黒羽の矢 (歴史/★★)
お、こーらくんの作文は、こどもの日に関してかい。
面白いチョイスだね。家でも飾りを出しているのかな?
へえ、毎年出しているのか。それは興味が湧くだろうね。
鎧兜に、太刀と破魔矢。これらがズラッと並ぶ。カッコイイじゃないか。
ん、ただの矢じゃないのかって。
破魔矢はその名の通り破魔。悪いものを遠ざける効果があるんだよ。
でも、白羽の矢だったら、悪いものを指すじゃない? 矢って悪い物じゃないの?
ふうむ、伝承に興味が出てきたのかい? 過去を追うのはいいことだ。
どうだい、放課後に少し、先生と話さないかい? ありがとう。
こーらくんが知っている白羽の矢。これは神様に対する生贄を選ぶために、使われたものだ。
生贄なんて誰だってなりたくないけれど、ならなきゃならない時もある。
だからこそ、諦めの言い訳のために、白羽の矢を用意したんだ。
ババ抜きで例えれば、無理やりババを押しつけるわけだ。
では、こーらくん、「黒羽の矢」の伝説を知っているかな。
これは先生の地元では、有名な話でね。先生も小さなころから聞かされて育ったんだ。
ふふ、話が好きな君なら、乗ってくると思っていたよ。
じゃあ、話そうか。
黒羽の矢。これが現れたのは、白羽の矢に比べたらだいぶ新しい、平安時代のこと。
武士が出てくるまでは、貴族たちが強い力を持っていた。
墾田永年私財法については、最近、社会の時間で教えたけれど、覚えているかな。
そう、新しく耕した土地は、自分のものにしていい、という制度だね。
ただ、自分のものになった途端、朝廷から税の取り立てがうるさくやって来る。
そこで、税金が安くなる、と聞いたら、こーらくんはどうする? 先生なら迷わずに飛びついちゃうね。
当時、貴族たちも税を払いたくなかったから、自分たちが税を払わなくていい、などと都合のいい決まりを作っちゃった。それだけ強い力があったんだ。
そこで、豪族たちは貴族に土地を差し出して、自分は土地の管理人という立場になる。そして、税金よりはるかに少なくて済む、貴族へのお礼を欠かさなければいい、というわけ。
ずるい、と思うかい。いいよ、その気持ちは大切だ。
もっと大きくなったなら、こーらくんも彼らの気持ち、少し分かるようになるかもしれない。
そんな貴族の持つ土地が、「荘園」と呼ばれるようになっていた頃。
地方の豪族が暮らしていた、屋敷の屋根に、一本の矢が刺さっていた。
その矢羽は、鷹の羽のように黒ずんでいたもので、矢じりは木でできていたんだ。
鉄でない矢じりは、もはや珍しくなっていた時代。念のため、豪族は警戒を強めたものの、何者かの襲撃がくることはなかった。
代わりに、彼らに訪れたもの。それは富だったんだ。
矢が突き立った年。豪族の土地は、まれに見る豊作を迎えることになった。
土地を預けた貴族にお礼を支払っても、新しく人を集め、土地を切り開く余裕を持てるほどの。
これによって、豪族はますます土地を切り開き、その土地を貴族に預けていった。もちろん必要なお礼も増えたけれど、それこそはした金になってしまうほど、毎年毎年、右肩上がりの収穫が、かの土地にやってきたんだ。
やがて、周囲の家屋にも、黒羽の矢が刺さりに来た。
誰が放ったものかはわからないけど、みんなが黒羽の矢を望み、矢が刺さった家は喜びの声に包まれた。
その期待を裏切ることなく、黒羽の矢は、彼らに幸運を振りまいていったんだ。
すっかり見違えるようになった豪族の土地。
ある日、その一族の長は病気で寝込んでしまったんだ。
枕元で薬草を煎じた汁を飲み、横になって養生をする長。
だけれども、その夜。長の悲鳴が響き渡り、家の者たちが彼の部屋へと、駆けつけた。
信じられないことだった。長は布団の中でもだえ苦しみながら、体中から赤い汗を流していたんだ。
それだけじゃない。全身から立ち昇る、赤みがかかった蒸気。その臭いは、誰もが嗅いだことのあるもの。
血のものだったんだ。
長は全身から血の汗と、蒸気を出していた。同時に、その身体はみるみる縮んでいく。
彼の身体を冷まそうと、侍女たちが水を汲んできた時には、冷ますべき長の身体は、すっかりなくなってしまっていた。
そして血の汗が染み込んだはずの「フスマ」。今でいう掛け布団も、いつもと変わらない様子のままだった。
長だけがきれいさっぱり消えてしまったのさ。あたかも、初めから存在しなかったかのように。
当時の死体というのは、野山に打ち捨てられることも珍しくなく、墓参りも滅多にすることがなかった。遺体が消えてしまうこと自体は、自然に身を任せていれば問題ではなかったんだ。
しかし、長の最期は見る人の記憶に刻まれる。
そして、黒羽の矢が立った家々でも、同じように血煙漂う、奇妙な葬送が繰り返されたんだ。死にゆく誰もが、苦悶の表情を浮かべて、安心することなく死んでいく。
万人が避けられない苦しみを目の当たりにして、ふさぎ込む者が現れる始末だった。
どうにか、安らぐ死に際を。
多くの人が望むようになった時。とある宗教が台頭してきたんだ。
その教えは瞬く間に信者を増やし、その神様を祭る建物がいくつも作られた。
それは阿弥陀様。
南無阿弥陀仏と唱えれば、極楽浄土へ行くことができる。
浄土教の浸透だ。
そうして、念仏を唱える者が増え始めた時、あの奇妙な死に方をする者は姿を消したそうだ。黒羽の矢も、またすっかり見なくなった。
こーらくん。
白羽の矢は神様の用意されたものだといわれている。
ならば、黒羽の矢は誰が用意したものなのだろうね。




