1日目
異世界に来たら何をするか。
元の世界の知識を使って金儲けするか?
ヒーローとなってこの世界を救うか?
女の子にちやほやされる?
否
特に才能がない俺は明日の命さえも怪しい。
この世界に持ち込めた物は財布のみで、スマートホンや学生鞄は元の世界に忘れてしまったか、こちらの世界に来る時に途中で落としてしまったようだ。
何よりもまず確認したい事。それは・・・
言葉が通じるか否か。
文字は読めない事が判明している。更に言葉も通じないのであれば意思疎通が出来ず、待っている道は餓死か食われるかだ。
町に入って左側のパン屋と思わしき店前に立つ。
「こんにちは。」
「いらっしゃい。」
言葉が通じた。原理は不明だが通じるものは通じたんだから細かい事は気にしないで置こう。
パン屋に来たんだからついでに買い物もしようと思うが、持っている金は使えるのだろうか?
「この通貨使える?」
「見た事も無い通貨だな。この町じゃ使えないよ。」
軽く遇われた。
「両替は出来ないけど、この道を歩いて一つ目の角を右に曲がった先に骨董品屋があるから、値打ち物なら金を出してもらえるよ」
渡りに船。通貨ならば少しだけでも買い取ってもらえる筈だ。
パン屋にお礼を言うと教えられた骨董品屋を目指す事にした。
道中周りからの視線を感じたが骨董品屋に到着。看板は見当たらないが古い物ばかり置いてあるので間違いないだろう。
カウンターに居る白髪交じりの金髪と髭を生やした店主と思わしきお爺さんに財布の中身を見せる。
「見た事も無い通貨だな。これは銅、コレは何か混ぜてあるな」
虫眼鏡を出して鑑定が始まる。この人が店主で間違いないようだ。
その間暇なので店の中を見せてもらう事にした。
妙に錆臭い鎧や剣、見た事もない石、骨董品屋には必ずある古い壷。まるでRPGの世界に来た気分だ。
「鑑定終わったぞ。」
店主の声に反応して鑑定の結果を聞きに行く。
結論から言うと350マルクと言う通貨になった。銅とアルミは少し良い値段だったが、白銅である百円玉は銀ではないという事で安かった。千円札も綺麗な絵として買い取られた。
因みに手渡されたのは大銅化3枚と銅貨5枚である。
しかしマルクと言う通貨が果たして幾らなのかが分からない。昔のヨーロッパで使用されていた通貨単位ではあるが、同じ価値なのか。
そこで俺はパンを買って物価を調べる事にした。
骨董品屋の店主にお礼を言うと、最初に行ったパン屋に再び戻る。
「パン一つ8マルク1グランだよ」
聞いた事のない単位が出てきた。
取りあえず十マルクと思わしき銅貨を渡すと一回り小さい銅貨と、更に小さな四角い銅貨五枚がお釣りとして帰ってくる。この四角い銅貨が一グランらしい。
このパンを85円として考えれば、1マルクは10円。1グランは1円と言う事になる。1円のみ言い方が変わるとは随分効率の悪い通貨だ。
ともあれ大体の物価が分かっただけ良しとしよう。
働かない事には宿に止まることも出来ないので職探しをしている事を伝える。
「それならこの道を左に真っ直ぐ歩いていけば案内所があるよ。」
再びお礼をし、教えられた場所まで歩く事にした。道中やはり視線を感じる。
歩いていると左側に張り紙だらけの掲示板を発見した。俗に言うクエストボードと言うものだろう。
早速何か無いか見てみるが、文字は読めない。
仕方なく奥に居る店主らしき人物に話す事にした。
「1日単位で金が出る場所は無いよ。ここは長期の職案内所だからな。」
心が折れかかった。
しかし、この際長期でも良いからどうにかして職を探してもらわないと自分の命が危険だ。
「それなら料金は高くないけど住み込みで募集してるところがあるよ。食堂を兼ねてる宿屋でね、母娘二人で切り盛りしてるんだ。」
「是非とも紹介してください!」
つい大声になってしまった。
「分かった、ちょっと待ってな。」
店主は紹介状を書いてくれているらしい。住み込みと言う事は宿は気にしなくて良いと言う事。問題が一つ解決した。
「これを渡せば良い。場所は店を出て正面の道を進んで右に曲がった先だ」
髪を受け取り教えられた場所まで歩く。正面の道を見ると奥に城の様な建物が見える。先程丘の上から見た時は全く気にしていなかった。
看板にベッドの様な物が書かれていたのでおそらくここだろう。
扉を開けると中は小さな居酒屋の様な佇まいになっていた。正面には部屋に通じる通路が見え、その横にはカウンター。そして手前には4つ椅子がセットしてあるテーブルが3つ置かれていた。
カウンターの奥のキッチンでは女将らしき人が鍋で調理をしていた。
「すみません。職案内所から来た仁岡響也です。」
