ありがとう
暫くの沈黙の後、俺は彼女に質問した。
「で、その後どうなったんだ…」
「日記を貸金庫に入れたあと、ひと月も経たないうちに工務店を辞めて入院されまして…やはり癌は手の付けられないような状態だったらしくて半年もしないうちに亡くなられました。私も何度かお見舞いに行きましたが、ずっとお二人の事を心配されていましたよ。あ、あと緊急連絡用に、と周りに説得されて携帯電話を購入されたのですが待ち受け画面はその写真でしたね」
嘘か誠か。俄かには判断できない。俺は一つの決意とともに、彼女に決心したことを伝える。
「この日記に書いてあることが嘘か本当か俺には判断できない。ただ、俺一人が判断できるものでもないしするべきでもないだろうから、俺はこの日記を持って帰って妹に読ませようと思う。なあ…仮に通帳も一緒に相続したところで、何かを…例えば俺が今使ってる通帳に送金しなきゃならないとかそういうことは無いんだろ?」
彼女はほっとしたような表情で俺に告げた。
「日記をお持ち帰りになられるのでしたら、早速手続きを行います。参考までに、通帳はそのまま放置しておくと払出請求の時効が成立して国庫に納入されます。要は使うも放棄するも後藤様の意向次第、です」
彼女は急にそっぽを向いたと思ったら、聞こえよがしに呟いた。
「ご家族にとっては、通帳の残高より日記の中身の方が重要だと思いますがねぇ…」
最後の公休日、俺は彼女の好意で村のあちこちを回ることになった。父親が最後に暮らしていた村。何もない、景色が綺麗でお人好しが多いこと以外に本当に何もない村だったけど、案内される先々で俺は無意識に父親の姿を追い求めていた。何もない田舎の村だけど、山頂の展望台から見た村の景色だけがなぜだか解らないけど俺の記憶に強く残った。
最後に訪れたのは村の工務店。父親が最後に勤めていた所だ。先に彼女が手を回していたようで、特に何かを詮索される訳でもなく普通に『従業員の親族』として俺は受け入れられた。
「よく来てくれた。俺はお前の親父さんとずっと長い間一緒に仕事をさせてもらってな」
そう言って社長さんが切り出す。
「お前の親父さん、本当にクソ真面目な職人さんでな。俺たちがちょっと困ったときなんかに率先して何かをやってくれる人だった。若造の教育なんかもえらく熱心でな…あ、そうだ。親父さんの愛弟子がいるから呼んでやるよ」
そう言うと社長は大声で従業員を呼びつけた。
「おい、純はいるか?純を呼んでくれ!」
敷地の中から若い職人さんが駆けつける。
「お前の師匠の息子さんが挨拶に来てくれたぞ。純」
若い職人さんは、ヘルメットを脱ぐと俺に深々と頭を下げた。
「初めまして、僕は安村純と申します。高校在学中からここでお世話になっていたんですが、その時から付きっきりで僕の面倒を見てくれたのが貴方のお父さんでした」
社長が話を続ける。
「俺様もそうだが、まあ職人ってのは付きっきりで弟子に仕事を教えるなんてことは大抵嫌がるもんだ。自分の仕事が止まるからな」
どうでもいいけどこの親父、どうして自分のことを『俺様』って言うんだろう。
「でも、後藤さんは嫌な顔一つせず『次世代に技術を継承するのも僕の仕事なんだ』って言って僕に一から仕事を教えてくれたんです。後藤さんには本当にお世話になって…」
そんな事までやっていたのか…まあ、俺がガキの頃からそんなことずっと言ってたんだろうな…工場にいた頃はその対象が女の子だったから母親とのすれ違いが始まったんだろうが…まあ何というか、それだけ不器用だったってことなんだろうな…
「あ、そうそう」
彼が思い出したように声を上げる。
「仕事のノウハウを教えて貰おうと思って、迷惑を承知で彼の部屋に何度か押しかけたことがあるんですが…ひと通り仕事の話をした後はいつも決まって貴方と妹さんの話ばかりしていましたよ」
え、そうなのか…
「いろんな事情があって子供さんと離れ離れになったとは聞いていたんですが、今日は下の子の七五三だ、とか貴方の成人式だ、とか言って節目のときは村のお社にお参りしていました。本来は本人がいないとできないような儀式でも、神主さんにお願いして『願主の思いが届きますように』って特別に祝詞を上げてもらってたんですよ」
え、確かアンタ安村さんって…
「あ、僕が何かしたとかいうわけじゃなくて…氏子総代をやっている父が神主さんに話をつけてくれたんです。ほら…長谷川先生と信用金庫に行かれたと思うんですけど、その時応対したのが僕の父です」
ああ、安村さんってあまり聞かない名前だなと思ってたら親族だったんだ。
「ご存じないかも知れないですけど、村の図書館にもう一人安村がいます。彼女は僕の妻です。世間って狭いでしょ」
彼はそういうと、優しく微笑んだ。
これだけお人好しに囲まれて生活していたら、まさか嘘っぱちをいう事も出来ないだろう。てことは日記に書いていた内容もあながち嘘ではないという事か。
ある程度確証を得たところで、俺は工務店の皆に礼を言うと営業所に戻ることにした。帰りの道すがら、俺は彼女に問いかける。
「なあ、俺の父親って最後にこの村に流れてきて良かったのかな…」
彼女は軽トラのシフトレバーを巧みに操りながらさも当然のように答えた。
「当たり前、です。この村に来れば誰でも優しい気持ちになれて、心穏やかに助け合って生きていけるんです。何なら後藤様も如何ですか?中山県の営業所に転勤になった際は是非とも我が内削村へ…」
