそんな話したかな…あ、そう言えばそんな事うっかり言っちまったかも…
「営業所の野郎共から山程『給料日飲み会』オファーがあったリコ様が後藤クンを飲みに誘ってあげようとしたんだけどな…」
そう言って態とらしく胸元で指を絡ませながらモジモジしているリコさんが段々鬱陶しくなってきた。
「じゃあ、俺は妹が待ってるんで失礼します。リコさんも家族とでも飲みに行けば…」
「あら?それって三年前に事故で夫を亡くした未亡人にかける言葉?後藤クンったらデリカシーの欠片もないんだからっ!まあ、今日は可愛い妹ちゃんに免じて許してあげるわ!」
何かを慈しむような目で俺を見送るリコさんから逃げるように、俺は社宅に向かって駆け出した。
「お疲れさま。カンパイ!」
俺達は新幹線の駅からほど近い、百貨店の南側にあるカウンターしかない古ぼけた店で渇いた喉を潤す。野球好きで地元の球団を愛して止まない(所謂鯉キチ)大将が店に飾っているポスターやサイン色紙、グッズの数々を眺めながら俺は、はなを諭すように口を開いた。
「おい、はな…よりにもよってこんなところに来ることないだろ」
「だってお兄、『はなが行きたい所ならどこでも連れてってやる』って言ったじゃん」
「だからって…」
「お兄が偶に来るって聞いたから、絶対に今月の給料日ディナーはここにするって決めてたのっ!ここなら飲めないあたしでも定食メニューとかあるから大丈夫だし。ほら、お兄だって嬉しいでしょ?馴染みの店にいつもの味。更には世界一可愛い女の子が目の前でお酌してくれるんだよ?嬉しいでしょ?」
ああ、嬉しいとも。最後の一節に、俺は手放しで同意する。俺ははなと一緒にいられるならファストフード店でも屋台でもコンビニ弁当でも嬉しいが、な。
ふと、さっきまではしゃいでいたはなが眉を顰める。
「どうした、はな?」
「ねえ、お兄。さっきからあたしたちの事をずっとガン見してるお姉さんがいるんだけど…あの人何なんだろう…何か強い意志みたいなもんを感じるんだけど……」
俺は嫌な予感とともに、はなの視線の先に目を向けた。コの字型のカウンターの向こう側に、よく見慣れた童顔があった。
リコさん、何であんたがここにいるんだ…
先に白状しておきますが、リコさんのキャラクター設定を考えたときに頭に浮かんだのは活弁士の山崎バニラ(実は大ファンで、彼女の書籍を持っていたりします)さんです。髪の色以外の特徴は彼女のイメージそのものです。