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酷薄探偵シリーズ

再演 ──要するに、何でアイドルがファンと握手するのかって話──

作者: 塚山 凍

「あなたのこと   絶対に見つけてみせる

  隠れさせや    しないんだから

  あなたを追うこと それこそが

  そう、それこそが 私の人生……」


 会場内に、最近ドラマの主題歌にもなった彼女たちの曲が響く。

 曲名は確か、「Resolve」とか言ったか。

 明るい曲調の割に、どうにも古臭い歌詞が耳に残る歌だった。


 ふとその音に誘われるようにして、月野拓海(つきのたくみ)は顔を上げる。

 彼の視線の先には、大きな看板がかかっていた。


「クリスマスローズ 全国握手会 東京ブロック会場」


 話によると、熱心なアイドルファンはこの看板を見るだけでも興奮するらしい。

 しかし長蛇の列の中にいる拓海は、気合入っているなあとだけ思った。


 彼が視線を前方に戻せば、そこにはずらりと並んだクリスマスローズのファンたちの姿がある。

 後ろを振り向いた時もまた然り。


 何となく並んでいる年齢層を観察すると、かなり年配の人間が多い。

 六十代か七十代なのではないか、と思えるファンの姿もある。

 この辺りは、主催アイドルの一人が「オジサン好き」を公言していることが大きいのだろう。


 だが今は、ファンの年齢を気にしている場合ではない。

 八時に始まったこの握手会。

 そろそろ十二時の声が聞こえくる頃になったのだが、拓海のいる列はさっぱり動いてくれなかった。


 季節は夏。

 正直に言えば、クソ暑い。

 持参したタオルで顔を拭うと、拓海の心中には自然と愚痴が湧いてきた。


 ──この動きの遅さからすると、CDをまとめ買いしている人がかなりたくさんいるんだろうな……。


 そんなことを考え、拓海は一人ため息を漏らす。

 他の参加者に聞かれてはことなので、音量は大きく絞ったが。




 ────五年前にデビューしたアイドルユニット、「クリスマスローズ」の人気は凄まじいものがある。


 プロデューサーが遣り手だったのか。

 作曲家が良かったのか。

 はたまた、メンバーたちの美麗な容姿が人々の心を撃ち抜いたのか。


 売れに売れた理由は不明だが、デビュー一年目で武道館ライブまで行ったその業績は、間違いなく芸能界の歴史に名を残すだろう。

 メンバーの多くが高校生だったデビュー当時からは時間が経ち、そろそろ初期メンバーの平均年齢も上昇してきたのだが、その人気は未だ衰えていない。


 現在では新規加入した後期メンバーだけでなく、姉妹ユニットやら下部ユニットやらまで傘下に組み入れ、軍団とまで称される派閥を作っている程だ。

 まず間違いなく、芸能界における覇者の一画。

 その中でもデビュー時から活動を続けている十名の初期メンバーは、「輝ける十人(シャイニング・テン)」と呼称され、メンバーの中でも別格の扱いを受けていた。


 この握手会は、その扱いの差を端的に示す好例だ。

 シャイニング・テン以外のメンバーが座る場所は、急造テントを布で仕切った狭い個別スペース。

 もちろん空調などはなく、アイドルたちはこの暑い中、扇風機一つで握手会に励んでいる。


 一方、シャイニング・テンが居座るのは体育館内の個室。

 空調は寒いほどにフル稼働しており、食べ物の類もスタッフに頼めば持ってきてくれる。


 今拓海が並んでいるのも、このシャイニング・テンの一人と握手するための行列だ。

 行列が長すぎて、拓海たちは体育館の外に出てしまっているが。

 こうして俯瞰で眺めてみると、メンバー間の格差に唖然としてしまう。


 ──よくこれで不満もなくやってこれたな、このグループ。


 諸事情で彼女らの握手会に参加しているが、別にクリスマスローズのファンではない拓海は、素直にそんなことを思った。

 もし自分が後期メンバーの一人だったなら、ストライキでも起こすところだ。


 ──逆に言えば、不満が出ない程度には小遣いを上げてるのかな?かなりがめつく稼いでるみたいだし。


 意地悪く、そんなことまで考えた。

 どうしたって、彼女たちに紐づけられて覚えてしまうとある商法に思いを馳せて。




 ……先述したように、クリスマスローズは日本トップのアイドルグループである。

 彼女たちが生み出した経済効果、平たく言えば稼いだ額は既に相当な額に上っているだろう。


 しかしこれまでの彼女たちは、順風満帆にそれだけの額を稼いできたわけではない。

 寧ろ、クリスマスローズを運営する者たちの稼ぎ方には批判も多いのが実情だった。


 というのも、理由は簡単。

 決して、クリスマスローズがこの方法の創始者というわけではないらしいが────彼女たちの握手会には、クリスマスローズのCDを買わない限り参加できないようになっているのだ。

 いわゆる、「握手券商法」である。


 彼女たちが売り出したCDの初期限定版を買うと、握手券が一枚付いてくる。

 これが「十秒券」と呼ばれるもので、名前の通り、メンバーの一人と十秒間握手ができる権利を与えられるのだ。

 基本的に枚数制限という概念は存在しないため、CDを買えば買うほど、自分の好きなメンバーと握手できる仕組みになっている。


 コアなファンはCDを十枚も二十枚も買うため、三分くらいは握手やお喋りができることになる。

 勿論CDは争奪戦となり、他のアイドルとは比べ物にならない売り上げを示す。

 こういう手法を繰り返すことで、クリスマスローズは売れてきたのだった。


 しかも、この商法には先がある。

 十秒券だけでも非常にがめつい売り方だと思うのだが、シャイニング・テンの握手券はもっと凄い。

 拓海が初めてそのやり口を聞いた時は、驚きを通り越して感心したほどだ。


 まず、普通の十秒券ではシャイニング・テンのメンバーとは握手できない。

 彼女たちと握手するには、CDではなく劇場ライブのDVDかブルーレイディスク(大抵CDより高い)を買う必要がある。

 これの初回限定盤に「シャイニング十秒券」というのが付いてきて、それを使うことで初めて握手できるのだ。


 加えてこのシャイニング十秒券、映像作品に必ず付随するものではない。

 初期限定版の中に、ランダムでおまけとしてついてくるのだ。

 この仕組みを考えた人間のことを、拓海は本物の鬼だと思っている。


 だからシャイニング・テンのメンバーと一分間握手したいと思ったファンがいたとしても、DVDを六枚買うだけでは目的を達成できない。

 シャイニング十秒券の付随確率は約六十パーセントと言われているので、六枚買った時に手に入るのは三枚か四枚、よほど運が悪ければゼロである。


 期待値としては、初期限定版を百枚買ってようやく十分間握手できる計算だ。

 勿論購入者の運にかなり左右されるので、ネット上では「箱買いしたのに三枚しか手に入らなかった」「東日本より西日本のショップの方が手に入りやすい気がする」「物欲センサーが付いてるだろ、これ」といった怨嗟の声があふれている。


 そんな仕組みでも熱心なファンというのはついてくるらしく、拓海が並んでいるシャイニング・テンのとあるメンバーの列は、十分ほど動いていなかった。

 シャイニング十秒券を六十枚近く集め、十分間の握手に成功した猛者が前方にいるらしい。


 映像作品の値段は、平均して八千円から一万円くらい。

 だから現在個室で握手している人物は、少なくとも百万円以上は使ったのだろう。

 そういった人物がいるからこそ、行列が止まっているのだ。




 しかし、いくら暑いからと言って拓海は彼らを非難できなかった。

 ある目的のために、拓海はもっと使ったのだから。




 ──お、動き始めたかな。


 思考を現実に戻すと、緩やかに列が動き出そうとしていた。

 十分間握手していた例外を除くと、拓海のすぐ前に並ぶファンたちには、シャイニング十秒券一枚で満足するような人が多かったらしい。


 十秒おきに個室の扉の閉まる音が聞こえ、先ほどまでの遅さが嘘のようにすいすいと前に進んでいく。

 そんな様子を見て、拓海はここに来る前に聞いた友人の言葉を思い出した。


「あの手の握手会はさ、行列の前の方に、握手会のために前日から徹夜で待機してて、握手券も百枚ぐらい用意している人たちが並ぶんだ。だから、握手会が始まってすぐはなかなか列が進まない。でも途中で帰らないで。そのうち、十秒券一枚だけ持って並ぶ人の方が多くなるから。すぐに順番が来る」


