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レモン夫人 (ファンタジー/★★)

 おい、つぶらやさんよ、気づいたか?

 今日はまた一段と、香水の匂いが、どぎついと思わねえか?

 いつもは古典の先生と、音楽の先生だけのはず。

 それが、今日は女の先生、全員がつけてそうな雰囲気だぜ。俺、鼻がいい方だからな、色々混ざって、気持ち悪い感じだ。

 これで本当に、男にアピールできているのか? 俺ははなはだ疑問だがね。

 香水は身だしなみとしても、大事?

 ふん、なるほどな。どうりで「無理すんな」な先生までつけているわけだぜ。つけなかったらつけないで、深刻な問題になるってか? 

 おっと、これは失言だったかね。めんご、めんご。

 俺は鼻がいいことに加えて、小さい頃に聞いた話が原因で、匂いってやつに敏感なのよ。

 その顔。やっぱり、聞きたがり屋だな、つぶらやは。

 いいぜ、話させてもらおうか。香りについての話だ。


 香水文化が日本にやってきたのは、明治時代あたりからだと言われている。

 海の向こうじゃ、病気になりやすいと、入浴が嫌われていた時期があったからな。体臭を誤魔化す意味もあって、重宝したらしい。

 さかのぼると、三大美女のクレオパトラも使っていたらしいし、香水は「見えないオシャレ」と言っても差し支えないかもな。


 じゃあ、日本は香りに関心がなかったか、というと、そんなわけはない。

 同じ香りを出すものでも、香木とかを使った「お香」の文化が、大いに発展した。

 服や扇に染み込ませて、存在をアピール。通婚だったから、お香で自分の訪れをアピール。武士が戦いに臨むときは、「尚武」とかけて「菖蒲」の香りで、武運長久をアピール。

 こう見ると、日本人もなかなか自己主張が激しいな。謙虚さがウリとか言っている一方で、承認欲求も大したもんだ。

 最近は謙虚と卑屈を取り違えている奴が多い気がするぜ。内なる承認欲求ばっかでっかくしてよ。どうして目立とうとしないのかねえ。

 これから話すのは、香水によって目立ちまくった「レモン夫人」についてだ。


「レモン夫人」は、とあるお偉いさんの娘だったという話だ。

 十代半ばで、親同士の取り決めによって、結婚したんだってよ。

 だが、数年後に夫は急逝。親類もいなかったから、彼女が財産を引き継ぐ、当時としては珍しいケースだった。

 当然、謀略の類も疑われたが、水面下での捜査も白、という結果さ。


 彼女が「レモン夫人」と呼ばれる由来は、柑橘系の香水をつけていたからなんだ。

 一般庶民にとって、香水は手が出しづらいほど、当時は高価なものだった。それをふんだんに使っているということは、金持ちのステータスの一種と言えたんだ。

 街を見下ろせる小高い丘の上に、夫が遺してくれた彼女用の屋敷がある。使用人もおらず、彼女が一人で伸び伸びと暮らしていたとのことだ。

 街にも良く出てくるんだが、やはり香水の匂いがどぎつい。レモンを頭からぶっかけたんじゃないか、と噂する奴がいたくらいだ。

 服だけでなく、扇子にも染み込ませているようで、少しあおぐだけで、即席果樹園にご招待というレベルだったらしいぜ。

 彼女が来れば、鼻のいい奴は誰でも、距離を置きたくなった。

 日用品を売っている店なんかは彼女の来店のたびに、息を止める訓練をする猛者さえいたからな。肺活量を鍛えるのには、役に立ったかもしれん。


 さて、公序良俗を乱すとどうなるか。

 レモンを消し去る。そんな考えが出てくるわけだ。

 別に夫人本人を始末しようというわけではない。ちょっとあの香水を落としてやればいいということだ。

 秘かな賛同者は多く、計画が練られる。

 一カ月の夫人の巡回ルートを確認。必ず、通っている道を割り出す。

 そして、頭上からレモンの香りを塗りつぶすほどの、「とてつもない臭いがする液体」をぶちまける。

 液体の正体は――まあ、想像してくれ。

 健康や衛生面では問題のない代物が選ばれたのは、確かだ。


 計画通りにことは進んだ。

 人気のない大通りを歩いていたレモン夫人は、その液体をもろにかぶっちまった。夫人は悲鳴を挙げて、大通りを走り去っていく。

 そこまでは仕掛け人たちも予想していたんだが、次の瞬間には目を疑うことになった。

 

 路地という路地から、犬たちが飛び出したかと思うと、夫人の後を追いかけ始めたんだ。つながれている飼い犬まで、己の力で課せられた戒めを振りほどき、一心不乱に彼女を追いかけた。

 ただ事ではない、と感じた街の人々は、夫人と犬たちの後を必死に追ったが、すでに姿は見えず、空には犬たちの鳴き声が響くばかり。

 追っている者たちは、最初、夫人のことばかりを気にかけていたが、じょじょにその心配は犬たちの方に向けられていった。

 何せ、聞こえてくるのは犬の鳴き声ばかりで、彼女の悲鳴も足音も、まったく聞こえなくなっていたのだから。


 一日をかけた、姿なき捕り物は終わりを告げる。

 夫人も犬たちも、見つからなかった。そもそも、人の足で犬の足から一日中逃げ延びるなど、本当に可能なのだろうか。

 後日、レモン夫人の屋敷が調べられる。

 街の人は滅多に近寄らないから、気づかなかったが、彼女の屋敷もレモンの匂いに包まれていた。連れてきた新しい犬どもも、尻尾を巻いて逃げ出すくらいにな。

 屋敷の中に夫人の姿はなかった。代わりに多くの犬の死体が見つかったそうだ。

 

 だが、どの顔にも苦痛や憎悪の色はなく、うっとりとした表情で、目を見開いていたんだと。



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