精霊牛を並べたら (ホラー/★★)
おーい、こーちゃん。ナスが焼けたぞ。食べるかい?
ほい、かつお節におろししょうが、しょうゆも必要ならかけてくれ。
しかし、感慨深いな。子供の頃は、なすを見ただけで「イヤイヤ」サインを出していたこーちゃんと、こうして酒を飲みながらナスをかじる夏が来るとは。
味覚が変わったんだと思いますよ?
ああ、あるかもな。おじさんも、昔はふきのとうが嫌いだったが、この年になると、あの苦みがたまらなくて、しょっちゅう食べてるよ。
もうすっかり夏だなあ。お盆も近づいてきた。
こーちゃんは相変わらず、小説を書いているんだろ? お盆関係のお話興味ないかい?
そうか。食べながらでいいよ。聞いてくれ。
お盆になすやキュウリといったら、こーちゃんもパッと浮かぶものがあるんじゃないかい?
そう、精霊馬や精霊牛だね。ご先祖様が戻る時は、これらに乗ってやって来ると伝わっている。どちらが迎えで、見送りかは、地域や信仰によって差があるみたいだね。
そして、問題になるのが、お盆後の、精霊馬や精霊牛の処理だ。昔は川に流していたんだけど、最近はそれが問題になっていてね、塩とかで清めた上で、土に埋めることがほとんどだ。
さて、今でこそ、なすときゅうり、両方を揃えることは難しくない。では、どちらか一方しか用意しなかった場合はどうなるか?
今をさかのぼること、百年近い昔。山奥の村々で病気がはやり、多くの老人が亡くなられた。つい最近まで、元気に土いじりをしていたおじいさん、おばあさんばかりだったから、突然のことに、みんなは大いに悲しんだ。
折しも梅雨時。故人を悼むように、天もまた、惜しみない涙を流した。
だが、続く長雨は容赦なく、畑の作物を痛めつけた。そして、雨がやむと、ほどなくして、「べと病」を始めとする、作物に対する病気が、次々に襲い掛かってきた。
執拗な病魔に食い荒らされていく中、ただ一つ、影響を受けなかったのが、なすだった。それ以外の作物は、軒並み全滅。取り寄せることもままならない状態だったみたいだ。
しかし、これから新盆を迎える以上、精霊馬を作らないといけない。だが、なすでできるのは、ずんぐりとした体形の精霊牛だけ。
やむなく、ナスの身をある程度削り取り、細くしたものを、精霊馬として飾ることにしたんだ。
そうして、お盆がやってきた。
精霊棚の飾り付け、お墓の掃除など、みんながせわしく動き出す。迎え火をたき、きゅうりの精霊馬がいないことをのぞけば、いつも通りだ。
ところが、お坊さんを招いた法要が終わり、みんなが会食にうつった時のこと。
かんぴょう巻きを口に含んだ子供が、人目を憚らず、口の中のものを戻してしまったんだ。
唾液にまみれて、ぐずぐずと形が崩れた海苔巻き。
それが巻いていたものは、かんぴょうではなく、その形に整えられた泥だったんだ。その上、中からミミズが、顔をのぞかせる始末。
他の海苔巻きも同様に、泥が詰まったものばかり。会食の場は大騒ぎになって、手配した者は総スカンを食らった。用意した職人たちにも確認を取ったが、自分たちは間違いなく海苔巻きを握ったという。
誰もが責任を押し付けあう中で、ある者が別の異変に気づいた。
先ほどまでは、家々の軒先を照らしていた、提灯たち。それが次々に消えていったと。
人々が外に出てみると、果たしてその通り。盆の間、絶やしてはならない焔たちが、根こそぎ奪い取られてた。
それからというもの、村ではあらゆるものが食べられなくなった。
食料は、口に含んだ端から、土や泥水に変わってしまうんだ。人々はまともな食事ができず、夏の暑さにふらつき、目を回していたそうだ。
くらむような暑さの十六日。この日に送り火をたいて、ご先祖様を送り出さなくてはいけない。ところが、しけってしまったかのように、マッチは火がつかず、どっぷり日が暮れて、あたりが暗くなり始めても、一向に灯はともらなかった。
大人たちが業を煮やしている合間に、お腹を空かせた子供が一人、こっそり食べ物を探し始めた。丸一日、ろくなものを食べていなかった育ちざかり。なんでもいいから口に入れたかったんだ。
そして、目をつけたのが精霊牛。厳密には、そのなすだった。
彼はこっそり、なすをかじってしまったんだ。
大人たちが気づいた時、彼の身体は風船のように、みるみる大きくなっていたんだって。
「うつけの出迎え、非常に大儀。我ら、のんびりできたわい。みやげにこの子をもらっとく。返して欲しくば、地獄まで追ってくるがよい」
地の底から響くような、重々しい声が告げると、子供の身体は宙に浮き、どんどん遠く、小さくなって、いってしまった。
それからは無事に、送り火がつき、食べ物も口にできるようになったらしい。
それから、大人たちは口々にうわさするようになったよ。
うつけの出迎え。それはおそらく、なすによる精霊牛しか用意しなかったから。
ゆったりしすぎて、本当なら、ついてこないものまでついてきてしまったんだと。
そして、精霊牛を食べてしまったあの子は、なすに代わる乗り手となってしまうであろうことを、人々はウワサした。
それから、意地でも村の人々は盆に、なすときゅうりを揃えるようにしたけれど、帰り損ねた者もいたらしい。
時折、故人が愛用した道具に泥がついたり、ふと見た視界の端に、生きている時の姿でたたずんでいることが、今でも起こっているらしいよ。




