猫屋敷の罠
罠。
漢字で表すとたった一文字だけど、その種類は多岐に渡る。相手、目的、状況などを想定して、陥れないといけないから効果的な手段はその都度変わるだろう。
表立って気に食わない相手を片付けるなら、それこそ矢でも鉄砲でも持ってこいとばかりに殺意あふれるウエポンを用意して、引き金を引けばいいだけだ。でも実力的、世間的におおっぴらに行えないから、こっそり仕掛けて破滅してもらうのを待つ。
これもまた知性あるものの武器といえるだろう。自分に都合のいい展開へ持っていく組み立て。正面から相手をねじ伏せるんじゃなく、要は最後に勝ち残ればよしという気迫よりも実利重視のようなシビアさを覚える。
我々がこうして普段過ごしている中でも、罠が仕掛けられていることは多々あるだろう。何も我々を対象としたものでなく、もっと別のものを相手取っているかもしれんしね。
ちょっと前に、私が友達から聞いた話なのだけど、耳に入れてみないかい?
友達の近所に、通称「猫屋敷」と呼ばれる一軒家がある。
屋敷と聞くと、和洋を問わず広大な敷地とそこに建つ大きな家屋をイメージしがちだろう。しかし、その家は住宅地から少しはずれているとはいえ、もともと田畑だった一角に、塔を思わせるような細長い身なりでもってたたずむ二階建ての建物だった。
そこが猫屋敷といわれるゆえん。言葉の通りに、猫たちが大量にそこにいるからだ。外からさっと見るだけでも、壁に屋根に猫たちが何匹も陣取って、思い思いに過ごしている。
ときおり、こちらをにらんでくることもあるが、ほとんどの場合はさっさと目線を外して自分のペースへ戻ってしまう。
よそで見かける猫ならば、逆にこちらが目線を外さないうちは、じっとこちらをにらんでくるもの。目の前を横切った某猫の場合などは、こちらを一瞥するやさっと道を横断しきって駐車していた車の下へ。そこから眼だけらんらんと光らせて、こちらをにらんでいる姿を友達はよく覚えていたという。
猫屋敷の猫たちは、よほど屋敷時代が好きなのだなあ……などと友達は当初、のんきに構えながら過ごしていたのだけど。
とある夏の盛りだったという。
急な用事で外出した友達は、その帰りにたまたま猫屋敷の前を通るコースを選んだ。
最初は普通に通り過ぎたのだけど、ちょっと違和感を覚えたらしく。前を向いたまま、とととっと後ずさり。あらためて屋敷を見やったのだそうだ。
そこには変わらず、屋根や家の壁などに寝そべったり、ひっついたりしているもろもろの猫たちの姿がある。が、それをしばし見つめなおし、友達は気づいたんだ。
いまこのとき、ここにいる猫たちはみな作り物であるということに。
材料などは門外漢の友達には判断がつかなかったが、いずれも金属なり宝石なりを用いているのだろう。ときおり、自ら光沢を放つからだ。
しかし、そのつくりは動かないことをのぞけば、生きている猫と勘違いしそうな精巧なもの。普段の猫たちがどこに行ったかも気になるが、それをこうも置き換えて像を設置するなど生半な手間ではないはず。
いったい、なぜにこのような真似を……と立ち尽くすおじさんの耳に。
シー、シー、シー……。
あえて表記するなら、このような音の息遣いが聞こえてきたらしい。
なんの声だ? と友達はあたりを見回すものの、通行人の姿すらないタイミング。他の生き物の影さえ見られず、発生源がつかめない。
けれども、音との間合いは近い。自分のすぐそばにいるはずと、もう一度目を凝らしたのちに向き直って、友達は息を呑んだらしい。
あの屋根や壁に取り付いている、つくりものの猫たち。その身体が一様に透き通っていて、中に黒いもやたちがうごめいているのが見て取れたんだ。
先ほどまでの光沢さえ見せる艶はどこへやら。作り物の猫たちはもはやその輪郭をのぞいてはもやたちに身体の中をいいようにされていて、まさに「器」としかいいようのない状態。
それはそれで芸術たりえるのかもしれないが……長くはもたなかった。
友達の側から見えなかった屋根の向こう側。また家の縁の下から、姿を隠していた猫たちが一斉に現れたんだ。
作り物の猫たちと、うり二つの姿をした彼らは、自分そっくりの作り物に取り付くやその首の部分へ思い切り噛みついていく。
すると、中のもやたちがいっせいに噛みついた猫の口元へ、一気に引き寄せられた。猫たちが友達にも聞こえるくらいに音を立てて吸い、それに合わせて像の中のもやたちはぐんぐん少なくなっていく。像もまた、元通りにつやを取り戻しつつあったのだけど。
やがてもやがなくなり、猫たちが元のように身を隠していくと、像たちはひとりでに砕けていってしまった。
まさに粉砕といった形で、その身は友達の目には粉になったようにしか思えなかったという。それらは地面に落ちても、元来もっていた輝きをもう二度と放つことなく、まるで溶け込んでしまったかのようだったとか。
この像たち、猫たちにとって都合のいい、あのもやを取り込む罠だったのだろう。




