第四話 『種族』
しばらく沈黙が流れたのちに、誰かが人知れず呟いた。
「人狼だ……!」
そして、その言葉がトリガーとなったのか、村の男たちが抑えている兵士を置いて散り散りに逃げ始める。
ヴィオラはというと、どうすればいいかわからずただ立ちすくんでいるだけだった。
しばらくしたのちに、抑えられていた兵士が立ち上がり、リズに向けて銃口を向け、引き金を引く。
だが、発射された銃弾は彼女に当たることはなく、次々と彼女のナイフに切り刻まれていく。
そして、周りに私達しかいなくなったのを確認してから、彼女は兵士だったものをむさぼり始めた。
先ほどまで軍服に包まれていた彼らの肉体からは、白い骨が露出する、無残な死体となってしまっていた。
「……リ、ズ?」
しばらくしたのちに、ヴィオラがおずおずとリズに話しかける。
今の彼女は、あまりの非日常的な現状のせいか、頭が回っていないらしい。
だが、肝心のリズであろう少女からは返答はなく、ただただ男たちの肉体を貪っていた。
まるで、『人狼』という言葉がそのまま彼女の印象に当てはまっていた。
私はその惨状を見て、自然と昔を懐かしんでいた。
血にまみれた軍服。戦争が続き、食べる物がなく、腐りかかっている兵士の肉体を貪り始める少女。
私はそんな現状に、激しい怒りを覚えたことを今でも忘れていない。
だが、彼女がしたことはその時とはまるで違っていた。
自分から人を食いにいった。
「……さてヴィオラ。私たちは戻るとしよう。ここにいてもお邪魔なようだ」
「……え?」
「ほら、彼女の理性が保たれているうちに戻るとしよう。このままでは、私たちは彼女の餌食だ。私は見ての通り美味そうだからな」
私はそう言って彼女の体を無理やり持ち上げ、家に避難することにした。
ヴィオラはその事が恥ずかしいのか、私の背中を思いきり殴ってくる。
私はその痛みが、生きている実感だという事をしみじみと感じていた。
私が彼女を先導し、戸を閉めると彼女も落ち着いたのか、ベッドに腰かけて話しかけてくる。
「……なんで、あの状態の彼女に理性があるって思ったんだ?」
「その前に答えてもらおう。あの状態、とはどういう事だ?」
私は床に腰かけ彼女の返答を待つ。
しばらくすると、彼女は観念したのかゆっくりと話し始める。
「……リズは、人狼っていう珍しい種族なんだ。なんでも、月が出ている夜に外に出てしまうと、その……残虐性だけの存在になってしまうんだ」
「種族? 彼女は、人間ではないのか?」
「いや、彼女はれっきとした人間なんだ。『人狼』という種族の人間だ」
ヴィオラは俯きながらそう答えると、自分の頭を抱え始める。
「だが、それがわかっているなら何故管理しようとしない? 彼女を夜間だけ抑え込むことなら……」
「……冗談でも怒るぞ。リズは私の友達だ」
ヴィオラは私の言葉に食って掛かるように顔を上げる。
友達だから、監視下に置かせないとでも言いたいのか?
「その『友達』という言葉がどこまで信用できる?」
「……なんだと?」
「絆? 友情? 信頼? はっきり言って、そんなものは私からすれば馬鹿馬鹿しい」
私がそうつぶやくと、ヴィオラは私の襟首をつかみ、壁に叩きつけた。
「……黙れ」
「信頼というものが本当にあるのなら、何故ここの村人は彼女から逃げ出した? 昼間はあそこまで良い子な彼女から」
「黙れ!」
「簡単だ。『怖いから』だ。恐怖という感情に打ち負かされる『信頼』とやらに一体どれほどの価値があるのだ?」
「私は、彼女を見捨てて逃げたりなんかしていない!」
「そうかね? 私には、彼女に対してキミから感じた感情は、恐怖に限りなく近いものだと思ったが?」
「そんな事……!」
「あるとも。この世に絶対的な味方などいない。明日の敵は、彼女かもしれないぞ、少女よ」
私はそう喋り終えた後、少女は今にも私を睨み殺そうとせんばかりにこちらを見つめていた。
その目に映る私は、いつものように浮かべている笑みは浮かんでいなかった。
「お前には親も、恋人も、友もいなかったとでも言うつもりか?」
「いたとも。だが全員、最終的には私の敵になった」
「……お前、可哀想だな」
「何とでも言うといい。それが私、『アルノエル』だ」
私がそう言い終えると、彼女は私に背を向けるようにしてベッドに寝転んだ。
そして、しばらくしたのちに私は先程の質問を思い出し、虚空に向けて話し始めた。
「失礼。先程の問いに答えていなかった」
「……」
「私が彼女が理性を保っていると思った理由は、彼女がキミに襲い掛からなかったからだ」
「……!」
「位置はあの男よりも近かったはずなのに何故か茫然としているキミだけは狙わなかった」
「……それって」
「私はそれが友情の力、などとは言うつもりは一切ないが、彼女はキミを殺す気はなかった。それだけははっきりと言える」
「行け少女よ。本当に彼女を信頼するのなら、行ってキミの言う友情とやらを確めて来るといい」
私はそう言い終えて床に着くと、私の背後をバタバタと騒がしい足音が駆け抜ける。
そして、騒がしく玄関の扉を開けたと思ったら、今度は乱暴に閉まる音が部屋の中に響いた。
私は騒音の後、静まり返った部屋の中で人知れずため息をついた。
私は物心ついてから出来る限り笑みを絶やさずに生きてきたつもりだ。
私の中にどんなに怒りが積もろうが、どんなに悲しかろうが、常に笑う事を意識していた。
何故なら、それが私の中での上に立つ者の象徴だったからだ。
だが、今さっきの出来事でまだ大人にすらなっていないであろう少女に心から返答してしまった。
不愉快だった。心からそう感じた。
そして何より不愉快だったのは、ヴィオラ……少女の目が、心からリズを信じていたことだ。
私は独裁者になり、世界を平和にするため悪の道に堕ちた。
レジスタンスの村を圧倒的な軍力で滅ぼし、女子供構わずを根絶やしにした。
私の配下の者たちは皆その事について異議を唱えず、ただただ狂気的な笑みを浮かべ、私の手足となってくれた。
私は彼らを非難する気はない。それどころか、今でも彼らは私にとっての英雄だと信じて疑っていない。
私には向かうものは彼らを使って殺してきた。
親。恋人。友人。
全て歯向かってきた敵だ。
だが、本当は彼らは私を殺しに来たのではなく救いに来たのでは、一瞬だけ考えさせられてしまった。
彼女……ヴィオラの目に感化させられて。
「……フフ、クハハハハ」
……笑わせてくれる。
私には悪の道こそが正義の道だ。
世界平和を願うことが悪だとするのなら、私は喜んで悪に染まろう。
私はいつも通りの笑みを浮かべながら、床に着くことにした。