新教説法対決 (歴史/★)
七回忌が済んだね、こーちゃん。
あの時は、おじいちゃんがいなくなるなんて、どうなるんだろうって、心配ばかりだった。でも、今はこうして、冷静に向き合っている自分がいるよ。
法事ってさ、五十回忌まであるんだよね。死後、およそ五十年。亡くなられた人に直に触れた人も、だいぶ数が限られてくる。しかも、当人たちも年を取りすぎて、人手なしにはものすごく大変なことになるだろうね。
五十年たっても、あなたを支えられる人がいる。その姿を見せて、亡くなられた人に安心してもらう、そんな意味が込められているんじゃないかと思うんだ。
実際には、三十三回忌で弔い上げにすることも多いだろうけど、特別な意味を持たせたいという気持ち。おかしくないだろ?
あれ、そういえば「〜回忌」じゃなくて「〜回会」という時もあるよね。
「〜回会」は浄土真宗の一部の宗派で、そう呼んでいる?
うわ、鎌倉新仏教だよね、それ。最近歴史で習ったよ。お父さんが歴史に詳しいから、教えてもらって、テストはばっちりだったけど。
あ、それと一緒にちょっとした小話も聞けたよ。こーちゃんにも教えてあげよっか?
鎌倉新仏教とうたわれているのは、六つ。
浄土宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗、臨済宗、曹洞宗。
だけど、この六つは最終的な勝者となったものたち。歴史の影では、形とならずに消えていった教えも多くあった。
何より、為政者の目が厳しい。政治と宗教の癒着は、国を腐らせる。日本だって、奈良時代に仏教に傾倒したために、都を別の場所に移さざるを得なかった。
後ろ盾を手にする。もしくは、圧倒的な数で己の正しさを証明しなくては、扇動者の烙印を押されて、社会から放逐されかねない時代でもあったんだって。
今であれば、前者はコネだより。後者は実力勝負。
当然、鎬を削るつぶし合いもたくさんあったんだって。
これは二つの幻と消えた宗派を巡るお話。
とある小さな村に二人の僧侶が訪れた。
別に道連れというわけじゃない。たまたま、居合わせただけなんだ。
二人はそれぞれに、自分の宗派を打ち立てんとする、熱意にあふれていた。双方ともに、これまでの全国行脚で相当数の信者を持っていたみたい。
二人は正反対の村の隅で、説法を始めた。使命感に燃えている両者の熱弁は、たちまち多くの人を引きつけた。だが、それは信徒間での争いの種になる。
盲目な信仰って、どこまでも心を狭くするよね。教祖たる二人を差し置いて、殺気立った空気がびんびんと村に漂い始めたんだ。
その村の長は現状を見て、考えた。どちらが優れているか、はっきりさせたい者ばかりなら、望み通りに白黒をつける。
暴力ではなく説法で。
二人の説法は一時中断されたんだ。
村の中央に植えられた大樹の幹に、漁師が使う投網が巻きつけられた。投網そのものもいくつも結び付けられて、村は二つに分断される。
提案されたのが説法対決。
明日より、三日間。二人の教祖にはぶっ続けで説法をしてもらう。朝昼夜どれだけ続けても構わない。
そして、現在信徒となっている者、なっていない者、外から訪れた者が三日間の説法の後、どちらが優れているかを判断してもらう。
決着がついたら、二人がそれぞれもう片方の信者に害されぬように、安全に村を離れるところまで護衛。以降の信仰に関しては個人に任せるが、もしも信仰の違いが原因と思われる、いさかいが起きたら、両成敗とする。
パッと見ると、意味がないように思えるでしょ。決着がついても、以降の信仰は自由なんて。
だけど村長としては、これはエンターテイメントの一種と認識していた。僧侶による説法をパフォーマンスとして、村に訪れる人にお金を落としてもらおうという、魂胆があったらしいよ。
残りの時間を近隣への宣伝にあてて、警備のための人員を配置し、いよいよ説法対決の夜明けを迎えたんだ。
二人の対決は、熾烈を極めた。
熱意はすさまじいし、すでに村で得た、信徒という固定ファンがいる。それがサクラとなって、新しい人を呼び込んでくるのだから、勢いと経済効果は目覚ましいものがあったという話だよ。
双方の説法を聞きたいという人も出てくるから、投網の結び始めの大樹にある隙間を通って行き来していたみたい。もちろん、害を与えんとする人から教祖を守るための、十分な備えを村は怠らなかった。
そして、三日目を迎える。
二人の説法もネタが尽きてきたのか、ずいぶんと抽象的なものになってきた。
無とは何か、空とは何か、悟りとは何か。
正直、理解できた人がどれだけいただろう。信徒たちも雰囲気に飲まれているせいもあって、ただ一辺倒にほめたたえるだけ。
昼が過ぎ、日暮れまでの残された時間。二人がそれぞれの極意について、話し始めた時。
どこからか飛んできた、小さな石が、二人の脳天に直撃した。
それは思いもよらないことだった。二人の周りに、ものを投げる構えをしていた者は誰もいなかった。
だが、二人は説法を中断されて、声を荒げる。
佳境で燃えていた二人。これまでの穏やかさがウソだったように、二人は阿修羅のような形相となり、その眼は犯人を射抜かんとばかりに、激しく動く。
やがて、二回目の投石。今度は全員の視線が石の飛んできた方向をとらえた。
それは村の中央に植えられた大樹。そのてっぺんに小石を抱えた猿が座っていたんだ。そして、第三投目を行おうとしている。
猿はたちまち、捕らえられて吊し上げられたのだけど、ある少年がつぶやいたんだ。
「なあんだ、無だの、空だの、悟りだの、難しいことを言っていても、要は相手に怒るのが極意か」
教祖二人は、ぐうの音も出なかった。
今までの説法が、自分たちの行いにより、言葉通りの空虚なものへと、一瞬で姿を変えてしまったのだから。
二人はその日を境に、再び全国を旅することになる。
教祖としてではなく、一人の仏僧として、己の未熟な心を鍛え直すために。