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正義の魔法と狂った少女  作者: 厨二と変態が友だち
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第二話 赤いヒトと緑のナニカ~前編~

評価、ブックマーク登録、ありがとうございます!

まさかさっそく評価して頂けるとは思いませんでした。

拙い作者ですがどうぞよろしくお願いします。

不定期更新ですが、なるべく完結まで頑張りたいと思います。

(途中で狂ったら申し訳ありません)

 カーテンの隙間から木漏れ日が部屋を薄く照らし、芽香美は眩しさにゆっくりと瞼を開いた。

 朝だ。


「うぅ~ん?」


 この瞬間だけは何時の芽香美でも外見年齢相応の反応を見せる。

 それもほんのわずかな、目を開けるまでのこと。瞳が瞼という外壁を失ってしまえば、そこに居るのは芽香美という名のナニカだった。リョウに言わせれば、おそらくバケモノという解答を得られるだろう。


「ああ、家か」


 久々に気絶以外で睡眠をとったからか、いつもよりは目元の隈が薄い。芽香美は机の上にある鏡を見て、そんなどうでも良いことを認識する。


「いてぇ」


 昨日、芽香美が魔力を手に入れたさい血だらけになっていたのだが、戦いやその他諸々の昂揚感で忘れていた。渇いた笑い声を上げていたリョウを捉まえ、文字通り飛んで家に帰って来た頃から痛み出したその傷は、今もなお痛みを発している。


 慣れたはずのあらゆる痛みとは、また違う痛み。それが、芽香美に生の実感を与えてくれるから愛おしい。愛おしくて誰かを殴りたくなってしまう。


 床に転がるリョウが視界に入ったので、持ち上げて殴り飛ばした。


「ふぐえぁあああああッ!? 何!? 敵襲!?」


 理不尽な暴力で吹き飛んだリョウは、周囲を見渡して、芽香美に視線を合わせ、気を失った。


「ってこら、寝んな」

「うひぃぃいいいいいいいいらいいらいらいらいらいらいらいぃぃぃいいいッ!」


 頬を両サイドから引っ張られ、悲鳴を上げるリョウに芽香美は渾身の笑みを送った。


「殺さないでぇぇええええええええッ!」


 リョウのうるんだ瞳には、醜悪な己の顔が映っている。可憐なはずなのに、何をそんなに怖がっているのだろうかと芽香美は疑問に思った。

 これでも一応リョウは、連れ帰って来てしばらく経つまで自分は地位のある魔術師なのだと、権威ある魔術師なのだと、そう豪語していた。

 今ではもう見る影もない。リョウの言葉を全て肉体言語を以って返答とした芽香美に、ようやく自分の立場を理解したのだろう。


「そろそろ飯だから行ってくるけどよ、てめぇ、部屋から出んなよ」

「了解であります!」


 これでもかと言わんばかりの敬礼を確認して、芽香美はおもむろにパジャマを脱ぎ始める。


「ちょッ!?」


 リョウが慌てた声を出して後ろを向いたが、芽香美は首を傾げて着替えを続行した。

 着替え終わってから、女が目の前で服を脱ぐのが恥ずかしかったのか、と思い至り、こいつは男? オス? なのだろうと判断する。

 小学三年生が着替える姿を見て恥ずかしがるということは、そういう性癖なのか、それとも年齢が近いのか、と思考したが、それもすぐに薄れて消えていった。

 リョウが変態であろうとなかろうと、さしたる興味はなかった。


 着替え終わると、芽香美はリョウに視線も向けずそのまま部屋を後にした。


「あら芽香美、おはよう。もう起きたの?」

「ああ。飯」


 言いながら、テーブルに着く。


「はいはい」


 おはようも返さない芽香美に、苦笑を返すだけに留める母親、勝子。

 こんな芽香美でも大切に育ててくれている大事な母親だった。

 大事過ぎて必要最低限の言葉しか要らない程度には、この母親のことを芽香美は知り尽くしている。

 興味が湧いて調べたし、様々な手段を用いて聞き出したし、弟か妹を作らせようと目の前で父親とさせたりした。父親意外にもさせたりもした。その時の、あの時の、艶やかな声や悲鳴は今でも覚えている。


 殺した時は最後に何て言っていただろうか、と芽香美は考える。考えてすぐに、「ごめんね」だったはずだと思いだした。何が? と疑問を抱いたのを覚えているのだから間違いない。


 逆に、勝子が芽香美を殺すように仕向けた時、何と言ったのか、そちらの方が覚えていなかった。中々芽香美を殺そうとしない勝子を狂わせ、激怒させる方法の方がむしろ覚えている。目の前で父親含めて何人か殺し、どこの誰とも知らない男を縛り付けて犯している姿を見せても殺さないので、洗脳した誰かに、これ以上自分の子を穢してはいけない、と囁きかけるように仕向けて、ようやく殺してくれたのだ。

 即死ではなかったため、薄れる意識の中、自分の喉を芽香美を刺した包丁で掻き切って絶命する姿を見た覚えがある。


 その時に自分の口が動いていたはずだが、何と言ったのか、何を言おうとしたのかを思い出せなかった。

 あの時は我ながらそこそこ狂ってたな、と他人事のように思っている。


 それも過去のことだ。


 今回はそんなこともなく、ごく普通の主婦として、芽香美の身の回りの世話をする作業に自分の価値を見出しているだけの、愛しい母親だった。


「それより芽香美。昨日、何で勝手に帰ってきちゃってたの?」


 怒ってます、と言わんばかりに、その童顔な顔を向けてくる勝子。その服の下に隠された肉体は、空手で鍛え上げられ芸術と言って良いほど洗練されているが、多少、最近肉付きが良くなってきたようである。

