八百万の雷
雷は電気である。
いまや知れ渡った常識だろうけれど、こう判明するまではまさに神の御業のひとつであっただろう。
タネが分からないから、神秘たりえる。しかし分かってしまえば既知となり、再現性を確保できれば科学となる。誰もが扱えるようになると、つまりは支配可能な領域に入ったというわけで、こうなると敬意はぐんぐん下がり日常の奴隷としてこき使われてしまうもの。
意思なき自然現象ならそれでいいかもしれないけれど、万物に八百万の神ありと、神道の根付く日本の文化。そこにはないがしろにされた神様もいるかもしれないし、敬意を忘れた日にはどのようなしっぺ返しが来るか、分かったものじゃない。
僕が昔に体験したことなのだけど、聞いてみないか?
雷さまを聞いたら、おへそを隠せ。
誰でも一度は聞いたことがあるんじゃないかな? こいつは科学的に考えると、雷がなるってことは空気が冷えるほど天候が悪くなる予兆。冷えればお腹に来るわけで、調子が悪くなってしまうかもしれない。
ゆえにお腹を隠す。つまり体温を上げるすべを用意しておくべし……という教訓につながるわけだが、僕の地元だとおへそを隠す以外にもうひとつ、しておいたほうがいいとされることがあった。
おへそを隠したらそこから走り、枝をみっつ踏みしだけ、とね。
この枝というのは、物理的なものに限らない。
山の中ならともかく、街中などではそのようなものがどこに落ちているか分からないだろうし。
こいつは雷が本当に自然発生の雷かを見抜く意図があるようだ。もし発生したものでない場合だと、この雷そのものが特定の人にしか聞こえていない場合がある。
誰かがそばにいて、判断がつく相手だったらいいのだけど、もし聞こえていた人が固まっていたのなら判断がつかない。そのために、走って確かめたほうがいいってね。
この言いつけに従い、走っていた場合にはふと足裏で何かをへし折ったような音が挟まることがある。それこそが「枝」というわけで、こいつを三つ踏むのを確かめられたら、そのいたずらな雷の難を逃れることができるんだ。
――雷を聞くのはともかく、走り出すことができない状態だったなら?
まあ、仕方ないな。そのままじっとして、何もないことを祈るしかない。
おへそに関する言い伝えの場合と同じく、特に不都合が起こることなく過ごせる場合も多々あるんだ。
そのぶん、不都合を踏んでしまったときのことは印象に残りやすい。いわゆる、マーフィーの法則というやつかな。
そのときの僕は恥ずかしながら、トイレで用を足している最中だった。
先のおへその話じゃないけれど、どうにも痛みが止まらなくて。ようやく便座に腰を下ろし、つかの間の天国を味わっていたんだ。
そこへ、例のゴロゴロ……という雷の音さ。光もなく、いきなりやってきた。
当然、僕も枝のことが頭をよぎったけれど、ちょうどお腹の調子もゴロゴロさ。これで遠慮なく立つことができるなんて、いろいろ極まった人以外に考えられない。
――くそ~、早くおさまってくれよ……。
お腹をさすりながら、中身のすみやかな脱出をうながしていく。
その間にも、追加の轟音がトイレ中へ響き渡り、完全とはいえないまでも小康状態になったお腹をかかえて、外へ出ようとしたのだけど。
開かない。
鍵を閉めたつもりはない。なのに、ドアをいくら押しても開かなかった。
同時に、足の裏がちくちくと痛み始める。ツボを刺激する靴やマットを踏んだときに近い感触だけど、ここはマットこそ敷かれているが平坦な床。このような痛みを覚えるなんてありえないことだ。
――ひょっとして、僕に枝を踏ませないため?
そう判断するや、ぎゅっと目をつむったまま僕はその場で足踏みをした。
予想していた通り、足に感じる痛みは一気に増す。でも、なにが起こっているかを目にしてしまったら、きっとためらってしまう。
夢中で足を動かした。何度トイレの床を叩いたか分からないけれど、そのうち丹田に響く形で、確かに「枝が折れた」。鼓膜が震えたというより、骨を伝って体中を貫いたかのようだった。
一度目が済むと、二度目も三度目もすぐにきた。とたん、足の痛みは消え失せる。
目を開いたとき、そこにはいつもと変わらない床があるように思えたけれど、肝心の変わりようは僕の足。
靴下を履いた両足には真っ赤な血が、生地の表に染み出ていたんだ。点々とじゃなく、靴下全体を赤く染め抜く形でね。
今はだいぶ引いてきたんだけど……ほら、両足がアザだらけといわんばかりの青紫色だろ? あのとき、僕の足が真っ赤になった後にこうなっちゃったのさ。
当初は焦げ付いた臭いさえ、漂ってきたんだよ? おそらく、あのまま枝を折らずにいたら僕の両足は焦げをこえて、炭になっていたかもしれない。今日まで命をつむげていたかも怪しかったかもね。
雷さまと似て非なる、なにかの神様。願わくは会わずに済みたいものだよ。




