生まれ残るもの
60リットル。これがどれだけの水量か、みんなには想像がつくだろうか?
これは小さめのドラム型洗濯機が、一回の洗濯で費やすだいたいの水の量だという。
すぐにイメージがつくかい? 2リットルのペットボトルだって30本並べないと到達ができない領域。
こいつがせいぜい、ひとつの家庭でのことだから市中、県中、国中とみていったなら、まさに天文学的な領域に達するだろうな。それをカバーできちゃう水たちの豊富さも恐れ入るしかないが。
これだけ量が多い水たちだ。我々ひとりひとり、いつも世話になっていながらその正体に関しては、さほどつかめていないだろう。ひと目でわかるやばさ、汚さばかりじゃない。中に含まれているものについてだ。
仮にいくらかあったとしても、身体の免疫機能がどうにかしてくれる。けれども、限度を超えるものは止められないのも仕方ない。そして中へ入り込まずとも、私たちを驚かすものはあるかもしれない。
むかし、先生が体験したことなのだけど、聞いてみないか?
先生が子供のころは洗濯機の普及とともに、合成洗剤もまたよく使われていた。
洗剤に含むリンなどが、赤潮などを発生させて問題になることは、みんなもすでに知っているだろう? それらの入っていない洗剤の使用が推奨されるようになり、石けんをメインで使うことも多かった。
先生の家は制限されたものではない洗剤を使い、洗濯機利用を続けていたなあ。当時のスペックだと混ぜ合わせが悪いせいか、洗剤の溶け残りが服にくっついていることがままあってね。気づいたときに、つどこそぎ落したこともあったっけ。
その日の先生の洗ったばかりのシャツもまた、溶け残りとおぼしき洗剤がくっついていた。休みの日だったから、洗濯ものを干すのを手伝っていたんだよ。
他の洗濯ものにも、同じように洗剤のくっついているものは多かったが、先生のそれは数が多くてね。襟に、袖に、胸元のあたりにも、うずらの卵大の白いものがちょこちょこと。
いつも割り箸で、ときにこする、ときにすくうようにして連中を隔離していったのだけど、わき腹に残ったひとつが、えらくしぶとかった。
軽くつついた程度ではほとんど形を崩さず、熱心に周りの部分をはがしていって、ようやく……といったものだったけれど、ぼとりと地面に落ちたそれは、なおも弾力を保っていてマシュマロのごときものだった。
とはいえ、のんきな感想を持てたのはそこまで。
気味悪く思った先生が踏みつけると、ついに塊はすっかり潰れてしまう。
つぶれた端からにじみ出たものは、白い表面と退避するような黒い粘りけ。
それだけならマシュマロに対するチョコのように思えたかもしれない。けれどそいつがおのずとうごめき出し、散り散りになっていく様まで見せつけられたら、どう思う?
先生も鳥肌が立つまま、やたらめったらに奴らを踏みつけようとしたけれど、大半は取り逃してしまった。踏みつけたはずの連中も、不思議と痕跡が残らない。地面にも靴裏にも奴らのかけらはちっとも確認できなかったんだ。
白い塊そのものも、気づいたら姿を消している。この現場を目撃した人じゃなきゃ、先生の幻覚ととられるのが自然だろうな。
ところが、翌日の学校で話のネタにでもなるかと、みんなに振ってみたところ思ったよりも食いつきがあった。
自分のところの洗濯ものでも、同じようなものがあって処分に立ち会いもした、というんだ。あれについての正体はよく分からないまま、朝の会を迎えてしまったけれど、問題は次の体育の時間前。
男女で場所を分かれて着替えを行い、女子は教室。男子は廊下という流れだったものの、いざ体操着に着替えようとして、先生は自分のわき腹を見やり、気づいた。
自ら散り散りになっていったはずの、あの黒い粘りけたち。その塊が、こびりついていたんだ。
話をしていた面々にも、似たような色のこびりつきがある。先ほどおのおのが話していた服の箇所と、同じ部分の肌へだ。
教室内の女子たちもまた同じだったのだろう。先生のいない教室内外は大騒ぎとなって、近くのクラスで授業していた別の先生たちが様子を見に出てくるほどだったが、そのときにはもう証拠は残っていない。
先生たちに見つかるや、やつらはたちまち身体を駆け下り、床のあちらこちらへ潜り込んで見えなくなってしまったのだから。
それからしばらくの間、似たような目撃談は続いたものの、やはり証拠を残すことはできず。当時の先生たちの思い出の中だけに、しまわれている存在だ。
あれらは洗濯と洗剤の普及によって起きたことかもしれない、とは先生の見解。たとえ使用を制限しても、一度生まれたものはそう簡単に消えるものじゃない。
このところは見かけていないが、またひょっこり私たちの前に現れて肝を冷やさせてくるのでは、と思っているんだよ。