 それでも今まで、他の誰でも素手で殺してきた芽香美が、武器を使わなければ殺せなかった人物だ。

 そんな勝子がけっこう本気で怒っていた。


「楽しい玩具を見つけちまったからな、しょうがねぇだろ」


 玩具と書いてリョウと読むであろうそれを脳裏に浮かべ、満面の笑みを勝子に向けた。


「そ、そう。で、でも、今日学校に行ったら、ちゃんと謝るのよ? 昨日は部屋から出てこないから、先にママがパパと先生に謝っておいたけど、自分でもちゃんと謝ること。良いわね?」


 無邪気な我が子の笑みだというのに、何故この母親は引いているのだろうかと疑問に思いながらも、芽香美は頷くだけで返す。

 何を謝るんだったか、と思い返すが、どうでも良いかと思考から消すことにした。


「おや、おはよう、芽香美」


 そうこうしている内に、父親、神成が姿を現した。


「今日は早いんだねぇ、えらいぞぉ」


 何が面白いのか、芽香美の頭を撫でようとしてから、それを振り払われ、新聞を片手に横の席に座る神成。


「恥ずかしがり屋さんだなぁ。でも、ちょっとパパ悲しいぞぉ?」


 思春期なのかなぁ、等と呟く神成に、芽香美は特に何かしらの感情も抱くことはなかった。

 昨日のことで若干機嫌が良いので撫でさせてやっても良かったように思うが、うっかりすると殺してしまうので、ハエを払う要領で手を払ってしまった。

 今回はだれも殺さず、誰も救わず生きて──生かされていたのだから、続けなくてはならないと芽香美は考えている。


 それに、今日と言う日を芽香美がこの家で迎えたことはない。今までは、昨日のクトゥグァがその日の内に日本のほぼ全てを灰燼と化していたのだから、それも当然のこと。

 未知を経験するのは楽しいことであり、いつまで続くのかを芽香美は見てみようかなとも思っている。

 さしあたって、この母親と父親をどうこうするつもりはなかった。母親と同じく父親の全ても知っているので、興味が湧かないとも言うが。


「はい、ご飯よ」


 勝子が用意した朝食を、三人揃って食べる。栄養を取り入れるだけの行為に、勝子と神成は楽しげに笑い、芽香美も満面の笑みを持って笑ってみた。


「ど、どうしたんだい、芽香美? 何か、嫌いなものでもあったかい?」

「はぁ?」


 笑っただけなのにそんな心配をされた芽香美は訳が解らず、けれど、どうでも良いことかと思い直し、食事を続けた。

 それから間もなく神成は仕事に行き、芽香美も学校に行く時間になった。

 そういえば、今回はまともに学校に通っているということを、芽香美はこの時実感した。

 流されるだけの今回だったが、今日は自分の意思で学校に行ってみようと、そう決意してみた。

 知らない今日という日。

 生きる力を得て最初の日。

 こんなにも心躍る日が来るとは、芽香美も思っていなかっただろう。


「はい、お弁当」


 そう言って勝子がピンク色の袋に包まれた物を渡してくるので、受け取った。

 きっと愛情を込めて作ってくれたのだろう。

 愛情という言葉の意味を脳内で検索し、その意味は理解出来るのに芽香美は実感出来ない。いつかの時にどこかの誰かと愛し合ったこともあったのに、何故あの時あんなにも心が動いたのかも、もう解らない。あんなにも必死になって救った相手の顔も名前も、今では誰一人として思い出そうともしない。救った瞬間、興味がなくなっていた。

 そのことが心底どうでも良く、時間の無駄だったので玄関から外に出る。


「眩しぃなクソ」


 帽子を取りに戻るかどうかを少しだけ悩んだが、その行為は面倒だと判断して歩き出す。

 住宅街を歩いていると少しずつ人通りが多くなり、大通りに出た時には出勤や通学する人で溢れ返っていた。

 毎日を決まった流れに沿って生きている人々の姿が、こんなにも醜い。

 自分もそうなのだと途中で思い出したが、今までただ流されていただけの芽香美は、きっともっと醜かったはずだ。


 蟻のようだ、と芽香美は思う。


 国と言う名の女王蟻のためにあくせく働く兵隊蟻という名の市民。

 兵隊蟻になるために必死になって成長する学生。

 芽香美は足下に視線を落とした。


(全力で地面殴ったら面白いことになりそうだな)


 クトゥグァを消し飛ばした時の力でそんなことをすれば、おそらく巨大なクレーターがこの平和な街に出現することになるだろう。

 その下で落ちてくる人々を待ち構える己の姿を想像し、芽香美は微笑んだ。

 微笑んだ瞬間から、こちらに向かって歩いてくる人波が若干芽香美を避けるような仕草をするようになったが、芽香美は首を傾げるばかりである。

 ともあれ、そんな下らないことに時間を使うのはもったいないと、思考を切り替えることにした。昨日、帰って来てリョウに聞いたことを反復する。


 リョウは言っていた。


 魔力と魔術によって栄えたエリウルールのことを。

 文化や思想のことを。

 魔力とは何なのかを。

 魔術とは何なのかを。

 リョウ=フルカワがどういった人物で、クトゥグァとは何なのかを。

 また、疑問も抱いていた。

 この世界はどういった世界なのか。

 異なった世界なのに何故言葉が通じるのか。

 郁坂芽香美とは何なのか。

 あの黒い光は何なのか。

 どうしてそんなにキレイナエガオなのか。

 何でそんなに腕力があるのか。


 芽香美からは何も答えず、リョウが教えてくれたことのほとんどを思い出すのが面倒になっていたが、魔力、魔術、クトゥグァの存在だけは何度も頭の中で何度も反復して脳に刻み込んでいる。

