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正義の魔法と狂った少女  作者: 厨二と変態が友だち
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第一話 魔法少女?

バトル開始。

狂っちゃったならとことん狂わせたい。

狂ってるかな……?

足りないかも。

 その日、郁坂芽香美は春の遠足の日を迎えていた。

 校門の前に集まる三年生一同の中に紛れ、バスに乗る前の注意事項を担任の教師から受けている真っ最中だ。


 周りを見ればクラスメイトはみんな笑顔で、遠足を楽しみにしていることが良く解る。


(クソガキどもがうるせぇ……)


 ただ一人、芽香美を除いて。

 怒り以外の何の感情も顔に出さず、ただ、流されるままにここに立っている。


 元々は笑顔の良く似合う女の子だったはずだ。少なくとも、五歳になるまでの芽香美はそうだったと、母親から何度も言われた。


 何か辛いことでもあるのかと何度も聞かれたが、その度に芽香美は偽りの笑顔を向けたこともあるし、殺意の形相を向けたこともある。


 誰に言っても理解されない苦しみを、芽香美だけが抱いて今日を生きている。

 生きているだけ、ともいうが。


 もう生きる気力も失い、かといって狂ったり暴力を奮ったりすれば自由を失うことは経験上嫌というほど理解している。


 ならば、流されるままに生きれば良い。

 感情が動く事があれば、その時だけ楽しめば良い。そんなことがあればの話であるが。

 芽香美が唯一今も残している感情は、怒りだけだ。無感情すら、また乗り越えてしまったのだろう。あと数回も繰り返せば、きっとまた暴力を奮う日々がやってくるかもしれない。殺した先の結果は見えているが、この怒りが静まって何も考えられなくなるのなら、それもまた良いだろうと思っている。


 そう考えながらも、今の芽香美は、ここ数十回の芽香美は怒りを抑え込むように生きていた。

 自分からは何もせず、死なず、救わず、ただ生きているだけ。他人との繋がりも、ずいぶん前に断ち切った。飯を食わせてくれる親以外に、芽香美から話しかける相手などもういない。


 だが、そんな今回の人生も今日で終わることを知っている。

 どうせ、このあとバスに乗って目的地に行き、山に入ればクラスメイトも教師も全員焼け死ぬのだ。


 そして、繰り返す。


(次は殺すか。そういえば、何回か前まで救ってばっかりだったもんな……)


 教師の話が終わり、皆が割り振られたバスの中へ嬉々として乗り込む姿を後ろから眺めながら、芽香美はそんなことを思っていた。


「芽香美ちゃ~ん! 速く乗ろうよ~!」


 そんな芽香美の手を、クラスメイトの一人が手に取って引っ張る。

 美浜成美。

 繰り返す世界で、仲良くなった事もある女の子だ。毎度のことだが、芽香美が話しかけずともすり寄って来て笑顔を振りまく、能天気を絵に描いたような少女だった。


 最初の内はこの笑顔にも救われていたが、いつしか鬱陶しくなり、何度目かの時に手を上げた事もある。それでもこの成美という少女は芽香美を許した。

 殴られてなお、友だちになろうと、改心させようと、奮闘してきた。


 自分に課したルールによって殴ることを良しとしなくなり、その内に放置するようになってからは、なるようになれと身を任せている。

 そうすることでしか、芽香美は自分を保てなかった。


「解ったっつーの、クソ」


 せめてもの抵抗に悪態を吐く芽香美だが、そんな程度で成美がどうにかなるのなら苦労はしないだろう。

 それとなく手を解いて後についていくことにする。


「ちょっと郁坂さん! 成美ちゃんに向かって何て口の利き方ですの!?」


 ついて行こうとして、後ろからの声に足を止めた。

 そこに居たのは案の定、柊明日香だった。


「成美ちゃんに謝って下さいまし!」

「ああ?」


 芽香美も何度か友だちになったこともあるこの明日香は、成美のことを大事にしている女の子だった。

 成美も明日香のことを信頼しており、二人は親友と言って良いだろう。

 その中に、自分も含まれていたこともある。


「ふん」


 だが、今回は違う。親友になったのも随分昔のことだ。

 未だに名前を憶えているだけでも、自分を褒めてやりたいと思うくらいには付き合いがない。


「ちょっと、郁坂さん!?」

「明日香ちゃん、もう良いよ~。私は気にしてないよ~?」


 成美が止めに入るが、明日香はまだ芽香美のことを睨んでいる。

 ここ数十回の人生において、明日香に嫌われないことがない。それは単に、芽香美が成美に対してそっけない態度を取ったり、悪態を吐いたり、たまに絡んでくる男子を殴り飛ばしたりしているからだった。


 素行も口も悪く、優しく接しようとしている人にも冷たい。

 真面目で優等生タイプであろう明日香にとって、芽香美は許せない存在になってしまったのだろう。


 少し成美に甘くし、話を合わせればすぐに親友になれるというのだから、困ったものだ。


 そんな明日香を芽香美はいつものように無視し、バスに乗り込む。成美がなんとか宥めたのか、視線は感じるものの絡んでくることはなくなったので、それ以降は思考から外すことにした。


