方言こそがガーディアン (ホラー/★★)
元気しとおやー、つぶらやくーん!
て、おい、ここは無事を喜ぶところだろうが。どこにツッコミどころがある?
その訛りをやめろ?
ちぇー、せっかく九州の気分を、つぶらやにプレゼントしようと思ったのに、そんな仕打ちがあるかよ。
うちだと、年に何回か実家に召集されるんよ。そのたびに九州に向かうんだが、じいちゃん、ばあちゃんのフルパワー方言。まじで会話にならん。
だけど訛りや方言って、勝手に伝染していかないか?
ほれ、大学で一緒だったあいつ。バリバリの関西弁だっただろ。
何回も話しているうちに、俺もお前も関西弁のイントネーションがうつっちまって、へんてこ雰囲気だったよな。
つぶらやはどうして日本中でこんなに訛りや方言があるのか、理由は知っているか?
ほう、知らないか。じゃあ、いっちょ話をしますかね。
つぶらやの印象では、どこの方言の起源が一番古いと思う?
ふうん、東北か。順当な着眼点だな。
あそこらへんは、坂上田村麻呂が活躍するまで蝦夷たちが多かった。独特の訛りや言葉がその中に息づいているんだろう。
もう一つは九州だ。
古来は標準語がほとんどのウエイトを占めていたが、現在は豊日方言、肥筑方言、薩隅方言に分類されているようだ。
なんでこんな風に多くの方言に分類されたか?
それはある有名な、防衛組織が関わっている。九州を防衛する任にあたる者たち。
そう、「防人」と呼ばれる人たちだ。
外敵を防ぐため、飛鳥時代〜平安時代にかけて置かれた兵士たち。その役目は武士に引き継がれることになるんだが、彼らが培った技術の一つに方言がある。
海を渡ってくる相手に対し、接敵する確率が高い九州地方。当然、機密も集中する。
敵に漏れることはもちろん、味方からもどのような形で、相手に伝わってしまうか分からない。
防諜の役割を兼ねた、暗号会話。それが方言の始まりだったんだ。
任期三年、延長アリの防衛任務。暗号に慣れるうちに、日常生活に戻った後も、うっかり口に出すものが増えてな。
どうせなら、もっとわかりづらく、と研究を重ね、訛りもブレンドしたのが、日本各地に残る現代の方言らしい。
フルパワーで話されたら、分からねえのも当たり前だ。
分からねえように、工夫を凝らしたんだからな。
そのぶん、脳みそが理解できなくても、遺伝子は理解できてるかもな。
そんで、俺が中学生の時。俺たちの卒業式が迫る3月のことだった。
何ヶ月も入院していたクラスメートの一人が、ようやく復帰してきたんだ。
みんなで快気祝いをしようということで、放課後にファミレスに向かったんだよ。
退院したあいつは、どこか妙だった。
なんか、突発的にな、へんてこな方言が飛び出すんだ。俺たちが思わず、聞き返しちまうような。
どんな言葉があったか? 妙な早口だったが、「えとぴんげ〜」とか「すおろいと」とかは聞き取れたぜ。つぶらやは心当たりないか?
そして、退院前はおどおどする人見知りのあいつが、退院後は自分からどんどん声をかける社交的な奴に変わっていた。
例のへんてこ表現を炸裂させることで、妙な属性もつけられたけどな。
俺の中学は「男子たるもの、女子とはみだりに話さん」という風潮だった。
思春期特有の、おかしなプライドさ。
女になびかない、ちょいワルな男という奴にあこがれている、しょーもないがきんちょが多かったのさ。数年後には、自分から女の子に言い寄るようになるくせにな。
そのクラスメートは俺たちのクラスに限らず、同じ学年のあらゆる生徒に声をかけていたらしいんだ。中には女子もいたもんだからさ、一時期男子の中じゃ、のけもの扱いだった。
それでもあいつはめげずに、ちんぷんかんぷんな方言を繰り出すんだがな。
そして、卒業式の日を迎える。
女子は泣く奴が多くてな、男子はすがすがしい顔をする奴がたくさんいた。
うちのクラスは、後日にクラスメートによる、クラスメートのための卒業旅行を企画していてな、その打ち合わせに入っていた。
そんで、隣のクラスは予約を入れているレストランがあって、そこで卒業記念の会食を予定していたらしい。
ところが、その日はクラス全員が外せない用事に出会っちまって、会食は中止。予約もキャンセルすることになった。
当日キャンセルということで、百パーセントに近いキャンセル料を払わされ、幹事はブーブー言ったようだが、これが僥倖。
件のレストラン、ちょうどその日に食中毒を起こしてな。
死者は出なかったが、被害者多数で、数か月後に店をたたむ羽目になった。
俺たちのクラスはどうだったかって? ふ、お前のお察しの通りだよ。
旅行当日の朝、入院している親戚の容態が急変したという電話が入ってな。
親父とお袋に留守番を任されちまった俺は、仕方なくドタキャンの連絡をした。すると、すでにみんな、何かしらの用事で出かけることができず、旅行はお流れ。
そんで乗ろうとしていた電車を見送ったんだが、その電車が脱線事故を起こしてな。かなり大きな事故で復旧に時間がかかった。
あれに乗っていたら、俺たちはただじゃ済まなかっただろうな。
そいつとは卒業後、久しく会わなかったんだが、同窓会で顔を合わせてな。
当時を覚えている連中で絡んだんだが、あいつはすっかり中学時代の奇行を忘れていた。
ただ、さっきも俺が話した方言を聞くと、「ああ」と分かったように手を打ったんだ。
入院している時に、隣のベッドのじいさんが、寝言のようにそんな方言を言っていたそうだ。そいつは身体をろくに動かせずに寝たきりで、じいさんの顔は見ていなくて、声だけなんだと.
夜は早めに眠りに入って寝ぼけていたそいつの話によると、そのじいさんの検査はいつも真夜中。足音もドアを開ける音もなくやってくる、ナースらしき人がひっそりと行い、退院する時には、じいさんのベッドはもぬけの殻だったらしい。