 正直やや疑っていた理屈だが、事実だったらしい。

 同時に、こうも思った。


 ──だとすると、これから僕がすることはかなりの人を苦しませることになるな……。


 申し訳ないと僅かに感じるが、帰るわけにはいかなかった。

 ここで帰ってしまっては、「目的」を果たせない。

 加えて、シャイニング十秒券を手に入れるために使ったお金がもったいない。


 ……拓海の直前にいた人物が緊張した面持ちで個室に向かい、十秒後には幸せそうな顔で出てくる。

 それをスタッフが確認して、やっと拓海の順番が回ってきた。


「それでは、身分証明書とシャイニング十秒券をお出しください」


 真顔で「シャイニング十秒券」と口にする男性スタッフの様子が何となくおかしく思えて、拓海は笑みを隠しながら高校の学生証を出す。

 それが返却された後は────シャイニング十秒券の()を、背負っていたリュックからごっそりと渡した。

 背後で、ファンたちの悲鳴にも思えるどよめきが響き渡ったのがよく分かった。




「三百五十八、三百五十九…………三百六十枚……」


 スタッフが数え終えると同時に、ファンたちの興奮した声が投げかけられる。

 いくらクリスマスローズが人気とはいえ、ここまで金を使う人間は珍しいらしい。

 数えたスタッフ自身も、いくらか呆れたような目線で拓海を見てきた。


 拓海は、そんな周囲の様子を見て密かに苦笑する。

 熱心なファンに紛れ込めば目立たないかと思ったのだが、どうやら熱心なファンの中でも、とりわけ異常な金銭感覚を持っているように映ったようだ。


 もっともこの場合、真に異常な金銭感覚を持っているのは、拓海を溺愛する資産家の祖父の方だろう。

 これだけの額を浪費した拓海も拓海だが、これだけの額をポンと渡してきた祖父も祖父である。


「えー、シャイニング十秒券が三百六十枚であるため、三千六百秒。つまり、丁度一時間握手できます。いいですね?」

「はい、よろしくお願いします」


 拓海がさらりと告げるとスタッフはかなり疲れたような様子になり、「本人に伝えてきます」と言って、拓海に先んじてアイドルの待つ個室に入った。

 かなりの長時間アイドルとファンが二人きりになるので、アイドルの方に何か言い含めることがあるのだろう。

 防犯カメラもあるし、アイドル自身にも緊急用ブザーを渡してはいるが、拓海が邪な考えを抱かないとも限らないということだ。


 その時間を利用して、拓海は一応、後ろに並ぶ人たちに謝罪の意も込めて一礼した。

 これから一時間、彼らはアイドルに会えないまま立ちっぱなしになるのだから。


 幸い、すぐ後ろにいた大学生グループはひらひらと笑って手を振ってくれた。

 どうやら、この程度の事態は慣れっこらしい。

 スタッフが拓海の握手券を数え終えたと同時に、持参した折りたたみ椅子を広げていることからもそれが分かる。


 少し経って、スタッフが拓海の名前を呼んだ。

 これに合わせて、拓海はもう一度後方に向けて一礼する。

 そしてようやく、待ち望んだ瞬間が訪れたのだった。




 ──やっぱり、テレビで見るよりも綺麗だな。


 月並みな感想だが、そんな思考が拓海の頭を占めた。

 個室に入って最初に両目が捉えたのは、肩の上で切りそろえられた美しい黒髪。

 ぱっちりとした大きな瞳の上には、整った眉が添えられている。


 薄めの唇は、本人の清楚な雰囲気を強めていた。

 絶妙な顔のパーツの配置からは、「可愛い」というよりも「綺麗」という印象を受ける。


 童顔かつ可愛らしい顔で売っているメンバーが多い中、「現代版の日本人形」とでも言うべきその容姿は異彩を放っていた。

 白を基調としたステージ衣装も、彼女の和風かつ清楚な印象に拍車をかける。

 特にアイドルに興味のない拓海の目にも、彼女の────シャイニング・テンの一人にしてクリスマスローズのリーダー・鷹司亜衣(たかつかさあい)の姿は、酷く眩しく映った。


 そんな彼女は、不意打ち気味に拓海の方を向いて。

 微笑みながら口を開く。


「月野拓海さん、ですね?私たちの作品をたくさん買っていただいたみたいで……今日は、一杯お話しできたらいいなって思っています」


 透き通った声でそう言ってから、ニコリと笑みを深くする。

 今年で二十一歳になるはずだが、その笑顔はデビューした頃と全く変わっておらず、少女のような初々しさに満ちていた。

 営業用の演技だと分かっているのに、思わず拓海は赤面してしまいそうになる。


「……いいか、拓海君?彼女に失礼なことだけはするなよ?彼女は天使なんだからな?」


 不意に、友人の言葉が脳裏に蘇った。

 拓海に対して、握手会の手ほどきをしてくれた友人の声が。




 ……その友人は、熱心な鷹司亜衣のファンだった。

 だが、周囲にはそのことを隠していた。


 彼がファンであることを知っているのは、学校内では拓海ぐらいだろう。

 それもCDショップで握手券を確かめている彼の姿をたまたま見つけたのが切っ掛けであり、発覚は事故のようなものだった。


 ──メジャーなアイドルのファンってだけで、そんなに人目を避けなくてもいいのに……。


 彼の姿を見て、何度そう思ったか知れない。

 しかし彼は、いつだって自分の趣味を隠していた。


 そんな彼だから、休み時間に拓海が「鷹司亜衣について学びたい」と言いに行った時には随分と泡を食っていた記憶がある。

 見ていて気の毒になるほど、周りの視線を気にしていた。

 どうもアイドルオタクであることがクラスの中でバレるというのは、彼にとっては致命傷のようだった。


 大昔ならともかく、「オタク」という存在に対してかなり社会も寛容になってきた。

 故に彼の対応は過剰だと思うのは、拓海がアイドルオタクではないからだろうか。

 何度も「他の人に自分の趣味をバラしていないか」を確認してくる友人の顔を見て、そんなことを拓海は考えていた。


 何にせよ、始まりこそ揉めたものの、彼と協力する形で拓海はクリスマスローズに詳しくなっていった。

 これは「目的」を達成するために必要なステップだったので、拓海は幸運だったと言えよう。

 実際、彼がもたらした知識は有益かつ膨大だった。


 鷹司亜衣はクリスマスローズの初期メンバーであり、人気も抜きんでていること。

 オジサン好きであることを公言し、実際に握手会では熟年男性との握手でテンションを上げること。


 ファンとの一対一に拘り、周囲の反対を押し切ってまで個室での握手会を考案したこと。

 作詞までやっていて、最近流行った「Resolve」は彼女の作詞であること。


 身長や体重、スリーサイズに誕生日は基本として、耳にたこができるほどにこういった雑学を詰めこんだ。

 中には、かなりコアな情報も多数存在した。


 例えば「貴重な映像だ」と言って、彼が個人的に録画したらしい深夜番組の映像を見せてきたことがあった。

 クリスマスローズがデビューしたばかりの頃、一週交代で深夜番組のアシスタントをしていた時の映像だ。

 低視聴率から番組はすぐに打ち切りになり、ソフト化もされていないため、確かにお宝映像だった。


 その番組の中で彼女たちは、トップアイドルとの卵とは思えない勢いで熱湯風呂やドッキリ企画にチャレンジしていた。

 友人は初期なんだから仕方がないと言っていたが、過激なファンが見たら卒倒するかもしれない。


 その中でも、特に印象に残っているものが一つある。

 番組の中で行われた、「箱の中身はなんだろなゲーム」のことだ。

 アイドルが目隠しをして、箱の中にいるザリガニだのトカゲだのを触り、正体を当てるという陳腐なゲーム。


 彼女は────鷹司亜衣は、そのゲームで全問正解していた。

 それもただ中身を言い当てるだけではなく、「これは昔触ったカブトムシに触感が似ているけど、少し細身だからきっとクワガタムシだと思う!」などと言って、やけに正確な推測をしていた。