 魔力とは誰もが持っている力。この惑星から湧きあがる、どんな物質とも違う科学では明らかに出来ないナニカが身体に吸収され、蓄えられている。


 それは時に、霊力、妖力、エーテル、チャクラ、オーラ、神通力、超能力等といった言葉に置き換えられるが、総じて似たようなものだという見解を示していた。

 外からではなく体内からも魔力は生成されると言う話だったが、その力は外界から吸収する力に比べれば圧倒的に弱く、たいていは誤差の範囲らしい。

 だが、芽香美の場合はリョウも見たことがない黒い光という謎の現象を起した。

 リョウの知る限り発せられる系統色は青、赤、白、緑の四つしかなく、黒く輝く魔力など通常は考えられないらしい。


 芽香美の体内で生成されたものとしか考えられない、リョウはそう言って首を捻っていた。面白そうなので、そのままどこまで捻ることが出来るか試そうとしたが、全力で逃げられたのは言うまでもない。


 魔術とは、やはりあの文字列のことのようだった。無意味に散らばる文字の数々は魔力の一部であり、その文字列を式にし、意味のある情報として出力するのが魔術だという。

 それをどれだけ高度に操れるかによって、魔術師の位が決まるらしい。

 ちなみにリョウはエリウルールにて『青の魔術師』と呼ばれているらしく、風属性の全てを理解し行使できる、世界に五人しかいないそれぞれの系統を代表する一角らしい。


 どうでも良かった。


 どうでも良いが、そんなリョウをもってしても芽香美は異常なのだという。

 クトゥグァとの戦闘中に見せた芽香美の速度。あの速度で飛べるのはリョウの知る限りリョウ本人しかいないとのことで、まだ飛翔魔術を知らないから空を蹴っていただけだと芽香美が告げた際には、霊魂という名の魔力がリョウの口から天に向かって登って行くのを幻視させるほどに精神に異常をきたしていたようだった。


 クトゥグァとは旧支配者と言い伝えられている存在であり、エリウルールのズィーア大陸に封印されていた神の獣らしい。

 かつてエリウルールがエリウルールと呼ばれる前、何らかの名称がついていたはずのその惑星に降り立ち、後にズィーア大陸と名付けられることになる地にて猛威を奮い、生き残った魔術師との壮絶な戦いを繰り広げ、封印されたという。

 猛威、壮絶、といった単語に芽香美は疑問を覚えずにはいられなかったが、リョウからするとやはり芽香美が異常なだけであり、他の魔術師は太刀打ちすら出来ない者の方が多いとのことだった。


 リョウとて一度は魔力を枯渇させ、気を失うほどに打ちのめされたと涙ながらに語っていたが、「てめぇが弱いだけだろ」と返した際は「こんな僕が青の魔術師でごめんなさい」と誰かに謝っていた。


 クトゥグァ以外にも封印が解けた神の獣がいるらしく、少なくともあと四体はいるとも語っていた。加えて、封印が解けた理由についても推測を述べていた。

 何者かが無理やり封印を解いたのかもしれない、と。

 芽香美はこの力を得るきっかけとも言うべき相手、その封印を解いた誰かに拍手を送りたい気分だったため、実際にリョウの目の前でその何者かを称えて拍手してみたところ、リョウは「もうおうちにかえりたい」と幼児退行していたのが少し面白かったと記憶している。


 そんな面白い玩具──リョウの話を思い返している内に、校門が近くなっていた。


「おはよ~」

「おっす!」

「おはようございます」


 そこかしこで、集団登校で合流した児童が挨拶を交わし、校門前に立つ教師にも挨拶をしている。


「こら郁坂! お前また集団登校してきてないだろ!」


 校門に近付くと、教師の男が芽香美を叱り付けて来たが、集団登校をする理由は理解出来ても、実際にソレをする意味が見いだせず、芽香美は首を傾げた。


「はぁ?」


 何言ってんだコイツ、と言わんばかりに芽香美は教師の横を素通りする。


「こら! 待ちなさい! 昨日のこともあるんだ、職員室まで来なさい!」


 その言葉を聞いて、そう言えば母親が何かを謝っておけ、と言っていたことを辛うじて思い出す。

 思い出した所で芽香美が謝ることはないのだが、教師は芽香美の前に立ちはだかった。


「あ? 退けよ」

「先生に向かってなんて口の利き方だ!」


 さらに怒る教師。当然だ、そういう風に仕向けるための口の利き方なのだ。この方が面白いことになるかも、という、そんな単純な理由でしかないが。


「だったら何だって言うんだ? 良いからさっさと──」


 退け、と言おうとしたところで、芽香美はようやくこの教師のことを思い出した。何度目かのことか覚えてはいないが、学校の教師に興味を持ち調べていた時のこと。

 厳つい顔をして、生徒の指導に当たっている体躯の良いこの男であるが、反面、家庭では自身の妻を「女王様」と呼んで媚びへつらい、痛めつけられることで性的快感を覚えている。


 女王曰く、


「この卑しい醜い豚が!」


 とのことだったのでそう叫んでみた。


「ふあん!?」


 気持ち悪い叫び声をあげ、硬直する教師。

 驚愕に染め上げたその顔は徐々に血が上って赤くなり、慌てて周囲を見渡した挙句、芽香美の眼前にその豚だという顔を近づけた。


「な、何を言ってるんだ郁坂……! そんな言葉をどこで覚えた……!」


 小声で怒鳴りつけるという器用なことをする教師に、芽香美は満面の笑顔を向けることで返答とした。


「ぅ、ひぃ……!?」


 こんなにも可愛い笑顔だというのに、何をそんなに恐れているのだろうか。


(生理的に受け付けねぇ)


