穢土突き
ドリブル、と聞いてみんなが思い浮かべる動きはどのようなものだろう。
サッカー、バスケ、ホッケーなどなど、個々人によってなじみあるスポーツに差はあるだろうが、いずれもボールやそれに類するものを連続で触れ続けることなく、断続的に触れてキープしていることを目指す動きだ。
確かバスケだと、初期はボールをパスして回すしか方法がなく、ひとりでボールを運ぶことはできなかったと聞く。しかし、単独で抜くことのできる選択肢を考えた結果、ドリブルが発明されたらしいのさ。それがちょこちょことルールを変えて、現代に至ると。
これを日本の中で見てみると、玉突きや鞠突きとよく似た動きになる。ただ持ち続けるのではなく、地面など別の場所にいったん触れさせたうえで、自分のもとへ引き戻すことを繰り返す動きだ。
はた目には地味だが、いざ実践してみると回数を重ねるのは少しコツがいることがわかる。角度や力加減、球の触れる地面のコンディション……さまざまな要素により、球の戻り方が異なってくるから安定と調整を絶えず行わなくてはならない。
さらに、もう少し細かく見ていくと、この動作を用いたおまじないのたぐいがそこかしこで行われたいたという話も出てくるようだ。
ちょっと前に先生が聞いた話なんだが、耳に入れてみないか?
鞠突きの中でも儀式めいたもののひとつに、先生の地元に伝わる「穢土突き」というものがある。
現在ではさほどでもないが、先生の地元はむかし作物の出来が年によって大幅に変わる、非常に不安定な土壌を持っていたとされるんだ。
その不出来な年に当たったとき、先の穢土突きが実施される。一種の豊作祈願の催しであったのだろう。
穢土突きが実施される運びとなると、その土地で一番出来の良い鞠を用いる。
これはあらかじめ村や集落の蔵の中へ大事に保管されているのが通例だ。しかし、火事などで焼失していた場合は、その地域の鞠職人がきっちり仕上げる。
鞠の用意ができたら、次に突き手を選び出す。これも当然、技量が優れていた者がよいので、村の者みんなで鞠を突いて、その具合を確かめる。
いかに平時で優れていたとしても、ひいきされるわけじゃない。いまこのときに結果を出せるかが肝要なんだ。積み重ねがあったとて、限られた機会につかみ取ってこそ力といえる。
そうして突き手に選ばれたものは、同じく選ばれた鞠を持ち、村や集落中央から近隣の境までを練り歩く。ちょうどお神輿がゆくように、鞠を突きながら歩いていくんだ。ほかの村人たちも農具を片手にあとをついていく。
この穢土突きは言葉の通り、穢れた土を探り出すことを目的とする。実施するときは不思議なことに、どのように不安定な地形であっても、そこに穢れがなかったならば鞠はまっすぐに返ってきたのだとか。とがった石の角など、普通はあさっての方向へ跳ねそうなところへ意識してぶつけてもだ。もっとも、選ばれた突き手でなくては効果が出なかったようだけどね。
そうして反対に。穢れのある土地に差し掛かると、どのように平坦に見える土地であっても、鞠が変な方向へ跳ねてしまい、まともに手元へ戻ることはない。これも選ばれた突き手と鞠があってこその反応だ。
そうするとついてきた村人たちの出番だ。
尋常ならざる跳ねをする箇所を特定すると、その上へござを敷き、村や集落ごとに定められた祝詞を神職が朗々と読み上げる。そののち、ござ越しに村人たちが持ち寄った農具でそこの土を叩いていくんだ。
鞠、ござ、祝詞。この三つを経たうえで、それぞれの家の守り神のついた農具でもって地面へ刺激を与えることで、活力を加えることができるとされ、来年以降の豊作が祈願されたわけだ。
実際、この穢土突きを実施した翌年の作物は、たとえよろしくない気候の下であっても、例年以上の実りを約束されるのだ。
――そんなにすごいものなら、現在でも行われていておかしくないのでは?
実績だけならね。だが、先にも話しただろう? 機会は限られているものだと。
古のころより続けていて、すでに各々の土地は限界を迎えてしまったのさ。今風にいえばくたばりかけているところに、無理矢理エナジードリンクだかを飲まされて、働かせ続けられたようなものさ。人間サマの都合でな。
度重なる穢土突きの結果か。あるときに狙ったような効果が現れなかった年があった。同時にその年は大いに疫病が流行り、村民たちの数は激減した。村の形など保っていられないほどの大被害だ。
結果として、生き残った人々もよその土地へ移っていき、かつての田畑も自然の草木たちに支配されていって山野の一部へとかえっていった。
保持にはどうしても力がいるもの。自然もまた同じで、長らく酷使されたならば休みたくなるときもあるだろうさ。