 どうも彼女は触覚が鋭く、今まで触ったものの触感を全て覚えているようだった。




 ──……おっと、回想に耽り過ぎたか。


 そこまで思い起こしたところで、ようやく拓海は意識を現実に戻す。

 気が付けば、亜衣は席を立って不思議そうな顔でこちらをのぞき込んでいた。


 拓海の反応がないことをいぶかしく思ったらしい。

 こちらが振り返ると、気を取り直したように彼女は右手を差し伸べてきた。

 握手会なのだから、まずは握手をしようということらしい。


 だが────。


 拓海はそこで、手を振って握手を拒んだ。

 途端に、亜衣の笑顔が曇る。


 同時に、「この人物は何をしに来たのだろうか」という疑念が彼女の表情に滲み出た。

 流石に彼女としても、握手を断られた経験はほぼ無いらしい。

 困惑を示す亜紀には何も言わず、拓海はここでもう一度リュックを開き、便箋を取り出す。


 ファンレターに見えるよう、偽装した拓海の手紙。

 数日前から用意した大作。

 それを提示すると、亜衣はパッと表情を明るくする。


「わあ、お手紙ですか?ありがとうございます、嬉しいです!」


 特に疑うこともなく、彼女はその手紙を笑顔で受け取った。

 結構な分量があるのだが、不審感を抱いた様子はない。

 恐らく、このような場で大量のファンレターを送るファンは結構いるのだろう。


 だからなのか、慣れた様子で彼女は手紙を読み始める。

 その表情は、笑顔のままだったが────やがて、彼女の笑顔がわずかに曇った。


 ──分かってくれたかな。


 亜衣の様子を観察しながら、拓海はただひたすらに待つ。

 彼女が、拓海がここに来た目的を察してくれることを。


 そう、これはファンレターなどではない。

 内容的には、告発状が近いはずだった。

 彼女がおかしたとある殺人に対して、拓海はこの場を借りて告発しているのだ。


 暇に任せて、拓海はじっくりと亜衣のことを凝視する。

 今は最初の記事を読んでいる頃かな、なんて想像もした。


 拓海の告発状は、二つの新聞記事から始まる。

 一つは、十五年前に起きた未解決の強盗殺人事件について報じた記事だ。


「白昼堂々の犯行 ──朝花夫婦強盗殺人事件──


 十八日、県警は朝花市のマンションから『両親が死んでいる』との通報があり、当該マンションに居住していた夫婦の遺体を発見されたことを明らかにした。


 県警の発表によれば、犯行が起こったのは十七日。

 朝花に住む会社員の白石良助(しらいしりょうすけ)さん(31)とその妻、加奈(かな)さん(30)の遺体が発見された。

 二人とも、包丁で腹部を刺されていたという。


 警察は部屋にあった金品が強奪されていることから、強盗殺人との見方で捜査を進めている。

 通報者である被害者の娘(6)は、現在警察によって保護されているとも明言した。


 彼女は保護された後、強いショックから失声状態に陥っており、県警は彼女の回復を待って捜査をより進める方針。

 少女は被害者たちの手によって押し入れに隠され、難を逃れた模様」


 その次にもいくつか新聞記事を切り張りしたが、そちらはあまり重要ではない。

 要約すれば、警察の必死の捜査にもかかわらず、犯人が捕まることがなかったという悲惨な事実が報道されているだけ。

 迷宮入りのお手本のような事件だった。


 ただ一つだけ、拓海が彼女に読んでほしい記事があった。

 その記事だけ、事前に赤の蛍光ペンで目立たせている。

 出まかせ記事ばかり載せている三流週刊誌からの引用しかなかったのは残念だが────この告発状においては、最重要記事だった。


「衝撃!あの事件に新証言!?


 先月に起こった朝花市での強盗殺人事件は、未だに解決の糸口も見えていない。

 近隣住民も恐怖のどん底に沈んだままであり、朝花市の人口はこの一か月で僅かにだが減ったらしい。


 そんな中、朝花に出向いた本社の記者が面白い情報を拾ってきたため、ここに掲載しようと思う。

 県警の報告にあった被害者夫婦の娘────この事件での最大の被害者とも言える、通報者の少女に関する話だ。


 実は、その少女がよく遊んでいた公園に置いて、気になる目撃証言があるのだ。


 何と犯行の前日、()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()らしいのである。

 たまたま公園を通りがかった、主婦のAさん(仮名)はこう語る。


『変な恰好をしたね、大人の男が公園で遊んでたBちゃん(仮名、被害者の娘)に話しかけてたんですよ。

 Bちゃんのお父さんとは、明らかに違う人でね。


 もしかしたら誘拐かもしれないなと思って、通りすがった私はちょっとじっくり見てたんです。

 その男の人、わざわざ腰を低くして、Bちゃんと握手なんかしてましたから。

 結局何もしないまま帰っちゃって、それで興味をなくしちゃったんですけどね。


 服装はね、黒いコートだったかな。

 まるで顔を隠すみたいにフードを深くかぶって、マスクもしてたんです。

 ……怪しいでしょう?


 それと帰る時には、鼻歌でも歌ってたんですかね。

 ちょっと、リズムを取るみたいにして歩いてましたね』


 いかがだろうか。

 もしかするとこの人物は、未だに警察が行方を掴めていない犯人かもしれない。


 空き巣が事前に狙った家に電話したり、子どもに話しかけたりして家主がいない時間を調べるというのはよく聞く話だ。

 それを今回の犯人も行ったのだとすれば、辻褄は会う。

 (中略)