俺の声に反応して持っていたレードルを脇にあるまな板の上に乗せるとこちらに歩み寄ってくる。
紹介状を渡すと女将は一笑いする。
「あんた本当に字が読めないんだね。ここには『字も読めない変な身なりをした男だが、生活に困っている。ただ同然に使ってやってくれ』って書いてあるんだよ。」
あの案内所の店主め。
「だけど住む所も無くて住み込みで来てくれたんだ歓迎するよ。困ってる人は放って置けないしね。」
どうやら採用してくれたらしい。コンビニやウェイターのアルバイトをしていたから接客は何とかなるが、問題はベッドメイクだ。
「奥の部屋で娘のカレンが作業してるから早速行って仕事を始めて。」
そう言われ俺は奥の部屋をノックをして一つずつ見ていく。中はベッドが二つとテーブルが一つ、椅子が二つになっており、部屋の数は4つで、左右に2部屋ずつと言うレイアウトになっている。
カレンが居たのは右の奥の部屋だった。歳は俺より少しばかり下で、背中まで伸びた金色の綺麗な髪と、同じく透き通る様な瞳をした品格を感じられる少女だった。
「いらっしゃいませ。今ベッドメイクしているので少々お待ち下さい」
どうやら俺を客と間違えているらしい。
「俺は仁岡響也。今日からここで従業員としてお世話になります。」
敬語交じりの挨拶をするとカレンは少し俺を見た後納得して仕事の説明を始めた。
シーツの広げ方や掃除の仕方を教えてもらい、言われた通りにやってみる。
「問題無さそう。私は向かいの2部屋をやるから隣の部屋もお願いね。」
そう言ってカレンは向かいの部屋に向かった。
俺は隣の部屋に移動し、掃除とベッドメイクを始める。
2時間後、裏庭の草むしりをしているとカレンが昼食の時間だと呼びに来た。俺にとっては夕食に近いが。
キッチンに行くと3人分の食事が用意されていた。メニューは大きなレモン状のパンを横向きに切れ目を入れ、レタスとトマトと薄く切ったハムを挟んだサンドイッチと、少し水っぽいコーンポタージュであった。
食事を終えると3人の男が食堂に入って来たので俺はカウンター越しに身を乗り出す。
彼等は冒険者と呼ばれる者らしく、町や国を転々としながら生きていく。日本では流浪の者と言った所か。
「おぅ兄ちゃん。ラム酒1本と豚ステーキ3皿頼む。」
メニューを見ずに注文するが、女将は当然の様に準備を始めた。
カレンは棚からラム酒の瓶を取り出しコップを添える。俺はそれらを男達の下へと持っていく。
男の一人がラム酒を奪うように受け取ると素早く3つのコップに分けた。それと同時に全員が一気飲みをし、「あぁー」と声が上がる。
話によると彼等は、ここより西にあるラダウィッチと呼ばれる町から王都であるダイアバルに向けて旅をしているらしく、この町ジントリムには通過拠点として寄ったらしい。
知らない単語ばかりだが覚えないと死活問題になりえる。
冒険者の一人が立ち上がり、カレンの居るカウンターへ向かい宿の予約をする。文字が書けないのでこの仕事はカレンか女将にやってもらうしかない。男は金を節約する為1部屋のみ借りる事にしたらしい。
ラム酒の2杯目も一気飲みかと思ったらチビチビと飲んでいる。節約の為味わっているようだ。
ステーキも出来上がると俺が2皿、カレンは1皿を男達に持っていく。
端を切って食べるその様は先程食事を済ませたのに腹が減る食いっぷりである。
この世界でのステーキはニンジンやコーン等は乗せておらず、茹でたジャガイモが添えられているだけであった。
歩き通しで疲れていたのだろう彼等は食事が終わると部屋に入る。
俺は皿とコップを回収すると洗い物をする為キッチンに入るが、水道が見当たらない。
「洗い物は庭の井戸を使って。」
そう女将に言われ勝手口から裏庭に出る。そこには井戸と瓶と蓋付きの桶が置いてあった。
井戸の使い方は分からないがロープに繋がっている桶を中に落として反対側のロープを引っ張ってみると水の重みがズシリと来る。正解の様だ。
桶の水を瓶に移し、金属製の柄杓で水をかけながら丸めた藁で皿を磨いていく。
「それじゃ油が落ちないでしょ。」
後ろから声がし、振り返るとそこにはカレンの姿があった。
「桶の中に灰汁が入ってるから使って。」
蓋付きの桶には灰汁が入っており、昔はこれが洗剤だった。
「それにしても奇妙ね。着ている物も奇妙だけど、体には汚れも無いし洗い物も知らない。貴族かと思えば字も読めない。」
少し動揺した。
しかし、これからこの宿で世話になる以上何れは話さなくてはいけない事なので腹を括って話す事にした。
「俺は異世界から来たんだ。気が付くと丘の上に居て、生きるために職を探していた。」