 座席はいつもと同じ、後方左の窓側だ。

 その隣には誰かが座る。その誰かの名前を芽香美は覚えていない。顔すら見ない。

 これも変わらない、いつものことだ。覚えた所でどうしようもないのだから。


「遠足楽しみだね~!」


 満面の笑顔で誰かにしゃべりかけている成美の顔が視界の隅に見えたが、もう少しすれば焼き爛れることを芽香美は知っている。

 悲鳴も無く、一瞬で炎に焼かれて死ぬ瞬間を何度も見た。


「ちっ」


 芽香美はその光景を振り払うかのように、窓の外へと視線を向けた。

 誰が死んでも、もう芽香美の心は動かない。それでも、成美のあの笑顔が焼き爛れる瞬間を思い出すと、少しだけ心がざわついた。


 もう諦めたはずなのに心が動いてしまう。その事に苛立ってしまう。

 それさえも乗り切れば、きっと芽香美は生きながらにして死ぬのだろう。何も考えることなく、眠り続け、死に、繰り返し、眠り続け、死に続けるだけになる。


 この苛立つという感情さえも失ってしまえば、きっと楽になる。

 色々な知識と経験がまだ自分を生かしているが、それさえも擦り切れれば、きっと、今度こそ。

 芽香美はただ、その日を待っているだけの状態だった。

 バスが動き出す。


「でねでね~、そのテレビがね~」

「昨日うちのお兄ちゃんがさ~」

「お弁当が~」


 バスの中は騒音で満ちていた。

 クラスメイトの楽しそうな声が響いている。

 芽香美はそれに一切関わることなく、成美以外がしゃべりかけてくることもなく、例え成美がしゃべりかけてきてもなお、窓の外を不機嫌そうな表情で睨みつけているだけだった。


 賑やかな車内に苛立ち、その苛立つ自分にさえ苛立ち、その苛立ちに狂うことも面倒だと思いながら。

 目に映るのは窓ガラスに反射する己の顔。その顔は酷いものだ。精神の負担から睡眠もろくにとれていないため目の周りには色濃い隈があり、半眼の瞳に光はない。眠るのは、いつも限界を迎えて気絶する時だけだ。


 その眼光だけで人を殺せるのではないかというほどに凶悪で、見ているはずなのに何も見ていない。

 闇を覗き込んでいるかのように淀み、暗く、深淵につながっているのではないかと錯覚するほどに深かった。


 この目で殺し、この目で救ってきたのかと思うと、思ったとしても、芽香美は何も感じない。ガラス越しに自分を見ているというのに、その自分さえもどうでも良いという瞳だった。


(ああ、死にてぇ)


 この世界から解放されたい。そのことだけを祈り続け、そういえば今ここに居るということは、今回は焼け死ぬんだよなぁと、他人事のように考えながら過ごし、一時間が経過した頃だろうか。


「ん?」


 芽香美はふと、今まで見たことのないモノを目撃した。

 それは一瞬の出来事。

 そろそろ目的地が近づき、ハイキングコースのある小高い山が見えた頃だ。頂上付近に、真紅に染まる鳥が見えたような気がした。

 今までになく、心が動く。

 その一瞬の目撃で、思考よりも速く芽香美の中のナニカが確信を得からだろうか。


(なんだ、今の……)


 次の瞬間には跡形もなく消え去っていたが、芽香美は確かに見た。

 遠くてはっきりとは見えなかったが、紅く燃える炎の鳥。

 まだ数十キロはありそうなこの距離で、たとえ微かだとしても肉眼で見える鳥だ。

 間違いなく、巨大だった。

 周囲を見渡しても、芽香美以外に今の異変に気付いた者はいない。

 今までの芽香美も、その異変に気付くことはなかった。


 それは偶然だったのだろうか。

 それとも、今日は何かが違うのだろうか。

 芽香美の中のナニカが騒ぐ。


(まさか……)


 嫌と言う言葉さえ飽きるほど焼き殺された。

 どこにいても焼き殺された。

 炎と言う概念に愛情を抱いたことさえあるほど、炎を知っている。

 一番速く焼かれるタイミングは、この遠足に参加した時だったのを知っている。

 国外に居る時は、日本が真っ先に灰燼と化していたことを知っている。


(まさか……!)


 普通ならまず自分の眼を疑うだろう。精神を疑うだろう。

 だが、芽香美は知っていた。

 何故か、自分だけが繰り返していることを。

 最後は焼かれて死んでいることを。

 ならば、疑うはずがなかった。


(──アイツが!)


 芽香美の中の何かが確信を得たそれに、思考が追いついた。

 もう希望は見ないと誰ともなしに許しを乞うたはずなのに、死なせてくれと今の今まで願っていたはずなのに、芽香美は見つけてしまった。

 まだ、苛立ち以外で心が動くナニカを。


 バスは目的に向かって走って行く。

 到着して数時間の猶予はある。その間に、今のナニカを見つける。今回見つけられなくても、次回は見つける。

 見つけた所で、理解した所で、抗えないかも知れない。

 その恐怖はある。


 けれど、見付けてしまった。気になってしまった。芽香美がまだ芽香美として生きている内は、その衝動を止められない。

 心が死ぬその日まで、眠るだけになるその時までは、芽香美は止まれなかった。








 目的地に到着したバスから順に、児童が教師の後について降りて行く。

 そんなの知ったことかと、芽香美はバスのドアが開いた瞬間に駆け抜けた。


「キャッ!?」

「うわぁ、なんだよ!?」

「ちょっと、郁坂さん! 止まりなさい!」


 誰かの驚いた声を聞かず、教師の静止の声も振り切って、芽香美は走った。

 母親が愛情を込めて作ってくれた弁当はリュックサックと共にバスに捨ててきた。

 そんなもの、焼けて炭も残らない。


 いくら知識があっても、習慣化してしまった鍛練を惰性で続けていたとしても、ここから山頂まで体力が続くわけがない。

 だからどうした。

 どうせ死ぬのだから、すべからくどうでも良いことだ。


(どこだ! どこに居る!?)


