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すれ違う心  作者: 中辺路友紀
第四章 すれ違った心(後藤攻の追憶)
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柚子の香り

いよいよ星來とはなの両親の話が始まります。

少々重たくて不可解な内容かも知れませんが、暫くお付き合い下さい。

「ふあぁ…」

 車いすで病院の屋上まで出た僕は、日光を浴びると大きな欠伸をした。これでもかと言わんばかりにギプスで頑丈に固定された右足が僕の自由を制限している。


 そう。あれは一週間前の事。工場で作業をしていた僕は、構内のクレーンで吊荷作業の最中。いつも朝礼で作業主任から『ワイヤは確実に掛けること』『吊荷の下にゼッタイに入らないこと』って厳命されていたんだけど、その日僕は不注意から大きなミスをやらかした。ワイヤの掛け方が少し甘いまま僕が大きな鉄のローラーを吊り上げたその時、大きな軋み音とともにローラーが傾いた。


『しまった』


 そう思った僕が不用意に吊荷に近づいた瞬間、嫌な音とともにワイヤが切れて吊荷がそこら辺に散らばる。『下敷きになる、もう駄目だ』そう思った瞬間、僕の脇に強烈な飛び蹴りが炸裂した。クリーンヒットした蹴りの破壊力で吹っ飛んだ僕は、ローラーの下敷きになることは免れたものの落下して弾け飛んだローラーが僕の右足を直撃した。

 それから先のことはよく覚えていない。怪我というより目の前に落ちてくるローラーの恐怖で僕は気を失ってしまったから。

 僕が正気に戻ったのは、県立総合病院の病室。処置が終わってから間もないようで、作業主任が作業着にヘルメット姿のままで僕の手を握りしめていた。

「親御さんには連絡した。すまん、俺はお前を守れなかった…すまん」

「そんなこと言わないで下さいよ主任。あれだけ言われていたのに不用意に吊荷の下に入った僕が悪いんであって…」

「それを見張るのが作業主任である俺の役目だ。あの時俺は、確かにお前から目を離していた」

 ちょうどその頃、僕の家族がわらわらと病室に入ってきた。父、母、妹、祖父、祖母。一台の車に乗れるだけ乗って来たんだろう。

「わたくし、工場の作業主任をしております後藤と申します。この度は、私の監督不行き届きにて大事な息子さんに大怪我を負わせてしまい、大変申し訳ありません」

 ヘルメットを脱いだ作業主任はそう言うと、皆に深々と頭を下げた。


「てことは結局、ウチの(おさむ)が主任さんの言いつけを守らずに迂闊な行動したから怪我したって訳だ…自業自得じゃねえかっ!お前の不注意で会社に迷惑かけてるんだろ、このあほっ!」

 そう言って話の口火を切ったのは祖父。彼は大工の棟梁だからこういうことに詳しいし、厳しい人だから。

「息子の不注意で、主任さんや会社に迷惑かけてしまって申し訳ありません」

そう言って父が主任に深く頭を下げる。

「いえ、私がちゃんと見守っていれば…」

 お詫び合戦が始まりかけた頃、控えめなノックの音とともに医師が病室に入ってきた。

「ご家族と、勤務先の方で宜しかったでしょうか?」

僕を除く全員が頷くと、医師は自己紹介と説明を始めた。

「当院で整形外科を担当しています後藤と申します。患者さんの怪我の状態ですが、重量物の直撃を受けた右足に二ヶ所骨折があります。一ヶ所目は大腿骨。股関節から膝の中間点辺りとお考え下さい。二ヶ所目は腓骨。膝から足首までの間には二本の骨があるのですが、その二本のうちの細いほうにひびが入っています。骨折部位固定のため、股関節だけは動くようにしていますが、右足全体をギプスで固定している状況です。ギプスが取れたら本格的にリハビリ、日常生活に支障のないレベルにまで回復したら退院、ですな。あ、あと入院生活に関する注意点等は病棟の看護師長から説明があると思いますので」

 そこまで言うと、小学生の妹が僕の耳元で囁く。

「ねえ、お兄ちゃん…いま、この病室にいる人って家族もそうでない人も含めて全員後藤さんなんだね」

 小学生の無邪気な一言には抜群の破壊力がある。誰かがプッと吹いたときに看護師さんが入って来た。

「失礼します。あら、先生もいらしたんですか。私は整形外科病棟の看護師長を務めております後藤と申します」

 全員が笑いを堪えきれなくなった。こうして、後藤だらけの入院生活が始まった。


 大きな欠伸をした後で、僕は後藤だらけ事件のことを思い出していた。あれ、僕の隣のほうで日本人形みたいな綺麗な黒髪の少女が不思議そうな視線を僕に向けている…

 僕は入院してから毎日屋上で日向ぼっこをしたり、外の風景を飽きることなく眺めたり……僕の会社の工場も見えたので、工場の屋根をぼんやり眺めながら僕のせいで遅れているであろう工程のことを考えたりしていた。唯一、屋上で気に入らなかったのはうんざりするほど背の高いフェンスとその上に張り巡らされた鉄条網による『閉じ込められ感』。