 とは思ったが今回は殺さないことに決めているので、芽香美は今度こそその教師の横を通って校舎へ向かった。


「いやしい、みにくい、ぶたさんって、なんですか~?」


 という、たどたどしい言葉づかいで一年生女児と思われる誰かに質問されているようだったが、さっさと校舎に入った芽香美にはその後あの男性教師がどうなったのかなど知る由もない。

 後日、教師の一人が芽香美を見つけると慌てて逃げ隠れるようになったが、芽香美にとってどうでも良い話なので割愛する。

 教室に入ると、他の児童は揃って視線を外すのが常だというのに、その少女、成美だけは視線をそらさずどころかいつものように近寄ってきた。


「おはよ~! 芽香美ちゃ~ん!」


(飽きねぇな、こいつも)


 挨拶を返すこともなく、無視して机に向かおうとする芽香美だが、成美が呼び止める。


「ね~ね~、芽香美ちゃん。昨日のことなんだけど」


 芽香美が一人で帰宅したことについて聞いてくるのだろうか。そう思った芽香美だが、どうやら違うらしい。


「お空にいたの?」

「はぁ?」


 お空、とは空のことだろう。

 何故そんなことを成美が聞いてくるのかが解らない。

 確かに芽香美は昨日、クトゥグァと戦うために上空で楽しいダンスを踊っていたが、地上からは見えないはずだ。少なくとも肉眼で正確に捉えられる距離ではない。気づいて、注視して、ようやくそこに何かがあるかも、というレベルだろう。

 ふと、成美を見ると泣きそうな顔をしているのが解った。


「芽香美ちゃんがね、怖い何かと戦うところを、ずっとずっと夢に見てたんだよ~……」


 成美は今、何と言ったのだろうか。


(正気かこいつ)


 芽香美が人に向けて一番思ってはいけないことを思いつつ、成美を観察する。

 一瞬芽香美は、成美もこの世界がループしていることを多少なりとも自覚しているのかもしれないと思ったが、それは違うと断定した。

 芽香美は昨日初めてクトゥグァと戦った。これまでの繰り返しの中でそんなことは一度もない。存在自体を昨日初めて認識したのだから間違いない。


「芽香美ちゃんがね、みんなを助けてくれるの……。でもね、すっごく痛い思いをしてるの……。だからね、怖くていつも目が覚めるんだよ~……」


 確かに芽香美はこれまでの世界でどこかの誰かを救ってきたことがある。成美が言っているのはそれとは違うのだろう。


(まさか予知夢とか言うんじゃねぇだろうな?)


 繰り返しをしている自分。

 クトゥグァを打倒した魔力。

 そういった力があるのなら、予知夢などという荒唐無稽なものもあながち否定は出来ないのかもしれない。


「昨日、芽香美ちゃんがバスから飛び降りて行ったときね、すごく怖かったんだよ~……。目が覚めるときと、同じ感じだったの……」


 それからずっと、成美は騒ぎ出す周囲の教師や児童とは違い、ずっと芽香美が走り抜けて行った方角、山頂に視線を向けていたのだという。

 その結果、一瞬だったが空に向かう黒い光を見たらしい。


「で?」


 とはいえ、成美がそれを知っていたところで芽香美には何も関係がない。

 危ないからやめろ、とでも言うつもりなのだろうか。そうなったら金輪際、成美と関わることはなくなるだろう。


「だからね、ありがとうだよ~……!」


 ついには泣きだした成美。頭を一生懸命下げて、感謝を伝えてくる意味が解らなかった。


「はぁ?」


 心底成美の行動が理解できず、芽香美は首を傾げずにはいられなかった。

 何故成美が感謝するのか。泣いているのか。

 元から良く解らないことをする成美だったが、今回ばかりは一から十まで意味不明だ。


「えへへ、芽香美ちゃんは、正義の魔法少女だったんだね~……」


 そう言って目頭の涙を手で拭いながら、はにかむ成美。


(こいつやっぱ正気じゃねぇ)


 芽香美はそう思わずにはいられなかった。


「成美ちゃん! 大丈夫ですの!?」


 明日香が叫ぶようにして駆け寄ってきたのは、そんな時だった。


「郁坂さんに泣かされたんですの!?」


 成美を抱きしめるようにして、芽香美から距離を取らせる明日香。ハンカチを取り出して涙を拭っている。


「またうるせぇ奴が増えやがった……」


 苛立ちに任せて思わずそんなことを呟いて頭を抱えたのが悪かったのだろう。


「郁坂さん! どういうおつもりですの!?」


 明日香は激怒した。

 少し苛立ちを覚える。


(まぁ、まて私。今回は殺さないって決めただろぅが)


 自分にそう言い聞かせ、手をスカートのポケットに突っ込んだ。外に出していると勝手に動くかもしれない。念のためだ。


「聞いていますの!?」


 教室内がにわかに騒ぎ始めるが、明日香は気付いていないだろう。


「聞いてたら何だ?」


 挑発してみる。かつての親友から本気で嫌われ怒られる。苛立ちは覚えるが、これはなかなか興味深かった。


「明日香ちゃん、違うよ~」


 抱き寄せられてた成美が、今度は明日香をさらに抱き寄せた。


「な、成美ちゃん?」


 被害者のはずの成美が否定したことで混乱したのか、明日香は成美に顔を向ける。


「芽香美ちゃんは、私たちを守ってくれたんだよ~。だからね、嬉しくて泣いちゃっただけなんだよ?」

「ま、また夢のお話ですの? そんなことあるわけありませんわ!」


 明日香もその話を聞かされたことがあったのか、一瞬困った顔をして、けれどそれを振り払うかのように真っ直ぐ成美の顔を見つめる。

 芽香美はそんな話を聞いたことがない。成美や明日香と親友になったいつかの時、そんな話は一切出てこなかった。

 本人だから言わなかったのか、それとも今回が特別なのか。

 これは少し考えても良いだろうと、芽香美は脳裏に刻み込んだ。


「この人がどんな人なのか、成美ちゃんだって解ってるはずですの! いくら成美ちゃんが優しくしても冷たいですし、昨日なんて勝手な行動をして帰ってしまったんですのよ!? まともな人ではありませんの!」