 芽香美はわき目も振らず、酸素が足りなくなる身体にすら意識を向けず、あの炎の鳥が飛んでいた山頂を目指す。

 ハイキングコースからはとっくに外れている。外れなければ焼き殺されるまでに山頂に辿り着けない。草木をかきわけ、ただ真っ直ぐに、崖を登り、飛び越えられそうな谷は飛び越え──、ようとして、そこで冷静になった。


(くそ、三年は地味になげぇな……!)


 死んだら三年も待たなければならない。流されて生きている間は時間感覚もまばらで、あっという間に過ぎ去ることもままあるが、今、怒りとは違う別のナニカで心が騒ぐ芽香美が三年という時間を長く感じている。

 死ねば今日という日まで我慢しなければならない。

 いつもより慎重に事を成すべきだと、思考を切り替えた。

 辛うじて飛び越えられそうではあるが、下に落ちたら山頂に行けるような身体ではなくなるだろう。その間に焼け死ぬだけだ。


 谷を迂回することに決め、それでも時間はかけないよう小走りに突き進む。多少、枝や葉が身体を傷付けても気にはしない。

 死なない程度に慎重に、それでもなるべく速く、山を登っていく。

 確実に、芽香美以外の同学年では不可能であろうその距離を、数多の知識と数多の経験、惰性とはいえ続けていた鍛練によって培った体力と筋力を使って、芽香美は駆け抜ける。


 こんなことならもう少し鍛えておくべきだったか、と後悔しそうになった頃、芽香美は息も絶え絶えになりながら、そこに到着した。


「なんだ……ここ……」


 辛うじて発した言葉は疑問だった。息を整えながら、そこの中心に向かって静かに歩み寄っていく。

 ここは山頂だったのだろう。周囲より少しは高かったはずだ。

 それが今、大量の土砂と薙ぎ倒された木々に囲まれ、大きなクレーターを造り上げている。

 中心部まで芽香美が立つ位置から数十メートルは確実にあるだろう。


「隕石か? いや」


 先ほど見た炎の鳥のせい、そう訴えかけるナニカが芽香美の中に存在している。

 芽香美はクレーターの中に足を踏み入れた。

 落差十メートルでは足りないであろう中心部に向かって、滑り落ちるようにして進む。

 近付くごとに焦げた臭いを感じ、それが予感を確信に昇華させていく。


「あっつ」


 中心部に降り立つと、熱を感じた。靴の下から立ち昇る熱気は、まだこの場所にクレーターが出来てからそう時間が経っていないことを示している。

 靴が溶けるかもしれないとは思ったが、足が火傷を負おうが溶けようが、とっくに痛みなどで怯む芽香美ではない。

 気にもせず地面や空に視線を向け、あの炎の鳥が居ないかを探った。

 と、芽香美の目に地面に投げ出されたかのように身体を横たえている小動物が映った。


「リス、か?」


 クレーターを作ったナニカに巻き込まれたのだろうか。

 それにしては、焼けても居ないし、傷を負っているようにも見えない。少なくとも、出血は見られなかった。

 リスへと近づき、つまみ上げる。


 頭や尻尾、足を重力に任せたままぶら下げるそのリスは、どう見ても死んでいた。

 死後硬直も終わっているのだろうか。揺らすと全身が揺れる。

 ふと、微かに小さな指先が動いたような気がした。

 瀕死なのか気絶していただけなのか、それとも見間違いか、もしかしたら生きているのか、それともやはり死んでいるのか。

 どうでも良いことだ。


「ふん」


 芽香美は振りかぶり、無駄な時間をかけてくれたリスに、八つ当たり気味に力を込めて投げ飛ばし、


「ちょっと待ってぇぇぇええええええ!」


 そんな悲鳴と共にリスが飛んで行った。


「……は?」


 芽香美は我が耳を疑った。

 今度こそ疑った。

 炎の鳥を見た時は疑わなかった自分の精神を疑っている。

 どれだけ異常な世界に生きていようとも、どれだけ自分が異常な存在であろうとも、どれだけ異常な存在を目撃しようとも、小動物が悲鳴を上げて飛んで行く姿を間近で見てしまった芽香美は、自分を疑うしかない。


「いや、嘘だろ」


 そうは思う。疑ってもいる。

 それでも確認はしておいた方が良いかも知れないと思い直し、芽香美は投げ飛ばしたリスを追いかけた。クレーターの外に向かって投げ飛ばしたが、追いかけてみるとそのリスは、むき出しになった岩にしがみついている所だった。


