覚悟は、出来ていますか?
「あの、ちょっといいですか」
僕はすっかり顔馴染みになった病棟の看護師さんに呼び止められた。
「はい、何でしょうか?」
僕に伝えたいことがある、と詰所に案内された僕は柚香さんの主治医から衝撃的な一言を浴びせかけられる。
「覚悟は、出来ていますか?」
「覚悟?」
「彼女は貴方とお友達になってから、驚くようなスピードで回復に向かい始めた。今まで自分の悩みを打ち明けられる人もいなかったんだから、ね。たった一人でトラウマと闘って来たんだ。我々に出来る事といえば出口の見えないカウンセリングとその場凌ぎの投薬だけだった」
「僕が何かの役に立てたんなら良かったです」
「君は、私が言っていることの意味が解るか?今や彼女にとって唯一の心の拠り所は君だ。という事は…」
「という事は?」
今ひとつ意味が解らない。だから医者ってあんまり好きじゃないんだ。
「彼女が『君に裏切られた』と確信した瞬間、今度こそ確実に彼女の人格は崩壊する」
「!」
そういうことか…
「手を引く、というかフェードアウトするなら今が最後のチャンス。今後も君が彼女に関わり続けるということは、彼女を生かすも殺すも君次第。私が伝えたかったのは、君にその覚悟があるかどうか、ということ」
正直言うと、僕は医師からこの話を告げられる前に決心していた。僕は彼女が好きだ。彼女を愛している。僕は彼女の事を一生守り続ける。そう答えると、僕の去り際に医師が呟いた。
「上手くいっている間はいいんだ。ただ、心がすれ違い始めるともう誰にも止められない」
ゆるゆると回復を遂げた柚香さんは半年ほど後、長々と自由を束縛していた病院に別れを告げ、病院の近所のアパートで暮らすことになった。
退院する日。真新しいワンピースの裾をヒラヒラさせながら舞うように歩く柚香さんを眺めながら、彼女の荷物を自転車の荷台に載せて彼女の後をついて行く。
「外壁とか見たら物凄く古いけど、お部屋の中が綺麗にリフォームされてたからここに決めたの。お家賃が安かったのもあるし…」
「何かあったら直ぐに呼んでよ。僕ん家のすぐ近くなんだから」
「あら、じゃあ毎日『寂しいよ〜』って呼び出しちゃおうかしら」
そう言うと彼女は買ったばかりの携帯電話を片手にクスッと笑った。
柚香さんの希望で退院時の説明を僕も一緒に聞いたんだけど、彼女はここで暫く日常生活が支障なく送れるよう訓練みたいな事をする、らしい。看護師さんが服薬とか日常生活の相談に乗ってくれる『訪問看護』とやらに来てもらう手筈も整っているので、医療面でのケアも大丈夫みたいだ。あとは生活費…入院中に殆ど使う用事のなかった(僕が退院先のアパートに運び込んだ荷物も文庫本とCDが殆どだったから、使うお金なんて知れたもんだったんだろう)障がい年金の蓄えを少しずつ切り崩していくそうだ。ただ、症状が軽くなると精神障がい者の年金は打ち切られるから、それまでに仕事も含めて社会復帰しましょうねってことらしい。
これから上手くやっていけるのかどうか、という不安はあったけど、僕達は周囲の援助を得ながら上手くやっていた。退院して暫くした頃、柚香さんがテレビで鉄道飛び込み自殺のニュースを見た時は軽いパニックに陥りかけたけど、看護師さんがすぐ来てくれたのと僕がずっとそばにいたこともあって無事に乗り切れた。よし、これで上手くやっていける。医者が言ってた『生かすも殺すも』云々の話はもうどうでもいい。僕がこれから柚香さんを『生かす』んだ。いや違う。僕はこれから柚香さんと一緒に生きていくんだ!
一気に突っ走るつもりでいたのですが、紡ぎ出した物語が余りにも拙いので校正作業を順次進めています。これから先、更新が遅れるかも、です…