 ちなみにこの証言、Aさんは記憶に自信がないとのことで警察に言っていないそうだ。

 そこで、当誌が彼女に代わって証言することにした。

 捜査当局には、ぜひ参考にしてもらいたい」


 やや自信過剰な表現で、その記事は締めくくられていた。

 実際には犯人が捕まらなかったことを考えると、捜査当局はこの記事を参考にしなかったらしい。

 こちらは、オオカミ少年のお手本だろう。


 そして、この記事の次の記載も重要である。

 こちらには、つい半年前に起こった殺人事件のことが書いてある。


「木梨で五十代男性が射殺 ──拳銃の使用か?──


 県警は二十三日未明、木梨市に置いて何者かに射殺された男性の遺体が発見されたことを明らかにした。

 現場は木梨の一角にある廃ビルで、被害者の頭部には弾痕が存在していたという。

 このことから県警は、拳銃を頭に押し当てられ、何者かに射殺されたものであるとの見解を示した。


 被害者については五十代男性であると思われること以外は未だに分かっておらず、県警は情報の提供を呼び掛けている。

 拳銃の使用ということから、反社会的勢力による犯行の可能性もあるとの発言も見られた」


 凶器が拳銃だという珍しい点を除けば、ありふれた殺人事件の記事だ。

 半年経っても犯人が未だに捕まっていない、というのも少し珍しいが。


 その下にも、先ほどのものと同じく、続報を載せてある。

 しかし、書かれている内容は多くない。


 身元が判明し、被害者は黒山省吾(くろやましょうご)という人物だと分かったこと。

 彼は無職で、住んでいたアパートにはほとんど何も残されておらず(生活費の足しにするために売り払われた可能性が書かれていた)、家賃も滞納していたこと。

 そんな記載がダラダラと続いていた。


 事件から一か月もたった頃には、そんな続報すら消滅している。

 こちらも、ほぼ迷宮入りした事件と言ってもいいだろう。




 一見何の関係もなさそうな、この二つの事件。

 十五年の年月を隔てた、二つの殺人事件。


 だがこの二つの事件が、実は密接にかかわっていることを拓海は知っている。

 目の前の亜衣も知っているはずだ。

 それを確かめるために、ここに来たのだから。




 亜衣は意外にも大きく感情を乱すことなく、それらの新聞記事をすらすらと読んでいった。

 そして手紙の中盤、拓海がオマケとして付けた「芸能事務所の社長に闇社会との繋がり発覚」という記事まで読み終えると、やおら顔を上げる。


「あの……この記事が、どうしたのですか?ファンレターじゃないみたいですけど」


 本気で困っているような表情だった。

 全ての真相を知っている拓海ですら、一瞬その表情に呑まれる。

 この時期を読んでこう反応されるなんて、自分の推理は間違っているのではないか、とすら考えてしまった。


 自分を保つため、慌てて拓海は首を左右に振る。

 目の前の人物はトップアイドルであると同時に、いくつもの映画やドラマに出演している女優でもある。

 素人を騙す程度なら、演技などお手の物だろう。


「……とにかく、更に続きを読んでください」


 初めて、拓海は声を出して指示した。

 ここでの会話は録音されている可能性もあり、出来るだけ声は残したくなかったのだが、今は仕方がない。

 何とか手紙を読むように訴えかけると、亜衣は怯えたような様子を見せながら便箋に顔を向けた。


 続きとなる手紙の内、ぜひ彼女に読んでほしい「証拠」の文章は残り二枚。

 一枚は拓海が亜衣について勉強する過程で見つけた、あるSNSアカウントの呟きをプリントアウトしたものだ。


 その人物は鷹司亜衣の大ファンのようで、彼女に関する呟きをよくしていた。

 七か月前、彼女との握手イベントに参加した感想はこうである。


「亜衣ちゃん、やっぱり俺の手をじっくり握ってくれたわー。やっぱり俺に気があるんじゃないの?」


 一方でその二か月後、すなわち五か月前に開かれたコンサート。

 それに付随する特別握手会(握手券を必要とせず、コンサート参加者は握手できる)に関する感想はこうだ。


「亜衣ちゃん、何故かめちゃくちゃ対応がそっけなくなってた……。何で?俺、失恋?」


 恐ろしく気色の悪い発言だったが、この発言は真実を捉えている。

 拓海の調べた内容が正しければ、丁度半年前から彼女は握手会にあまり熱心ではなくなっていた。

 この呟きと似たような内容を、多くの人間がネット上に上げていたのだ。


 そして最後に、もう一枚。

 こちらを見た瞬間、亜衣の肩が跳ね上がったのが分かった。


 警察にすら見せていない文章だ。

 彼女も知らなかったのだろう。


「……父さんはな、お前たちとやり直したいと思っているんだ。

 今じゃ携帯電話すら持てなくて、こんな形になったが、お前たちにちゃんと会いたいんだ。


 でもお前たちに会いに行ってもな、お義父さんが良い顔をしないんだ。

 だから拓海、息子であるお前にとりなしてほしくて……。

 (中略)

 最近な、若い子は音楽が皆好きなんだろ?

 実はな、父さんも昔から好きなんだ。

 特にアイドルってやつがな。


 この手紙にな、父さんの宝物である雪城加恋(ゆきしろかれん)のCDを付けておく。

 昔、朝花にいた友人からもらったものなんだ。


 お前も、聞いたらその良さが分かるはずだ。

 一世を風靡した清純派アイドルだからな、彼女は。


 それと、父さんが今はまっている「クリスマスローズ」のCDも送っておく。

 特にリーダーの亜衣ちゃんはいいぞ~。


 父さんは、彼女のグッズをいっぱい持ってる。

 他のアイドルのグッズは少ないが、彼女のグッズは家から溢れそうなくらいにあるんだ。


 興味があったら、ぜひ連絡を取ってほしい。

 お義父さんと、麻弥子によろしく」


 手紙の末尾には、書き手の名前も記されてある。


「黒山省吾」


 半年前に殺害された、拓海の父の名前が。

 そこには書かれていた。




 亜衣は眼前の人物が黒山省吾の息子であることに気が付いたらしく、しばらく動きを止めていた。

 それでも癖がついてしまったかのように、半自動的に手紙をめくり、次の紙面に目を通す。


 そして、再び目を見張った。

 そこに、拓海からの要求が書かれていたがために。


「ここからは、僕の推理が書かれた紙になります。

 読んでいただいても結構ですが、できれば口で説明したいとも思っています。

 どうでしょう?

 防犯カメラと録音機、それにあなたが持っているであろうブザーを何とか黙らせることはできませんか?」


 亜衣は、しばらく押し黙って────。


 不意に、衣装の右ポケットから小さなスイッチのようなものを取り出し、便箋と共に机の上に放り出した。

 スタッフを呼ぶための緊急用ブザーだろう。

 これこそ、彼女からの意思表示────拓海を不審者として突き出すことはないという決意表明だった。


 左ポケットからはもう一つ、小さなスイッチを取り出して軽く押す。

 ピッ、と小さな電子音。

 その音を十分に聞かせてから、ボソボソとした声で解説した。


「……これで、この部屋の防犯カメラはしばらく働かないわ」

「ありがとうございます……やっぱりアイドルって、防犯カメラやら録音機やらを止められるんですね。まあアイドルだってトイレに行くだろうし、一時的に止めることは可能だと踏んでいましたが」

「……昔、私たちの映った防犯カメラの映像を売り払った人がいたのよ。それ以来、見られたくないところを見せないために、こんなのを渡されてるの」

「なるほど。僕からすれば幸運でしたね。因みにここからの話はかなり長くなりますが、カメラ類を止め続けても大丈夫ですか?怪しまれることは?」

「普通のメンバーなら怒られるわ。でも、私はある程度の我が儘を通すことが出来る立場にあるから……」


 暗にシャイニング・テンの持つ特権を仄めかした亜衣の姿に、拓海はひっそりと微笑を浮かべる。

 どうやら初期メンバーの威光は、握手会以外でも働いているらしい。

 拓海としては好都合だ。


「それで貴方は、その……どこまで知っているの?いえ、どうやってそれに気づいて、ここに何をしに来たの?」


 多少焦りを見せながら、亜衣が真正面から問いかけてくる。

 敬語すら使われていない。

 もはや、演技するだけの余裕はないらしい。


 対照的に、拓海は微笑を浮かべたまま口を開くことになった。

 監視カメラは止まり、ここでの会話を知る者は自分たち以外にいない。


 だからだろうか。

 拓海は幾分か芝居がかった口調で────まるで自分が推理小説の探偵であるかのような口調で、推論を口にした。




「さて────────」




「まず、僕があなたに興味を持った経緯からお話ししましょう。全ての始まりは、父からの手紙です。かつて僕の父だった男、黒山省吾。彼からの復縁を求める手紙が切っ掛けでした」


 拓海の言葉を受けて、亜衣はもう一度机上の便箋を手に取る。

 そして、単純に気になったらしいことを聞いてきた。


「かつて……離婚でもしたの?」

「ええ、僕が三歳になるかならないかくらいの時期に両親は離婚しています。まあ母は資産家の一人娘で、お嬢様育ち。黒山省吾の方は不良上がりのチンピラ。上手くいきようがなかったのかもしれませんがね」


 何ならどうしてそんな人物と母が結婚したのかが、拓海にとって疑問だったくらいだ。

 祖父曰く、「世間慣れしていないから騙された」らしいが。

 それでも、祖父の資産を勝手に利用するような男を、一度は婿と認めた祖父も祖父だとは思う。


「……結局、祖父が会長をやっている会社で働いていた彼は横領で解雇されました。離婚したのはそれからすぐです。祖父の尽力により、僕の親権は十全に僕を扶養できる立場にある母の実家に渡りました。だから僕と父……黒山省吾はほぼ他人となりました」


 そこで一度、拓海は言葉を切る。

 ここまでは、悲しいかなよくある離婚エピソード。

 だがここから先は、少し変わっている。


「しかし、祖父の資産は魅力的だったんでしょうね。離婚後の黒山省吾は、何度も僕の家に復縁を求める手紙を送ってきました。こっちは顔も覚えていないのにね」

「あなたの方が、与しやすいから?」

「ええ。祖父と母の怒りは尋常なものではありませんでしたから。故に彼からの手紙の殆どは、僕が見る前に捨てられていました……ですが、今あなたが持っているそれは違います。偶然、配送された直後に僕が受け取ったので、捨てられる前に中身を見ることができたんです」


