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正義の魔法と狂った少女  作者: 厨二と変態が友だち
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第六話 終わりと始まりと泡沫のユメ~後編~

ニトクリスが息してないのぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!

作者も息してないのぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!

 芽香美は刃物を手にニトクリスの鏡を睨みつけていた。


 とは言っても、芽香美がニトクリスの鏡を害しようとしているわけではない。『ニトクリスの鏡』という名の通り、魔道具としての媒体になった鏡そのものとして使用し、ハサミを手に髪を切っているだけであった。

 最初は前髪を切るだけにしようと思っていた芽香美だが、一度始めたら止まらなくなり、納得がいくようになるまでに二時間ほどが経過していた。


 何故芽香美が自分で自分の髪の毛を切っているかといえば、半年ほど九咲市へ帰っていないからだった。

 今芽香美がいるのは無人の島。半年前、分身体との闘いを経て漂流したあの島で、芽香美は鍛錬を続けている。

 伸びた髪が訓練の邪魔になりはじめたので切り揃えることにしたのだが、切り終わってなお芽香美は動かず、じっと鏡に映る自分の顔を凝視していた。


(ひでぇ顔だな)


 自分の顔ながら、芽香美はそう評価する。

 目の周りにできた隈は睡眠不足の表れであり、こびりついている汚れと垢、乾燥して固まった血によって肌全体が黒くなっている。

 最低限の休息と睡眠だけをとり、残りの時間は全て肉体を酷使することに使っている。

 五歳という幼い身体にとってここまでの極限状態は生命にすらかかわってきて当然だが、今の芽香美にはむしろ今までで一番心身共に充実していると言って良い。


 日を追うごとに、身体を追い込めば追い込むほどに、魔力が馴染んでいくのが解る。

 未だ分身体が見せた最後の瞬間のようにセクメトの力を十全に操ることはできていないものの、前回戦ったモルディギアンならば余裕をもって殺せるだろうと確信できる。

 あと少し、そう、あとほんの少しナニカがあれば、芽香美はその領域に足を踏み出すことができる。

 そんな確信があった。


(そろそろ水浴びでもしてくるか)