 正解正解大正解、と芽香美は拍手喝采をプレゼントしてあげたい気持ちになったが、二人のやり取りが少し面白いことになってきたので、傍観することに徹する。


「そんなことないもん……」


 成美はまた泣きそうだった。


「成美ちゃんは騙されているだけですわ!」

 騙すならもっと上手く騙す方法がいくらでもある。とは言わない芽香美である。


「いい加減目を覚まして下さいまし! 郁坂さんはおかしいんです! 何度も言ってますけど、郁坂さんとはもうしゃべってはいけませんの!」


 お望みとあらばおかしさを証明してやろうか、


「そんなことないもん……!」


 と思う芽香美を成美が否定する。


「何故解らないんですの!? このままでは、成美ちゃんまでおかしいと思われてしまいますわ!」

「そんなことないもんっ! 芽香美ちゃんのことを悪く言う明日香ちゃんの方が、ずっとずっと悪いよ~っ!」

「な、成美ちゃん……!?」


 涙をこらえきれず漏れた悲しげな泣き声と共に廊下へと走り去っていく成美。明日香は声もなく呆然と立ち尽くす。

 それも一瞬の出来事。


「ま、待って下さいまし!」


 慌てて追いかける明日香に、芽香美は静かに立ちあがった。

 手を叩き、拍手を送る。先ほど明日香が正解したときの分も含めて、強く、盛大に、校舎の全てに響き渡れと言わんばかりに手を叩く。

 周りのクラスメイトは完全に引いて困惑していた。

 その光景は、予鈴が鳴り担任の教師が教室に入ってくるまで続いていた。














「はぁー……」


 これで何度目か解らない重苦しいため息が、芽香美の部屋に小さく響いていた。溜息の主は誰あろう、エリウルールにてその名を知らぬ者など存在しない、系統魔術師筆頭の『青の魔術師』リョウである。

 リョウは先ほどから尿意を感じており、下腹部に力を込めて我慢している真っ最中だった。

 瞳は濁っている。魔力は多少回復しているが、度重なる芽香美との熾烈な戦い(一方的)によって、傷ついた身体を順次回復魔術に当てざるを得ないため、魔力自体の回復が追いついていなかった。そのため、現在もまだリスの姿である。


 エリウルールにおける魔術師は魔力の枯渇は生命に直接関わってくるため、著しく魔力を失った時は小動物などの小柄な生物に変化し、魔力を温存する習わしがある。これは、魔術師として生まれながらにして組み込まれているものだった。


 リョウの場合はリス。家系によるものだ。


 魔力が回復さえすれば元の姿に戻れるのだが、戻れたとしてもこの部屋で元に戻るわけにもいかないだろう。

 万が一にでも一緒に住んでいるであろう芽香美の家族に目撃されてしまっては、リスとして見つかるより言い訳が立たない。


 リョウは男だ。それも、ようやく青年に一歩足を踏み入れたくらいの年齢。そんな男がイタイケなショウジョの部屋にいる姿を見られてしまえば、主にリョウの命が確実に失われることになるだろう。社会的な意味で。


「はぁー……トイレ……」


 部屋から出られないリョウは、小さなその身体を起こして部屋のドアへと視線を向けた。

 この小さな身体では、ドアが開けられない。ドアノブに手が届かないのだ。

 飛翔魔術すら使えないほど、今のリョウに魔力は残されていなかった。


「ていうか、あの子何なんだよ」


 両手両膝を床に付け、頭を垂れるその姿は、完全に敗北者の装いだった。


「絶対に狂ってる。頭のネジが何本か抜けてるよ」


 芽香美が聞けばその程度で済むか、と首を傾げそうではあるが、リョウはまだ芽香美という存在を把握していないので仕方ないだろう。

 ともあれ、リョウにとっては圧倒的な力によって有無を言わせぬ存在であり、ほぼ心は折れかけていると言っても過言ではない。


「だいたい何さ、僕がどれだけ苦労して今の力を手に入れたと思ってるんだよ。それを何、たった一瞬で? クトゥグァと? 戦って? 勝つ? もう本当、もう……ヤメテ」


 昨日からずっと、リョウは答えのない問題に取り組んでいる。このままではリスとしての体毛が全て抜け落ちるまで考えてしまいそうだった。


「そもそも、何であの子は全然答えてくれないんだ」


 きっと芽香美からは、その方が面白いから、という解答が返ってくるのだろうが、リョウのあずかり知らぬところだ。知らない方が良いとも言う。


「まだクトゥグァしか倒してないっていうのに、この調子じゃあ封印なんて──」


 そこまで嘆いて、リョウはふと首を傾げた。


「──封印してないじゃん」


 すっかり忘れていたが、クトゥグァは芽香美の放つ黒い光に吸収されただけで、封印の術式を施していないことに気が付いた。

 そもそもズィーア大陸という広大な土地全てを使って封印しなければならないほど、相手は強大だ。それが、人間の少女という小さな存在の内に吸収され、今なお無事でいる。


「ははは、なるほど、解らない」


 実はクトゥグァって大したことないのではないか、と少し思ったが思い直し、リョウは自分がいくら考えてもきっと解らないのだろうという結論に至った。

 芽香美という存在は封印が解けた神の獣の一体だ、と言われた方が納得しそうだった。


「戻る方法を考えないと」


 とりあえず現状の問題は全て脇に退け、リョウはエリウルールに戻る方法を考えることにした。

 こちらの世界に来てしまった原因も解らない上に、クトゥグァだけがリョウとともに来たのか、それとも他の神の獣もこちらにいるのか、それも解らない。

 こちらの世界には何故かクトゥグァを倒してしまったおかしな存在がいるが、エリウルールは違う。向こうには名立たる魔術師が数多く居るが、それでもたった一人で神の獣に立ち向かえるようなレベルの魔術はリョウを含めて五人が精々だ。


