夢、打ち捨てる時 (ホラー/★★★)
ふーん、これがウチの学校の卒業文集か。
パッと見ただけで、文章が得意な人とそうでない人の違いが分かるね。
書ける人の文は、理路整然しているけど、書けない人は適当につなげた感が漂うなあ。でも、それでいいのかもね。
うまい、へたはともかく、みんなの夢があふれている。今の僕たちみたいに、上司や仕事先に見られることを考えて、言葉を整え、繕うことを強制されないんだから。
だけど、この夢たち。実際にかなえられたものはどれだけあるんだろうね。
つぶらやくんの小さい頃の夢は何だった?
へえ、そっかあ。まだ頑張れば、なれるかもしれないね。
僕? う〜ん、今のところ、ぼんやりしている。
このまま平々凡々とした暮らしを満喫するのも、悪くないんじゃないかって、最近は思い出したんだ。
なに、ご隠居さんみたいなことを言っているのかって?
いや〜、僕自身がかつて夢に埋もれてしまいそうになったんだよ。
ふふ、どうやら君の琴線に触れたようだね。
場所をうつそう。お茶でもしばきながら、話をしようよ。
うん、なかなかいい香り。ハーブティーは心安らぐね。
つぶらやくんも楽しんでいるかい。
え、話を早くしろ? やれやれ、お茶は飲むくせに、題材に関しては、お茶を濁すのはやめろというのかい。熱心なのは大いに結構だけどね。
この話。まず、僕の夢について語る必要がある。
僕の夢は、「両面テープ」になることだった。もちろん、実物のことじゃないよ。
誰かと誰かをつなぐ。よくある言い方をすると、「架け橋」というやつかな。
でも、僕自身は「架け橋」というやつが気に入らなかった。
橋は陸地と陸地を結ぶけど、その間に海、川、車道を挟んでいるわけじゃない。
僕はそのすき間をなくしたかった。
「のり」じゃダメなんだ。一度足をつけたら、そこから動けない。
テープならくっつく力ある限り、何度でも人の役に立てるんだと、あの時は本当に思っていたんだ。
思いこそ独特だったかもしれないけど、やっていることは奉仕者と変わらない。
僕はボランティアの募集などがあると、積極的に参加した。
とはいえ、当時は小学生。ちっぽけな僕に任されるのは海浜のゴミ拾いや祭りの手伝いとか、たかが知れたものだった。
早く大人になりたいなあ、と明確に思ったのも、その時だね。
僕は、もっと誰かに頼られたいと、思っていたんだ。
そんなことを考えていた時、僕は駅で一人のおばあさんを見かけた。
目に留まった理由は、足がふらついていて、目を見開いているのに、やたらと瞳をあちこちの空にさまよわせていたから。そして、しきりと左右に首を振っていたからだ。
視覚障害の方だ、と分かった。様子からして、まったく見えないわけじゃないだろうけど、手が必要なことに変わりない。
彼女は階段を降りたがっていた。僕は声をかけて、手を引き、一緒に階段を降りていったよ。びっくりするほど、冷たい手だった。
助けた彼女にはお礼を言われたけれど、駅のホームで待っている人は、ちらちらと僕たちの方を見ているばかりだった。
遠巻きに見ているだけで、声をかけようとも、手を貸そうともしない連中。奴らが何を考えていたか、だいたい分かったよ。子供ながらにね。
そのおばあさんが電車に乗るのを見届けて、僕は晴れ晴れとした気分になった。
誰に頼まれるわけでもなく、誰かの助けになれた、と嬉しくてたまらなかったんだ。
それからの僕は、少しずつ人助けをする機会に恵まれた。
目が悪い人の、道路を横断する時の補助。目が悪い人が、人ごみにもまれて動けなくなった時の誘導。目が悪い人の……。
え? さっきから目が悪い人ばかりじゃないかって?
うん。その通りだよ。
あの日以来、僕は目の見えない人を、良く見かけるようになった。いや、僕が自分から近寄っていったのかな。
ボランティア命の僕は、精一杯、力になろうとしたよ。ほんの少しの間でも、助けになることができたらいいな、と思ってね。
だけど、じょじょに僕もおかしいな、と思い始めた。
出会う人は、皆、確かに別人。だけど、一緒に歩く距離が増えているような気がする。
当初のおばあさんは駅の階段を降りて、電車に乗るまでの間だったけれど、一カ月が経つ頃には、駅のタクシー降り場で右往左往していたのを、電車に乗るまで付き添ったことがある。
道路の横断も、はじめは道幅の狭い道路だったのに、今はやけに広い道路を渡ろうとしている。
まるで、僕と一緒にいられる時間を、少しでも長く伸ばそうとしているみたいに。
その人は移動の間、僕のことをたくさん聞いてきた。はじめは当り障りない話題だったけど、じょじょに住んでいる場所とか、家族構成とか、僕の好きなものとか、個人的なものになっていく。
ここまで来たら、僕も不気味に思ったよ。
だって、助ける人、助ける人、全員が僕に聞いてくるんだ。異常事態でしょ。
何かが僕と彼らを引き合わせている。鳥肌ものだったよ。
そして、半年くらい立った時。
僕はどうしても外せない用事で、駅に向かった。
そしたら、いたんだ。ロータリーにあるバス乗り場。駅から一番遠い、その場所に。
あの日のおばあさんが。
変わらずに瞳をぐるぐる回しながら、首をしきりに左右に振っている。
僕は、はっきり、怖いと思った。
そして、物心がついてから初めて、相手を見捨てる決意をした。
僕は早足で駅に向かっていく。ここからバス乗り場までは五十メートルほどある。その間には、飛び石のように、いくつものバス乗り場が横たわっているんだ。
しかも、僕はあと十歩進めば駅の構内。追いつける道理はない。はずだった。
「ねえ、付き添ってくれないかい」
僕は肩を掴まれた。
服越しでも分かる。忘れもしない、あのおばあさんの手だ。
あり得ない、とおののきながら、僕は前を見たままで、かぶりを振った。目を合わせる気にもならなかったんだ。
壊れた人形のように、付き添いを頼む言葉を連呼するおばあさん。
耐えられず、僕ははっきり拒絶の言葉を口にしたんだ。
「嫌です」ってね。
次の瞬間、僕の足は地面を離れた。
地面の感覚がないまま、駅が遠のいていく。
投げられたと思った時には、背中がロータリーのガードレールにぶつかっていた。これがなかったら、僕はバスやタクシーの走る車道に飛び出していただろう。
痛む背中を抑えながら立ち上がった時、おばあさんはどこにもいなかった。
だけど、僕にはそれを不思議がっているひまはなかったよ。
すぐそばの空いていたタクシーに飛び込み、目的地に向かうことにしたんだ。
どうして、電車を使う予定を変更したかって?
だって、駅前を行き来していた人たち。
僕が立ち上がると、一斉に足を止めて、瞳をぐるぐる回しながら、首を左右に振り出したんだもの。