「お、おい。今のはてめぇか?」


 自分の正気を疑いながらも声をかけてみる芽香美。


「とんでもないよ! 君、とんでもないよ!? いきなり投げ飛ばすってどういうことさ!」


 言葉が返ってきた。


「マジかよ……」


 未知との遭遇である。

 リスはゆっくりと岩から降りると、芽香美の足下に駆け寄ってきた。


「目を覚ましたと思ったらまた気を失う所だったよ! 助けてくれたんじゃないのかい!?」


 リスが腰に小さな手を当てて、こちらを見上げて説教をしている。

 そんなことを考え、芽香美は今何を考えたのか意味が解らなくなった。


「リスって……なんだ……?」


 余りにも混乱し、哲学的な質問をしてしまう芽香美は自分が考えている以上に混乱しているようだと分析した。


「ああああ! そうだった! 気を失ってたんだ! すまない、君! こんな姿をしてるけど、僕はリョウ=フルカワだ! 少しで良いから魔力を分けてくれないか!?」


 リョウと名乗るリスがナニカを言っている。


「こんなことをしてる場合じゃないんだ! あいつが──クトゥグァがまた襲ってくる!」


 ナニカを必死になって説明している。


「何も知らねぇよ」


 芽香美は知らなかった。


「何を言ってるんだい!? この世界は今、クトゥグァに襲われてるじゃないか!」

「知らねぇ」


 知らない知識だった。


「君も魔力は持ってるだろう!? 速くしないとこの世界が! エリウルールが終わってしまう!」

「何なんだよそれ」


 知らないままに、心が、奮えていた。


「まさか君、僕を知らないのかい!?」

「知るわけねぇだろうが」


 知らないままに、リョウが与えてくる知識を、頭の中で整理していく。


「青の魔術師、リョウ=フルカワだ! 頼む! いつクトゥグァが戻ってくるか解らないんだ! 魔力を分けてほしい!」

「ソレは何だ」


 魔力、クトゥグァ、エリウルール、リョウ=フルカワ。

 全て知らない単語だった。魔力という単語だけは理解できるが、リョウが架空の世界で使用されている単語を声高に叫ぶ理由が解らない。


「ま、魔力は魔力だろう!? き、君は何を言っているんだ!?」

「それはこっちの台詞だ」


 まさしくその言葉どおり、芽香美には何も理解出来ない。

 理解出来ないが、それを理解したとき、芽香美はきっとナニカを掴めるような気がした。

 炎に焼かれる、あと少し先の未来が、何かが変わる。

 ナニカで変わる。


「だから──」

「黙れ」


 芽香美はリョウの言葉を遮り、その瞳を近付けて囁いた。


「ッ!?」


 息を飲むのが解る。

 恐怖していた。リョウは芽香美の瞳に、恐怖していると確信を得る。


「黙って聞け。そうじゃなけりゃ踏み潰す。これから言う質問に答えなくても潰す。違うことをしゃべっても潰す」


 芽香美は殺意を向ける。これまで何人殺してきたか覚えていない。救った人数よりは多いだろう。その瞳で、その声で、芽香美はリョウという存在の全てを見通すかのように告げると、リョウの身体が一瞬、震えたような気がした。


「ここはエリウルールなんて言う場所じゃねぇ。地球だ。日本だ。九咲市だ。魔力なんて架空の存在だ。しゃべるリスなんてのも、見たことも聞いたこともねぇ。クトゥグァやリョウなんたらなんて存在も知ったことか」


 絶対零度、という言葉がある。芽香美の瞳を例えるとしたら、それが一番似合っているのかもしれない。


「てめぇは何だ? 魔力ってのは何だ? エリウルールってのは? クトゥグァ? なんだそりゃ」


 リョウは、その質問に答えられなかった。

 ただ、口を開けて芽香美の瞳を覗き込んでいるだけで、答えようとしない。しゃべろうとしても出来ていない。

 ただ、芽香美の瞳を覗き込んでいるだけだった。


「あと少しで死ぬことだけは知ってるぜ? 炎に焼かれて死ぬ。地球もろともだ。私は何度も何度も何度も何度も繰り返してきた。解るか? 焼け死ぬって、辛いんだぜ?」

「き、君は……君は何を言って──ぐぎゃッ!?」


 右腕を叩きつけてやった。


「次は踏み潰す。答えろ。てめぇは、あの炎を知ってんのか」


 芽香美は手を退け、瞳を向ける。

 呻いているリョウの顔を無理やりこっちに向けさせ、視線を合わせた。


「し、知ってる……! クトゥグァだ……! 旧支配者のクトゥグァが……封印から解けて……エリウルールを襲ったんだ……!」


 痛みに耐えているのだろう。それでもリョウは言い切った。


「エリウルールってのは何だっつってんだろ!」


 怒声を張り上げる。


「へ、並行世界……だと思います……! 地球? という世界は、僕たちエリウルールの世界と並行して存在する世界だと……聞いたことがあります……!」


 並行世界。また新たな単語が飛び出してきた。


「ちっ」


 芽香美は再び舌打ちした。

 全てを聞いても良いが、もう間もなく炎に焼かれる時間だろう。

 今回は全部を聞く事に専念するべきか、それともなんらかの手段をとって、回避を試みるべきか。


「せ、戦闘中にエリウルールからこの地球に転移してしまったんだと思います……! この世界には魔力という概念がないようですが……! 貴女からも魔力を感じます……! だ、だから速く……! 魔力を分けて下さい!」