 そういえば最後に身体を洗ったのはいつだっただろうかと、そんなことを思いながら芽香美は素っ裸で海へと入っていく。

 適当に波にもまれつつ手や海藻を使って汚れを落とし、海から上がった。切った髪もついでに流せたので満足である。


 そのまま服も着ず再び鏡の前に立つ。

 魔力のおかげか鍛錬の最中に負った傷は痕一つなくふさがっており、汚れの落ちた肌は瑞々しさすらあった。

 顔も歳相応に丸っこく、目の周りの隈以外は幼児そのものだ。


「ふん」


 視線が鏡の中の自分と交差し、芽香美は鼻を鳴らした。

 脳裏に半年前に見た女の死体が浮かび上がったのである。

 これまで繰り返してきた中で、落ちてきた女と視線が合うことなどなかった。落下の衝撃で顔の原型すらなく、頭部が破損していたので女の顔など見たこともなかったくらいだ。


 今回は初めて女の顔を見た。

 酷く情けない表情をしていた。

 ナニカに対する口惜しさと絶望が浮かび、涙に瞳を濡らしていた。

 その表情を芽香美は良く知っている。自殺者を救ってきた芽香美が何度となく見た顔だ。

 なるほど、ビルの屋上から飛び降りるに相応しい顔だった。

 その顔が鏡に映る自分と初めて見た女の顔が重なって見える。

 絶望した経験の多さでは芽香美も他の追随を許さない。それ以上に殺し、救った経験がある。

 自死を選ぶ人間は人としてどこかが壊れていて当然だと芽香美は考える。


 ならば、何度となく自ら命を絶ってきた芽香美以上に壊れた人間はいないだろう。

 女が何に絶望したのかまでは定かでないが、ビルの上から飛び降りるという選択をとった。その女と芽香美が似ていない方がおかしい。

 芽香美の半眼の瞳に光は反射せず、笑顔を作っても引きつった表情筋では狂気に歪むしかない。

 もしも繰り返さないのならば今すぐにでも死を選ぶだろう。


 仕方ないから生きている。


 鏡に映る芽香美の表情がそう告げていた。

 魔力という遊び道具を手に入れても、セクメトを殺すという目標を掲げても、染みついた死への渇望は消えていない。

 似ていて当然だ。

 ただそれだけのことだ。


「ふん」


 再び鼻を鳴らし、そろそろ身体も乾いたので芽香美は服を着ることにした。

 休息も十分にとれたため、鍛錬を再開しようとした、そんな時である。


「……あ?」


 芽香美は遠方へと視線を送る。

 違和感。

 潮風の満ちるこの空間に奔った一瞬の歪み。

 魔力反応。

 半年前の芽香美では気づけなかっただろう。

 それほどに一瞬。

 けれども確かに、強い魔力流の乱れを察知した。


 おかしい。


 惑星魔力に包まれたこの世界は常に一定の魔力が流れている。魔術師はそれを体内に取り込み、扱う術を持つ者のことだ。

 この世界の人間も魔力を蓄えることは出来るが、それを扱うことはない。

 きっかけさえあれば誰でも魔術師となれるだろうが、そのきっかけが無いのだ。

 欠如している。

 この地球という惑星に住まう生物は魔力に気付くことなく、気付けることもなく、科学とは違う力を与えられていない。

 ならば、今のこの世界に芽香美以外の魔術師はいないと断言できた。

 先ほど認識した魔力反応は、では一体ナニから発せられたというのだろうか。


「ニトクリス、ついてこい」

『了解』


 芽香美は鏡から発行体へと戻ったニトクリスの鏡を引き連れて飛翔。

 微弱すぎて発生源は特定できないが、方角だけは解るため魔力反応を感じた方向へと芽香美は真っ直ぐに飛んで行った。











 ここ半年間で過眠症患者の数が増えている。

 日本国内でも解っているだけで千名以上が、世界に目を向ければ数十万単位の人々が、学校で、仕事場で、運転しながら、食事中に、遊びながら、運動の最中に、あらゆる場面で突然意識を失って眠りはじめるという事例が発生していた。

 発作のように眠り始めることから重大な事故も発生しており、発症した本人はもちろん、巻き込まれて亡くなった人も出ている。


 患者は旧来の治療法を施されているが、症状が緩和した患者は報告に上がっておらず、今もって入院や自宅療養を強いられている者がほとんどだった。

 各国で報告されるようになった過眠症患者の急増に、世界保健機構も対策と原因究明のために動き始めているが、今もって正確な解答はないという。

 世間では未知のウイルスによるものではないか、ガスや薬物を使用した同時多発的なテロ行為によるものではないか、などと騒がれているものの証拠はなく、患者を調べてもそういった外的要因は今のところ見受けられない。


 現状は、さらなる調査が待たれている状況である。

 そんな情報を夜のニュース番組でキャスターが読み上げていた。


『なお、昼間に強い眠気を感じた場合は最寄りの病院を受診して頂くよう、お願い致します。次のニュースです──』


 わずか二分ほどで過眠症についてのニュースは終わった。


「はぁ……」


 美浜静子は疲れ切った表情でテレビの電源を切った。

 毎日ニュースを確認しているが、やはり今のところ急増した過眠症の原因や治療法は判明していないらしい。

 静子は傍らのベッドで横たわったまま起きてこない愛娘、成美を見つめた。

 明日香と仲良くなって、よく一緒に遊ぶようになった数日後から成美は酷い眠気に苛まれるようになってしまった。


 起きていられる時間は一日の中で一時間もあれば良い方だろう。発症した当初はまだ頑張れば起きていられたというのに、今では食事すらままならず、自分で栄養摂取ができないため入院を余儀なくされている。

