血潮の鑑定士 (ホラー/★★)
あ、つぶらやくん、視力検査済んだ?
僕も終わったところだよ。右目はいいんだけど、左目がさっぱりダメでさ。こういうのガチャ目っていうんだっけ。
正直なところいうとさ、僕、2.0以上のものも、余裕を持って見えるんだ。
学校では2.0以上の視力を測るなんて、滅多にない。日常生活に影響がないからね。
その気になれば、校庭の隅に生えている木に、何匹毛虫がいるかとか、ここから指摘できるよ。
だけど、左目はもうボロボロ。こんなに間近にいる君の顔もぼやけて見えちゃう。
先生の話じゃ、視力、小数点以下、三桁か四桁くらいなんじゃないかって。
なんでこんなに極端な視力になったかって?
そうだなあ、思い当たることと言ったら、小さい頃に体験した、あの出来事じゃないかなって思う。
聞きたそうだね、つぶらやくん。
君にならいいかな。信じてくれそうだし。
確か、5歳くらいの時だったかな。
さっきも話した通り、僕は視力がよかった。普通の人なら望遠鏡をのぞかないと分からないような距離でも、そこで話している二人の仕草や口の動きまで、はっきりと見えたんだ。
とはいえ、僕だけ分かっても、周りのみんなはほとんど信じてくれなかったよ。でたらめの当てずっぽうだって、よくバカにされた。
僕もバカなことに付き合ってあげるほど、寛大でもお人よしでもなかったからね。遠目に見えるもののことは、信じてくれる人以外、あまり伝えなくなった。
まあ、僕の忠告を聞かない奴が、痛い目に遭うのは気持ちよかったけれど。
遠巻きにみんなを眺めるうちに、僕は一人で遊ぶことが多くなっていた。その日も公園の砂場で、砂の城を作っていたんだ。
もう少しで完成、というところで、声をかけられたんだ。
振り返ると、そこには背が高いおじさんがたっていた。
季節は夏だというのに、真っ黒なスーツとテンガロンハットを身につけた、暑苦しそうな恰好をしているおじさんだった。
「坊や、いいものを持っているね。おじさんと取り換えっこしようよ」
何を言われたのか、すぐには分からなかった。
でも、おじさんが右手を僕に向かってかざすと、左目が急に痛んだ。
針で刺されたかと思うほどの痛みでね、つい悲鳴をあげちゃった。
「ありがとう。しばらく使わせてもらったら、折を見て、返すよ」
悶える僕を放ったまま、おじさんは足早に去っていく。
おじさんの姿が見えなくなった途端、痛みがウソのように引いた。
僕が目を押さえていた手を離し、心配して駆け寄ってきた友達の姿を見た時は、ものすごく驚いたよ。
左目で見えるものが、右目と違っていたんだ。
左目で見えたもの。それは人の身体の血管。
ほら、人体模型あるでしょ。あれの血管だけが透けて見える感じ。
ぱっと見るとね、きれいな桃色の血管の人と、濁った濃い赤色の血管の人がいた。中には黒ずんで、気持ち悪い血管の人もいる。
戸惑いながらも、何人か見ていくうちに、少しずつ分かり始めたよ。
健康な人は桃色の血管を持っているんだ。
濃い赤色の人は、疲れていたり、塩分やカロリーの多いものを食べた直後。
そして、黒ずんでいる人は、現在進行形で病気が進んでいる人みたいだった。
実際、お父さんの全身が黒ずんでいてね、お医者さんに行った方がいいんじゃない、と言ったら、入院することになっちゃった。
気胸って知ってる? 肺に穴が開いちゃう病気。それだったんだ。
もう少しひどい「緊張性」になると手術が必要だったんだけど、そこまで大事にならなくて良かったよ。
僕がすっかり異常な左目の景色に慣れた、小学校一年生の4月。
僕たちのクラスの先生は女の先生。若くて、美人の先生だって、おませなクラスメートははしゃいでいたけれど、僕はそれどころじゃなかった。
僕の左目を通して見る先生は、頭の血管が真っ黒だったんだ。
かといって、ほぼ初対面の先生に「頭、大丈夫ですか」なんて聞いた日には、色々な意味で大問題でしょ。
じっと僕が見つめるものだから、先生もよく僕に話しかけてきたよ。うらやましがられることもあったけれど、僕は先生の体調の方が、よっぽど心配だった。
それから一週間、二週間が経った。
先生の頭のどす黒さが、じょじょに身体全体に広がっているのが見えた。上半身はほとんど真っ黒。下半身の色も、少しずつ陰り始めているのがわかったよ。
相変わらず先生は多くの児童に人気があったけど、一部の子は、明らかに先生を避け始めていた。
その子たちも、僕の左目を通して、墨をまぶされたみたいに、全身の血管が黒ずんで見えたよ。
僕は気になって、それとなく様子を探ろうとしたけれど、みんな怯えた顔で、首を横に振るばかり。
たぶん、先生が関わっているのだろうけど、はっきりとしたことは分からないまま、時間が過ぎていった。
ある日、僕は下校しようとした時に、例の先生に呼び止められた。
靴を履き替えたところで、昇降口には僕と先生の二人以外、誰もいない。
先生の目は爛々と光っている。普段の生活とは違う、蠱惑的な輝きがあった。
左目を通して見る先生は、身体全体が漆黒に覆われていたんだ。
思わず僕が後ずさると、先生の顔が少し歪む。
驚いたんだと感じた。僕が動けることが信じられないように。
「やめるんだ。抑えろといっていただろう」
僕の背後から声と共に、指を鳴らす音が聞こえた。
途端に、先生は糸が切れた人形のように、その場で崩れ落ちちゃったんだ。気を失ってしまったみたい。
声の主は、あの日のおじさんだった。相変わらず暑そうな黒ずくめの衣装に身を包んで、僕に言った。
「すまないな。妹がもう限界らしい。連れて帰るよ。君から借りたものも返そう。『見えない』というのも新鮮だった。ありがとう」
おじさんが先生を抱きかかえ、もう一度指を鳴らすと、パッとその姿が消えた。
同時に、血管が見えていた左目がぼやけて、周りがよく見えなくなっていたんだ。
戸惑う僕が、昇降口を出た時。
校庭の上空高く、カラスにも似た、大きなコウモリたちが、羽ばたいていくところだったんだ。
次の日から少し騒ぎになったけど、ほどなく代わりの先生がやってきて、学校生活は問題なく続いた。
ただ、あの血管の黒かった生徒たちは、心なしか喧嘩っ早くなって、八重歯が目立つようになった気がしたけれど。