 ズィーアを代表するリョウのように、それぞれの大陸を代表する系統魔術の筆頭たちではあるが、リョウもクトゥグァ相手に一度は敗戦した。他大陸の筆頭がリョウと同じく敗戦しないとも限らない。

 そうなれば、戦況は一気に悪くなるだろう。

 封印が解けてすでに五日が経過している。放置すればエリウルールという惑星は消滅の危機に瀕すると断言できた。

 ならば、戻らなくてはならない。


(ヨグ=ソトース)


 かつて父親から聞いた、ありとあらゆる場所、時間を結ぶ門、ヨグ=ソトース。

 リョウやクトゥグァがこちらの世界に来てしまった原因がソレであるのかは解らない。

 だが、今リョウが考えられる中で唯一の手段はヨグ=ソトースの門しかなかった。


(どこにあるのか、どんなモノかも解らない……。でも、見つけないと!)


 リョウは立ち上がった。

 使命感ばかりではない。エリウルールに住まう一人の人間として、魔術師として、このまま神の獣に蹂躙されるなど我慢がならなかった。


(待ってて、皆! 必ず帰る!)


 リョウは新たな決意を胸に、身を起す。

 見捨てられるわけがない。

 魔力が足りないのも関係ない。

 何が何でも回復させ、必ず元の世界に帰ると誓う。

 その時である。


「……ッ!」


 リョウに衝撃が奔った。


(魔力反応!?)


 ふいに感じた強大な魔力の奔流。

 リョウの危機感が一気に膨れ上がり、警鐘を鳴らす。


「くッ!」


 リョウは脇目もふらず走り出した。

 が、


「そ、そうだった……!」


 ドアノブに手が届かない。

 壊そうにも今のリョウは単なるリスだ。破壊することさえ出来ないだろう。

 その間にも膨れ上がる巨大な魔力のうねり。

 抑えているからか、今は小さくしか感じない芽香美の魔力反応、そのすぐ近く。

 リョウはその場所から、腐敗臭すら感じそうな醜悪な魔力反応を感じていた。


「これはモルディギアンか!?」


 食屍鬼、またはグールと呼ばれる魔物の頂点に君臨する神の獣。

 死を操り、触れもせず相手を死に至らしめることさえ可能だと伝えられている。


「奴がこの世界に来たのか!?」


 モルディギアンが封印されていた大陸、アストラーリオ。自然に囲まれた緑豊かな大地は、土地柄に相応しく『緑の魔術師』が筆頭を務める、土系統の魔術師を多く輩出している。

 土系統の魔術師は防御に特化しており、そう易々と敗北するとは思えない。


 だが、この魔力反応は間違いなくモルディギアンだ。リョウと同じく『緑の魔術師』と共に何らかの要因でこちらの世界に来てしまったのかもしれないが、現状、モルディギアンと芽香美以外の魔力反応は感じられない。リョウと同じく魔力枯渇状態、もしくはそれに近い状態ならば感じられないのも納得できる。

 いずれにせよ、危機的状況に変わりはないだろう。芽香美が近くにいるが、クゥトゥグァの時とは状況が違う。モルディギアンはクトゥグァのように単体で襲ってくるわけではないのだ。モルディギアンそのものも恐ろしい存在であることに変わりはないが、最も恐れるべきは配下の存在だ。


 頬を冷たい物が伝う。


 一刻も早く現場に駆けつけて確かめるべきだ。

 それが叶うならそうしている。

 だが、今のリョウに魔力はほとんど残されていなかった。

 ドアが、立ちはだかっている。


「ッ!?」


 さらに運の悪いことに、壮絶な危機がリョウを襲った。


「もう、我慢できない……!」


 膀胱が限界だった。
















 授業が始まっても、成美と明日香は教室に戻っていなかった。

 二人は今まで授業をさぼったことがない。教室にいないことに担任の女性教師も不安を覚えたのか、クラスメイトに事情を知っていないか確認し、二人がケンカをして飛び出して行ったことを聞きだしていた。

 ケンカの内容に芽香美が関わっていることも聞き及んでいるはずなのだが、どういうわけか教師は芽香美に話を振って来ない。

 芽香美としては楽で良いのだが、腑に落ちないものを感じていた。


「せ、先生、郁坂さんにも話を聞いた方が良いんじゃないですか?」


 児童の一人が、勇気を振り絞りました、と言わんばかりに恐る恐る提案する。


「あ、大丈夫です」


 即答である。

 今回は流されるままに生きていただけだが、それでも自由に生きてきた。学校には毎日通っていたが、少し自由の度合いが常識から離れていたのだろうかと、芽香美は自問自答する。


(この前、こいつに恋愛について延々と質問攻めしたのが不味かったのか?)