 各国で確認されている過眠症患者の中でも、成美ほど眠気が酷い症例は珍しい部類に入ると医師が語っていた。

 静子は自宅に帰る時間もほとんどなく、成美の入院に伴ってこの病院から仕事へ出かけている状況だった。

 すぐに命に係わるような病気ではないが、過眠症そのものが原因で亡くなった事例もある。成美のように栄養摂取が出来ず、適切な処置が施されなければ餓死してしまうだろう。

 そうでなくとも、数年単位でまるで植物人間のように眠り続けてしまえば、延命治療が施されても衰弱には抗えない。


 たとえ治ったとしても、社会復帰には多大な時間を要してしまうだろう。

 静子にのしかかる不安と哀しみはストレスとなり、静子自身は成美とは逆に十分な睡眠がとれていなかった。

 この半年間で随分と痩せこけてしまった。静子も、そして成美も。


「──、────」


 成美の口が寝言を呟いた。

 たまにあることだ。何と言っているのかは解らないが、その時の表情でどんな夢を見ているのかは解る。

 今は楽しい夢を見ているのだろう。

 穏やかな表情で眠る成美に静子は安心する。

 どちらかというと、ここ最近の成美は苦しそうな表情で何かを呟いていることが多かった。

 せめて幸せな夢を見ていてほしい。

 できることなら、今すぐに過眠症が治って以前のように明るい笑顔で「お母さん」と呼んでほしいが、静子にできることはそう願うことだけだった。


「成美、電気消すわね。お母さんもそろそろ寝るわ。おやすみ」


 静子はそう言って、部屋の電気を消す。

 眠ろう。

 眠れるかどうかは定かではないが、眠るしかない。

 成美のためにも、自分のためにも。

 だから静子はベッド脇に置いた来客用の簡易ベッドへ横になり、瞳を瞑る。

 寝なくては明日の仕事にも響く。

 早く寝なくては。

 静子は自分にそう言い聞かせて、なるべく何も考えないようにして、休息のためだけに夢の世界へと旅立とうとする。


 その努力が実を結んだのか、いつもなら小一時間は寝返りを打っていたであろうに、今日はやけにすんなりと睡魔が襲ってきた。

 静子は眠る。

 深い、深い眠りへと。


 ──今、ここに芽香美が居たら気付けただろう。


 成美の身体から広がろうとしている微弱な魔力に。

 芽香美がいたならば、気付けたはずだ。

 だが、未だ芽香美は遠く離れた場所のかすかな魔力に気付けるほどの領域に立てていない。

 セクメトですらここまで些細な魔力は極端な集中が必要となるだろう。

 だからこそこれは必然。

 定められた運命。

 芽香美が囚われた時の檻の中で、誰にも気付かれることなく、成美からこぼれ出る魔力はゆっくりと世界へと染み出していった。














 生ぬるい潮風に包まれた海上に生物の気配はない。

 南半球にまで足を延ばした芽香美の視界には、ただ広大な海が潮風にあおられて荒々しい波を立てる様しか広がっていなかった。


「ニトクリス、私がおかしいのか?」


 だが、芽香美はただ一点を見つめたまま頭上を浮遊する銀色の光に呼びかける。

 眼下は変わらず波立つ海だが、芽香美には視えていた。

 魔道具たるニトクリスの鏡にもソレは感じ取れていたのだろう。


『違う 貴女の魔力探知は正常』


 ニトクリスの鏡は芽香美の問いかけに肯定をもって返した。

 芽香美が視ている一点。

 魔力探知に何の反応も示さないその場所。

 それは明らかに異常だった。


(どういうことだ? 生物がいねぇ……ってだけじゃねぇぞ)


 魔力は生物ならばどんな存在でも持っている。

 草木ですら、惑星を流れる魔力を吸って生きている。

 そこに生物がいなければ、確かに魔力を発する生物はいないということになるのだろう。

 だが、コレは違う。

 魔力そのものを感じない一点が存在するのだ。

 惑星自体が持つ膨大な魔力。


 あまりにも当たり前に流れているために通常は意識するレベルにまで引き上げられない雄大な魔力が、ぽっかりと穴を開けたようにその一点のみが切り取られていた。

 気付かない方がおかしい。

 あまりにも何も感じなさ過ぎて、逆に不自然極まりない。

 言葉で表すとするなら“自然”の可能性を感じない、だろうか。

 ジオラマに塩水を流し込んで海だと言い張っている滑稽な作品のように、芽香美の目に映るその場所は力強い自然の息吹がことごとく排除されていた。


 この違和感は魔術師でなければ気付かなかっただろう。

 これほどの至近距離でなければ気付けなかっただろう。


(気色わりぃ……ッ)