 リョウが、そう言った。

 叩き潰されるのも踏み潰されるのも解っていての発言だろう。

 余計なことを喋ったのだ、覚悟はあるに違いない。

 だが、芽香美はそのどちらもしなかった。


「今、なんつった?」


 問いかける。


「ぅう!? ご、ごめんなさい! 踏みつぶさないでぇ! でも、クトゥグァが! またクトゥグァが襲ってくるかぁぁぁあああらぁぁああああああああ!? いらいいらいいらいぃぃいいいいいいいいいッ!?」


 芽香美はリスでしかないリョウの頬を思いっきり引っ張った。


「私にも……魔力があるだと!?」


 それがどんなものか知らない。

 リョウという存在も、クトゥグァという存在も知らない。

 エリウルールとう単語など、もう覚えておく必要もないだろう。

 それでも、それでもだ。


 これだけは解る。

 あの炎に包まれる瞬間を突破できるナニカが、自分にはある。

 このリョウは言った。クトゥグァがあの炎だと。襲ってくるから魔力を分けてくれ、と。

 それは即ち、魔力というモノさえあれば、なんとかなる可能性があるということ。

 今日この日に死ぬ運命を、変えられる可能性があるのならば──。


「ッ」


 芽香美の喉が鳴った。


「教えろ……。教えろよ……。私にそれを……、教えろッ!」

「は、はいぃぃいいいいいいッ!」


 敬礼だった。


「で、でも、何も知らないのに教えるって、どうすれば良いのかさすがに僕でも解りません! 例え教えられても、時間がかかり過ぎると思います!」

「じゃあどうすんだよ!?」

「うひぃぃいい!? 引っ張らないで! お願いだから引っ張らないで! 考える! 考えるから! 考えてるところですからッ!?」


 リョウはもう必死さをありありと見せ、頭を抱えて悩みこんだ。

 しかしそれも数秒で終わりを告げる。


「ッ!?」


 リョウが突然、空を見上げた。


「ああ?」


 あまりに突然だったため、芽香美もつられて空を見上げる。

 理解した。


「あ……な……」


 炎の鳥が、そこに居た。

 燃え盛る巨大な翼を広げ、そこに居る。

 この大空は己の物だと示すかのように、悠々と炎をまき散らし、羽ばたいている。

 頭部の両端についている真紅の宝石が瞳だというのなら、それは間違いなく眼下を見下ろしていた。


 こちらを向いているわけではない。

 山の麓。ちょうど、芽香美を乗せてきたバスが停車した辺りだろうか。


「あ、のヤロ……ッ!」


 頭に血が上る。そんな感覚、いつ以来だろうか。

 クトゥグァであろうその存在はこっちを見ていない。

 あいつは何もかもを焼き尽くす。

 あの炎は全てを灰にする。

 知らない誰かが死ぬ。

 知ってる誰かが死ぬ。

 芽香美が死ぬ。

 その後は──どうせ全部死ぬ。


 ナニカをするのなら、今この瞬間しかない。


「リィイスッ!」

「はいぃぃいいいッ!」

「何とかなんねぇのかッ!?」

「そ、そんなこと言われてもッ!」

「ならてめぇの魔力とやらを寄越せ!」

「はぁッ!?」


 リョウも混乱しているだろうが、芽香美も混乱している。

 だが、このままでは死ぬことは確定している。

 リョウに魔力というモノを教える術がないのなら、知っているリョウが芽香美に渡せば良い。少しでも触れれば、ナニカが解るかも知れない。

 芽香美はそれに賭けた。


「私は解らねぇ! てめぇも教えられねぇ! だったら賭けろ! 無駄でも良いからやってみろ! ナニカをやれぇッ!」


 リョウを掴み上げ、眼前で怒鳴り散らかす芽香美に、リョウは眼を見開いて口を噛みしめる。


「ああああああ! もう! 何なんだ君はッ! 解ったよッ! もう遅いッ! もう助からないッ! それなら──」


 やけくそ気味にリョウが叫び、


「──それなら僕に残ってる全部を持って行けぇぇええええッ!」


 その身体が青く輝いた。

 青く、どこまでも青く、空より深い青に変貌していくリョウ。

 輝きは芽香美の視界を覆い尽くし、焼きつくし、ブルーアウトさせるほどに強烈な閃光を放った。


 そこに浮かび上がる膨大な文字列。

 意味の解らない、文字なのかどうかも解らない文字の羅列が視界を埋め尽くす。

 視界ばかりではない。

 その光を帯びた文字は芽香美の身体全てを包み込むようにして──刹那、焼き切れた。


「はぁッ!?」


 再び奇声を上げたのはリョウだった。

 芽香美は何故リョウが奇声を上げたのか解らない。

 この現象が何なのかも解らない。

 今、全身を蝕んでいるモノが何なのかも、解らなかった。


「ぅぐッ……!? がぁぁああああああああああああああああああッ!?」


 痛み。

 慣れたはずの痛みだ。

 死を何度も経験し、感じなくなったはずの痛みが、芽香美という存在を喰らい尽くす勢いで襲っていた。

 青から黒に変ずる視界。

 青い光は黒へと変わり、強烈な死の予感を携えて芽香美を蹂躙していく。


「な、何が起きてるのぉぉおおおおおッ!?」


 リョウの悲鳴染みた叫びは最早遠くの出来事だった。


「ぐぁぁああああああああああああああああああああッ!?」


 駆け抜ける痛みに、迫りくる死に、芽香美の精神はそのことごとくを犯され、侵されていく。


「ぎぃいぃぃいいいいいいああぁぁあああああああああああああああああッ!?」


 断末魔だろう。

 そうでしかない。

 芽香美の視界を覆った黒は死だ。

 芽香美を襲う痛みは死だ。