 芽香美としては恋愛経験ゼロの大人が持つ価値観というのが気になって聞いただけなのだが、それ以来よそよそしくなってしまったので、原因はそれしか考えられないだろう。


 曰く、「教師という職業は出会いがないの! 悪い!? 三十路にもなって処女で悪い!?」らしい。


 学生時代にも経験がないのなら職業も関係ないような気がして、芽香美は半泣きになっていた女教師に追い打ちをかけるべきかどうか悩み、実際に指摘してみたら大泣きして逃げ出したのを記憶している。

 情緒不安定らしい。


「とにかく、先生が一度探して来ます。みなさんはここで自習していて下さい」


 教師の言葉に特に不平不満は出ない。成美や明日香と仲が良かったであろう児童は戸惑いの表情を表していたが、むしろ授業がなくなったことに喜ぶ児童の方が多い。

 教師がドアに近付く。そのタイミングでドアが開く。


「……え?」


 間の抜けた声が教師の口から零れ出て、次の瞬間にはその身体が宙を舞っていた。

 周囲の児童はその光景に何の反応も示せないままに、教師は教壇へ叩きつけられる。

 教師は教壇もろとも盛大な音を奏でて床に転がった。


「うわぁあああああっ!?」

「せ、先生ー!?」


 教室内は一気にパニックへと陥った。陥ってなお混乱しているのか、誰も動かない。動けない。

 教師がドアへと近づいた瞬間、ドアが独りでに開いて教師がナニカに吹き飛ばされたのだ。意味が解らなかったことだろう。


 床に、赤い液体が床に広がっていく。

 教壇は堅い木材と鉄板で出来ていたというのに、ひしゃげて原型を留めていない。

 そこに、ドアの向こうからナニカが侵入して来た。

 赤黒い皮膚は薄汚れた体毛で覆われ、灰色に濁った瞳は何も映していない。

 三本しかない指が小刻みに揺れ、そこから伸びる爪がぶつかり合って異音を奏でている。

 大きく突き出した背中は猫背よりも折れ曲がり、そこから生える頭部は犬にも豚にも見えた。

 口元は肉食獣を思わせる牙が見える。だらしなく飛び出た舌先から粘性の高い唾液が床へと滴っていた。


 そんなナニカが、二本足で立っていた。


「ォォオオ……オオオオオオオオオ……」


 無理やり声帯を震わせているかのような音と共に、肉か腐ったかのような異臭が教室内に漂った。

 教師が何故倒れているのが解らない。

 侵入してきたナニカが解らない。


「いやーっ!」

「ば、ばけものーっ!?」


 解らないからこそ、児童は混乱の中にあっても本能によって動き出す。

 机や椅子を蹴飛ばし、ナニカが立つドアとは反対側のドアへと群がった。

 そのドアが児童の手によって開かれる前に、ゆっくりと開いてく。


「あ、あああ、あ」

「うそ、うそでしょ?」

「ひぃっ」


 恐怖と混乱の声が響く中、ナニカがこちらのドアからも侵入してくるという恐怖に、群がっていた児童は後退を選択せざるを得なかった。


 このナニカは何なのか。

 教師は何故倒れたのか。

 自分たちはどうなってしまうのか。

 誰もがそんな恐怖と混乱に陥っている。


「よぉ、焼き鳥の次はお前らか?」


 ただ一人、ナニカに向かって平然とそう告げた芽香美を除いて。

 芽香美はリョウが感じたタイミングとほぼ同時期にナニカを感じていた。それも、自分のすぐ近くから。

 昨日みたいなハッピータイムが始まる予感を覚えながら、しかし、未だ魔力になれていないためこの感覚がリョウの言っていた魔力反応なのか解らず、とりあえず様子を窺っていたのである。

 それが功を奏したのか、あちら側から現れてくれたのだ。

 芽香美は確信した。殺しに来たのだと。


 炎に焼かれて死んだ昨日。

 それを突破したと思ったら、今度は愛らしいゆるキャラが殺しにやってきた。

 全力で抱きしめ、そのまま愛し合いたい所存である。


「来いよ」


 黒い光が、迸る。

 騒がしい児童などすでに眼中にない。

 見据えるのは、二体のナニカだ。


「ォォォオオオオオオオオオオ!」


 芽香美に近い方、児童が群がるドアから現れたナニカが跳躍。

 刺殺さんとばかりに長い爪が接近する。


「情熱的なのは嫌いじゃないぜ?」


 語り合おう。

 愛し合おう。


 甘美に濡れる愛情のままに。

 素敵なプレゼントを携えてやってきた王子様のために。


「臭ぇのは減点だがなッ!」


 芽香美より溢れ出た情熱がそのまま黒い輝きとなり、拳という形で返礼された。


「────」


 声はない。

 たっぷりの愛情を注がれた拳が爪を避け胴体に突き刺さった瞬間、ナニカは音もなく弾け飛んだ。

 内側から爆発でもするかのように四散し、紫の液体と臓物をぶちまけながら床へと還っていく。


「ひぃぃいいいいいいいっ!? あぁ……ぅ」


 運悪く液体と肉塊が降り注がれた児童の誰かが、喜びのあまり歓声をあげて失神した。


「ああ? 脆すぎだろ」


 思っていたのとは違う脆さに、芽香美は訝しむ。


「てめぇはどうだ?」


 念のため、もう一体のナニカに視線を向ける。

 爆風を生み出して接近し、同じ様に拳を振り抜いた。


「はぁ?」


 結果は同じだった。こちらのナニカも等しく四散し、未だ床に倒れ伏す教師へとその破片が降り注がれた。


(おいおいおい、弱過ぎだろ)