 全てが不自然で彩られた極小の違和感は何故だろう、芽香美をもってしても鳥肌を覚えるものだった。

 だからこそ、芽香美は口元を歪めた。


 それは笑顔だ。

 だからこそ、芽香美は全身を震わせた。


 それは歓喜だ。

 魔術という玩具はここまで芽香美の心を犯してくれる。


 おぞましさが愛おしい。

 おぞましさを感じることが出来た自分は、まだ人間なのではないかと思わせてくれる。


 芽香美は違和感しかない場所へと突撃した。

 瞬間、視界が歪んだ。


「ぅ!?」


 ぐにゃり、と天と地が交わるほどにかき乱される景色。

 それは見えている光景が実際に歪んだのだろうか。

 否、芽香美自身の瞳が歪んだ結果だった。


 瞳だけではない。

 瞳を含む顔全体が歪み、身体全体までもが前後も上下も左右もなく無遠慮に引き伸ばされ圧縮されていく。

 真っ先に失ったのは平衡感覚。

 前に進んでいた感覚が喪失し、落下しているのか上昇しているのかさえ解らない。


(く、そ……ッ!)


 慌てて魔力による自己防衛に努めようとするが、身体に力が入らないことに気が付く。

 次いで、意識が遠のき、解読できない様々な音の波が芽香美の鼓膜を激しく叩いた。

 吐き気を覚える。

 その吐き気すら急激に遠のき、気絶する直前のように白濁としていく自我。

 だが、それはむしろ芽香美の意識を加速させた。


(なる……、ほどな……ッ!)


