あなたのそばに侍るもの (ホラー/★★★)
うあ〜、暑いー。もうバテそう……。
こーちゃん、昼ご飯どうする? 僕、冷たい麺類でいく。
こーちゃんもそれでいい? 一緒に買いに行かない? コンビニで涼もうよ。
何たって、電気代がタダだよ、タダ。
昔から留守番が多かったから、こんな感覚ばかり養われちゃってさ。
暑い日はそうめんだね〜、やっぱり。
こーちゃんは……そばか。こーちゃん、最近そばをよく食べるよね。
ビタミンとかの栄養的な問題で?
う〜ん、おじさんだなあ。いい意味で。
好きなものを好きなだけ食べる。いつまでも、そんなことができたらいいのにね。
若い頃にその通りのことをしたらしくって、身体がボロボロになっちゃったおばさんを見送ったから、こーちゃんの感覚が余計に響くよ。
だから、食をめぐる色々な試みが昔からあったみたい。
もうちょい涼みたいしさ、イートインでゆっくり食べながら話そ。目立たない程度にね。
そばが、よく知られている「そば切」となったのは、江戸時代の前後あたりらしいね。
夜中に小腹が空いた人をターゲットに、そばの屋台が流行りはじめて、「かけ」「もり」の違いが生まれたり、「しっぽく」のようなおかずを乗せるタイプが生まれたりと、繁盛していたらしいね。
そして固定客が掴めれば、わざわざこちらから足を運ばず、宣伝して待つ。屋台歩きより、店を構えた方が、労力がかからなくなったんだ。
江戸時代の末期には、すでに江戸のそば屋は3000軒を超えていたとか。
お店間では、そばの打ち方から、おかずのレパートリーまで、様々な競争が試みられ、明治に入ってからの不人気を、取り戻そうとしていたらしいよ。
中には、麺の研究のために諸国を練り歩くものも存在したとか。
文明開化によって、新しいものが世にあふれる中、昔ながらに生き残ったそば屋もある。
そのそば屋のうちで、一軒、異彩を放っていたものがある。
ウリは、やせられること。
今でこそ、ダイエットの一つとして認識されている、そばダイエットのはしりと言えるかもしれない。当時、どれだけダイエットという概念が浸透していたかは知らないけれど、スマートな体型を好む人は、いつの時代でもいる、ということだね。
そこでそば打つ職人は、国さすらうこと、二十年。このそばの製法にたどり着いたんだとか。
他のそば屋に比べると、やせる早さは一目瞭然。
遅い者でも十日のうちに、早い者なら翌日から、徐々に体重が減り出したみたい。
誰かに見せたい、艶姿に伊達姿。憧れる者が、次々店へと訪れた。
そうなると、他店も放っておかない。研究のための味見役が派遣されて、列で待つことも多かったとか。
お品書きはいろいろあったものの、人気なのは、もりそばだった。
そば、つゆ以外は、薬味であるネギとショウガを添えた、シンプルなもの。
人によっては、三分程度で平らげて、次のお客にバトンタッチ。この回転率の高さも、儲けている一要素と感じられた。
そして、このもりそばの特徴は、圧倒的なのどごしの良さ。
口の先から喉の奥まですんなりと行き渡る、つるつる、ぷるぷるとした、弾力ある口当たり。寒天やところてんを食べているのに近い感覚。それがそばの香りで楽しめるから、間食にも、もってこい。
あまり噛まずに呑み込むためか、思いのほか腹持ちもいい。
今でいうリピーターも多く、味見役でも、ハマったものは非番の時に、店へと足を運んだそうな。
そんなこんなで、何年かが経った頃。
件のそば屋は、閉店の告知を皆に行った。
繁盛の具合は、地元の者なら皆知っている。何か事情があるのだろうと、たくさんの人が最後の一杯を味わいに来た。
唯一無二の咽喉愛撫。惜別の念に耐えられず、お代わりを繰り返す人が後を絶たなかったって。
ところが店が畳まれ、店主がどこかへ旅立った後。
その街で、不審死を迎える者が現れるようになる。普段通りに生活をしていた者が、みるみるうちに青ざめて、ぱったり倒れ、それっきり。
なぜだと皆が集まって、医者たちの報を待ちわびた。
下された判断は、栄養失調。特に体重が、信じられないほどに減っていた。
体中の、あらゆる臓器は縮み、肉はほとんどこけてしまって、文字通りの骨と皮。その変化が、わずかに一日で成された、という悪夢。
それ以外に目立つことは、死体の腸には穴があること。内側から無理やり破ったような、不自然な形の穴だった。潰瘍の類には見えない。
やがて、あの店でそばを食べた何人かも、同じ症状に倒れ行く。店でそばを食べた人のみ。
近くにいた者たちの証言では、白いミミズのようなものが、肛門から這い出し、地面を滑るように去っていったとのこと。
謎の生き物はつかまらなかったが、ここにも一つ疑問があった。
同じ店を利用しながら、発作を起こさぬ人がいる。その人々は、一度しか店に行っていない。
ハマってしまう人が大勢いる中、どうして、店を避けることができたのか。
その理由を、彼らはこう話したそうだよ。
あのそば屋の麺は、まずい。
確かに早くのみ込みたい衝動に駆られる。だが、ぐっと我慢し、噛んでみるとわかるんだ。
とてつもなく苦くて、少しも口に留め置けない。
辺りをはばかりながら吐き出すと、そばの中から、緑色に染まった触手がのぞいてて、意思があるかのようにうねっていたんだとか。
だけど、どうしてこの人たちは、店に行く人に注意をしなかったのだろう。
問われるまで、誰も止めようとしなかった。
解けない謎を残したまま、例のそばはどこかで生きているのかも。




