病のさざめき (ホラー/★★)
う〜、こーちゃん、ティッシュちょうだ〜い。
だめだあ、この時期は。花粉が鼻に来るよお。
鼻炎も加わってきついー。鼻ティッシュ、鼻ティッシュ。
どうせこいつらも、僕の鼻水に支配されるまでの、短い命。有効に使わせてもらうさ。
それでこーちゃん、レポートの構成なんだけどさ、この章、へんてこなところない? 大丈夫? ……あ、やべ、間違えてるよ。打ち直さないと……。
やっぱり誰かに見てもらわないと、文章ミスって気づきづらいなあ。その点、専門家がついているんだから、心強いね!
おだてても、何も出ない? いーんだよ。素直に感謝されときなって。
――よーし、これでほぼ完成だ! あとは推敲すれば、明日の期限に間に合う! 単位もどうにかなりそうだよ。
ふふん、どこの誰だか知らないけれど、僕を留年させようなんて、一年早いや!
どこの誰は、イネ花粉だろ?
も〜、やぼなツッコミしないでよ、こーちゃん。これって僕が聞いた話に端を発する言い回しなんだから。
知らない? じゃあ、教えてあげようか。
花粉症ってアレルギー反応だっていうのは、聞いたことあるでしょ。身体が花粉を排除しようとして、頑張っている証拠なんだって。
けれど、昔は花粉症の人はいなかったらしいじゃん。実際、同じ地域でも、じいちゃんやばあちゃんで花粉症持ちの人は少ないって結果が出ているんだって。
じいちゃんたちの時代は、花粉以上にやばいものが身近に溢れていて、身体も花粉ごときにいちいち反応していられなかったのでは、なんて話もあるみたい。
そのやばいもの、自在に操れる力があったとしたら……人を傷つけ、病ませるのなんて簡単だよね。
死人よりも、けが人の方が生者の時間を奪う。救えない命より、救える命こそ、人を縛りつける。
「半殺し」という言葉があるのも、中途半端に傷ついた命の重荷を、みんなが感じていたからかも知れないね。
今から数十年くらい前の話。
父さんの友達に、病気がちな男の子がいたんだって。テストや学校行事の日になると、決まって病欠するらしいんだ。
あまりにタイミングが良すぎるものだから、仮病なんじゃないか、という声もあった。
とはいえ、結局は他人事。休んだ、休まないが判断基準で、それ以上を追求する物好きはいなかった。
僕の父さんをのぞいて。
父さんは当時、保健委員だったらしくてね。先生がつけた出席表を、保健室に持っていくのが、毎日の仕事だったらしいんだ。
そして、四半期ごとに欠席日数をチェックして、クラス全員が無遅刻無欠席の時に与えられる皆勤賞を始め、色々な表彰があったんだってさ。
お父さんも表彰されたかったけど、その子の病欠が足を引っ張っていたために、なかなか願いが叶わず、腹が立ったみたい。
特別扱いってさ。どうしてこんなにも、気持ちにさわるんだろう。あらゆる意味で。
夏休みが近づき、虫の羽音がうっとおしくなってきた、ある日。
いよいよ堪忍袋の緒が切れそうになったお父さんは、先生に渡されるように頼まれたプリント一式を引っ提げて、彼の家に乗り込んだ。本当に仮病なら、文句の一つもつけてやらねば気が済まない。
彼の家は一軒家。大きな杉の木が入り口に植えてある。
インターホンを鳴らすと、彼が出てきた。やや厚着であることをのぞけば、特におかしなところはない。
プリントを渡しながら、お父さんは彼の体調について尋ねてみた。聞き方について、黒い感情が出ないよう、十分に気をつけたつもりだけど、声色とかから判断されたみたい。
彼はちょっと顔をしかめながら、答えたらしいよ。
「君に心配されることはない。そういう病気にしたから」
病気にした、とは、どう考えても自分で選んだという意味合いだろう。やはり仮病か、とお父さんは思ったけれど、病院の診断書を突きつけられては、引き下がるしかない。
そして、帰り際。
「疑わしいというなら、明日、学校に来てみるといい」
彼の言葉が、耳にねっとりとへばりついて、お父さんは不快だった。
目に向かって飛び込んでくる、おバカな虫たちに腹を立てながら、家に足を向ける。
その日は妙に体中が熱くて、夜中になっても、布団の中でゴロゴロ寝返りを打っていたことを覚えているんだってさ。
翌日。お父さんは熱を出した。
三十八度を超える高さ。頭がぼんやりして、足元がフラフラする。
だけど、お父さんは制止を振り切って、学校に向かった。どうにか一日を乗り切ったけれど、よほど顔色が悪かったみたいで、先生やクラスのみんなが心配してくれた。
ただ一人、例の彼だけは、遠巻きにお父さんを眺めて、不気味な笑いを浮かべていたけれど。
あいつは病気を操れるのか。
熱に浮かされた妄想かも知れないけれど、背筋がぞっとしたのは、汗のためだけじゃない。
それから、お父さんのクラスでは、熱が出る病気が流行した。
時間差で症状が出て、クラス全員が揃う日は、なかなか来ない。
お父さんも引き続き、体調不良に見舞われていたけれど、無理を押して登校を続けていた。
皆が次々に倒れていき、あいつだけが元気な様子を見ると、自分の想像はあながち間違いじゃないんじゃないか、などと考えてしまう。
みんなが病院で下されるのも、風邪という診断。病気の正体ははっきりしないまま、一学期の終業式を迎えることになっちゃった。
今までと同じように、彼はこの終業式に来なかった。またあの「仮病ならぬ仮病」を使ったのか、とお父さんは考えたんだって。
けれど、二学期になって、彼は学校に来なくなってしまった。
何でも、重い病気にかかったらしくて、遠くにある大学病院に入院することになったからみたい。
病気のしっぺ返しを喰らったかな、とお父さんは思ったんだって。
ただ、その年で覚えていること。
それは、蚊のような羽音を持ちながら、不気味なくらい長い脚を持つ虫をみんなが目撃し、刺されたあとが、大きく腫れてしまったことなんだってさ。




