あなたはどちらの方ですか (ホラー/★★)
つぶらや、定期的に服は買っているか?
着ても着なくても、傷みは少しずつ来るもんだ。虫食いとかの影響もあるかも知れん。メンテナンスは怠るなよ。
俺か? 注意はしているが、一日中、寝間着のこともあるよ。外に出ない時だったらな。
以前は、着替えることそのものが面倒でな。毎日、寝間着のまんま。
近場をうろつく時には、寝間着の上からジャージやウインドブレーカーを羽織って外出、というのも多かった。
見た目としては、問題ないと思うだろう? ところが、最近妙なことを体験しちまってな。不精せずに着替えるようにしたんだ。
つぶらやも、本当に疲れたら、俺と同じように着替えていないんじゃないのか?
この話が、少しでも参考になるといいんだけどな。
服装の指定。その最たる例といえば、ドレスコードだろう。
フォーマルだのインフォーマルだのカジュアルエレガンスだの、指定される礼服の種類は様々だ。
着る側にとっては手間のかかることに間違いはないが、これは周囲に関してのエチケットの一つ。自分が快くなるためでなく、相手を不快にさせないという思いやりの精神に端を発するものなんだ。
また、服装というのは所属を明確に表す手段でもある。
スポーツのユニフォームは自分のチームを。
企業でも腕章などで、部署や立場を知らせることが多い。
創作で出てくる、黒スーツに黒サングラスの集団とか、ヘンテコだがインパクトのある服装で統一した戦闘員とかも、ひと目でどこの手の者かわかるだろう。
そして、寝間着は自分が眠りの世界の住人となっていることを意味する。
着替えをしないということは、自分から境界線をあいまいにしてしまうことになるのさ。その歪みは気づかないほど、ゆっくりたまっていく。
当時の俺は、ぐうたらの塊でな。金に余裕もあったせいで、仕事に就かずにブラブラしていた。
いや、その表現すら失礼かもな。家に引きこもって、好きなことをしていた。
本にせよ、ゲームにせよ、廃人じゃないかというくらい、のめりこんだぜ。
何日連続で徹夜したか、わかったもんじゃねえ。むしろ、どちらが現実でどちらが夢なのかすらも、あやふやな毎日だった。
外出は近くの業務用スーパーに、サンダルをつっかけて食料を買いに行く時だけ。ジャージの上下でもあれば、ことが足りる。
着たきりスズメの俺は、一年の大半を寝間着で過ごしていたのさ。
さて、軽蔑されかねない生活を送る俺だったが、本格的な外出をしなくてはいけない時が訪れた。
車の免許の更新だ。ペーパーゆえにゴールデンな俺に、数年ぶりの誕生日プレゼントというわけ。
免許証は証明書として使える。何かと手間が省ける代物だから、ないがしろにすると、あとが面倒。
いつも通り、俺はあり合わせの服を寝間着の上から着込んで、指定された教習所に向かったんだ。
教習所までは、何回か電車を乗り換える必要があるんだが、俺はある違和感に気づいた。
やけに左ハンドルの車が多い。日本車は右ハンドルのはずなんだ。
みんなが一斉に外車に乗り換えたとしたって、こんなに溢れかえるなんておかしい。すれ違ったパトカーや消防車とかも、左ハンドルなんだぜ。
道路もおかしい。左側通行のはずの車が、右側を走っている。
右側通行のはずの人間が左側を歩いている。
みんながそれを律儀に守るものだから、俺だけはみ出し者もいいところだ。
教習所も左ハンドルの、右側運転の車であふれかえっていた。もはや、俺の常識はどこに消え失せたって思ったね。
そして、視力検査。
一回、落ちたよ。落ちると午後にもう一回受けることになるんだ。
理由は見えないからじゃない。俺の指示が違っていたんだ。
車や道路と同じだ。右が左、左が右。上が下で、下が上。
「逆だったら、完璧なんだけどねえ」って教官の声が、どこか恐ろしく思えてきた。
腹が減ったんで、昼飯を食おうとしたんだが、ここでも愕然とした。
箸をうまく握れなかったんだ。今まで箸の扱いには自信があったのに、この日は違和感がありまくりだった。
まさか、と思ったよ。普段は右手で箸を扱う俺。左手に箸を持ち変えてみると、しっくりきた。
俺の利き手は逆転していたんだ。
何もかも、あべこべの方がしっくりくる外出を終えて、俺はようやく慣れ親しんだ部屋に戻ってきたはずだった。
だが、部屋のレイアウト。俺が外出した後に、とんでもない模様替えをされたらしく、どれもこれもが、対称移動されていた。
顔をいくら洗っても、この光景に間違いはない。
もしかして、俺の頭がもう死にかけているのかもしれない、という不安さえ、鎌首をもたげてくる。
もう耐えられん。冷や汗で、身体全体がジトジトしている。
シャワーを浴びてさっぱりするか、それとも、疲れた頭を癒すために、ふて寝するかだ。
あの時の選択に、俺は今でも思い出してほっとする。
何日着ているか分からない寝間着を脱ぎ、新しい服を用意して、シャワーを浴びたんだ。
浴室はせまくて気づかなかったが、身体を洗って外に出ると、部屋は元通りになっていた。
外の車も右ハンドルの左側通行。俺の見知った景色そのままだ。
助かった、と思った。同時に猛烈な眠気がしてくる。
俺はそのままうつらうつら。そして、夢か現実か分からなくなり始めた時、聞こえたんだ。
「こうならなくて、良かったな」
それは紛れもない、俺の声だった。
目を開けて、飛び込んできた光景。ほんの一瞬だけで、すぐに消えたが、生涯忘れることはないだろう。
寝ころんだ俺の頭上に、俺がいた。
天井に足をめり込ませ、こうもりのように逆さの状態で、俺を見下ろしていたんだ。