 死ねと囁いている。

 全てを奪われて死ねと命じられている。

 芽香美という存在は全て偽りだったのだと断じられている。

 遅い来る黒いナニカは全霊を持って芽香美の存在を否定しようとしていた。


「ぅ……ぁ……ぇ……ぅ……ぁ……ぁああ……ッ!」


 声はもう、ない。

 痛みに喉が潰される。

 空気が吸えない。

 生きることが出来ない。


「ふ……ざ……け……る……な……」


 だから、何だというのだろうか。

 高々死ぬ程度の痛みに、今まで感じたことがないという、ただそれだけの理由の為に、死ぬのだろうか。

 一体芽香美が、何度の死を経験したと思っているのだろうか。

 芽香美が一体、何度殺してきたと思っているのだろうか。

 一体誰の許しを持って、誰かを救ってきた芽香美を殺そうとしているのだろうか。


 これは、死ではない。

 これは、奪われようとしているのだ。

 芽香美を。

 芽香美という存在そのものをナニカが書き替えようとしている。

 今までの芽香美を、ナニカに塗り替えられようとしている。


 どれだけの絶望を抱いたのか、このナニカは知りもしない。

 どれだけの希望を抱いたのか、このナニカが解るわけがない。

 どれだけのことを諦めてきたのか、このナニカは認知しようともしていない。


 そんなもの──


「ふざけるなぁぁぁぁああああああああああああああああッ!!」


 ──今まで死に続け生き続けた芽香美が、許せるわけがなかった。


 視界が黒い?

 だったら覆っているナニカを退ければ良い。


 身体が痛い?

 ならばねじ伏せれば良い。


 身体が奪われる?

 では奪い返してやれば良い。


「私の身体にぃぃぃぃいいいいいッ! 好き勝手してんじゃねぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッ!!」


 芽香美は喉を潰す勢いで叫び倒し、黒を、痛みを、奪うナニカを押し込めた。


「はぁッ! はぁッ! はぁッ!」


 気が付けば、全身から大量の血と汗を流していた。


「あ、う、え……」


 その姿を目の当たりにしていたリョウに言葉はない。ただ茫然と芽香美を見ていた。


「生きてるッ!」


 芽香美は、自分は、生きている。

 それが解れば良かった。

 そうして気付いた。


(浮いてんじゃねぇかッ!)


 押し込めたはずの黒いナニカが、身体の全てから吹き出し、包み込み、重力に逆らっていた。


(魔力ッ!)


 もう理解は必要ない。

 何故なら、もう理解してしまっているから。

 身体を蝕むナニカをねじ伏せた瞬間、芽香美は直感した。

 これが魔力なのだと。

 あの文字列は、魔力を使う為のモノなのだと。


 DNAを生命の式だとするのなら、先ほど視界を覆い尽くした文字列は魔力の式。

 それが解れば後はどうでも良かった。

 ぐちゃぐちゃの式でも何でも良い。浮いていることに変わりはない。

 ならば、浮いている術式は把握したと言っても良いだろう。

 飛ぶ方法はこれから理解すれば良い。

 あの炎を吹き飛ばす方法も、今の芽香美ならどうにかしてみせる。そんな自信で満ち満ちている。


「クトゥグァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 今までの恨みを込めて芽香美は叫び、その場から消えた。

 正確には跳び去ったのだが、その場に取り残されたリョウには、少なくとも消えたように見えていただろう。

 何もかもを置き去りにして、芽香美は上空へと向かって行った。














 遥か彼方の空で、紅と黒の光が衝突していた。

 それを地上から眺めるのは、リスの姿をしたリョウだった。


「嘘、でしょ……」


 今の自分が持てる全ての魔力を尋常ではない力で頬を引っ張った少女に与えたと思ったら、知らない魔力に塗り替えられていた。

 リョウが持つ魔力は青。風を操る系統に特化した魔力属性であり、その青はまさしく青に輝き、間違ってもあんな黒くはならない。

 眼光に闇でも飼っているいのかと思う少女からも確かに魔力は感じていたが、あんなにも死の予感をまき散らすどす黒いモノではなかったはずだった。


 もう訳が解らない。


 リョウの与えた青は確かに生きているのだろう。先の少女が制御を覚えた瞬間に浮き上がっていたことからも、魔術師にとって基本中の基本、浮遊を会得したからに違いないだろう。青は風を操るのに特化した系統であり、浮遊を覚えるが最も早いことで知られている。

 とはいえ、次の瞬間掻き消えたと思うほど爆発的に上昇して行ったのは、浮遊の次に習得すべき飛翔の魔術とは思えなかった。

 あれは単に、溢れ出てなお余る魔力を文字通り爆発させ、打ち上がったのだろう。そうでなくては、一瞬であれほどの推進力を得ることは不可能だ。

 そんな無茶苦茶なことを、リョウが知る魔術師の誰が出来るだろうか。少なくとも、リョウは出来そうになかった。


 それだけの魔力を持つ存在をリョウは知らない。少なくとも、クトゥグァでさえそんな馬鹿げたことは、出来たとしてもしないだろう。


「何なんだ、あの子は……!」


 頭上ではクトゥグァの放つ炎の渦を、闇を纏った少女が黒い光に全てを飲み込ませている。

 掻き消しているのか、それとも吸収しているのだろうか。それさえもリョウには解らない。青は元より、赤、緑、白の全ての系統を他の魔術師よりは知っているであろうリョウでも、理解に及ばない。


