遺伝子SOS (SF・ファンタジー/★★)
おっと、こーらくん、質問かい?
ふんふん、遺伝か。ここ、得意な子と苦手な子がはっきり分かれる単元だからね。質問に来てくれてありがとう。
そうだな、こーらくんは文章が好きみたいだから、文章にたとえてみようか。
僕たちの身体の中には、昔から受け継がれた、色々な命令が存在する。例えば「暑くなったら汗を出しなさい」「お腹が減ったら、何か食べなさい」とかね。この命令の一つ一つが「遺伝子」。
人間一人を作る、全ての命令をひっくるめると「ゲノム」となる。
これらの命令は記録しておかないと、伝達不備が起こるから、筆記用具が必要になる。その紙になっているのが「DNA」なんだ。
細胞が分裂する時には、DNAを本の形にまとめる。これでできた本が「染色体」というわけだ。そして、男か女かの違いが生まれるわけだね。
男の染色体XYで女の染色体XXで、どうして男と女が同じくらい、いるんですか?
おっと、そこはメンデルの法則だ。覚えているかな。
染色体は両親から一つずつもらう。お母さんからは必ずXをもらうけど、お父さんからはXとYのどちらか一方をもらう。確率は50パーセントだから、出生率は互角になる、という計算だね。
どうだろう、少しは生物分野に興味を持ってもらえたかな?
なに? 他に面白い話がないですか?
ふーむ、放課後の職員会議までの間なら、私は理科室にいる。時間があるなら、来てくれ。
やあ、来てくれてありがとう。
正直、先生も今年が初めての授業だから、こーらくんたちがどれだけ理解してくれるか、不安だったんだよ。こーらくんの貴重な意見、これからの参考にさせてもらおう。
そして、面白い話だったね。先生の学生時代の話になるけど、構わないかな?
先ほども話に出た、遺伝子に関しての話だ。
こーらくんの年だったら、気になる女の子の一人、二人いるんじゃないかな。身近にいる人でも、遠くの人でも構わないよ。
先生もこれまでの人生で、何人か気になる女の子がいたけれど、思いを告げられずに終わっちゃった。
理由は思わぬ面を見て幻滅したり、彼氏持ちでラブラブだったり、先生自身がビビったりね。
ふふ、ヘタレだろう。いわゆる「草食男子」という奴かな。
先生のいた環境では、女の子がエネルギッシュだった。いざという時、押しが強い子が多くてね、男が折れることが多かったんだ。
男女同権の時代、などと呼ばれて、それなりの時間が経つ。女の中で長年、抑圧されてきた遺伝子が、発散を求めているのかもね。
そのぶん、歴史上は荒事を担当していた男が、比較的平和な時期に、穏やかになるのも自然と言えないかな。
雄々しく戦う男の姿を、遺伝子に刻まれているだろう私たちの目には、戦場に立たない昨今の男が、弱虫に映るのも道理だろうな。
そんな女尊男卑になりつつある校内で、勝ち組とも言える男子たちがいた。
これが、絵に描いたような好青年たちでね。「ホストクラブ」と呼ばれるくらいだった。そして毎年、冗談のような数のチョコをもらって、私たちにおすそ分けをしてきたんだ。
この憐みの施し、一部の男子の間じゃ憤りの燃料になった。
先生なんか表向きは嬉しそうに受け取るけど、内心じゃ悔しくてしょうがなかった。
当時、先生が想っていた女子からのチョコレートを、ほいっと渡されたから、マグマのように煮えたぎったよ。
自分に力がないこと。憧れの彼女の気持ちが彼に向いていること。何より、彼女の気持ちは、彼にとって「その程度」でしかないことに。
文字通り、発奮したね。
勉強も運動も、めいっぱいやった。どちらも下から数えた方が早い先生だったけど、今までの人生で屈指の気迫と労力を注ぎ込んだ。
そうこうしている間に、例の「ホストクラブ」は、浮名を流し放題さ。
やれデートをしただの、やれキスをしただの、やれその先はどーだの、あーだのこーだの。
校内の花が、次々食い荒らされていき、おこぼれに預かろうとする、軽薄な負け犬どもを尻目に、先生はひたすらに挑み続けたよ。
結局、三年間。彼らのうちの誰にも、及ぶことができなかったけどね。
そして、卒業式。
先生の憧れの彼女は泣いていた。卒業が悲しいんじゃない。
先生は友達から聞いたんだ。「ホストクラブ」に捨てられたのだと。
傷心につけ込んで、「じゃあ、次は俺ね」など、先生にはとてもできなかった。負け犬どもの仲間になりたくない、というちっぽけな男の矜持だったんだ。
マイナス感情に占領された心を抱いて、校門を飛び出そうとした時。
先生は呼び止められた。例のイケメン集団に。
「ナイスファイトだったぜ」
イケメンの一人が言った。あの彼女からのチョコを先生におすそ分けした、元凶だ。
ナイスファイト? ふざけるな。先生が頑張った結果など、お前らの足元にだって及ばないんだ。
どこまで人を見下すつもりだ、とつかみかかろうとする寸前に、彼は言った。
「男も女も、弱い弱い。お前を含めて数えるくらいだ。俺たちに牙を剥いたのは」
「ホストクラブ」のメンバーは、せせら笑った。その様が、どこか空恐ろしく思えて、先生の闘争心はみるみる萎えてしまったよ。
「これじゃ、俺たちの時代も近いな。お前、その気骨を一人でも多くに伝えとけ。いざ、時が来たら、ふぬけばかりで相手になりませんでした、とならんようにな」
彼らが去っていく間、先生は棒立ちだった。本能的に恐れを感じたんだ。
奴ら全員の身体から、とがった耳や長い尾、するどい角が生えてくるのを見つめながら。
「ホストクラブ」は陽炎のように揺らめきながら、その姿を消してしまったんだ。




