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光ある世界 (歴史/★)

 やあ、つぶらや君。絵の進み具合はどうだい。

 まだ全然か。君は自分が気に入るまで、デッサンから先に進まない人だからねえ。それとも、先生がせっついてくれるのを、待っているのかな? 

 甘えなのか臆病なのか、はためからは判断しづらいことをするね。

 僕かい。もう色塗りもほぼ終わりだよ。絵の具が渇くのを待っているんだ。

 暇だし、こうして君をからかいに来たんだ……と言ったら、怒るかい?


 自然公園での写生会。ウチの学校の年中行事になっているけど、絵が嫌いな人にとってはなかなかの苦痛だろう。

 絵にせよ、文章にせよ、分かる人には分かるけど、分からない人には分からない代物だからね。強制されてやるのは、本来の姿じゃないだろうな、と僕は思う。

 かきたい時にかく。心が動かされたから、かく。

 そうありたいのはやまやまだけど、これが本職の人は、そんな甘っちょろいことは許されないだろう。メシがかかっているんだもん。

 どうやら、つぶらや君が絵をやっつけるには、まだかかりそうだね。

 描きながらで構わないよ。ちょっと絵にまつわる話でも聞いてくれ。僕も話したくなったからさ。


 絵も文章と同じで、様々な種類が存在する。

 今日のように、見たままを描く絵もあれば、デフォルメを取り入れた絵。理想や空想を具現化した絵。線ひとつ、色ひとつを取ってみても、作者の特徴という奴が現れる。

 いくつか名を持っていて、使い分ける者も芸術の世界では少なくない。

 一つの名前が知れ渡れば、次回作以降も同じタッチが求められがち。だから名前を変えることで、タッチも変えて色々と実験する。これも芸術家の性という奴かな。

 親からもらった生来の名前と、自分や誰かがつけた新しい名前。

 どちらが知れ渡った方がいいのだろうね。答えは出せないかな。


 江戸時代のこと。

 彼は、生まれつき目が見えなかった。

 光のない世界の中で、彼は両親の声とぬくもり、肌触りを感じながら生きていた。

 当時、検校さんなど、盲目でも高い地位につく者。芸術で大きな業績を残した者はたくさんいた。

 両親は自分がいなくなった後も、その子が生きていけるように、様々な教養を施した。

 琴、鍼、按摩、将棋。

 彼は一通りの技術を身につけることができたけれど、ひときわ興味を示したものがあった。

 それは芝居と絵画。


 目が見えない彼には、縁遠く見えるかもしれない世界。だが、彼はその魅力に取りつかれていった。

 音響と役者の台詞に酔い、絵の品評を聞いて、心が描く美しさに見とれる。

 同時に、いつか、この目で直に見ることができたら、脳にまで刻み込みたい。そのような思いが彼の中に募っていった。


 そして、年月が経ち。両親との永い別れの時が来た。寄り添うように、二人ともほぼ同時に息を引き取ったという。

 すでに一人で生活ができるほど、家の間取りや近所の様子も把握している彼だったけど、肉親との別離は耐えがたく、何日も泣いて過ごしたみたい。

 だけど、その涙が枯れ果てた時、奇跡が起こったんだ。


 彼の目は見えるようになっていた。

 初めは信じられなかった彼も、話に聞いた色々なものが瞳に映ったことに、いたく感動したんだって。

 彼は葬式を手伝ってくれた、友人の下へと向かう。

 友人は能における端役で、ひっそりと絵を描いていた。

 時代柄、能役者は武士。絵描きは下賤のやるがごときもの。二足のわらじは履けなかった。

 そこに目が見えるようになった、彼がやってきたんだ。

 かねてよりの夢、絵画を描くために。


 二人は彼のもう一つの念願である、芝居を見て回った。

 盲目であった時から、心焦がれた舞台。そして、幾度も頭に描いた、実在の役者たち。

 光の下に照らし出されたその姿は、彼の想像通りのこともあれば、全然違うこともあった。

 だが、生涯でまだ数えるほどしか見ていない、新鮮な顔立ちは彼の胸に刻まれる。そして、ついに執筆に取り掛かったんだ。

 彼は素人。それゆえに、線が素直で力強い。

 初めて見た顔たちの衝撃を胸に、彼はその特徴を誇張して描き出す。顔のしわさえも。

 ところどころ、手直しを入れる友人も、彼の才能に驚き、つながりがあった版元に紹介した。

 その版元も彼の才能を見込んで、いくつもの絵と共に、彼は浮世絵師として鮮烈な登場を果たした。


 彼の筆致は賛否両論。当時は美しさを求められていたから、元来の特徴をよくも悪くも大胆に表現した彼の絵は、他の有名画家たちのものに比べて、売り上げはよくなかったみたい。

 それでも構わず、彼は猛烈な勢いで書き続けた。

 望外のことであった、光ある世界で芝居を見て、絵を描く願い。それが叶ったのだから。

 でも、奇跡って徐々に先細っていくものみたい。


 半年が経った頃、彼の視力は急激に落ち始めた。

 もう最前列でも、役者の顔が分からない。ぼんやりと、全身しか映らない。

 絵も顔を大胆に描いたものから、全身を映したものに変わる。独特の味を無くした絵は、ますます売り上げを落としていった。

 そして、目が見えるようになってから、およそ十カ月。

 再び、盲目となった彼は、ほどなく自ら命を絶ってしまったらしい。

 友人に、自分が書き残した絵を処分してくれるように頼んで。


 彼が光ある世界に招かれた、十カ月。

 それは華美に彩られた、江戸の芸術に、一石を投じるものだった。

 その使命を終えた時、彼は再び闇の世界へと引き戻されたんだね。

 時は流れ、彼の絵は今ひとたび、注目を浴びるようになった。

 本来の名が失われても、僕たちはその名前を知っている。

 彼の住まった場所と、友人の名が込められた名前。


「東洲斎写楽」を。

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