期待ふくらむ
期待。
この日、このときを生きていくうえで、とってもありがたいもののひとつだ。
これから先、このようなことがあるだろうから、今を頑張ろう。自分の背中をこうも支えてくれるから、立つことができている。
これは何も、わらにすがっているかのような、切羽詰まったものばかりじゃないというのがミソさ。今日の夕飯、何食べよ? とかこの仕事が終わったら推しのアイドルのイベントに行くんだ~、とかでも構わない。
大小の楽しみという名の期待を積み重ね、僕たちは今日も生きている。だから、その希望がたとえささやかに思えても、崩されるようなことがあれば、ころっと致命的な部分をさらしてしまうかもしれない。
僕の昔の話なのだけど、聞いてみないか?
睡眠。
代表的な生理活動のひとつで、これを欠かすことは間違いなく寿命を縮めてしまう、大切な要素のひとつだ。
不足とあれば、どのような場面であっても眠気としてアピールを行い、そのパフォーマンスを著しく低下させる。中には克服してるんじゃないか、という超人もいるけれど、絶対にどこかでトレードオフが起きて、命削られていると思うよ。
それが一般ピープルとなれば、切実な願いになるわけで。寝正月なんて言葉があるくらい、スキあらばぐだぐだしたくなるのも、無理ないよね。
そして学生時代の僕の楽しみも、また眠り。めちゃくちゃ疲れたとき、なんとなく時間ができたとき、めいっぱいご飯を食べたとき、眠気に誘われるまま横になるあの瞬間は最高さ。
――最後は血糖値スパイクとかの影響じゃないのか?
細かいことはいーの、いーの。
いっときの快楽と将来の安全とのトレードオフ、肝心だよ~? 将来まで生きてりゃ恩恵が得られるかもだけど、そもそもそこまで生きていられるかという保証はないんだから。
まさか、自分が死なないとでも思ってる? どこで人生の楽しみを振り絞るのかは、なかなか難しいところだよね。
とまあ、このときの僕も外でたらふくおいしいものを食べた帰りだったわけ。
お腹が苦しいほどに食べると、このときばかりは後悔するも、これが極上の眠りへの入り口になると考えれば、帰り道も耐えられる。
なかばよたつきながら、たどり着いた我が家の自室。布団を敷く手間ももどかしく、ぼてっと音が出そうなくらい、無造作に転がる僕。
もうここからはいろいろ我慢をしなくていいんだ……と思うと、横になった身体はたちまちバターのように、のっぺりと床へ張り付いていく。
あとは目をつむり、内臓へがんがん血液を送り込んで働いてもらいながら、夢の中をゆっくり漂っていればいい……と思っていたんだけど。
唐突に、お腹が鳴った。
「おいおい、まだお腹減ってるとか、いよいよ脳みそバグったか? それとも胃袋の戦闘準備万端の合図? どちらにせよ主様の眠りをさまたげるなよ~」なんて、当初は上から目線だった。
そうしてうとうとしようと思ったのだけど……ほどなく気づく。
満腹感が、ぐんぐんと消えていくんだ。これまでの経験上、目覚めるまでにお腹が普通に戻っていれば、だいぶ順調。4割か5割はまだお腹に残っていて、胃もたれの気配さえ漂ってくるような感じ。
それがいま、目に見えて――というのも、どこか妙な表現なのだけど――苦しさが消えていく。満腹感も一緒にだ。
理解が及んだ時にはもう、いつも通りのお腹の調子へ戻っていて、ちょっと前まで帰るのが大変なことだったなど想像がつかない。
――これは、育ち盛り食べ盛り体質、きたのか?
そう思った僕は、これまでに増してバクバクと食事を平らげるようになる。
どんなに苦しくても、部屋で横になればたちまちのうちに楽になる……まるで一晩宿屋へ泊まったら体力全開になる、RPGのキャラみたいじゃないか。もうけもうけ、などと考えていたんだ。
けれども、世の中そう都合よくいかないもので。
そうやって満腹生活を続けて、2か月くらいたったかな。
もう、手で触ってもぽっこりお腹と分かるほどにたっぷり食べた僕は、そのときもまた自分の部屋のカーペットへ横になったのだけど、様子がおかしい。
いつもは平べったい感触のカーペットが、このときはやたら弾力を帯びている。それに違和感を覚えるや、どっとそのふくらみと柔らかさが抜けていく。僕の背中の重みによって。
すぐに、やばいことが起こったのが察せられた。あの「もらしてしまった」感じを背中でじかに覚えることができた……といえば、伝わるかな?
カーペットの下から、あふれ出たのはこの2か月で僕が食べてきたものばかり。
ほぼ原形をとどめない吐しゃ物のごときありさまだったけれど、昨日に食べたものが混じっていてね、おおよそ想像がついたんだ。
この部屋の主が期待を持ち続けていた状態。それを動けぬカーペットたちもまた、同じ希望を抱きたくてマネしたんじゃないかとね。




