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その瞳にうつるのは  (ホラー/★★★)

 ふあー、眠ーい。

 いやいや、昨日は夜遅いシフトだったから、まぶたが重くって。

 大学も四年目になると、時間があるやつが多いって、マジだったんだな。必要な数単位のための講義に出ればいいだけだから、学校以外の時間が長いのなんのって。

 つぶらやも、時間がある一派のようだな。今頃、三年までで遊んでいた連中は、出席点稼ぎに必死だろ。俺たちは、その苦しみを、とうにくぐっちまっている。

 正解はないかもしれんが、締め切りの直前くらいはゆっくりしたいね、俺は。

 よくは知らないが、教授の皆さんも、こうやって講義をしながら、締め切りに追われて、論文を書いているわけだろ。息が詰まるよなあ。


 そう考えると、講義ははっちゃけるくらいが、ちょうどいいかもしれん。教授にも学生にとってもな。

 つぶらやはウチの名物教授の授業は、あらかた受けたっけか? どれもなかなか、印象的だっただろう? あれもはっちゃけの結果かもな。

 俺のダチもはっちゃけた授業を受けているんだ。もっとも、怖い思いをしたこともあったらしいけどな。

 興味出てくるだろ、つぶらや。学食で飯でも食いながら話そうや。


 少し前に誰かが言っていたんだが、講師の質というのは、学年を経るごとに変化していくんだそうだ。あくまで、講義や授業を受ける側から見て、ということを頭に入れておいてくれよ。

 小学校の頃は、あらゆる授業を一人、二人の先生が受け持っていることが多い。広く浅くできないといけないし、年端もいかないがきんちょだから、かみ砕いて説明する必要もある。

 いざ、授業する側に回ると、知らないことが前提の生徒に、どのように教えるか、頭をひねりまくるだろうな。

 しかし、年を経るごとに、各科目担当の先生がつき、授業をしてくれる。知識が徐々に深くなるんだな。狭いか広いかは先生によるが。

 大学の教授ともなれば、専攻分野について一日、二日と話し続けることも、苦じゃないだろう。聞いた全員が理解できるかは、別問題としてだ。

 そうなると、話がうまくない先生は、レジュメやパワーポイントなどの道具や、その他のスキルを使いこなして、受講生の関心をひかなきゃなんねえ。


 ダチの通う大学で「色彩心理学」を教える教授がいる。色の研究というのは古今東西の人が行っていたが、色彩心理学という系統にまとまったのは、比較的新しい時期なんだってよ。

 その教授なんだが、色彩へのこだわりが強いらしくってな、毎日ド派手ないろのスーツやネクタイを身につけてくるんだと。

 講義を受けていた俺のダチは、目の毒だと言っていたよ。

 どこの成金だ、という金銀をまぶした衣装もあれば、森に溶け込んだアオダイショウのように、黒と深い緑に染められた、有機的な空気漂う衣装もあったらしい。

 生徒たちの反応も様々で、講義内容そっちのけで、先生のファッションセンスに関する談義が繰り広げられることも、しばしば。

 だが、この先生の色彩心理学の神髄はここからだったんだ。


 その日の講義。ダチは目を疑ったんだと。

 先生はタンクトップにパンツ一枚という、男らしいと評するには、あまりにもあまりな恰好。その異様な風体のまま、教授はいつも通り、教卓の前に立った。

 不思議とな、誰も突っ込まないんだ。ダチは目のやり場と、笑いをこらえるのに困っているというのに、みんなはいつも通り講義を受けている。

 熱心にノートを取る奴、眠る時間に費やす奴、出席が終わると姿を消す奴。

 おなじみの流れなんだ。先生のあられもない姿をのぞけば。


 ダチはとうとう耐えられなくなってな、たまたまやってきたプリント演習の時間に、手を挙げて先生を呼んだ。

 そして、こっそり先生に今日の服装について突っ込んだらしい。すると先生は、気色を満面にたたえた表情でな、講義の後に研究棟の部屋に来てくれないか、と告げたんだと。

 正直、不気味だったが、落とすと単位数がヤバくなる講義だったんでな。機嫌を損ねちゃなんねえと、ダチは教授の提案を呑むことにした。


 ダチは研修にも使う一室に招かれた。ちょうど面接をする時みたいに、先生用の椅子と、自分用の椅子が一脚ずつ。二、三メートルほど距離をおいて、向かい合うように配置されていた。

 座るように促され、腰を下ろしたダチの前で、教授は自分の首元に手をかけた。

 いや、厳密にはかけたように見えたんだ。教授の手は銀色の金具を握っていた。それは見慣れたファスナー。

 教授が一気に引き下ろすと、上半身とタンクトップに偽装された、不気味な上着が地面に落ちた。下半身も同じ、巧妙にパンツと素足が書かれた長ズボン。その下からはいつも通りの、目に悪いスーツがあったんだ。


 教授は淡々とした口調で言った。君は第一試験に合格した、と。

 ダチは背筋が寒くなるのを感じた。頭の中に「はだかの王様」の話がよぎる。

 バカには見えない服。新手の詐欺と、容赦なく追及した子供の感性を知らしめた作品。

 まさか、自分が話と逆の立場になるとは思わなかったって、ダチは言っていたよ。


 それから教授は、様々な色で塗りたくられた紙を見せてきた。

 幾何学模様、虫のそれを思わす斑点。山の中で見る夜空のように、黒く塗られた背景に浮かぶ、大小の丸たちが何色にも輝いて見えた。

 どれが見えて良くて、悪いのか。ダチには一向に判断ができなかった。ただ目の前のものに必死に答えるのがやっとだったらしい。

 そして、教授がラストの問題を告げると共に、指を鳴らした。

 教授の指示のままに振り向いたダチは、目を見開くことになる。


 開け放たれた教室のドア。その入り口に立っていたもの。

 それは確かに人間の胴体を持っていた。胴体はだが。

 手は左腕と右腕が四本ずつ。

 脚部はムカデを思わせるように、数えきれない裸足が生えている。

 目は一つで、鼻は三つ。開いた口からは、青色の舌が垂れ下がっていたらしい。

 ダチは一瞬で判断した。こいつは認識してはいけない奴なのだと。

 教授が不意に、ダチの肩に手を置き、「何が見えるか」と聞いてきた。

「何も見えません」とダチは答えたらしい。声も身体も、震えたらウソがばれる。丹田にあらん限りの力を込めた。


「本当に?」


 先生が顔を覗き込んでくる。視界が先生の顔面で埋め尽くされる。

 その瞳はぎょろぎょろと、360度を見渡すように動き回って、焦点があっていなかった。

 ダチは一世一代の度胸とポーカーフェイスを使い果たし、毅然とした態度で、「見えません」ともう一度答えたらしい。

 しばしの沈黙の後、先生の瞳は動くことをやめ、ダチを見据えた。いささか失望の色が浮かび、ダチは帰っていいと言われたそうだ。

 先生がどいた視界の先に、例の奇怪な存在はいなかった。ダチは焦りを気取られないように、残った力を振り絞って平静を装ったらしい。

 だが、教室を出ていく時に、教授がつぶやいたんだ。


「残念。仲間を増やせなかったか」てな。


 それ以降、警戒しながらも、ダチは教授の授業に出ているらしい。

 これまで毎回出席していたんだ。急に休んだら、あの時のことを追求してくるかもしれない。

 教授の奇抜なファッションは、ずっと続いているんだそうだ。

 いつもいつも、心を毒するような色彩で。

 新しい獲物の目に留まるのを、根気強く待っているかのようにな。


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