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嫌なヤカン

 うん……?

 いま、ちょっとヤカンが湧いたときのような音がしませんでしたか? 先輩。あのピーッて耳に来る甲高いやつです。

 やっぱりちょっと聞こえますよね? 変だなあ、ここは知っての通りの地下フロアでして、お湯を沸かすような道具は持ち込んでいないはず。かといって、地上からの音はここまで滅多に聞こえないんですが……あ、止まった。

 止まりましたよね、先輩? うん、よかった。やっぱり私だけ聞こえていたわけじゃないですよね?


 ――やたらしつこく確認してくるが、どうした?


 いえ、ひょっとしたら「嫌なヤカン」のしわざかもしれないな、と警戒を。

 いえいえ、嫌な予感の舌をかんだわけじゃないですよ。嫌なヤカンです。あくまでヤカンというのは先ほどの音のような気配がすることが由来でして。私たちの間だとちょっと知られた存在なんです。

 先輩はご存じありませんでしたか? いい機会ですし、嫌なヤカンの話を聞いてみません?


 本来のヤカンがかもすだろう音。あれは使っている人に伝えるためのサイン。注意を促されこそすれ、心地よく思う人はちょっと少ないかもしれません。

 しかし、「嫌なヤカン」のそれは偶然に条件がそろってしまったがために、起こりえるものであるとされます。往々にして、人にとって良からぬことが起こってしまうといいますが、その対処法は……ん。

 どうやら、実践すべきときが来ちゃったみたいですよ。手伝ってもらえますか?

 まず私があちらの隅の角へいって、背中を預けますね。そこへソファとひじ掛けがあるつもりでどっかりと、ゆったりくっつきますので、先輩は対角線にあたる隅へいって同じようなかっこうを。


 ――どうして気づくことができたか、ですか?


 ああ、こちらは先輩には聞こえなかったんですね。

 今ですね、ピッ、ピッ、ピッ、とホイッスルを吹くような音がしているんです。

 これは嫌なヤカンの第二段階というべきものでして、第一段階の良からぬ気配から先へ進んでしまった、というわけですね。

 けれどもこちらは慣れていない人の場合、耳を凝らしてもまず聞くことができないとされます。私にとっては、しばしばあることなので、こうしてどうにか……。


 ――ん? 開いた足の間から糸鋸の刃みたいなものが突き出ていないか?


 ああ、来ちゃいましたか。実をいうと、先輩の足元にも同じように出てきていますよ。

 はは、そんなに慌てた顔で見下ろしたって、見えやしませんよ。私自身も、自分の足元に出ている刃は見えていないですから。


 おっと、ヘタにビビッて動かないほうがいいですよ。こいつらは、この出てきた空間の「輪郭」を探る工具のようですが、こちらの世界とはメカニズムが違いますからね。

 自分からあたりにいったが最後、部位がちぎれ飛ぶか、部品にくっついて同化しちゃいますからね。じっとしておいてください。

 こいつらの技術と繊細さは確かですからね。動かない分にはトチるような真似はしませんよ。まあ、火花に似た熱や金属の摩擦音がしますが、慣れですよ慣れ。

 あはは、いつもなら落ち着き気味の先輩の狼狽が見られるなんて、長生きはしてみるもんですねえ。


 ――え? こいつらの目的なり作用なりをいってくれないと安心できない?


 そうですね……これは伝聞ですが、測量という話ですよ。


 彼らはね、こちらの世界を調べようとしているんです。

 どのような形をしているか、構造をしているか……はたまた、どのような法則で成り立っているかも、何もかも。

 そうして解析した部分を、そっくりまるごと、あちら側へ持ち帰ってしまうんです。

 先輩も一夜にして姿を消した島や地形の伝説、聞いたことがありますよね? あれの一部も彼らが関わっているものがあるのだとか。ですから放っておくと、この地下ごと私たちはいずこかへキャトられかねない、ということです。


 あはは、またぐらあたりの熱と金属音が気になります? ちょうどそのあたりを糸鋸が走っていますよ。いやあ、チェーンソーみたいで落ち着きませんよね。

 リラックス、リラックスですよ。これが対策なんですから。


 ――対処法の詳細を教えろ?


 おっと、切羽詰まってきましたね。しかし、心配はご無用です。彼らは律義といいますか、きちっと法則にのっとっていますから。

 まず彼らは例の嫌なヤカンの音が聞こえた空間の隅から現れます。いや、今回は「ヤカン」タイプでよかったといいますか。

 別のやばいものだと空、森、海の一部から測量、切り取りをはじめるなんてとんでもないものがあるそうです。正直、まゆつばですけれど、地形喪失系の現象はこちらですね。

 ですが、このヤカンならば室内の限られた空間の四隅から始まります。


 そして次点があまりに致命的――こちらとしては命拾い的といいますか――なのが有機生命体に対して、深入りができないこと。すなわち、私たちのような生き物を相手にできないんです。

 せいぜい輪郭をこうしてなぞるくらい。それもかなり消耗するのか、ひとなぞり解析を済ませただけで持ち帰ることを断念してしまうんです。

 あくまでじかに解析したときのみ。地形をまるごとお持ち帰りするときなど、誰も解析されなかったときとかは、まるごと持っていってしまって問題ないようなんですね。一部の研究している人の間じゃ、向こうの実行するものや組織なりがあるとして別物じゃないか……なんて考察していますが、実際はどうだか。


 ほ、ようやく済みましたか。先輩もよくこらえましたね、えらいえらい。

 まあ、今回も我々をなぞるくらいで満足、あるいはげんなりしてくれたようでして何よりですね。放っておいたらここが根こそぎなくなって、地上にも影響が出たかもです。

 我々がいろいろ調べたがるように、向こうもこちらをいろいろ調べたいんですよ。

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