勿論カレンは信用なんてしない。それどころか医者を紹介するとまで言われる始末。
そこで俺は唯一の持ち物である財布をカレンに見せる事にした。
この世界には存在していないであろうポリエステル製の側に店のポイントカードや診察券等を目の当たりにすると、カレンも少しばかり動揺したようだ。
「この絵に描かれているのあなたよね。」
カレンが気になったのは中型自動二輪の免許証に付いている写真である。この世界ではまだ写真が存在せず、カラー写真なんて以ての外。
洗剤やスポンジなんかが作れれば異世界人の証明にもなるが、生憎俺は作り方を知らない。二輪免許も先輩との付き合いで取っただけでバイクそのものも持っていない。
しかしカレンは写真を見て納得したらしく、それ以降証明しろと言う話はしなくなった。
その後、洗い物を終わらせ食堂に戻ると二人の冒険者が宿を求めて入店してくる。
午後の部はこの五名だけで終了。
女将にも自分が異世界人である事を伝える必要があるので、空き時間である今の内に話しておこう。
写真とカレンの説得もあり、女将はすぐに信じてくれた様だ。
「まぁ、信じるのは半分だけどね。文字も読めない人間が泥一つ付けずこの町に来るのは不可能だ。」
俺は胸を撫で下ろす。
「取りあえずカレン、響也に服を買ってきてあげな。目立ってしょうがないよ。」
金は自分で出すと言っても聞かない女将に圧倒され、俺はカレンと共に服屋に向かうことにした。
丘の上から見た時は気が付かなかったが、この町は真ん中の城を中心に円型になっていた。とは言え、城もそこまで大きいと言う程ではなく、一般的な学校とほぼ同等である。
服屋に着くとカレンは服を選び始めた。俺は店を見渡してみるが見慣れたマネキンやハンガーは無く、畳んだ服が棚の上に陳列されているだけだった。
カレンが裾の長い『チュニック』を俺に当てて頷く。カレンの中で何かが決まったらしい。
その後、膝から下が窄まった『ブレー』と言うズボンを持ってきて宛がう。何となくデートをしている気分だ。
「奥の更衣室で着替えてきて。」
カレンに言われて更衣室に向かう。そこは白いカーテンを立てかけてあるだけの場所。まさかここじゃないよな。
「店内で待ってるね。」
本当にここだった。
カレンが用意してくれたのは白いチュニックとカーキ色のブレー。演劇部の部屋で見た事があるような品物を自分が着る日が来るとは思わなかった。
ベルトの類が無かったので制服のベルトを使用することにした。これで服装はベルト以外異世界品となる。
だが、思いの外着心地は良い。天然素材特有の吸収力で少しだけ汗ばんでいた背中が涼しく非常に快適である。
更衣室を出るとカレンが30センチ程の大きさの鏡を持って立っていた。鏡と言っても銀のプレートを磨き上げた鏡なので見慣れている物と比べると少し暗いが、写っているのはRPGによく居る町人の姿だった。
自分でも驚くほど溶け込んでいたので、初めてここで異世界に馴染んできたと感じた。
「その格好だとまだ寒いからこれも着てね。」
そう言ってカレンは藍色のベストを手渡してくれる。通気性の良い服にしたのもあるが、言われてみれば確かに少し寒い。
ベストを着て再び鏡を見る。藍色のベストのお陰で今度はイベントが発生しそうなサブキャラの姿になった。
会計を済ませるとその服のまま外に出る。先程までの視線は感じなくなったが、少し見ている人は居る。
おそらく髪色が原因だろう。この町に来てから黒髪をした人間を見た記憶がない。
宿に戻るとキッチンで夜の部の仕込みをしている女将に報告。
「おやぁ、良い男になったじゃないか。」
親戚のおばちゃんみたいなことを言われたが素直に嬉しい。
すると、店のドアが開き一人、また一人と飲食を目的とした人が入ってくる。夜の部が始まった様だ。
この食堂での一番人気はラム肉のステーキ。肉の腐敗に関して心配したが、肉が入っている石で出来た箱には青く光る石が入っており、この石が冷気を出しているので腐らない仕組みになっている。つまり冷蔵庫だな。
町の東には海があり、新鮮な魚介類も多い。大きな海老や赤身の魚、日本だと幾らになるのか想像するだけでも恐ろしい。
五時間程経つと最後の客が食堂を出て行き、本日の仕事は終わりである。この世界では午後10時頃だとしても、俺にとっては深夜を通り越して徹夜をした気分だ。
笑い上戸な女将には存分笑われた。
「通路の右にある部屋が物置代わりに使ってる空き部屋だから、その部屋を使っとくれ。」
そう言われフラフラしながら部屋に入る。しかし眠気が限界になった俺はそのまま部屋に倒れこむと睡眠に入った。