 何せ、黒などという系統は見たことがなかった。

 あんなにも禍々しく、触れれば毒にでもかかりそうな、おぞましいモノなど知るはずがない。

 エリウルールのズィーア大陸に置いてリョウは、その名を知らぬ者など居ないほど地位の高い魔術師だ。


 だからこそ、リョウはクトゥグァと戦っていた。

 この地球という所は、リョウもかつて父親から聞いたことがあるが、それが事実なのかどうかも解らない。むしろ、あの少女が騙しているだけで、本当はここはエリウルールなのではないかと思っているくらいだった。

 並行世界の概念は確かにあるし、それが地球だというのも確かに聞いた。


 だが、何時移動したか解らない。

 この山に叩きつけられる直前、クトゥグァの放つ炎の奔流に抗いながら、リョウは魔力を惜しむことなく魔術を放った。


 一瞬、魔力の大量消費によって意識を失ったような気もするが、それも本当に一瞬のことだ。気を失ったのは、山にクレーターを穿つほど炎と共に叩きつけられた直後である。

 そのあとに移動したとは考えにくいだろう。クレーターまで残っているということは、山ごと移動しなければならないはずだ。

 それならば、あの少女も山自体に疑問を抱いたはずだ。

 その様子はなかった。


(解らない……解らないことだらけだ……)


 リョウの混乱は困窮を極め、


「解らない……けど、あの子勝ちそうじゃない……? はは、何で? 何でだろう。何で魔力を知らないって言った女の子がクトゥグァと戦ってるの? 戦えてるの? 何で勝ちそうなの? ねぇ、僕にも解るように教えてよ……。間違ってるよ……。そうじゃないと思うんだ……。何もかも根本から違うと思う……、思う……けど……まあ、うん、良っか」


