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ばらむすび

 つぶらやさんは本を読まれていますけれど、たとえば図書室にある本をすべて読まれましたか?

 私は全然ですね。どうしても、好き嫌いってあるじゃないですか。好きなものなら自分からグイグイのめりこみますが、そうでないものはどんどん遠ざかる。紙面にせよ画面にせよ、取り入れる情報が限られてしまうと、知識人と自負するのはおこがましい気さえしてきますね。

 しかし、それは必ずしも蔑まれるものばかりとは限らない。中には、無意識のうちにそれを避けているケースもあるかもですね。個人の勘か、遺伝子に組み込まれている本能か……いざ無理強いをしてしまったときのダメージは、怖いものがあるかもしれません。

 私の昔の話なんですけれど、聞いてみませんか?


 私が学校へ通っていたとき、年がら年中、休み時間を図書室で過ごす女の子がクラスにいたんですね。

 廊下側の大机、手前から三つ目の左隅。そこが彼女の定位置でした。

 普段は緩慢を通り越して、必要以外のことに対しては不動を貫く彼女でしたが、休み時間になるや否や、姿を消してしまいます。そうして彼女は図書室のいつもの位置へ腰を下ろすんですね。

 誰も彼女の先を越すことはできません。例外的にその席があらかじめ備品などで埋まっているときは仕方ありませんが、それでも彼女はすぐ横や向かいの席へ移動し、本を開いているんです。


 彼女の席へのこだわりはたいしたものですが、読んでいる本もまた独り占め。

「ばらむすび」という本を、彼女はいつも開いていました。同じ本が図書室になかったところをみると、あの一冊だけなのだと思います。

 彼女は誰よりも早くそこへやってきて、「ばらむすび」の本を手に取り、休み時間が終わるまでそうしていたのです。

 私は別段、彼女とそこまで親しい仲でもありませんでしたが、当時は自分が読書家であると少しばかり自信を持っていました。その私が、まったく知らないようなタイトルの本を、いつも彼女が独占して中身を読むことができない……というのが、どうにも面白くなかったのです。


 彼女はこれまで、学校を休んだところは一度もなく、図書室通いを欠かした日もありませんでした。

 ばらむすびの中身をうかがおうとする私は、どうにか彼女が本を手にしないでいるときがあるんじゃないかと期待し、図書室に入り浸るようになる私だけど、先に本を手にすることはかないません。どうにか中身をチラ見せんと、彼女のまわりをうろうろすることもしましたが、彼女のガードは固くて、のぞこうとするとパッと本を机に伏せてページが見えないようにしてしまうんです。

 私じゃなくても、誰かがそばを通り過ぎたり、遠目に見やろうとしたりしても同じ。よほど感覚が鋭敏なのだな、と思いました。


 そうして機会をうかがい続ける私ですが、チャンスはふとした拍子に訪れました。

 その日の彼女は首を寝ちがえたと、不自然に首を右側へ傾けた姿勢を保っていたんです。私も身体で痛いところなどがあったらかばうような動きは見せますが、彼女の場合はなんとも大げさに思えたものです。

 その彼女が休み時間とともに、図書室ではなく、トイレへ入っていくのを見て「しめた」と思いましたよ。まさに千載一遇の好機。

 私は足早に図書室へ。彼女のいつも座っている席のあたりの本棚から、「ばらむすび」の本を探し始めたんです。始終、陣取っているのだからこの近くにしまってあるだろう、と思いまして。


 想像通り、棚の中ほどで「ばらむすび」と書かれた本を発見します。

 無人の図書室で、私は普段なら彼女が座っている席に腰かけ、本を開きました。ばらむすび、というタイトルからどのような物語が展開されるのが、少しワクワクしていたのですが、すぐにそのようなことは言っていられなくなります。

 こてん、と本を開いたとたんに、私は椅子から転げ落ちてしまいました。意識してのことではありません。ふっと、風に吹かれたかのような、自然な倒れ方。

 ぼてりと床へ落ち、ぐっと両ひじを支えに起き上がろうとして、目を見張りましたよ。


 私は上半身だけの姿となって、図書室へ転がっていたのですから。

 痛みはありません。けれども腰より下がないまま、動くすべに慣れていません。

 見上げると、椅子には私の下半身が腰かけたまま。けれども腕は倒れた私の上半身にくっついているものですから、机の上のばらむすびの本は開いたままで投げ出されたかっこうに。


「――そうなるから、読まないでほしかったのになあ」


 唐突に浴びせられた声に、私はそちらを見て、今度こそ声をあげかけます。

 彼女です。いつも、ばらむすびを読んでいながら、今日はトイレにこもった彼女。けれども、その首は本来あるべき胸の上ではなく、彼女の左腕の中へ抱えられていたのです。


「まさか、ばらむすびを『薔薇結び』とかロマンあるものだと思った? 違うよ。『ばらばら』を結ぶものだから、ばらむすびなんだよ」


 首をかかえた彼女は、放り出されたばらむすびに右手を添え、数ページぶんをパラパラめくります。

 すると、まばたきした次の瞬間には私の体はもとのようにくっついていたのです。彼女もまた抱えていたはずの首が、きっちり元の位置へ戻っているではありませんか。


「今日は格別調子が悪かったから、ちょっとオーバーホールしたんだ。でも、できればどのようなことがあっても『ばらむすび』には手を出さないでほしいな。私以外が下手に読むとばらばらになっちゃうから。今日は全然マシなほうだよ」


 それから彼女は、卒業までばらむすびとともにありました。

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