 手紙と小包を受け取った時のこと。

 最早懐かしく思える光景を思い返しながら、拓海は淡々と話し続ける。


「内容自体はつまらないものです。経済的に苦しくなった父が息子に縋ろうとしている、ただそれだけの文章……でもそこにある通り、手紙には二枚のCDが付属していました」


 言いながら拓海はまたリュックを漁り、該当するCDを取り出す。

 一枚は、鷹司亜衣のソロデビュー曲。

 もう一枚は、十五年ほど前に一世を風靡したアイドル・雪城加恋のシングル。


 二つのジャケットの印象は、驚くほどよく似ていた。

 清純派アイドルという触れ込みで売り出すと、どうしてもグッズの雰囲気は似てしまうのかもしれない。


 こういった類似性があったからこそ、黒山省吾は二人のアイドルを追っかけていたのだろう。

 いくら生活が苦しくなっても。


「すぐに捨てようと思ってたんですがね……古い方のCDは、もしかしたら高く売れるかもと思って取っておいたんです。いい値段で売れる場所が見つかるまで保存しようと。しかしこれを受け取った三日後、事態は急変します」

「……黒山省吾が死んだのね」


 嫌に的確な相槌。

 その理由を察しつつ、拓海ははっきりと頷いた。


「離婚していても、一応は血が繋がっているんでね。警察が連絡してきたんですよ。貴方のお父さんは銃殺されましたって」


 正直に言えば、月野家にとってはどうでもいい訃報だった。

 祖父に至っては、その死を喜んでいる素振りすらあったくらいだ。


 しかし────。


「警察がこう言った時、おかしいなと思ったんです」

「どんなことを?」

「……お渡しできるような遺品は特にありませんって言われたんです。部屋には殆ど何も無かったって」


 拓海がそのことに触れると、亜衣の肩が分かりやすく強張った。

 その様子を目に留めながら、拓海は言葉を繋げる。


「その手紙を見てください。僕や母は知りませんでしたが、黒山省吾は現在でも熱心なアイドルファンだったんですね。手紙の中でも、アイドルグッズやCDを家から溢れそうなくらい持っていると書いてあります。送ってきたCDも、おそらくはそのコレクションの一つでしょう。経済的に苦しく、家賃を滞納しているような状況でも、彼はそういったものを売りはしなかったということです」

「……だけど、彼が死んだ後、警察が彼の家に行った時には」

「そう、彼の家の中では殆ど私物が見つからなかったとなっています。これは明らかにおかしい。手紙を書いて一週間もしない内に、彼の家からコレクションが消え去っているということになってしまいますから。家賃を滞納しても尚手放さなかったコレクションが、何故かいきなり消えているんです」


 その言葉に引っ掛かってか、亜衣が反論してきた。

 どこか必死な様子に見える。


「手紙の内容が嘘である可能性は無いの?貴方の気を引くために、黒山省吾は口から出まかせを……」

「いえ、それはまずないでしょう。黒山省吾の趣味を僕も母も知らなかったと言いましたが……祖父が知っていました。かつて離婚の原因となった横領事件。当時祖父が彼を問い詰めたところ、アイドルのCDを買うのに使ったと白状したそうです」


 そのCDは手切れ金代わりにくれてやったわい、と怒りながら話していた祖父の姿を思い返す。

  黒山省吾の死亡直後、彼について話を聞いた時の思い出話だ。

 少なくとも十五年前から黒山省吾はアイドルオタクであり、横領してまでグッズを集めていたのである。


「そう考えるといよいよおかしい。彼の人生をかけてまで収集していたコレクションが、彼の殺害に前後して消えているんですから。実は殺害以外の何かが起きていたのでは、ということになります」

「そのこと、警察には言わなかったの?」

「言いませんでしたよ。言ったら、僕が黒山省吾からの手紙を受け取ったことがバレるでしょう?」


 躊躇うこともなく、しれっと言い放つ。

 孫に甘い祖父だが、これには流石にちょっと怒るだろう。

 必ず許してもらえると確信しているとはいえ、宥めるのも面倒臭い。


 そんなことを正直に伝えると、亜衣からの視線は怯えと不審の色が強いそれに変わっていった。

 だがそれを気にせず、拓海は推理を続ける。


「僕は昔から、気になったことはとことん調べるタチでしてね。宝探し感覚で、彼のコレクションを探してみることにしたんですよ。暇でしたから」


 そして、最初に調べたことが────。


「まず、調べる対象について熟知しておこうと思って。コレクションの内容そのものである、あなたについて調べてみることにしたんです。黒山省吾の一番の推しは貴女みたいでしたから」


 拓海は、その時に教えを請うた友人の姿を脳裏に浮かべる。

 彼はまさか、殺人事件の一部に関わっているとは夢にも思っていなかっただろう。


「色々調べましたよ。クリスマスローズを初期から引っ張っていった人気アイドルであること。この握手券のシステムを採用し、プロデューサーに握手会の開催を頼んだ張本人であること。握手会では個室開催に拘ったこと。オジサン好きを公言していること……そして、異常に触覚が鋭いこと」


 言及されることを予期していたのか、亜衣の表情は変わらなかった。

 拓海の話に圧倒されていたのかもしれない。


「それと同時に、コレクションの中身についても調べました。手紙の内容からすると、彼の所持していたグッズは歴代の清純派アイドル──貴女や雪城加恋を含みます──のCDやDVDのようでした。だから、それらを適当にリストアップして市場価格を調べたんです」

「……どうして?」

「黒山省吾が殺されたのは、犯人が彼の持つコレクションを狙ったからだと考えていたからです。彼の死を境にコレクションが消えてるんだから、犯人が密かに盗んだと考えるのが自然でしょう?彼が何か貴重なコレクションを持っていて、それが欲しかった犯人が黒山省吾を撃ち殺したのではないか……しかしこの考えは、早々に行き詰まりました」

「価値、あんまりなかったんでしょ?」


 本人だけあって、理解が早かった。

 思わず拓海は苦笑を返す。


「……その通り。貴女方のCDは握手券商法でバンバン売り出すおかげで、失礼ながら古いものでもプレミアがつかないようです。寧ろ慢性的にファンの間では余り気味で、握手券を抜き取った後は処分に困るとか」

「よく調べたわね」

「……手紙にある通り、黒山省吾はクリスマスローズのCDを特に多く持っていたはず。しかしそれらに対してプレミアがつかないとなれば、前提が崩れます。そんな値も張らないもののために、果たして殺人まで起こす必要があるのか?」

「それで貴方は、どう考えたの?」

「二つ、考えました。一つは、クリスマスローズではない別のアイドルのコレクションとして、プレミア品を持っていたという考え。そしてもう一つ、それらのコレクションは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、という考えも想定しました。殺人を犯してまで手に入れたい、何かだったのだと」


 一応、二つの可能性を言っておく。

 だが直後、拓海は両方の可能性を肯定した。


「結論から言うと、答えは両方でした。この時期、送られてきたCDの中に潜む秘密に気が付いたんです」

「CDに?」

「ええ……このCDのケースを開けて、歌詞カードを取り出してください」


 そう言いながら、拓海は亜衣に雪城加恋のCDを手渡す。

 彼女は、まるでガラス細工を触っているかのようにそのケースを開けた。


 白魚のような細い指で歌詞カード摘まんだ彼女は、じっくりとそれを見つめて。

 やがて、ある文字に気が付く。


「これ、サイン……?」

「ええ、雪城加恋のサインです」


 歌詞カードの末尾に、ボールペンの細い線でアイドルのサインが書かれていた。

 経年劣化して薄くなっていたので、最初は読み飛ばしてしまっていたのだ。

 そして、サインの上には宛名もあった。


「読みにくいですが、こう書いてあります……『白石良助さんへ』と」


 しばし、沈黙。

 十秒か二十秒経ってから、亜衣が口を開いた。


「黒山省吾の手紙には、『朝花の友人から貰った宝物』と書いてあったわよね?このCDのことを」


 ──おお、怒ってる。


 亜衣の口調は、隠しきれない憎悪に満ちている。

 故に拓海は、敢えて微笑を崩さずに返答した。


「……朝花の強盗殺人事件は結構有名ですからね、すぐに思い出しましたよ。あの強盗殺人事件の被害者の名前が、白石良助だったこと。彼の部屋は犯人に漁られ、金品が強奪されたこと……強奪されたのは、金品だけではなかったんだ」


