眠りの育成者
うわ~、こーちゃん、目の下のクマがすごいねえ。ここんところ、ちゃんと眠れてる?
まあ、翌日に仕事なりやっかいなものが待っていると考えると、なかなか寝付けないのも分かるよ~。何が起こるか分からないのは嫌なものだけど、何が待っているか理解できているのも、気が休まらないもの。
後先考えずに、ぐっすり眠りたい……なんて願いは誰しも持つだろう。けれど、それが実際にかなうとして、本当にありがたいものなのだろうか?
この間、お兄ちゃんから聞いた話なんだけども、耳に入れてみない?
お兄ちゃんも、以前に不眠症で悩んでいた時期があったとか。
メンタル的なものによる、とされたけれどもお兄ちゃんとしては、特に憂いなく過ごしているつもり。それでもいざ布団に入って、まったく意識が落ちない日が続いていた。
目を閉じていても、ただ時間が経過していくだけ。夢らしい景色や記憶は、まったく頭に浮かんでこない。自分で意識して浮かべるものばかりだったとか。
それでいて、たいした睡眠不足を感じていないというのが、なお困りどころだった。日常生活で眠気を覚えるときが、全然やってこなかったらしい。
三か月も、ずっとそのような調子で、お兄ちゃんも体調が崩れないことがかえって気味の悪さを後押ししてきていたとか。
その三か月が過ぎたあたりで、ふとお兄ちゃんはある変化を感じるようになる。
閉じていた目を開くとき、一瞬、カメラのフラッシュみたいなものが焚かれる感触がするんだ。
実際に光を浴びせられた感じとは異なる。まなこの前のフラッシュの残像は、そこからどんどんと小さくなっていって、消えてしまうんだ。
目が慣れたために、自然になくなっていくのとは違う感触。まるで、残像のほうから遠ざかっていくようにお兄ちゃんには思えたそうなんだ。
そうして、それらを見る代わりにお兄ちゃんはひさしぶりにぐっすり眠ることができるようになったとか。
そのあまりの変わりように、ますます鳥肌が立ってくるお兄ちゃんはまわりのみんなにこの話をしてみたとか。解決策を求める気持ちもあったけれど、話のネタにでもしないと抱え込むのがしんどかったのも大きいみたい。
これに関し、食いついてきたのは学校の友達のひとり。
なんでも、地元で一時期流行った奇妙な病気によく似た症状らしく、ひょっとしたら自力で改善できるかもしれない、とのこと。
特に医者でもないのに大丈夫かなあ、とお兄ちゃんは不安ながらも、話を聞いてみる。
対処法としては、洗面器いっぱいの牛乳を用意し、その後、綿棒などで鼻の奥の粘膜をこそぎとって、その牛乳に浸す。鼻血などが混じっているならば、なおよしとのこと。
そうして日をまたぐ時間帯の際、その洗面器をじっと見おろし続けるのだとか。
「もし、知っている症状通りならば、あまり気持ちのよくないことが起こるはずさ……でも、確実にやっておいたほうがいい。ヘタをすると命にかかわるからね」
その晩、言われた通りの用意をして、風呂場でお兄ちゃんは夜が更けていくのを待っていた。
何かあったとき、汚していい場所といったら、ここくらいしか思いつかなかったからだ。時計を見ながら12時を回る瞬間を、確かめんとする。
そうして、時刻がぴったりと日付変更を告げたとたん。どっと、お兄ちゃんの顔からあふれ出てくるものがあった。
汗じゃない。それらは泥のように、濃い茶色に染め上げられた軟体のシロモノ。
無数にあふれ出るそれらが、牛乳の入った洗面器へ飛び込んでいき、どんどんと自らの色へ染め上げていく。これも聞いていた通りだ。
牛乳がすっかり元の色を失うばかりか、表面に異様なぎらつきが見えるほどになって、ようやくそのシロモノは止まった。
最後に、これもあらかじめ指示があったようにどこかへ流すのではなく、長く火にかけることで、すっかり蒸発させるようお兄ちゃんは動いた。
これらは器の底にも痕を残すことなく、すっかり消え失せてしまったらしい。
教えてくれた友達の話だと、あれは虫の一種だという。
どのような経路で身体へ入り込むか分からないが、お兄ちゃんの体験したような症状を味わうことは共通している。
確率半々くらいで、何事もなくそのまま過ごせる場合と、突然に顔面が破裂して死に至る場合かのいずれか。
ただ顔面が割れても、その虫らしい姿を見ることはほとんどないのだとか。




