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dear my sister  作者: 燈真
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前編

『ねえちゃん』

 参列者が手に振る、桃色や空色のリボンワンズ。しゃらりしゃらりと煌びやかなその音は、柔らかな光と祝福を乗せて妹の真っ白なドレスに降り注ぐ。

『ねえちゃん、綺麗に撮ってね』

 人生の轍を共に刻むと宣言したばかりの二人が、腕を取り合い絨毯の上を歩む。

『最っ高に幸せなあたしが、いつまでも残るように。見返すたんびに、幸せな気持ちがわき上がるような、そんな写真を撮ってね』

 それは、これまで少なくはない時間を一緒に生きてきた中で、最大級で最高難度のわがまま。でも、仕方ないから叶えてあげることにした。

 新婦側にずらりと並ぶ着物姿とも、新郎側の華やかなドレス姿とも異なる、シンプルな黒のパンツスーツ。腕に留めた「新婦関係者」のワッペン。肩から下げた愛用の一眼レフ。

『あさひ、ねぇあさひ。あんた、本っ当にそれで良いの?』

 親戚に、特に母には何度も問われたけれど、これが親族ではなく仕事人として来た、今日の自分の一張羅。扉の影に控え、ファインダー越しに妹の表情を追う。家族や親戚、友への感謝の笑みを、新郎と見合って交わすくすぐったげな笑みを、1つひとつ切り取っていく。


 妹・みそらは自分の夫になった人を、「ねえちゃんのカメラに認められた男」と呼ぶ。誤解を招く言い方だから止めろと言ったけれど、何かにつけて周囲にそう言いふらすから、一時期私は“そういう”写真を撮る職業の人だと思われていた。人気の俳優が売れるきっかけになった写真を撮っただの、有名な女優の写真集制作に必ず指名されるだの、一体どこからそんな設定が湧いてきたのやら。実際は旅行会社に所属する、しがないフォトグラファーである。

 みそらがそんなふうに言うそもそものきっかけは、高校生の頃、彼女が初めて彼氏を家に連れてきたことにある。キャビンアテンダントの母と航空機整備士の父は当然仕事に出ていて、私はリビングでパソコンを開き、大学のサークルで撮った写真の整理をしていた。最初の挨拶だけ簡単に済ませ、ソファでおしゃべりを始めた2人に遠慮しようと自室に戻ろうとして……ふと、魔が差した。手元のカメラを手に取り、並ぶ背中をファインダーに納める。顔を見合わせた瞬間を狙って、こっそりシャッターを切った。

 最寄り駅まで彼氏を送って帰ってきたみそらを呼び止める。

「これ、あげる」

 仲睦まじげに笑う二人。家のプリンターで現像したばかりのそれはまだ温かい。けれどみそらは、受け取った写真を一目見るなり表情を変えた。

「これ、ねえちゃんが?」

「う、ん」

「さっき?」

「そ、そう」

 妙な圧がこちらをたじろがせる。ふぅん、と鼻で返事をして、切り取られた2人を食い入るように見つめ続ける。やがてくるりと背を向けると、「ありがと」と写真をひらり振って、自室へ引き上げていった。

 その彼氏と別れたと聞いたのは、数日後のこと。どうして、と問うと、妹はソファに両足を投げ出して腕を組んだ。

「なぁんか、違ったんだよね」

「違った?」

「ほら、こないだねえちゃんが撮った写真」

 両の人差し指と親指で四角を作り、天井へと向ける。

「あれ見てさぁ、あたしの好きな雰囲気はこうじゃないんだよなぁ、と思ったら、冷めちゃった」

「冷めちゃった、て、あんた……」

 それではまるで、私の写真のせいで別れたみたいじゃないか。棘と困惑の両方を含んで放ってしまった言葉に、しかし妹はひらひらと手を振った。

「ちーがうちがう。むしろねえちゃんには隠し撮りしてくれてサンキューって感じ?」

 それ以来、みそらは彼氏ができると決まって私に、彼氏との隠し撮り写真を求めるようになった。場所は決まって、うちのソファ。私が社会人になって一人暮らしを始めると、わざわざ呼びつけるほどである。

【ねえちゃん、今度いつ休み?】

【土曜日】

【じゃ、1時までに帰ってきてね。カメラ忘れずヨロ】

 こんな具合である。家に帰ると必ず皿一杯の手作りクッキーがリビングの机にドンと置いてある。お願い事があったり仲直りしたい時の、みそらの昔からの常套手段。これがまた素朴に美味しいのが悔しい。

 それでも頼みを聞いてしまうのは、妹だから、というそれだけでは済まない事情があった。私は、みそらに大きな借りがある。


 カメラにはまったのは、航空会社に勤める両親の影響が大きい。社内の保育園で、はたまた母のお土産代わりの写真で、色々な景色を見た。

 春爛漫、ライトアップされた城と両岸の桜、一面の花筏。

 夏盛り、草木の滴るような緑と遙かに続く朱の鳥居。

 秋燃ゆる、紅葉のトンネルや紅に染まる庭、鏡のような縁側に色が映る。

 冬凍る、雪に覆われた静謐の村、昔ながらの屋根造りが雪明かりに浮かぶ。

 一瞬で目を奪われ、直接こんな景色を肌で感じたいと請わずにはいられなくなるほどの、こんな綺麗なものを私も撮りたいと、幼心を揺さぶられたんだと思う。ご当地のご飯やアクセサリーよりも、5枚いくらのポストカードを欲しがった。中学の入学祝いでカメラをせがみ、念願の一眼レフで色んな写真を撮った。毎年の誕生日と正月にレンズを希望して、両親には「祝い甲斐のない」と心底呆れられもした。中学3年生の時に撮った自然風景の写真が少し大きめの賞を獲って、そこで完全に有頂天になった。