 そこで、拓海は一度大きく深呼吸。

 亜衣の反応を待たず、推理を畳みかけていった。




「ここからは、いろんな資料を元に僕が組み上げた推論です。証拠は少なく、妄想といってもいい。ですがこの構図が思いついた時、僕にはこれが真実だとしか思えませんでした」


「最初にこの『白石良助さんへ』と書かれたサインの存在から、強盗殺人事件の被害者・白石良助を雪城加恋のファン……アイドルオタクだったと仮定します。同姓同名の別人とは思えない。少なくとも、サインを貰いに行く程度には熱心なファンだったのでしょう」


「そして同時期、横領をしてまでアイドルのCDを買いあさる黒山省吾という男がいました。彼もまた、雪城加恋のファンだったはずです。CDを宝物と言うほどには」


「この上で……二人は知り合いだったと考えるんです」


「二人がどこで知り合ったのかは知りませんが……黒山省吾は離婚してからは収入が不安定で住まいを転々としていたようですし、どこかで家が近いとか、同じイベントで出会ったとかで親しくなる機会があったのでしょう。二人は同じアイドルのファンとして、そこそこ仲良くなったんだと思います」


「そして転機が訪れます……ある日、白石良助は強盗殺人事件の被害者となった。一方で黒山省吾は、白石良助の所持品だったはずのサイン入りのCDを、コレクションとして所有するようになった」


「こうなれば、答えはシンプルです。難しく考える必要はないでしょう」


()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということです」


「白石良助と、ついでにそこにいた妻を殺害し、そのコレクションを金品と共に奪ったんだ」


「……彼にとって幸運だったのは、当時の社会における『オタク』という存在への理解の浅さです」


「僕の母、つまり黒山省吾の妻は彼の趣味を知りませんでした。祖父だって、問い詰めるまでは気が付いていなかった。これはグッズを横領で手に入れていたこともあるのでしょうが、それ以前に彼はきっと、自分の趣味を周囲に隠していたんです」


「僕の友人にあなたのファンがいるのですが、かなり『オタク』というものへの理解が進んだ現代でも、自分の趣味嗜好を周りには知られたくないと言っていました」


「現代ですらそうなのだから、昔はさらにそういった人────周囲に隠す形で趣味に走る人は多かったことでしょう。家庭を営んでいて、妻の目がある人なんかは特に……白石良助も、きっとそうだった」


「つまり黒山省吾と白石良助は、周囲に隠す形でアイドルのファン活動をしていたんです」


「それもただ隠すだけではない。後に警察に捜査されても発覚しない程にまで、彼らの関係性は秘匿されていた。強盗殺人事件について書いたどの週刊誌にも、被害者はアイドルファンだったとは書いていませんでしたから」


「このことが、強盗犯の黒山省吾にとってプラスに働きました。被害者の人間関係を追っていっても、黒山省吾は捜査線上に上がらなかった。少しでも怪しいと思われていれば、この事件が迷宮入りすることはなかったでしょうから」


「そういった幸運が絡んだ結果、強盗殺人の犯人とその目的は不明なまま十五年が経過した……まあ、大体こんなところだったと思います」




 ここまで一気に並べたところで、いくら何でも疲れて一息つく。

 すると、返す刀で亜衣から反論が飛んできた。


「ちょっと無理矢理な考えじゃないかしら……白石良助が、そんなに価値のあるコレクションを持っていたという証拠はあるの?手紙には『朝花の友人』と書いているだけよ?」


 意外としっかり、拓海の推理を聞いた上での反論。

 さりとて予想の範囲内だったので、すぐさま返答する。


「少し弱いですが、証拠はあります。押し入れに隠されていたという、被害者の娘ですよ」

「……それが?」

「金品を狙って忍び込んだ強盗は普通、家の中を荒らしまわるでしょう?どこに何が入っているかわかりませんから。つまり金目当ての強盗が犯人なら、押し入れという安易な場所に隠されていた被害者の娘は、すぐに見つかって殺されていたはずなんです」

「……だけど、彼女は殺されなかった」

「はい。つまり犯人には金品以外の目的があり、それが達成されたために押し入れまで漁ることなく帰ったんです。金品とは違うコレクション狙いだったなら、筋は通る」

「でも、犯人が娘の存在を知らなかった可能性も……」

「週刊誌の内容が正しければ、犯人は犯行の前日に被害者の娘に何かを問いただしていたようです。当然、娘の存在は知っていたはず。だというのに家の中で姿がない彼女を探さなかった……これはもう、他に目的があったからとしか思えません」

「だけど、新聞には実際にお金も盗まれたってあるわ。これは?」

「ついででしょう。主目的ではないとは言え、お金はあるに越したことはありませんから」


 拓海がそう告げると、亜衣はグッと唇をかみしめた。

 そして、もう一度反論してくる。


「それでも矛盾はあるわ……この雪城加恋のCDが本当に白石良助の物で、そして黒山省吾が強奪した物なのであれば、なぜ彼はそれを息子に送ったの?自分が犯人であることの証拠になりうるものなのに……」

「まあそこは単純に……自分が事件を起こしたことなんか、忘れてしまっていたんじゃないですかね?或いはどうでもよく思っていたか」


 軽く告げると、亜衣は衝撃を受けたように口をぽかん、と開けた。

 その様子を尻目に、拓海は手をひらひらさせる。


「よく考えてください。そもそもこの手紙は復縁を求めてくる手紙ですよ?僕の推理が正しければ、彼は逃亡中の犯罪者です。だというのに再び金目当てで家族に接近しようとしていた……罪悪感の類は感じていなかったのかもしれませんね」

「手紙には、朝花の友人からって……」

「本当に、彼の認識ではそうなっていたのかもしれませんね。友人から貰ったと」


 亜衣の肩がわなわなと震える。

 彼女のその態度こそ、この推理が大筋からは外れていない証拠だと感じたが、拓海は黙っていた。

 反論を受け止めるのにも飽きてきたため、会話の方向性を変える。


「他にも矛盾はあるでしょう。半分以上は僕の妄想ですからね。例えば、白石良助から本当にこのCDを貰った可能性だってある……まあその場合、黒山省吾は警察に彼との付き合いを証言しているでしょうから可能性は低いですが。何にせよここからの推理は、黒山省吾は朝花強盗殺人事件の犯人であるという前提で聞いてください。こう仮定すると、半年前に彼が射殺された事件の真相を掴むことが出来ます」

「……」

「こちらの答えは簡単です。強盗殺人事件の犯人が、銃で撃たれるという日本ではなかなか珍しい死に方をした。なおかつ、彼の持っていたコレクションが奪われた。これはもう、十五年前のことをそっくりそのままやり返されたと考えればいいでしょう。何者かが、警察が捕まえられなかった犯罪者を独力で見つけて、自らの手で復讐を果たしたんだ」

「復讐……」

「はい。そしてここで問題です、鷹司亜衣さん……犯人への復讐を誓った人物って、誰だと思いますか?」


 観念した、というわけでもないのだろうが。

 亜衣はスムーズに言葉を続けた。


「被害者の娘ね……」

「ええ。彼女以外には考えられない。押し入れの中に隠れていた彼女は、犯人の声や言動を見聞きした可能性がありますから。警察より早く自らの手で犯人を見つけられるのは、彼女だけです」

「まあ、そうでしょうけど」

「そして面白い符号があります。新聞によれば、被害者の娘は当時六歳。十五年前のことですから、現在の年齢は二十一、二あたりでしょうか。時に鷹司亜衣さん……失礼ですが、年齢は?」

「……この間、二十一歳になったわ」


 そこで、彼女は分かりやすくため息をついた。

 嘲るように。


「たったそれだけのことで、私を疑ったの?二十一歳の女性が一体どれだけいると……」

「ごもっともです。これだけでは証拠にも何もなりはしません。しかし黒山省吾があなたのファンだった事と言い、どうにもこの事件にはあなたの影が──というより、アイドルの影が見え隠れします。無関係には思えませんでした」

