最後の日記
「本気で仰っているんですよね?いいですか、この決断はゲームじゃありませんから、コンティニューやリセットはありませんよ?本当にそれでいいんですか?」
医師に何度も問い質されたけど、僕の決意は揺るがない。いま建築中の戸建て住宅が一軒とリフォームが二軒。その仕事が終わったら僕は入院して、穏やかに死んでいく。延命なんかしない。『死ぬことで己の罪から逃げようとするのか』と言われたらその通りなのかも。もう逃げ切れなくなったってことか。
最後の新築物件がいよいよ仕上げに入ろうかという頃、工務店に一人の若い女性が訪ねてきた。暫く姿を見かけなかったけど、あの子は長谷川さんとこの光子さんだ。確か帝都の大学へ進学したとか聞いてたけど、こっちに帰ってきたのかな…?
「おや、みっちゃん待ってたよ」
工務店のお婆さん(社長のお母さん)が奥から大きな包みを持って出てくる。小ぶりのリビングテーブルの天板かっていう位大きな包みをよく一人で担いで出てきたもんだ。
「お約束の開業祝いだよ。持って帰りな」
「有難うございますっ!」
とは言えかなり大きくてみっちゃん一人じゃ運べそうにない。思案顔の彼女に僕は提案した。
「じゃあ僕が軽トラで運ぼうか」
「そうしてやってくれるか、後藤さん」
「あれっ?みっちゃん家ってこっちの道じゃなかった?」
思っていたのとは反対方向の道を指差す彼女に僕は少し驚いた。
「実はこの度、お社の裏手に新しく事務所を開くことになりまして…」
「へぇ、凄いね。若いうちから開業なんて僕には出来なかったなぁ」
「そうは言っても大したもんでは…あ、ここです。古い納屋みたいな所ですが、一応ここが事務所です。で、景浦のお婆さんが事務所の開業祝いにって看板を作ってくれたんですよ」
「それがこの包み、ってこと?じゃあ僕が設置までやってしまおう。工具も積んだままだし」
「いや、そこまでして戴くのは…」
「安心の一貫施工、全てのものに魂を込める景浦工務店にお任せあれ!」
「素敵な看板ですねっ、有難うございます!」
「お婆さんは昔から字が上手だからね。いやあ、立派なもんだ」
その時、僕はある事に気付いた。
「あれっ?みっちゃん弁護士事務所を…」
彼女は何だか照れ臭そうに頭をぼりぼりと掻いた。
「ええ、まあ一応法学部卒で試験にも受かりまして…とは言え都会で就職のご縁が無かったようで、地元に帰って来ました」
僕はみっちゃんをじっと見つめた。しばらくの沈黙の後、僕はビックリしたような表情の彼女に告げた。
「じゃあ、ちょっとお願いしたい事があるんだ。みっちゃんにではなく、長谷川弁護士に」
今まで村の人達に僕の事を喋ったことは殆ど無い。職人見習いの若い子に星來とはなの話をした位か…でも、もうすぐ僕はこの世から居なくなる。僕が死んだ後の始末やら子供たちへの届けものなんかを誰かにお願いする必要があったから、僕は彼女に全てを話した。誰かに迷惑をかけるのは嫌だったけど『弁護士に依頼する』となれば顧客とクライアントの関係になれるから気兼ねなくお願いできる。僕は今までの罪を全て吐き出すように、彼女に全てを話した。
「事情は解りました。御依頼はお請けいたします」
彼女は『私情を挟んではいけない』と思っていたんだろう。でも、あっという間に彼女は凜とした長谷川先生からいつもの優しいみっちゃんに戻ってしまい、目に涙を溜めながら何も言えずに黙っていた。
「僕は家族を捨てて、今までこうやって逃げ回ってきたのさ。最後くらいはキチンと始末つけないと、ね」
彼女は項垂れると、遂に涙を流し始めた。
「運命というのは残酷なものですね…ほんの些細なきっかけでもお互いの気持ち、と言うか心がすれ違ってしまうんでしょうか…?すれ違い始めた心は、どうやっても…」