 これは気絶の前兆ではない。

 眠りに誘われている。

 芽香美はそう確信した。

 視界が歪んだのはなんらかの催眠効果を受けたからに外ならず、脱力はすでに身体が眠っていることの証明。

 鼓膜を襲う音は外部からもたらされたものではなく、芽香美の脳みそが睡眠と覚醒のはざまで混乱し、聞こえているように感じているだけの幻聴にすぎない。

 脳からの信号が脊髄に到達する前にシャットアウトされ、一種の金縛り状態に陥っているのだ。

 そう悟った芽香美は、わずかに口元を歪ませた。


 どうということはない。

 ただ、身体が眠ろうとしているだけのことだ。

 このまま眠ってしまい、芽香美を催眠状態へ陥らせたナニカの意思に弄ばれてみるのも一興ではあったが、それはあまりにもつまらない選択だろう。

 圧倒的に対抗し、徹底的に抵抗してこその己だと芽香美は自覚した。


 ──動く。


 実際に動くかどうかなど関係ない。

 芽香美は自身に「動ける」と思い込ませた。

 それは自己催眠。

 催眠を打ち破る唯一の可能性。


「……ぁ……ぁぁ、……ッ」


 閉ざされた神経にわずかに残る力を全てつぎ込む。

 喉から空気が零れ、声帯がわずかに震えた。

 その感触。

 動かないはずの肉体から得られた小さな感触が芽香美の脳みそを刺激した。 


「ぁぁ、ぁぁぁ……ぁぁあああああああああああああああああああああああああああッ!」


 白濁としていた意識が、動かなかった身体が、ねじ曲がっていた視界が、叫びと共に正常を取り戻した。


「はぁ……、はぁ……、はぁ……」


 息が上がる。

 ほぼ無酸素に至るまで息を吐き切った芽香美は、果たして自由を取り戻していた。

 その視界に捉えたのは間違いない、違和感の正体だろう人影だった。

 影だ。

 人の形をした、ただの影。

 黒く塗りつぶされた不確かなモノ。

 男であるのか女であるのか、そもそも人間なのか。


「ふんッ」


 芽香美は鼻を鳴らす。

 何であろうと、不自然な場所で不確かな存在が居るという事実そのものが答えだ。

 吹き飛ばしてしまえば良い。

 芽香美は魔力を高め、


「あらあら、貴女は誰かしら?」


 その幼いコエを聞いた。

 背後から。


「ッ!?」


 今の今まで目の前に見えていた影が一瞬で消失し、背後に現れた。

 振り返った芽香美の視界に飛び込んできたのは、美浜成美の姿だった。


「てめぇ、何者だ?」


 成美がこんな場所にいるわけがない。

 疑惑以外の思考が出来なくなりそうになったが、芽香美はそれを押さえつけた。

 芽香美は警戒度を一段階上げる。


「まぁまぁ、質問を質問で返されちゃったわ」


 どうしましょう、と言わんばかりに頬に手を当てる成美の姿をしたナニカ。


「ん~、ん~、貴女セクメトよね? なのに人間よね? 何で人間がセクメトの魔力をまとっているのかしら。何で生きているのかしら。不自然だわ」


 一切の魔力を感じさせない場違いの成美。

 その異様なナニカは、確かに小首を傾げて「セクメト」の名を上げた。


「ひとになまえをたずねるときは、じぶんからですよって、せんせいがいってたよ?」


 芽香美も小首を傾げて見せる。


「なるほどなるほど、それは確かにそうだわ。私は夢見る王の隠された姫君、クティーラと申します。よろしくね、魔力のバケモノさん」

「わたしは、いくさめかみです。よろしくね、存在自体がバケモノさん」


 お互いに似通った満面の笑顔を浮かべ、自己紹介を済ませる芽香美とクティーラ。


「よかったら、いっしょにあそぼう?」

「ええ、ええ、それは良い考えね」


 それが戦闘開始の合図だった。

 一瞬で魔力を爆発させた芽香美はクティーラめがけて突進する。


「ッらぁああああああッ!」


 成美の顔をしたクティーラの腹部に向かって蹴りを叩きこむ。

 が、すでにその場にクティーラは居ない。


「遅い遅い」


 頭上からのコエに仰ぎ見れば、クスクスと哂う笑顔がそこにあった。


「ちッ!」


 芽香美は己を見下ろすクティーラに魔力線を発射した。

 魔力線。

 それは掌から打ち出す魔力弾ではない。

 身体から吹き荒れる膨大な魔力を無造作に収束し発射しただけの、威力を伴わない攻撃手段。

 着弾の際に激しく飛び散る光量によって相手の目を晦ますための小手先の技である。

 だが、速度においては他の追随を許さない。

 ニトクリスの鏡によって生み出される芽香美の複製体ですら、とっさには避けられない高速を超えた攻撃手段だ。

 人類の反射速度の限界はゼロコンマ一秒とされているが、魔力線は発射から着弾までの速さにおいて、五十メートル程度の距離ならばそのさらに半分の速度を実現している。


 おおよそ一メートルもない頭上に居るクティーラに向けて発射した魔力線は文字通り、一瞬で空間を駆け抜けた。

 だが、着弾するはずだった魔力線は遥か上空を突き抜けて消えていく。

 その場に居ない。

 すでに居ない。

 魔力線を発射するという意識を持った時点でクティーラはその場を離れていた。

 そうとしか思えない。

 それほど早く、クティーラが起こした次の行動は速すぎた。


「ぐぁッ!?」


 顎から脳天にかけて突き抜ける衝撃。

 常に張っている魔力障壁を軽々と打ち破るアッパーカットが芽香美を襲った。

 芽香美は上空高くへと打ち上げられた。

 相変わらず魔力は感じない。

 ならば、これは単純な腕力によるものなのだろうか。

 このクティーラと名乗る存在はそれほどまでに馬鹿げたモノなのだろうか。


(バカヤロウッ!)