「……」

「そこで失礼ながら、あなたこそ白石夫婦の一人娘であり、犯人に対して復讐を誓っている。そう仮定して推理を進めました」

「……名前が違うわ。私の苗字は鷹司よ」

「芸名でしょう?もしくは引き取られた先の苗字ですか」


 亜衣の小さな反論を、拓海は一蹴する。

 拓海の推理は、ここからより突飛な方向に進むのだ。

 小さなことには構っていられない。


「あなたが復讐者だと考えると、面白いことに気が付きます。この握手会のシステムについてです」


 拓海はそこで一度言葉を切り、この個室をぐるりと見渡した。

 既に十分以上専有している、この空間を。


「シャイニング・テンにしか与えられていない、個室の握手券会場。どう考えてもアイドルに対して身の危険が発生するというのに、スタッフすら部屋の中には入らない。握手券はかなりの金額を支払わなければ手に入らず、アイドルは『オジサン好き』を公言する……」

「それがどうしたの?」

「わかりませんか?ここは要するに、両親の仇を見つけ出すために貴女が作り上げた狩場ですよ。最後の確認をしますが……握手券商法をやるように訴えたのも、ファンとの個室対応を提案したのも、貴女だそうですね?」

「馬鹿馬鹿しい……ファンと一対一になって、何をしようと言うの?『あなたは強盗殺人事件の犯人ですか?』とでも聞くの?」

「いえ、そんなことをする必要はありません。握手会ですからやることは一つですよ」


 もう一度、拓海は息を整えた。

 それから少しだけ声を張り上げ、彼女の考えた驚くべき復讐方法を告げる。






「あなたは、『握手』で犯人を見つけ出そうとしたんだ……そうでしょう?」






「黒山省吾が犯行を起こす前日、貴女は黒山省吾と会っています。この週刊誌に書いてある通りです。恐らく彼は貴女の口から、両親がいない時間を聞き出そうとしたんじゃないですか?」


「ただ結局、貴女は両親の予定など知らず、答えられなかったか適当な時間を言ったんでしょう。結果として、黒山省吾と白石家は鉢合わせしてしまっているんですから」


「そして……貴女はその時、彼と握手をした。この点を踏まえると、その後に起きたことも繋がってきます」


「犯行の日、あなたは押し入れに隠されて生き延びた。そして隠れている間、黒山省吾が家の中を物色している様子を────コレクションを探している時の音を聞いていたはずです。雪城加恋のコレクションを漁る様子をね。しかも彼は前日、去り際に鼻歌を歌っている。恐らくですが、この鼻歌も雪城加恋の曲だったのでしょう?」


「要するに貴女は、誰よりも先に犯人はアイドルファンだと気が付いたということです」


「しかし新聞記事によれば、貴女は事件後に失声状態に陥っている。このため、警察に犯人の特徴を伝えることができなかった」


「この状態がいつ回復したかは知りませんが、結構な長期間持続したんじゃないですか?六歳では筆談も難しいでしょうしね。この事件が迷宮入りしたのは、この辺りの事情も手伝ったのでしょう」


「そしてもっと時間が経ち、貴女の症状が治った頃。貴女も成長し、より様々なことを考えられるようになった頃」


「貴女は自分の記憶を元に真相に辿り着いた。警察よりも早くね。あの犯人は、雪城加恋のファンの一人なのだろうと知った」


「そして貴女は────警察にはこのことを伝えず、自分の手で犯人を捜して復讐することを選んだ。犯人を独力で捕まえられなかった警察のことは、見限っていたんだ」


「しかし、幼い少女が警察も見つけられなかった犯人を見つけようとなると、これは難問です。分かっているのは、雪城加恋のファンであるという事実のみ。そんな人物、いくらでもいるでしょう」


「探偵でも雇って父親の交友関係を調べることができたらよかったんですが、子どもの立場では難しい。お金もかかりますし」


「結果、貴女が選んだのは気の遠くなるほど地道な道のりでした────かつて一度だけ行った『犯人との握手の記憶』を手掛かりに、犯人を見つけ出そうとしたんです」


「幸か不幸か、貴女は生まれつき触覚が異常に鋭かった……昔の番組、見ましたよ。『箱の中身はなんだろなゲーム』。見てもいない物の正体を言い当て、かつて触った物の記憶とすら照らし合わせる」


「絶対音感ならぬ、絶対触覚とでも言えばいいんですかね?貴女には、触覚という武器があったんだ」


「もう一度犯人と握手さえできれば、自分の力で相手が犯人かどうか識別できる……当時の感覚を思い出して、犯人を見つけられると考えたんです」


「貴女としても、本気ではなかったのでしょう。普通に生きていて、社会に潜む特定の一人と握手できる確率なんて恐ろしく低いですから」


「ですが、それ以外に方法もない。何もせずにはいられないという思いもあったんじゃないですか?何もしなければ、犯人の記憶は薄れていくばかりですから」


「さて、こうして『握手』で犯人を見つけようとした貴女ですが、すぐに壁にぶつかります。さっきも言ったように、人が一生で握手できる人の数なんて限りがある」


「貴女のやり方で犯人を見つけようというのであれば、可能な限り多くの人、それもかつて雪城加恋のファンだった人物と握手をする必要がある。それと犯人も年を取りますから、そこそこ年のいったファンと握手する必要があります」


「……だから、貴女は更なる方法を選択した」


「犯人はアイドルファン。それも雪城加恋のような、清楚系アイドルとか言うのを好む人間です。加えてアイドルに関することであれば、殺人を犯すほどにまで熱狂的なファン……貴女はそれを利用しました。自分の容姿と共にね」


「雪城加恋を思わせる清楚な自分のイメージを作り上げ、握手会を開催するほどのアイドルにまで上り詰めたこと」


「一対一を謳い、ファンと二人きりで握手が出来る場所を作り上げたこと」


「かなりのお金を払わなければ会うこともできない、握手券商法なんていう仕組みを採用したこと」


「オジサン好きを公言し、熟年のアイドルファンを呼び寄せたこと」


「これらは全て、貴女が犯人を────アイドルのことなら金に糸目をつけない、高年齢のアイドルファンをおびき寄せるための策略だったんです」


「貴女が握手会に熱心でファンの手を強く握るというのも、記憶の中にある犯人の手の触感と照らし合わせるため……」


「ファンにとっては至福の時だったであろう握手会の時間は、貴女にとっては審判の時間だったのでしょう?」




「……そんなこと、上手くいくわけがない」


 蚊の鳴くような声。

 ようやく、亜衣から反論が飛んでくる。


「犯人が未だにアイドルファンでいるかどうかなんて、その子の立場では分からないのよ?仮にファンになってもらえたとしても、握手会にまで来るかどうか……握手券商法だって、握手できる人間の数を減らして、犯人を見つける確率を下げるだけじゃない?」


 中々筋の通った反論だった。

 故に、拓海はその意見を肯定する。


「ええ、僕もそう思います。いくら何でも、この方法で犯人を見つけ出すのは無茶です。さっきも言いましたが、貴女も上手くいくとは思っていなかった……ある種の自棄と惰性でやっていたところも大きいんじゃないですか?」

「……それは」

「しかし、事実は小説より奇なり。五年に渡るアイドル活動の中で、犯人の黒山省吾は実際に鷹司亜衣のファンとなりました。だから、来たのでしょう?半年と少し前、彼は貴女の個室を訪れた」


 その次の言葉には、少し力を込めた。

 彼女の執念を称えるために。

 そして再び、反論も許さず語り続ける。




「彼と握手した瞬間、絶対触覚で貴女はそれを察知した。何なら、顔や声も記憶のそれと一致したんでしょう。五年間に渡り何千何万と握手を続ける中で、貴女は遂に両親の仇を突き止めたんだ」


「……黒山省吾の方は、自分が殺した人間の娘と握手しているとは夢に思っていなかったことでしょう。貴女だって成長していますし、彼の方はまさか絶対触覚なんて持っていなかったでしょうから。何も気が付かず、そのまま帰っていった」


「ですが、貴女はここからが本番です。握手後に一度スタッフを呼び、『さっきの人に不愉快なことを言われた。事務所に報告したいから名前を教えてほしい』とでも言って、黒山省吾という名前を聞き出します。ここでは握手の前に身分証を提示しますよね?聞けば名前くらいは何とかなったでしょう」