 考えることを放棄した。


















「おらおらおらおらおらおらおらおらおらおらおらおらおらおらおらおらおらぁぁぁああああああああああああああああああああああッ!」


 芽香美は殴っていた。

 迫りくる灼熱の炎を殴っていた。物理的に殴れないはずの炎を、闇を纏った拳で殴り倒していた。


 当たれば確実に死ぬであろうその炎を、死ぬのがどうした、殺せるものなら殺して見ろと言わんばかりの形相で殴っている。

 次々に打ち出される炎は留まることを知らないが、芽香美が殴る勢いもまた、限界が見えない。

 普段の芽香美ならとっくに体力の限界を迎えていたであろうが、黒い光を纏ってからは違う。


 限界が見えない。

 息も上がらず、それどころか秒単位で力が湧いてくる。

 一撃殴る度に力が増し、最初は押されていたはずの炎を今は芽香美が押している。


 一つ殴り飛ばし理解する。

 一つ殴り消して学んで行く。


 魔力とはナニカ。

 ナニカとは何か。


 この瞳を埋め尽くす文字列の一つ一つにどんな意味があるのか。

 芽香美は一切合財を吸収していく。


 そう、吸収していた。

 炎は拳に吸収され、さらに力を与えてくれる。

 クトゥグァという存在は餌を与えてくれるご主人様なのだろうか。

 だとしたら、なんと愛おしい存在なのだろう。


「いつまでも上から見下ろしてんじゃねぇッ!」


 愛しいご主人様が奴隷を見下ろすのは、その存在が圧倒的な存在である場合に限る。

 あの炎の巨鳥は果たして芽香美という奴隷を飼い馴らす存在なのか。


 否。


 クトゥグァは芽香美にとって小鳥であり、芽香美はクトゥグァにとって炎より恐ろしい闇である。


「行くぜおらぁぁああああああああッ!」


 そろそろ炎の弾と戯れることにも飽きてきた芽香美は、頭上から見下ろすように羽ばたいている炎の鳥に接近する。

 飛翔ではない。空を蹴っただけだ。

 先ほどは魔力を爆発させて跳んでみたが、アレは遅かった。蹴った方が速いと判断したまでである。


 おそらく、浮かんでいるなら飛ぶことも出来るのだろうが、まだそれは解らない。解らないが、結果が変わらなければ何でも良い。

 空が音速を超える速度で蹴られ、ソニックブームを起こして鳴動する。

 その音が芽香美の耳に届いた頃には、クトゥグァを殴り飛ばしていた。


「glyoooooooooooooooooooooooo!」


 聞き取れない悲鳴のようなモノを上げて吹き飛んでいくクトゥグァ。

 心地良い悲鳴である。


「楽しいぜぇ! なぁおいッ!」


 今までの繰り返しは何だったのだろう。そう思わざるを得ないほど、今、芽香美は楽しかった。


 今まで誰かを殺すべく戦っていたのとは違う、圧倒的な力。

 今まで誰かを救うべく学んでいたのとは違う、誰も知らない知識。


 今日という日に確実に死んでいた未来を、覆す可能性を秘めた、ナニカ。

 今日という日に絶望し諦めていた未来を、覆す可能性を秘めた、魔力。


 炎に焼かれた今まで。

 炎を駆逐する今日。


 芽香美は今、生きていた。


「はははハハはハはははハハははっはハははッはははハははハハはッ!」


 今まで一度も味わったことのない快楽に打ち奮え、笑いながらクトゥグァを追いかけて殴り倒す。

 圧倒的な速度で、圧倒的な力で、圧倒的な魔力で。

 誰を殺しても、誰を救っても、誰を愛しても、誰に愛されても得られなかった快感が、今この身に宿って揮われていた。


 何故なら、今までの何もかもが虚構だ。

 狂った世界で、狂った芽香美で“生かされていた”芽香美が成してきたことだ。

 自分は今日初めて生きている。

 この力を手に入れた瞬間に生きることが出来たのだ。

 自分を蝕む力をねじ伏せ、手に入れたのだ。

 芽香美が芽香美として“生きるための力”を。


「ずぇぇぇぇええええあぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああッ!」


 大きく拳を振りかぶり、芽香美は渾身の力と魔力を纏ってクトゥグァの顔面を殴り抜いた。


「───────────」


 今度は音も無く吹き飛んで行くクトゥグァ。

 まだ生きてはいるだろう。


「だがよぉ……」


 まだ試していない。

 芽香美はまだこの魔力の全てを試すことが出来ていなかった。

 炎の弾は殴ればどうにかなった上に、本体も殴れば吹き飛んでいくが、殺すことが出来ていない。

 それは、単純に相手の体力や防御力と言ったものが、芽香美の殴る力を上回っているからだろう。

 それを覆さなければならない。武器を持っていない今、殴る蹴る以外に手段を知らなかった芽香美は、それ以外を試せなかった。

 この瞬間までは。


『一撃突破 エクサスエクシード』


 単語が頭の中を駆け巡り始めた。幻視するほどに見えて来た。

 文字の羅列が示している。

 黒い輝きが青い光を包み込んで語りかけている。


 使え、と。


「上等ッ!」


 芽香美が叫ぶ。


「一撃突破ぁぁぁああああああああああッ!」


 身体が、意識が、加速した。

 静かに動く世界にて、遠く彼方になってなお未だに吹き飛んでいるクトゥグァがあまりにも遅い。


 身体にまとわりつく大気が鬱陶しくて仕方ない。

 赤熱する空気が愛おしくて殺してしまいそうだ。

 総じて、どうでも良い。


 前進する。


 止まってて良いのか? と、芽香美は内心、クトゥグァに語りかけた。

 止まっているわけではない。そんなことは理解していた。

 理解していても、思わずにはいられないのだ。コレが放たれたら、お前は死ぬぞ、と。

 こんなにも楽しいのに、終わっちゃうんだよ? と、幼子を演じても見せる。

 なんなら涙を浮かべても良いかも知れない。

 それくらいの演出はあっても良いだろう。


「エクサスぅう」


 可愛らしい声で愛してみる。

 けれど、ちょっと自分の声に鳥肌が立ったのでこれにて演技は終了。


「エェェエエエエクシィィイイイイイイイイイイイイドッ!」


 殺意を孕んだ低い重低音で、世界に轟けと言わんばかりの声量で、今を楽しんでいると言わんばかりの一撃を持って、芽香美は世界に知らしめた。


 世界を置き去りにした速度にて、驚異的な一撃にて、魔力を編んだ魔術にて、郁坂芽香美という名の魔術を操るナニカが誕生した瞬間だった。


 クトゥグァは何もかもを置き去りにされ、死んだという事実さえ忘れ去りながら、紅い物体をまき散らして四散する。

 直後、黒い魔力が消し飛ばしたクトゥグァを飲み込んだ。


 静寂。


 浮かんでいる芽香美以外の異物はなく、風の音も聞こえない。

 きっと、大気も気流も消し飛ばしてしまったのだろう。

 薄くなった大気は戻ろうとする自然の力が発生させ、強風を呼んだ。

 芽香美の黒く短い髪がなびく。


「はは……」


 笑みがこぼれた。

 満面の、醜い笑顔が太陽に向けられた。

 瞳を焼く鬱陶しい太陽を次の相手にでもしようか、と考えるよりも、芽香美は心の底から湧きあがる歓喜に打ち震えていた。


「ははは──あーはっはっはっはははははははははッ!」


 笑うなどいつ以来なのか覚えていないが、笑い方は今思い出した。

 可笑しくてオカシクテ、狂ってしまいそうでそれがまた愛おしい。


「ははははは……、はぁッ、はぁッ……ああ、疲れた」


 笑い疲れた芽香美は、眼下を見下ろす。

 山々が連なり、遠くには芽香美が暮らす街が見える。そんな上空に、芽香美だけが立っていた。


「乗り越えた……」


 今日という死を。


「飲み込んでやった……!」


 クトゥグァという炎を。


「もう、死なねぇッ!」


 これから先、どんなことがあろうとも、ナニカを知った芽香美に死は訪れない。

 そう確信して、


「っと、あのクソリスヤローにはたっぷりと聞きたいことがあるんだったなぁ」


 邪悪な笑みを、眼下に向けるクレーターへと向けたのだった。


読みにくい部分、誤字脱字等ありましたら、もうしわけありません。

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