 芽香美は自身の思考を揺れる脳にて否定する。

 ただの物理攻撃が芽香美に通用するわけがない。

 仮にも芽香美はセクメトの力を行使している。

 ありとあらゆる物理的攻撃に対して策を弄している魔力障壁が、見た目幼い成美でしかない細腕から繰り出される拳に抗えないはずがない。

 仮に芽香美の障壁を打ち破るほどの威力を込めるのだとすれば、大気が悲鳴を上げているはずだ。

 アッパーカットを繰り出す瞬間にはソニックブームが発生し、真空が生み出す衝撃波と爆音が轟くはずだ。


 そうではない。


 この世は魔力によっていくらでも改変できるが、あくまでも物理法則に縛られている。

 単なる腕力で今、芽香美が脳を揺さぶられて吹き飛んでいるのだとするならば、芽香美はこの世界自体を疑うところからはじめなければならないだろう。

 ならば、答えは簡単だ。

 どういうわけか魔力こそ感じないが、クティーラは今の拳に世界を改変するナニカを上乗せして芽香美の顎を打ち抜いたのだ。


 否。


 もしくは芽香美に魔力を感じさせない何らかの手段があると思った方が良いのだろう。

 この空間がまずおかしい。

 魔力を一切感じない、自然から切り離された不自然。

 その中心に居たクティーラ。

 だが、クティーラは空に浮かび、一瞬で移動し、物理では考えられない攻撃を行っている。

 明らかに魔力を使っている。

 明らかに魔力を使っているのに、探知に引っかからない。

 つまり、クティーラは魔術師でありながら魔術の根幹を揺るがす存在だ。

 こんな存在、許して置けるわけがない。


「くそ……がぁぁぁぁああああああああああああああああああッ!」


 咆哮一閃。

 芽香美はわずか数秒で肌寒い天空へと舞い上げられながらも姿勢を整え、次の手段を講じた。


(引くしかねぇッ!)


 空間からの脱走。

 芽香美はこの場から離れるために一目散に後退を選んだ。

 今この瞬間にも遥か眼下から悠々と迫ってくるクティーラに一撃を喰らわしたい気分だが、仕掛けが解らない。

 この空間だからこそクティーラの魔力を感じられないのか、それともクティーラが居るからこの空間も魔力を感じないのか。


 両者は似ているようで大いに違う。

 前者ならば何かしらの術によって魔力の波長に歪みを生じさせ、魔術師に魔力の一切を感じさせない結界を張っていると推測できる。

 後者ならばクティーラの存在自体が理解を超えていると判断できる。

 どちらにせよ対抗手段などないが、今は無理でも次回という選択肢が芽香美にはある。

 逃げ切れず死んだとしても良し、逃げ切れるならばさらに良し。


 ──逃げる。


 そう、芽香美は後退を選んだ時点で逃げを選択している。

 これは今までの芽香美ならば、ほぼ在り得なかった行動だ。

 芽香美自身、ここまであっさりと撤退を選んだ自分に多少の違和感を覚えている。

 だが、それは相手の姿を視認した瞬間から頭のどこかで浮かんでいた思考の一つだった。


 成美。


 相手は何故か成美の姿をしている。

 クティーラと名乗る荒唐無稽の存在は芽香美が良く知る日常の存在を偽っているのだ。

 今ここで芽香美が仮にクティーラを倒す手段があったとしても、その謎が果たして解けるのだろうか。

 倒すだけならば、おそらく出来るだろう。

 相手がいかに魔力を感じない存在であろうとも、この空間がいかに異様であろうとも、芽香美は破壊の神であるセクメトの力を行使できる。


 行使できるのだ。

 半年前、複製体が魔術を放つ前に詠った超越存在へ至る言の葉。

 茫然自失となっていた芽香美は、けれど確かにその詠唱を耳にしていた。

 終ぞ鍛錬の間にその詠唱を唱えることはなかったが、確信はある。

 あの破壊への祝詞は転身の術式。

 人間でしかない人の身を破壊の神へと昇華させる唯一の手段。

 実行すれば芽香美はセクメトの力を純然に行使する存在へと至るだろう。

 さりとて、今はその時ではない。

 芽香美の中のナニカがそう訴えている。

 相手が成美の姿をしているからか?


