第三話 『帝国』
その日の夜、私はヴィオラの家で寝泊まりすることになった。
彼女はもうすでにベッドの上で無防備にも眠っているが、私は昼間彼女に蹴られた頬をさすりながら読書に浸っていた。
彼女の家は意外にも綺麗に片付いていて、家具と言えばテーブルに椅子、そしてベッドに本棚と、どちらかというと生活感のない印象を感じる。
家自体の構造はいわゆるワンルームで、玄関の戸を開けたとたんに彼女の部屋が広がっていた。
私はそんな彼女の部屋の隅で、木造の壁に寄りかかっていた。
この世界の文字は英語にとても良く似ているが、どこか違和感を感じる程度には違っている。
そうなると、きっと私は元居た世界とは違う世界、俗に言う異世界に転生したといったところだろうか?
食事も我々の世界とはかなり異なっていて、小麦粉に主菜を練りこみ、火を通して食べると言ったのが主食らしい。
分かりやすく言うと、ピザの様なものだ。
私としては、非常に満足だった。これではまた肥えてしまう。
「さて、そろそろ私も寝るとしよう」
私は人知れずそんなことをつぶやき、近くにあったロウソクを消す。
そして、彼女の部屋にあった恋愛小説を本棚に戻し、ボロボロの布を体にかけて目を閉じた。
その瞬間、聞きなれた爆音が、耳をつんざいた。
この銃声はヴィオラにも聞こえたらしく、彼女は飛び起きて近くにあった大剣を持ってこちらを睨んでくる。
それに対し、私は両手を広げることで返事をした。
その銃声からしばらくすると、スピーカーを通して男の声が聞こえてくる。
「この村で昼間、銃声を確認した! それに関わる者、密閉する者は直ちに出頭しろ!」
「帝国!? じゃあ、アンタは本当に……!?」
「そうだとも。まあ、わかってくれたのならいい」
私は彼女に向けて笑みを浮かべ、向き合うように床に座る。
「少しばかり力を貸してくれたまえ。この作戦は、君がいないと成功しない」
「……どんな作戦だ?」
「そうだな……」
外に出てみると、十人くらいの帝国のものであろう男たちに、昼間騒いでいた男たちがホールドアップされていた。
私は、そんな彼らの耳に届くように拍手をしながら歩いていく。
そして、四、五人の男たちたちがこちらに気付き、アサルトライフルの銃口をこちらに向けてくる。
その銃の種類は暗いせいで良く見えなかったが、ほとんど前の世界のものと一緒だという印象を受けた。
そして、彼らが着こなしている物もまた、軍服に他ならなかった。
「いやはや、見事見事。上からは聞いていたが、ここまで優秀な人材をまとめることが出来て、私も鼻が高い」
「貴様、何者だ!」
「うん? 上から聞いていないのか? 私が今日から諸君の司令官となる『アルノエル』だ」
私の言葉に、男たちは動揺し始める。
それもそのはずだ。そこでホールドアップされている男たちの民族衣装の様な服装とは違い、私が来ているのはれっきとした白いタキシードなのだから。
そして、何より彼らに敵意を抱かせないであろう出来事は、この村の男たちからのブーイングだ。
少しの間男たちから戸惑いの声が上がったのちに、男たちがタイミングは違えどこちらに敬礼し始める。
そして、最後の男が敬礼し終えたのち、一番体格のいい男がこちらに話しかけてくる。
私はそれに違和感を覚えながら返答した。
「……一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「いいとも」
「何故、司令官殿がここにいるのでありましょうか?」
「何故か? それは君たちが何故ここにいるか、という問いにも通じるがね」
「何故って……銃声の正体を確めに……まさか!」
「そうとも。この少女が我々の力を奪い、私に牙を向けて襲い掛かってきた。この傷も、彼女のせいだ」
そう言って私はある程度乱暴に縄で両手首を縛られているヴィオラを兵隊の前に突き出した。
「来たまえ、彼女の奪った銃は一つや二つではない。とてもではないが、私には運び出せないのでな」
そう言って私はヴィオラの家に彼らを誘導する。
私が歩を進めるたびに村の男たちからの罵詈雑言が激しくなっていく。
私は一度振り返り、そんな彼らに満面の笑みを作った。
「司令官殿、こいつはどうしますか?」
「そうだな。……ではそこのお前、そいつを見張っていろ。言っておくが、その女は私のものにする。手を出したのなら……」
「わ、わかりました!」
私は一番敬礼が遅れた若い兵士にヴィオラの見張りを任せ、彼らをヴィオラの家に向けて案内し始める。
そして、しばらくすると先程の男の断末魔がこの村に響き渡ると同時に、帝国の男たち全員が銃口を何故か解放されている彼女の方に向ける。
それと同時に、ホールドアップされていた男たちが解放され、私についてきた男たち以外は全員抑え込まれた。
その事態に先程の屈強な男以外は動揺し始め、ヴィオラは私が渡したナイフで帝国兵ののど元をかき切っていく。
当たり前だ。もともと彼女の両手首にあった縄は、かなり緩く縛ってあったのだから。
そして、村の男たちに拘束されている者以外に残っているものは、屈強な男だけとなった。
だが、彼の銃口は的確にヴィオラを捕え、離そうとはしていなかった。
「……貴様、何者だ?」
「私かね? 少なくとも、諸君らの指揮官ではないよ」
「成程。食えない男だ」
男は背中で私に話しかけた後、私とヴィオラが視界に入る場所に移動する。
「さて、今度はこちらの質問だ。君たちは本当にこの世界の者なのか?」
「……何が言いたい」
「君たちは私の服装を見てどうして『味方』と確信することが出来た? それはきっと、『この時代ではありえない服装』だからだ」
「……」
「それに、君たちはここに『銃声がした』というだけで押し掛けた。それはきっと、『帝国以外が銃を持つことがあり得ないから』であると私は考えた」
「さて、君はどう答える?」
私は自分の中の屁理屈にすぎない仮説を言い終えた後、男に向けて両手を広げた。
そして男は、少し経った後急に笑い始めた。
「なるほど。名推理だな。だが、私は帝国で雇われた傭兵に過ぎない。クライアントの事など全く知らない」
「ほう? じゃあ、ここにいる者は帝国の私兵ではないと?」
「そうだ」
「それはおかしな話だろう? 帝国がよほどのアホでなければ、反逆者が傭兵に成りすます、なんてこともあるはずだ」
「さあな? 俺はもうこれ以上は喋らん。ここで貴様らを皆殺しにした後、帰らせてもらう」
男はそうつぶやいた後、銃の引き金に力を入れ始める。
だが、銃弾は発射されることはなかった。
リズが、彼ののど元に包丁を突き刺したからだ。
あまりに突然な出来事で反応することはできなかった。
だが、その男の背後に立っていたのは、まぎれもなくリズだった。
「……え?」
最初に言葉を発したのは、ヴィオラだった。
村の男たちは茫然と、兵士を捕えている力を抜かずに彼女を見ていた。
私もそんな彼らの例にもれず、リズを見つめていた。
一体いつから彼女はそこにいたのか。そんな疑問が私の頭の中によぎることはなく、ただ彼女を見つめていた。
そして、月明かりが彼女の顔を照らすとき、私は気付いてしまった。
彼女が憎むでも怒るでもなく、ただ無表情で死体となった男を見つめていた、という事実に。