「名前が分かれば、後はどうとでもなる。興信所に行くもよし、独力で調べるもよし……今の貴女はトップアイドル。昔と違って調査資金に困ることはありません。そして最終的に、貴女は彼こそが両親の仇であるという確信を得た」


「これと前後して、貴女は握手会への情熱を失っていきます。当然ですね。もうやる理由すらないんだから」


「先程見せたSNSでの呟きは、その傍証です。半年以上前の握手会では強く手を握っていたのに、五か月前の握手会では握手を熱心にはやっていない……ちょうどその間の時期に、黒山省吾を見つけたのでしょう?」


「最後の締めとなる彼の殺害と、白石良助の遺品を含むアイドルグッズの奪還をどのようにやったか……これは僕にも分かりません」


「ただまあ、警察が窃盗の痕跡にすら気が付かなかったんだから、その手のプロにでも頼んだんですかね?そこに芸能事務所の社長が黒い交際で捕まった記事を載せていますが、どうも貴女たちの世界はそういった世界とかかわりが深いようですし」


「凶器が拳銃というのも、そういった人たちに頼んだからでしょう。そのせいで殺人事件の中でも悪目立ちしたんですから、詰めが甘かったようですが」


「大筋はこんなところでしょう?だからこそ貴女も、黒山省吾の手紙を見た時点で防犯カメラを止めたんだ。僕のことを、自分の仇の息子だと察して」


「これが─────十五年の間を経て行われた、二つの殺人事件の真相です」


「どうでしょう、鷹司亜衣さん。いえ、白石ナントカちゃん?」




 大演説が終わって喉がカラカラになった拓海は、一度大きく唾を飲み込む。

 肩から力を抜き、息を吐いた。

 他にも推測していることはいくつかあったのだが、きりが良かったので口には出さないでおく。


 例えば、朝花強盗殺人事件の動機。

 丁度その時期に黒山省吾が離婚していることから推測するに、彼は離婚により経済的には苦しくなってもアイドルグッズが欲しくて、殺人をしてでも手に入れようという思考に至ったのではないか────そう推測していた。

 こう考えると、黒山省吾の余罪はまだたくさんあるのかもしれない。


 だが亜衣にとっては、両親が殺されたという事実が一番重要で、他はどうでもいいだろう。

 故に、それを語りはしない。


 話を聞いた亜衣は、しばらく何も言わなかった。

 ただただ、拓海が持ち込んだ新聞記事と二枚のCDを見つめている。

 かなりの時間、そのままでいた。


 ──このことも見越して、一時間分のシャイニング十秒券を用意したのは正解だったな。


 そんなことを、拓海はぼんやりと考えた。

 そうやって、時間を無言で潰してから。

 拓海がこの個室にいることが出来るのは残り五分となった時、亜衣が口を開いた。


「……まだ、質問に答えていないわ」

「何をでしょう?」

「貴方は結局、何がしたくてここに来たの?私に対して、何を望んでいるの?」


 幾分か暗くなった瞳で、亜衣が拓海を見つめる。

 その顔は、もはや現代の日本人形と謳われたそれではない。

 氷を思わせる無表情が美貌を打ち消している。


「ここまで突き止めて、何がしたいの?お金?体?それとも……親の仇を殺しに来たの?」


 彼女の言葉には、クリスマスローズがここまで上り詰めるために行ったのであろう様々な「努力」の跡が滲み出ていて、思わず拓海は失笑した。

 生憎、的外れとしか言いようのない発言である。


「お金は祖父がいくらでもくれますし、女性に飢えてもいませんよ。復讐するほど好きな父親でもないですしね。だからここに来たのは、そうですね…………好奇心ですかね?」

「好奇心?」

「ええ。最初は宝探し感覚で父親のコレクションを捜していて、母や祖父に見つからずにそれをやるっていうスリルを楽しんでいただけだったんですがね。段々、殺人事件に関わること自体が楽しくなってきちゃったんです」


 ここに来るまでの苦労を思い出し、拓海は意図せずフフフ、と笑いを漏らす。

 その様子を見た亜衣は、最初に呆然とし、次に再び怯えの色を見せた。


 ──そんなに引くことないじゃないか、人殺しが……。


 亜衣の反応が気に入らず、拓海は心中で密かにぼやく。

 亜衣は両親の死の真相が知りたくて、復讐心から犯人を突き止めた。

 拓海は父親の死の真相が知りたくて、好奇心から犯人を突き止めた。


 二人の行動には、実のところそこまでの違いは無い。

 だからこそ「同類」に会いたくて、拓海はここまで来たのだ。


 亜衣が防犯カメラの目を閉じさせた時点で、拓海は自分の推理が正しいことを確信していた。

 そこで何も言わずに帰ることも、拓海にはできたのだ。

 だが、拓海はその推理を詳しく亜衣に語った。


 何故そうしたのか?

 きっと、それは。


「ある意味で、僕は貴女のファンですよ。『殺人犯・鷹司亜衣』のファンなんです。だから貴女の握手会に来たというだけなんです……大丈夫、警察には言いませんよ。どうせ仮定に仮定を重ねた妄想ですから、言っても信じてはくれないでしょうけど」


 そう言ってから、ニヤリと笑う。

 分かりやすく、亜衣が一歩後ずさった。


 ──傷つくなあ。


 心中でそんなことを考えていると。

 まるで最後の力を振り絞るようにして、亜衣が震える口を開いた。


「貴方は……父親にそっくりよ……」

「……ふーん」


 拓海はそんな薄い反応を返した。

 そして丁度この瞬間、拓海が部屋を出なくてはならない時刻になった。

 恐ろしく長い一時間だったが、ここで終了だ。


「じゃあ、僕は帰りますよ。その二枚のCDは貴女にあげますから」


 それだけ告げて、拓海はリュックを背負う。

 この半年、拓海を楽しませてくれた対象と会えなくなるのは残念だが、こればかりは仕方ない。




 だが、次の瞬間──────。




 亜衣が突然、拓海の右腕を掴んで。

 拓海と「握手」した。


 強く、強く。

 彼女は拓海の手を握り占める。

 まるで、自分の右手にその感触を覚えさせるかのように。


 一瞬、拓海は呆気にとられたが。

 すぐに彼女の意図を察する。


 ──面白い!


 心臓が跳ね、魂が高揚した。

 この半年間、彼女の追っかけのようなことをやってきた。

 だが、アイドルの方に追っかけられるのも悪くない。


 だから拓海は、失笑でも苦笑でもない心の底からの笑みを浮かべて。

 強く、強く、彼女の手を握り締めた。


「時間でーす!」


 入り口にいたスタッフが、個室の扉を開ける音がした。

 扉を開ける彼にはきっと、拓海と亜衣が熱烈な握手をしている光景が見えているのだろう。


 握手会ではよく見受けられる、当たり前の光景。

 だが、その真意は……。


 スタッフが明けた扉からは、会場のBGMが聞こえてきた。

 盛り上げるためか、サビの部分だけを何度も何度も繰り返して。


 クリスマスローズの「Resolve」。

 鷹司亜衣が作詞をしたという、あの曲だ。




「あなたのこと   絶対に見つけてみせる

  隠れさせや    しないんだから

  あなたを追うこと それこそが

  そう、それこそが 私の人生……」

面白いと思われた方は評価、ブックマーク、いいねのほどよろしくお願いいたします。

また感想もお待ちしています。


同一世界観の短編として、「再発 ──つまりは、どうして桜が一斉に散るのかって話──」を投稿しています。ご興味のある方はお読みいただければ幸いです。

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[良い点] 今更ながら読ませてもらいました 面白かったです! [一言] 最後のシーンめちゃくちゃ好き…
[良い点] ミステリー要素がしっかり組まれてた事。かつ、それが無理やり感がなく自然だったので物語に引き込まれた。 好奇心は人を殺すという言葉を思い出させる、余韻も良かったです。
[良い点] これらは妄想だって前置きすることによって、素人がプロの真似事をしたような拙い捜査感がなく、そこがまた引き込まれる点だったのではないでしょうか。 また調査、捜査をするのにもお金はかかる、そ…
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