 否。

 魔力を感じない謎が解けないからか?


 否。

 破壊神への転身が及ぼす肉体の崩壊を恐れているからか?


 断じて否だ。

 ことごとくが的を反れている。


 理屈ではない。

 クティーラという存在を滅することにこそ、一種の恐れを芽香美の中のナニカが訴えていた。


「あらあら、逃がさないわよ?」


 追ってくる。

 迫ってくる。

 眼前に居る。

 魔術としか思えない輝きを魔力も感じさせずに拳に収束させている。

 成美の顔で。

 成美の身体だ。


「ほらほら、たぁっち」


 柔らかく喉に触れてくる。

 あまりにも自然な動き。

 あまりにも不自然な感触。

 触られたと感じるまで一切の認識を許さないクティーラの移動。

 優しく肌を撫でられた感触と、その瞬間に背筋を奔った雷撃のような恐怖。

 脳が混乱を来す。

 肌に感じた優しさと背中を襲った結果が噛み合っていない。


「一撃突破ぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」


 芽香美は即座に反転。

 推進力を武器に変えるという点に置いてこれ以上の魔術を芽香美は知らない。

 クティーラに背を向け、敵も居ない虚空に向かって芽香美の身体は術式が描く魔なる術によって世界の法則を否定する加速を見せた。


「エクサス──」


 その言葉を紡いだ時には、クティーラを内包した不自然空間を後方に置き去りにする。


「エクシイィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイドッ!」


 敵もいない、物体すらいない虚空へと魔術を打ち抜くしかない。

 一度発動した魔術を止める術を芽香美は知らない。

 あまりにも滑稽な姿を晒している。

 それでも、それでもだ。

 追ってくる気配はない。

 突然頭上に現れるクティーラの存在はない。

 喉元を触れてくることもない。

 背筋を奔る恐怖を感じない。

 魔力を感じない空間は遥か後方に在る。

 追って来ていない。


 追って来られない?


 ならば芽香美の立てた仮説が正しかったのだろうか。


(……っざけんなッ)


 そんな馬鹿な話があるわけがない。

 クティーラは「逃がさない」と言った。

 喉に触れられた時点で芽香美は負けていた。

 背中に恐怖が奔った時点でクティーラは勝利していた。

 気配はないのに、大気を満たす魔力を感じるのに、不自然な空間から距離を離したのに、芽香美は未だにクティーラが至近距離にいるような感覚に囚われていた。

 そもそも芽香美はクティーラの動きをまるで追えていなかった。

 突然現れた時も、背後を取られた時も、頭上に移動された時も、喉に触れられた時も、気が付いたらそこにいたのだ。


 ならば今この瞬間、芽香美の認識できる感覚の全てが『逃げ切れた』と思っている思考をどうして信じられることが出来るのか。

 今にも後ろから声が聞こえてくるかも知れない。

 気付かぬうちに心臓を抉り取られているかも知れない。

 それを否定できない。

 居ないと確信できるのに。

 背中に燻る得体の知れない恐怖が拭えない。


(落ち着け……ッ!)