「勘弁してくれ。俺はあんまり濃い人間関係ってのが好きじゃない」
「お越しになられたら、そのうちあっという間に慣れちゃいますよぅ」
彼女はそう言うと、初めて俺の前で大声を上げて笑い出した。
「この村は、そんなにいい所なのか…?」
そう呟いた俺に、真顔に戻った彼女が答える。
「かつて私も、何の変化も刺激もないこの村を飛び出したくて帝都の大学に進学しました。その先には、きっと別の未来があると信じて」
そういやそんな事言ってたな…
「とはいえ、のんびりした田舎暮らしに慣れ切っていた私が都会のスピードについていくなんて無理だったのかも知れませんね…もう少し頭の回転が速い子なら対応出来たんでしょうけど」
そこまで自虐的にならなくてもいいんじゃないか?アンタ、頭の回転は十二分だと俺は思うけど…
「気がついたら私は『成績は良いけど段取りの悪い子』みたいなレッテルを貼られていました。悔しかったですが返す言葉もありません。だってその通りなんですから」
そう言って彼女は道端に停車すると、車を降りて空を見上げた。
「就活が上手くいかず、悔しくて悔しくて…ふと空を見上げた時に…」
彼女に釣られて車を降りた俺も空を見上げる。そこには一点の曇りもない満天の星。
「都会で見た空は、汚れきった空気と派手なネオンの光で星なんて殆ど見えませんでした。都会も村も繋がっていて同じ空なのに、この街は私に星すら見せてくれないんだって思ったら急に村が恋しくなって…」
「で、村に戻って来ようと思った…」
「でも、私は短期間と言えども『大学に進学して、帝都で一旗揚げてやる』なんて家族や村の皆さんに大見得切って村を捨てた身。そんな私を村の人は受け入れてくれるんだろうかという不安を抱えたまま…」
で、今この村で弁護士をしているっていう事は…
「正直『ただいま』って言っても良いのかどうか…極端な話ですが大見栄切って村を出ていったにも関わらず戻って来た負け犬を村の皆は受け入れてくれるのか、という不安しかない帰郷でした。ところが、ですね…村の皆さんは私が何を言うよりも先に『おかえり』って言ってくれたんです!私にとって人生で一番嬉しい『おかえり』でした…大見得切って村を飛び出したのに『みっちゃんが弁護士になって帰って来た』って、そりゃもう大騒ぎでしたよ。で、恥ずかしながら就職先がまだ決まっていないことをお話ししたところトントン拍子で村で開業する話になりまして現在に至るってことで」
「じゃあ、アンタはこの村に戻って来て…」
彼女は間髪入れずに答えた。
「良かったと思っています。私、やっぱりこの村が好きなんです!あ、そうそう。内削村は所謂『Iターン』とでも言えばいいのでしょうか、移住者を募集していまして…詳しくは町役場のホームページをご覧いただければ…」
「誰がこんなど田舎のホームページなんか覗くんだっ」
「あぁ、酷い事仰いましたねっ!確かに村のホームページをご覧になられる方はごく少数で…信用金庫の安村さんがその辺に相当詳しいようで、彼の監修で相当高いクオリティで作り込んだサイトなんですが、アクセス数のカウンターが年間二桁止まりだったそうです。役場の担当者さんも『こんなことならカウンター機能なんか実装しなきゃよかった』と嘆いておられました。しかし、ですね。私も拝見しましたが、あのサイトを見ると後藤様もきっと移住したく…」
「俺はその『濃い人間関係』が苦手だってさっき言っただろっ!」
俺達は、満天の星を眺めながら暫くそうやって笑い転げていた。
翌日。
俺は夕刻に出発する便で中山県を去る。短い滞在期間で色んなことがあったけど、俺は鞄の中に日記と通帳を大事に仕舞い込んで出発準備を進めていた。
営業所の入口付近にふと目をやると、何か押し問答みたいな状況が見える。遠くから聞こえるその声を聞く限り嫌な予感しかしない。俺は入口に向かって駆けだした。
案の定、入口で揉め事を起こしていたのは工務店の社長と彼女だ。
「後藤様っ!貴方にお会いしようとして中に入れていただこうとしたら守衛さんに『関係者以外はゼッタイ立入禁止』と言われて往生していたんです。私達は後藤様の関係者なのに…」
世間一般ではそれを『関係者』とは言わない。関係者って言ったら出入りの業者か社員だろ、普通。
「で、何しに来たんだ?」
「せっかく内削村にお越しいただいたのに何もなし、手ぶらで帰っていただくわけには参りません!是非お土産を、と思ってですね…」
「俺様とみっちゃんがせっかく用意したんだから、有り難く持って帰れ。大したもんは何もねえが内削村の野菜はピカイチだ。家に帰ったら妹と鍋でもつつくといい」
それにしてはえらい量だ。俺とはなじゃ食べきれないな…ここはリコさんにお願いして…あ、でもキャビンに私物積んで帰ったら怒るだろうな…
キャビンに半ば無理矢理詰め込まれた野菜と複雑な思いを抱えたまま、俺は中山県を後にした。
ありがとう。
高速に乗った頃、俺は誰に伝えようとしたのかは解らないけどその言葉を呟いた。
誰に伝えようとしたのか、今の俺には解らない。ただ、少なくとも野菜のお礼ではないことだけは断言できる。
俺は深夜放送のラジオを聞きながら、鞆浦へ向かった。
星來のお父さんである攻さん視点の話はこれで終了です。
次は……
まさかの『・・・』さん視点です。
俯瞰的に、と言うか赤の他人として見ると結構面倒臭い話ですが、次章へ続きます。
もし宜しければお付き合いくださいませ。
では、またお会いしましょう。
中辺路友紀でした。