 私は写真家になる。なれる。鼻と共に夢ばかりが高く大きく膨らむ。

 そんな有様で高校入学と共に写真部に入って2年目の、春のことだった。

「ねえちゃん、見て見て!」

 2年前まで私が着ていたセーラー服を、今度はみそらが着ている。クルクルと回ってスカートがふわりと広がる。広がりきるギリギリのところで減速し、完全に落ちる手前で再び勢いをつける。ただただその繰り返し。

「目回らないの?」

「回る! でも楽しいから良いのー!」

 何が楽しいのかと呆れ、途中からカメラの整備を始めてしばし。呼ばれて振り向くと、みそらが両手でVサインを作って突き出していた。

「何」

「撮ってよ、入学祝い」

「えぇぇぇ」

 そっぽを向いて、相棒を撫でる。それは、あまりに滑らかに口から滑り出た。

「嫌だよ、もったいない」

 パタリ、と、妹の両手がスカートの両脇に落ちるまで、とても長い時間がかかったように思う。

「何、それ」

 震える声を聞いて初めて、みそらの顔を見た。

「ねえちゃんと同じ中学に入れて嬉しくてはしゃいでる妹を撮るのが、もったいなくて嫌って、何それ!!」

「みそら」

「最低! ねえちゃんの馬鹿! 何でそんな偉そうなの!?」

 伸ばしかけた手が声に引っぱたかれて止まる。その隙に、彼女の手が大切な大切な相棒をひったくった。涙が幾粒も私の目の前を過ぎっていく。

「ねえちゃんの写真なんて綺麗なだけで何の感情もこもってない薄っぺらなくせに!」

 床に打ち付けられて相棒が立てた激しい金属の悲鳴を、2階の自室へと駆け込んでいく足音を、愕然と聞いていた。

 妹から父に、父から母に話がいき、仕事から帰ってきた母が部屋の扉を叩いた時、私はベッドの上で膝を抱え、壊れたカメラを修理に出してもらえるだろうか、といじましくも意識を逃避させていた。隣に腰を下ろした母に、切り出しかねて腕に力がこもる。

「……カメラなら、修理に出してあげる。壊してしまったことは、みそらが悪いんだから」

「――!」

 顔を上げてしまって、穏やかに細められた母の目を見て、ずっと喉の奥で凝り固まっていたものがほろりと欠けた。

「……みそらは、何も悪くない」

 欠けたものたちがせり上がって、嗚咽となって零れだす。

「何も、悪くないの。母さん。私が」

「あさひ」

 ものすごく久しぶりに、頭を撫でられた。

「写真のこと、ずっと1人で悩んでたんでしょ。なかなか話を聞いてあげられなくて、ごめんね」

 高二にもなって、子どもみたいな泣き声が出た。まるで昔に戻ったかのように、背中を叩いてあやされる。

 傲慢さが生んだ、スランプだった。

 写真部に入って約1年、ちっとも“良い写真”が撮れなくなっていた。数日前に撮った桜の写真もそう。天気予報と睨み合い、ここぞという日に三脚を持って自転車でさ迷った。ここという場所、日当たり、角度、レンズの種類、彩度明度絞り、全部頭が痛くなるくらい考えた。デジタルカメラの利で何度も何度も撮り直し、ようやくその場で満足いくものを撮れたはずだった。一晩寝て見返して、それでも悪くないと思えたから提出したのに、みんなと並べると明らかに見劣りがする。

 何が駄目だったんだろう。

 何が足りないんだろう。

 あの中3の時の写真は、なぜ受賞できたのだろう。

 鳴り物入りで入って丸1年。もう、鳴る物など何もない。あれだけ高かった鼻も夢も、気づけばすっかり萎びてしまった。焦って途方に暮れて、かつて鳴っていた何かにプライドだけでしがみついて。

 結局、妹の言うとおりなんだ。ただ撮るだけなら機械でもできる。それこそ、綺麗なだけの写真なら、いくらでも。

 ならば、写真家とは一体何を撮る存在なのか。その時初めて、両の頬を引っ叩かれて問い糾された。

「母さん、このまま、撮れなくなっちゃったら、どうしよう。みそらに、何も、何も」

「大丈夫、今がしんどいだけで、あさひなら大丈夫。みそらも、ちゃんとわかってるから」

 よしよしと両肩を擦る手が、情けないほど温かい。根拠のない「大丈夫」が、辛いほど染みてくる。

「みそらはあさひのことが大好きなのよ。あさひが、ずっと面倒を見てくれたから。だから、気が向いたら、撮ってあげてね」

 膝の上で顎を引くのがせいぜいで、それでも母は小さく笑って頭を撫でてくれた。

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