 一方、彼女はというといつも花壇の横にあるベンチに腰掛けて文庫本を一心不乱に読み続けている。文庫本にはカバーが掛けられていたから、毎日違う小説を読んでいたのかそうでないのかは解らなかったけど…本を読む彼女の横顔を見て、僕は彼女がきっと美しい人であると思うと同時に、どこか儚げで危うい感じがするミステリアスな雰囲気を感じていた。


「あの、僕に何か?」

 僕を物珍しそうに眺めていた彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめると、読みかけの文庫本をパタンと閉じた。

「ご、ごめんなさい!あの…入院している人って大抵暗い顔をしているのに、さっきから何だか楽しそうに微笑んでいらっしゃったから…つい気になってしまって」

 彼女はそう言うと恥ずかしそうに俯く。

「いや、あの……別に入院が楽しいとかいう訳じゃなくて…」

 僕が思い出し笑いの理由を説明すると、彼女は目を丸くした。

「そんな偶然ってあるんですね…で、その事を思い出して」

「ええ、まあ…それ以外にも親類やら何やらの後藤が入れ替わり立ち代わり病室に出入りしてまして…」

 彼女はどこか儚げなまま、クスッと笑った。

「いいなあ、色んな人が来てくれて。私の所には先生と看護師さん以外誰も来ないし」

「え、貴女の所には誰も…」

「あ、自己紹介もしないままごめんなさい…私の名前はユカ。冬至に生まれたから柚子の香りと書いて柚香。私、家族がいなくてずっと施設で育ったの」

「あ…」

「気にしないで。私の事なんて誰も相手にしてくれないし、話を聞いてくれただけでも嬉しいから」

「そう…だったらいいんだけど」

「私ね、施設から学校に通ってたの」

「ええっ!じゃあ学生さん?」

「そう。高校三年生だったの。去年の三月迄は」

「だった?」

「入院が長引いちゃって、単位が取れずに除籍されちゃった」

「……」

「ごめんなさいね、急に変な話しちゃって。いつも一人でここにいたら、いつの日からか何だか楽しそうな姿をお見かけするようになって…貴方になら、私の話をしても大丈夫かなって」

「あ、僕、(おさむ)っていいます。守るとか攻めるの攻めるって書いてオサムです。歳は今年で二十三、です」

「後藤さん、事故にでも遭われたの?」

 僕のギプスを眺めながらそう言って不思議そうな顔をする柚香さんに事情を説明すると、彼女は僕の仕事に関する話に興味を示した。。

「あの、私は仕事に就いたことないから皆がどんなお仕事してるのか知りたくって。外のお話を聞く機会もないから…」

「こんな話でいいなら、毎日でもするよ。喜んで!」

「ありがとう。そういえば、荷崩れしたときに貴方を蹴飛ばした方って…」

「ああ、あれはウチの作業主任さ。主任が蹴飛ばしてくれてなかったら今頃僕は吊荷の下敷きだったから、多分ここにはいないよ。我が身の危険も顧みず、命懸けの飛び蹴りさ」

「まあ……じゃあ退院したらきちんと御礼のご挨拶しなきゃ。蹴飛ばしてくれてありがとうございますって」

「そうだね。アハハハ」


 その日から僕は、雨降りで屋上が閉鎖されている時以外は屋上で柚香さんの姿を探すようになった。深夜や朝のラジオ番組で拾ったネタを聞かせてみたり、読んでいる本を交換したり…またある時はお見舞いで貰ったおやつを一緒に食べたり。

 でも、二人だけの楽しい日々はいつまでも続かない。長期入院患者である彼女の病状が急に好転するなんて考えられない話だけど、単に怪我して入院しているだけの僕は日にち薬でどんどん回復していく。大変ながらも楽しい入院生活はいずれ終わりを迎えることになる。

 明日、ようやく僕のギプスが外されることになった。ということは、集中的なリハビリが始まるということ。屋上に来れる時間もかなり減るだろう。そんな話を彼女にしながら、僕は彼女にひとつ質問してみた。

「あの、柚香さんはリハビリとかは…」

 彼女は空を見上げると儚げに微笑んだ。

「ねえ、屋上のフェンスと鉄条網が何の為にあるか知ってる?」

 僕には見当もつかない。黙っている僕に彼女が言葉を続ける。

「私みたいな患者が、飛び降りたりしないようにしてるんだ」

 僕は息を呑んだ。




「私ね、ずっと精神科の病棟にいるの」

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