 芽香美は頭を振った。

 相手は今すぐにでも芽香美をどうこう出来るのだろう。

 それは確かだ。

 しかし、それは芽香美も言える。

 クティーラがどこまで本気で言ったのかは解らないが、「魔力のバケモノ」と芽香美を称した。

 口ぶりからしてセクメトを知っているのは間違いなく、バケモノという呼称を使ったのは本心からセクメトを苦手に思っているからこそだろう。

 なにより、殺せるタイミングで芽香美を殺そうとしなかった。

 それは、芽香美が導きだしたこの推測を肯定することになるのでないだろうか。

 芽香美がクティーラに対して破壊への祝詞を捧げなかったように、クティーラも芽香美に対して本気になれなかった。


 お互いがお互いに本気を出せなかった。

 芽香美は意識ではなく本能のようなナニカが静止をかけた。

 もしもクティーラも同じような理由だとするならば、喉に触れるだけで切り裂かなかったのも頷ける。

 だが。


「ちッ」


 芽香美は忌々し気に後方を睨みつけた。

 逃がさない。

 それは文字通り逃がすつもりはないということだ。

 芽香美が全身全霊で逃げ切ったと理解していながら、冷静な部分が逃げ切れていないと判断したように、今も芽香美はクティーラが魔の手を伸ばせる所に居る。

 そう判断するしかない。


「ったく、呪いかこれは……ッ」


 芽香美はつい、そう嘆いた。

 何度も死んだ末に魔力を手に入れてクトゥグァを退けた。

 モルディギアンに殺されても、セクメトの力を扱う術を知ることが出来た。

 次は負けないだろう。

 そう思っていたのに、今度は魔力を感じない存在が表れた。

 呪い。

 芽香美はそうとしか思えなかった。













 呪い。

 芽香美が己の目の前に現れる事象を嘆いている最中、時を同じくして内なるセクメトもまた、そう感じていた。


『かくも……かくも此処まで……ッ』


 クティーラがセクメトの存在を知っていたように、セクメトもまた、クティーラの存在を知っている。

 クティーラ自体は取るに足らない存在だ。

 その神性はセクメトの足元にも及ばず、何の邪魔もなければそれこそ一瞬で勝敗を決してしまう程度に差が大きい。

 だが、芽香美は逃げを選んだ。


 それは正しい。

 仮にセクメト自身がクティーラと相対していたとしても、芽香美と同じく逃げの一手を打っていただろう。

 それ程にやっかいな相手。

 そんな相手が何故かこの世界に顕現している。

 もしも芽香美があのまま敵対を続けていたならば、セクメトは沈黙を破って芽香美に撤退を選択させるために介入さえしていただろう。


『解っていたというのか……ッ!』


 セクメトはクティーラに手を出してはいけない。

 手を出してはいけない存在が、このタイミングで現れた。

 芽香美が繰り返す謎を解き明かすために力を得ようとしていた、このタイミングだ。

 偶然などではない。

 まるで、世界がそれを望んでいないかのように顕れた。

 ナニカの意思の元に。

 そう命じられたかのように。

 不自然に。


 何故。


 何故、郁坂芽香美は繰り返している。

 何故、郁坂芽香美の魂には旧き印が刻まれている。

 何故、そんな人間の中にセクメトが封じられていた。

 繰り返した末に芽香美が魔力を手に入れ、セクメトが覚醒し、されど禁忌とさえ言えるクティーラと邂逅を果たしたのか。

 仕組まれている。

 それも、それらが全て相反する理の元で。


 繰り返すのも。


 旧き印も。


 セクメトの封印先も。


 クティーラの存在も。


 そして、この世界もだ。


 全てがちぐはぐで、とりとめがない。

 唯一解っているのは、それらが全てセクメトにとって悪い方向に振り切れているということだった。


『──よかろう』


 セクメトは静かに呟いた。

戦闘が始まると思った?

残念、仲良く遊んだだけでした☆


誤字脱字、読みにくい部分があったら申し訳ないです。

評価ポイントが上がったのが最近あった最もうれしいことでした。

良かったら感想も書いてやって下さい。



さて、物語がようやく転がりそうになってます。

どう転ぶか作者にも解らないってのがSAN値を削ってきますが(汗



~次回予告~


芽香美「なぁ、てめぇは明日の自分がどうなってるか想像できるか?

    どんな運命をたどってんのか。

    自分の力でどうにかなるってか?

    はッ、解るわけねぇよな。

    良いぜ、その方がシアワセだ。

    本当に大事なのはな、何を壊し、誰から奪うかだ!

    それを決定出来る絶対の存在に成ることなんだよッ!


    それが破壊! 私の求めていた力……!」




セクメト「ここからは私のステージだ!!」








超嘘です。


次回更新予定日→6月中にはなんとか(白目

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