異説 クロガネ (歴史・ヒューマンドラマ/★)
どわ〜! やめろ、つぶらや! 息を吹きかけるんじゃない!
見ろ、飛び散ったじゃねえか! 先生! 水、水! 床が溶けます!
ふい〜、危なかった。
お前の息、強すぎ。焼いたスチールウール相手に、ちょっとは手加減しろよ!
熱した鉄は2000度以上。皮膚は瞬殺、骨さえ溶ける。しかも飛び散って、酸化鉄の重さ実験になりやしねえ。
殺す気か! いや、むしろ殺されたいのか! もう絶対にやるなよ!
――お前の「ごめん」と「善処します」は、当てにならないからなあ。次は問答無用でぶつからな、覚悟しろよ!
あ〜あ、しんどいねえ、まったく。
こうして俺たちが酸化鉄の授業している間にも、オリンピックは開催中。今回はいくつくらいメダルが取れると思う?
でもよ、今の金メダルって純金製じゃないんだってさ。もし純金だったら、あのサイズでも、つつましく一年間は暮らせるくらいの値打ちがあるらしいぜ。それを何百も用意するんじゃ、国家予算規模だ。財政が傾きかねない。
金も鉄も、昔から価値が認められている、金属の王様と言えるだろう。堅固さを表す「金鉄」なんて例えが残るくらいだしな。
――ん、ちょうど給食になるか。配膳が済むまで、教室で話しようぜ。
さっき話した金属の話なんだが、つぶらやは金と鉄に対して、どんなイメージを持っている?
金は華美。鉄は実用か。堅実な考えだな。
実際、金は鉄に比べて衝撃に弱い。ラフな使い方には向かないだろう。
だが、非常に薄く延ばせるし、サビや腐敗にも強い。電気もよく通すから、携帯の部品にもなる。お、なんだ。思ったより、実用もされているじゃねえか。
どうせ雷魔法でイチコロ? あの〜、ファンタジー脳じゃおっしゃる通りなんですが、空気というものを、もう少しリードしてもらいたいというか。
一方の鉄は、純度が高くない限り、空気に触れただけで錆びる。さっきみたいに酸化鉄の実験をするから、熱にも弱いんじゃね、という印象もあるが、実際、加工には相応の温度が必要なのは話したな。熱に対しては、生物の方が、よっぽど弱っちいぞ。
鉄は中の炭素量を落としたり、他の元素と組み合わせて強さ、可能性を増す。鋼とかがいい例だな。
鍛えて、仲間と一緒に強くなる。お、なんだ。思ったより、主人公向けな設定じゃないか。
今どきの主人公は、ほとんどが最初から、最強、天才、モテモテですよ? あの〜、物書き脳じゃおっしゃる通りなんですが、空気というものを、もう少しリードしてもらいたいというか。
やれやれ、茶々を入れることに関して、つぶらやは達人級だな。お前を黙らせるには、ストーリーしかないかね。よく聞けよ。
鉄は日本では「くろがね」の呼び名で紀元前から使われていたことは、すでに確認されているようだ。その後、大陸から鍛冶工が招かれて、以来、国産の鉄器が広まることになったらしい。
その点、金は貴重だった。かの有名な金印を始め、大陸からの輸入に頼っていたから量が少ない。所持しているだけでも、統治者のステータスになった。
金が優れた保存剤であることは奈良時代ではすでに知られており、時の天皇である聖武天皇は、仏像に金メッキをするべく、国司たちに黄金捜索の指令を出していた。
当時の陸奥の国に、「クロ」というあだなの若者がいた。渡来人を祖父に持つ彼は、大柄で筋肉質、兵士としても鉱夫としても、優秀な男だった。
その便利さ、強靭さから、くろがねを連想させて、ついたあだ名らしい。国司直属の兵の一員にもなったんだってよ。
クロは質素な生活が好きだった。望めば兵の中でも最も高い地位につけるほどだったが、父祖の住んでいた、つぶれかけのあばら家を離れず、時間があれば、代々伝わる鉄製の武具の手入れに精を出した。
「この国には金がなくていい」と、クロは口癖のように言っていたらしい。友が聞いたところによると、大陸にいた頃、家族ぐるみで金を巡る争いに巻き込まれ、祖母と母を失ったことにより、心に深い傷を負った、とのことだった。
国司からの命令で、鉱山を掘る時、クロは金が出てこないことを願っていた。決して手は抜かないが、その苦労が報われないことを、日々祈る。
一日の作業が終わり、クロが大きくため息をつくことが多かったが、それは疲れのためだけではなかっただろう。
だが、クロの願いは報われなかった。
初めて国内で金が、それも彼の住んでいる陸奥の国で、日の目を見ることになったんだ。
当然、国司は命令通りに採れた金を天皇に献上。大いに喜ばれ、一気に数階級の特進。大仏の完成と共に、中央に呼び出されて新しい役職を任される。
「クロ」もそれに連れられて、中央にやってきたが、毎日が吐き気を催すものだったらしい。
家とも友とも別れを告げて、金メッキをした仏像たちを守る羽目になったのだから。
「金も仏も、戦は起こすが、人を殺めない。上からあざけり、笑うだけ。傷つくのは人とクロガネばかり。肝心かなめは、この二つ。金も仏も、いるものか」
彼は内乱で、玉砕もどきの討ち死にをするまで、こうつぶやいていたらしい。
彼の遺体は、荼毘に付されたが、くろがねのようになかなか燃え尽きなかったとのこと。
やがて、漢字が生まれ始めた時。彼を知る者は、彼の愛したクロガネへの想いを、「鉄」という字に託すことにした。
クロガネ、金よりも失うべからず、とな。