「戻らなかった」
僕は呟いた。
どれ位の時間が経っただろうか。みっちゃんが重い口を開いた。
「何か…記録というか書き置きみたいな物でも遺せたら…お子様に何も伝えないままっていうのは…」
「今から全てを書こうにも時間がない。いま手元にあるもんで、となると昔からつけていた日記位かな…」
「では、その日記を遺しましょう。後は、それを読んだお子様たちに判断して頂ければ宜しいかと」
大きなクラフト封筒を受け取った僕は、日記帳を封筒に入れて封をした上で次の日に持って来るよう言われた。星來とはなの通帳は信用金庫の貸金庫に預けてあるから、一緒にこの日記を預けてしまおう。あとは僕が死んだ後長谷川先生がなんとかしてくれるから。
もし、星來とはながこの日記を読んでくれる日が来たら…僕はそう思って日記帳に最後の筆を入れた。
星來、はな。
君たちを捨てたりして申し訳なかった。
今、どこで何をしているのか知る由もないけど、
星來は今もはなのことを守ってくれてるのかな。
はなは今でも星來に優しく微笑んでいるのかな。
君たちがこの世に生を受けた時、
僕と柚香は一生かけて君たちを守るんだって誓った。
結局守れなかったけど、
その時に誓ったことは嘘じゃない。
本当にごめんなさい。
あと、生まれてきてくれてありがとう。
君たちがいたから、僕はここまで生きてこられた。
最後に、勝手なお願いだけど。
二人の間で、どうか心がすれ違わないように。
すれ違う心は、僕と柚香で最後にしたい。
日記をひと通り読み終えた俺は、深く溜息をついた。彼女は微動だにせず俺が何かリアクションを起こすのをただ待っていた。
頭の中で思っていた事が、思わず口に出る。
「莫迦か、こいつら?」
彼女は何も言わず黙っていた。
「あんたは、俺がこの日記を読む前からこの事を?」
「存じておりました。依頼をお請けした時に伺いましたから」
「この話を聞いて、弁護士としてじゃなくいち個人としてどう思った?俺と妹は、こんな莫迦みたいな勘違いだかすれ違いだかで今まで苦しんできたんだ」
彼女の視線が泳ぐ。
「仰せの通り、確かに莫迦みたいな話かも知れません。ただ、この話が事実だったとしたら…」
「だったら何だ?」
「お互いに、想いを寄せていた。ただ、それが上手く伝わらなかったか、解ってても心の整理が出来なかったか。二人の心がすれ違い始めた時点でもうどうしようもなくなってしまったのではないかと。あくまで推論ですし、何よりも私は当事者ではないので…」
「当事者からしたら、莫迦みたいな話だし、俄に信じられるものでもないさ」
俺はそう言って何気なく日記をテーブルにポンと放り投げた。机上のクラフト封筒が風に舞って床に落ちると、中から一枚の写真が出て来た。
何処かの神社で撮られたものだ。俺は微かに覚えている。やや緊張気味に写っていたのは父親、母親、はなと俺。
「これは…」
「おそらく、はなが生まれた時にお宮参りで撮ったもんだろう」
「この写真…」
えらく熱心に眺めているが、たかが写真一枚がそんなに珍しいか?
「写真がどうかしたか?お宮参りの写真なんか誰でも撮るだろ?」
「風景じゃありません。写真の角と裏を良くご覧になって下さい。相当擦った跡があります」
「何が言いたいんだ?」
彼女は強い口調で言った。
「恐らくお父様は、この写真を何度も何度も取り出しては眺めていたんでしょう。アルバムや額に入れていたんなら傷は入らないですし、ポケットや財布に入れればもっとボロボロになります」
彼女は最後に、ボソッと呟いた。
「家族を捨てて逃げるような人が、家族の写真を後生大事にするでしょうか…」