 拍子抜けも良い所だった。確かに一般人と比べれば強いのだろう。現に教師は出血し、気を失っている。

 だが、死んでいない。

 これでは芽香美を殺せない。

 これでは芽香美は愛せない。

 先のクトゥグァも確かに驚異とはならなかったが、それでも魔術を使わせた。それなのにこの様は何なのだろう。

 そんな芽香美の期待に、世界が応えたのだろうか。


『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』


 校舎の窓が震えるほどの大声量が響き渡った。

 吼える、吠える、咆える。

 校舎の至る所から肌を逆なでる怨嗟の声が波状に迫りくる。



「キャーーーーーーーーーーーっ!」



 同時に悲鳴が聞こえた。

 遠くから、廊下から。

 それは聞き覚えのある声。

 一度は親友となり、一度は殴ったことのある少女の声。


「ッ!?」


 その呼びを聞いた瞬間、芽香美の心が奮えた気がした。
















 教室を飛び出した成美は、拭っても拭っても湧き出る涙を堪えながら廊下を走っていた。

 うるんで霞む視界では前も良く見えず、何度も転びながら、それでも走っていた。

 芽香美に感謝を述べたのは初めてだった。

 明日香を憎悪したのは初めてだった。


 成美はずっと夢を見ていたのだ。


 黒く塗りつぶされた怖いナニカと、黒に塗りつぶされた優しいナニカが争っている夢。

 漠然としたイメージでしかないその世界で、怖いナニカが成美を侵食してくる。優しいナニカはそれを必死になって防いでくれていた。

 そんな夢を幼い頃から度々見ることがあり、その夢を見るたびに泣いていた。母親にすがり、背中を優しく撫でられながら。


 見るたびに夢は怖くなっていく。


 母親にあやされながら、幼稚園で出会った明日香に相談しながら、それでも襲い来る悪夢は日に日に成美を蝕んでいた。

 挫けることは出来ない。

 弱い成美が簡単に押しつぶされそうな怖いナニカでも、優しいナニカが護ってくれている。そう思うと、成美は笑顔を忘れてはいけない気がしていた。


 だから笑う。


 私はこんなにも元気なんだよ、と。

 優しいナニカのおかげで今日も楽しく過ごせるんだよ、と。

 小学生になったある日、芽香美の姿を見つけた。

 悲しい顔をしていると思った。

 成美は楽しいことが大好きで、優しい母親が大好きで、成美のことを一番に考えてくれる明日香のことが大好きで、一緒に遊んでくれるみんなのことが大好きだった。


 なのに、見つけた少女は悲しい顔で、誰ともしゃべらず、けれども──笑っている。

 そう、郁坂芽香美は笑っていた、嗤っていた、哂っていた。

 難しいことなど何一つ理解できない成美でも、芽香美の浮かべる笑顔が間違っていることくらいは解った。

 漠然と、ナニカに苦しんでいるのだと、ナニカに謝っているのだと、直感した。

 その笑顔はどこか自分に似ている気がして。


 心の底から感謝の笑顔をナニカに捧げる成美。

 心の底から懺悔の笑顔をナニカに捧げる芽香美。


 成美には解らない。何故そう感じたのかも解らない。解らないままに、ただ、芽香美という少女が夢に出てきた優しいナニカと被って見えた。

 次に夢を見た時、優しいナニカは芽香美の姿をしていた。黒いナニカをまとい、怖いナニカと戦う芽香美の姿だった。


 成美は知った。ずっと護ってくれていたのは、芽香美だったのだと。

 明日香には声をかけるなと散々言われていた。

 それでも成美は、芽香美にいつか感謝の言葉を言いたくて。


 自分でも自分がおかしいとは思っていた。

 それでも成美は、芽香美に許しを請いたくて。

 だからこそ成美はずっと芽香美を見ていた。どれだけ冷たくされようとも、どれだけ嫌われようとも、護ってくれる優しいナニカが大好きだったから。

 確信に変わったのは昨日だ。見えたのは一瞬だったが、芽香美が走り去っていった山頂から黒い光が見えたのだ。


 夢で見たように、夢を見たように、その黒い光は暖かかった。


 きっと、芽香美のことを悪く言う明日香は間違っていないのだろう。間違っているのは成美の方なのだろう。

 それでも幼い成美には耐えきれず、大好きな明日香に大きな声を出してしまった。


 嫌われただろう。


 こんなにも成美のことを大事にしてくれる明日香を否定したのだ、嫌われて当然だ。

 それも悲しい。

 だから、それは成美への罰だったのだろうか。

 あんなにも想ってくれる明日香を踏みにじったことへの、断罪なのだろうか。


『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』


 底冷えを誘う深く暗い呼び声が、成美を襲った。


「な、な~に、今の声……?」


 思わず立ち止まり、周囲を見渡す。

 誰もいない。

 誰もいないはずだった。


『ォォオオオオオオオ……』

「ひぃ!?」


 今の今まで何もなかったその空間に、目の前に、ナニカが居る。

 異臭を放つ汚らしい緑色の光に包まれて、それは顕現しようとしていた。

 光が薄れ、ナニカが完全に姿を現した。


「ォォォォオオオオオオオオオオ!」

「い、いやぁ……いやだよぉ……」


 見た事もない醜悪な存在に、成美は尻餅をついて後ずさる。

 涙で歪んだはずの視界は何故かしっかりとその存在を明確に捉え、目を逸らしたいのに逸らさせてくれない。


「ォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオッ!」


 怖いナニカが襲い来る。

 怖いナニカが現実のモノとなって迫り来る。


「キャーーーーーーーーーーーっ!」


 成美は悲鳴を上げた。


(芽香美ちゃん!)


 そして願う。自分勝手な願いを。

 悲しい笑顔の芽香美を優しいナニカに投影し、それが自分を救ってくれるのだと夢想して、どうか助けてほしいと懇願する。

 その願いは、


「安心しなさい」


 成美の前に現れた誰かの背中に聞き届けられた。

長いので分けます。

読みにくい部分、誤字脱字等ありましたら、もうしわけありません。

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