香りたかき魔除け (歴史/★★)
う〜、目がいてえ。つぶらやは平気か? しょぼしょぼしてないか?
丑三つ時の仕事は、地獄だぜ。現実感がねえ。足元がふわふわしてくらあ。
ちょっと休もうぜ。終電も途絶えて久しい。焦ることないさ。
悪いが、一服させてくれ。すぐに戻る。
コーヒーを準備しておく?
ふっ、悪臭タッグだな。人が多いとなかなかできねえ。
ニコチンとカフェインが合わさり、最強に見えるってか? 実際、妙に合うんだよな。この二つ。
ごちそうさん。すっきりしたぜ。
お前と二人きりじゃねえと、なかなかできねえぜ。この組み合わせも残業も。
はは、これでも感謝してるんだぞ。
スモーカーとカフェイン中毒じゃないと、共感しづらいかもな。
おっと、そういや、つぶらや、コーヒーかすは残っているか?
サンキュ。これ、消臭剤として役に立つんだ。
飲む時には臭くてたまんないのに、残されたカスには清浄がこびりついてる。
コーヒーが魔除けとして使われたエピソードもあるな。
お、食いついてきたか。そんじゃお前の眠気覚ましといこうか。
たばこもコーヒーも、科学の発展によって成分が分析される前は、薬扱いされていたことは、知っての通りだろ。
かの伊達政宗も、タバコは薬と信じられていたから、晩年、1日3回の喫煙習慣を崩すことはなかった。
コーヒーも当初は薬として扱われていたんだ。日本に伝わってきたのは18世紀末らしい。
実際に「水腫」の症状が出た時に振る舞われたそうだ。ビタミンや利尿作用からして、あながち間違いじゃない。
そして、それらを抜きにしても、存在そのものに大きな効果があった例があったのさ。
1800年代に入った、江戸の終わり。飢饉の傷跡が癒え始めたころ。
将軍様のおひざもとにほど近いその領内の村では、人さらいの噂が広がっていた。
およそ、ひと月に数度。子供が一人いなくなってしまうのだと。
行方不明になってしまうこと、これまでも時々あったんだが、今回の手掛かりはひとつの事件につき、被害者以外の足跡がひとつのみ。そこで被害者ともども、足跡が途絶えるというわけだ。
当初は、意図的に隠滅が図られているのではないか、と考えられた。なぜ、一つ目の足跡を残すのかは謎だったがな。
この事実が示すものは、何者かが空から連れ去ったということに他ならない。
だが、人をさらえるような、巨大な鳥などの目撃例はない。
誰彼ともなく、「天狗の仕業だ」と騒がれるようになってな。「天狗」の究明が急がれることになった。
子供たちの外出が制限される間、被害者の現場検証が行われ、共通点があぶり出される。
村の中と外を問わず、周りに木や家のない空間で被害にあった者はいない。
そして、何頭もの犬たちに臭いをかがせたところ、特に鼻のいい犬が、近くの家屋の屋根目がけて、盛んに吠え立てるんだわ。
もしや、と思ってな、その屋根を調べてみたところ、家を覆うかやぶきに、いくつかの足跡が残っているのを確認した。
それは現場に残っていた、被害者以外の足跡に一致する。
犯人は屋根伝いを移動しているということで、厳戒態勢が敷かれた。夜半に複数人で行う、パトロール。基本ながら有効な手段だ。
犯人がいずれ根をあげるまで続ける。望まれる形ではあるが、達成は非常に難しい。
たいていは人の勝手によるものだが。
ある日。月の出ていない晩のこと。
庄屋の家に向かって、一つの影が走っていた。
彼は商家の使い走り。注文の品を届けに向かっていたんだ。
提灯もつけず、星明りだけを頼りに駆けているのには、わけがあった。
庄屋が所望したものというのが、商人の大旦那が手に入れた外来のもの。ただ、取引先に難があり、ばれたら島流し確実という、禁制の品だったらしい。
ちょうどその時、見回りも、庄屋の家から離れたところを巡っていた。庄屋の指示があったことは、簡単に察することができるだろう。
そして、庄屋の家まで、あと百歩というところまで迫った時。
突然、使いの上に何者かがのしかかってきた。
接近してくる足音を、使いは聞いていない。そして使いは、この村で起こっている、事件のあらましは聞いていない。
事件のことでおじけづかれては困る、という庄屋と大旦那の思惑から、選ばれた子だったからだ。
使いの身体は、すさまじい力で持ち上げられそうになったんだが、その時、担いでいた風呂敷が、引っ張られた力で破れてしまい、中身がぶちまけられたんだ。
それはコーヒー豆だったんだ。
しかも、海外にいるジャコウネコという動物の「祝福」を受けたという、最高級のもの。
独特の甘みを帯びた、深い香りが空気を満たした。
すると、甲高い悲鳴をあげて、何者かは持ち上げかけた使いを放り捨て、その場でのたうち苦しんだんだと。
その図体は人間よりも一回り大きいが、闇に紛れて正体は分からない。騒ぎを聞きつけて、見回りが駆け付けた時には、すでにこと切れていたとのこと。
灯りに照らし出された、何者かの正体。
それは人間の衣服をまとい、大人と見間違えるくらいに、丸々と太った猫だったらしい。
飢饉で肉の味を覚えた猫が、明るみに出てきたのだろう、と口々に噂されたそうだ。
猫が死んだのが、コーヒーの香りのためか、ジャコウネコの「祝福」のためかは分からない。
ただ、それ以降。猫に対する魔除けとして、一部の人はコーヒーかすを使い続けるようになったのだとか。




