君じゃなくてはダメなんだ (ヒューマンドラマ/★★)
ね〜、つぶつぶ。講義のノート、コピらせてくれない? つぶつぶなら毎回出てるでしょ? ちょっと単位が危なくってさ。お願いできない?
昼飯おごってくれるならいい? お安い御用!
ふっふ〜ん、持つべきものは友達ね。それも勉強ができる人。
友達はいい意味で選ばないと、自分が損よねえ。つぶつぶがそばにいてくれて助かってるわ。いつも。
相変わらず、いい性格しているな?
おっと、それはほめ言葉ね。友達付き合いだって、自分のプラスにできる人を選ばないと、関わり合っている時間が無駄だと思うのよね。
生きている時間は限られているんだし、走り続けないと。
枷も縛りも必要ないわ。邪魔臭いことこの上ない。効率よく生活しないとね。
ん? つぶつぶ、なんか言いたそうね?
無駄無駄と、無駄にしてるの、自分自身?
はは、相手は悪くないというわけね。全ては受け取り方、飲み込み方次第と。
物書きらしい意見、ありがと。じゃあ、貴重なご意見に敬意を表して、昼ごはんにおまけをつけましょうか。
つぶつぶの好きな、面白い話という奴ね。
つぶつぶにもお願いしたような、講義ノートのやりとり。大学じゃ、よく見られる光景なのは、ご存知の通りね。
うちのお母さんも講義ノートのコピーを許可したら、コピーをコピーした孫ノート、それをコピーした、ひ孫ノートと広がっていって、テスト直前には教室のあちらこちらに、お母さんのやしゃ孫ノートが出回る始末。
だけどさ、それって相手の労力をパクっているわけじゃない。それでいて、のうのうと暮らしているって何なのよ。
効率を優先する私だって、つぶつぶにノート借りるの何回目かわからないけど、借りは返しているわよね? ただで頂戴する、というのはちょっと気が引けるわ。こうして、当人を前にしているわけだし。
それがやしゃ孫ノートともなれば、書いた人が誰か分からないでしょ。
顔が見えないと、人間怖いわねえ。気兼ねも節操もなくなる。軽く扱いやすくなる。
対象者に渡してもらうためだけに、コピーを預かる人もいたかもしれない。人から人に渡すためだけの、「ボンド役」ね。
これはそんな、「ボンド役」を任された女の子の話よ。
その子は運動も勉強もルックスも、悪くはないのだけど、目立つほどではなかったわ。
ただ、身だしなみはきっちりしていて、いかにも名門女子高あがりの雰囲気がプンプン漂っていた。
そりゃ、名門といったって、くだけた女の子はたくさんいただろうから、傍から見ると、彼女はステレオタイプな「雰囲気優等生」だったわけ。
そんな彼女が、ある日、ゼミで一緒の男の子に声を掛けられたわ。
彼は人並み外れたイケメンで、彼女自身も少なからず興味が湧く人だったみたい。何かな、と胸をドキドキさせながら続きを待っていると、彼はノートのコピーを出してきたの。
これを、次の講義を受ける某君に渡してほしい、というお願い。彼女と某君は同じ講義を受けていたけれど、彼は用事があって渡せない、と言ってきたらしいの。
自分に関心があるわけじゃないのか、と彼女は少しがっかりしたけど、気を取り直すことにしたわ。
某君も、悪い男じゃない。正当な理由で近づけるのなら、それでもいいかな、とその時は彼女も思ったみたい。
ところが、それからも彼と某君をつなぐ「ボンド役」は続いたわ。
最初の数回は気に留めなかった彼女だけど、月に何度も頼まれるようになると、さすがに嫌気がさしてきた。彼ら二人は、自分に対して、関心を抱いた様子もなく、悪びれもしないんですもの。
頭にきて、その怒りをぶつけると、彼はペコペコして言ったそうよ。
「いつもごめんよ。君じゃなくてはダメなんだ。君からじゃないと、某君は受け取らないだろう」
恋愛経験に乏しかった彼女は、この言葉だけで、頭の中がにわかに沸き立ったわ。
もしかして、表に出さないだけで、実は某君、自分に興味があるのかしら、と。
同時に、伝えたいことがあるなら、私任せにしないで、彼も自分で手渡しすればいいのに、と咎める気持ちも強くなっていった。
私を介さなくてもいいような状況を作ったら、どうなるのだろう、という疑問もまた、彼女の中で鎌首をもたげ始めたわ。
それらを解消するべく、彼女は自分の思いつきを、実行に移すことにしたのよ。
彼から某君あての物を預かるのは、いつも研究棟の前。ゼミが終わって、二人が分かれ分かれになる時で、毎週ほぼ同じ時間。
今日も通常通りの時刻に、ゼミが終了した。彼がいつものように、彼女にプリントを預けようとした時。
某君がひょっこり、その場に現れたわ。彼女が予め某君を呼び出していたのね。
彼らはお互いにうろたえた顔をして、傑作だわ、と彼女は思ったみたい。「ボンド役」をやらされていたうっぷんを、ようやく晴らすことができるのだから。
人目もあるから、こんなに近くにいるのに、彼女を介するのはおかしいこと。時間を改めようにも、今回は急を要するものだから、今、受け渡しをしないと間に合わない恐れがあるものだった。
焦った顔でずいずい、紙を突き出してくる彼に対して、彼女は笑いながらポケットに手を突っ込んでいたわ。某君に向かって首をしゃくってみせて、「渡したいなら、自分で渡せば」のサインを出す。
このやり取りはすごく目立って、人だかりができ始めた。もう、にっちもさっちもいかなくなった時、某君がつぶやいた。
「構わない。早く」
差し出される右手。それでも躊躇う彼の前で、某君は急かすように、もう一度、力強く右手を差し出した。
「ごめん」と一言漏らした彼が、そっとプリントを某君の手に乗せた時。
某君の絶叫が、キャンパスに響き渡った。
プリントに接した右手が、たちまちのうちに焼けただれて、溶け始めた。それでも某君はプリントを握りしめたまま、人ごみをかき分けて、走り去っていったわ。ちらりと見た子たちの中には、某君の顔が溶けかかっていた、と話す者もいる始末。
突然の事態にあたふたする彼女の前で、彼は吐き捨てたわ。
「だから君じゃないとダメだったのに……もう、君とはお別れだ。」
その日以来、彼も某君も学校に来ることはなかったわ。聞いた話だと、退学したとのこと。
彼らが何だったのか、むしろ自分が何なのか。
今でもしばしば、彼女は頭を抱えてしまうことがあるそうよ。




