コートおじさん
う~ん、コートをなかなか手放せない気温だよね~、空がかげってくるとさ。天気のいい日は夏と変わりないのに、いざお天道様が弱ると寒さが席巻し始める……これも、鬼の居ぬ間に洗濯、の派生形なのだろうか。
なんか、北風と太陽を思い出すなあ。太陽のほうは仕事をするとありがたがられるけれど、北風のほうはぴゅうぴゅう吹けば吹くほど、人にとっていい顔をされない。特に外出している人にとっては、だ。上着をぎゅっと身体に巻き付け、早いところ避難がしたいと心がうずく。
けれどね、こうも風が吹くときに上着を身につけたがるのは、体温を保つためばかりじゃないケースもあるらしい。
その話を最近、いとこから聞いたことがあるんだけど耳に入れてみないかい?
いとこの友達が、むかし住んでいたところの話になる。
彼の通っていた学校では、「コートおじさん」の話が流行っていた時期があったらしい。
かのおじさんはソフト帽にコートといういで立ちのまま、年中学区の近辺を練り歩いている。冬場はもちろん、みんなが暑さにあえぐ真夏のころでも平然とコートを身に着けて近辺をかっぽしている。
大人たちに尋ねてみると、かのコートおじさんはいとこたちの年代が生まれるより前に、身寄りをすべて亡くしてしまい、それ以来ああして外を出歩くことが増えたのだという。
コートおじさんは人の気配に敏感で、込み入ったところは最初から避けるし、遠目に見かけたとしても、そちらへ足を向けた時点ですでにこちらへ背を向けるような敏感さだ。
あえて距離を詰めようと駆け出せば、おじさんもそれを察してか走り出す。大人がおじさんを追いかけたところは見かけなかったが、少なくとも一介の子供の足で追いつける速さじゃなかった、といとこは話していたよ。
子供心に、挟み撃ちなどでおじさんを故意に追い詰めようとたくらんだことは一度や二度じゃなかったが、そのような悪意があると、おじさんは姿を見せることすらしない。
その気配の悟り方は、まるで小鳥かなにかと思われていたけれど、鳥と違うのが飛ばないということと、雨風の日ほど見かけることが多かったということだ。
人を自然と避けられる、悪天候のときこそおじさんはよく見かけるらしい。
学校の授業中など、子供たちが簡単に外へ出ることができない時間などは、敷地のすぐ外のあたりの道路を歩いていることもあったそうな。それは子供たちにとっては、ある種の挑発行為にもとれただろう。
がぜん、コートおじさんとの間合いを詰めんと試みていたいとこたちだけど、いとこ本人はとあることがきっかけで、コートおじさんを見守る――というのも、おこがましいかもしれないが、と話していたな――側へ移ったのだそうだ。
それは、なんとも奇妙な天気の日だった。
冬の中でもいっとう寒いその日は、朝から曇の多い晴れ模様でありながら、ときおり雨が降っては止み、なかにはみぞれまじりのこともあったという。
校舎の中でも珍しく暖房のスイッチをつけることが許されたその日、いとこは教室の窓からフェンス向こうにたたずむ、コートおじさんの姿を見つけた。
おりしも雨が吹きすさぶ時間だ。窓は閉め切っていて、一分のすき間もない。外の葉の揺れ方からして相当に強い風が吹いているはずだ。
おじさんはコートをぎゅっと身体へ巻き付けたまま、不動の構え。こうも悪天候ならば、たいていの人が一刻も早い帰宅を望んで足を早めそうなものなのに、その逆を行くかっこうだ。
――身内を亡くされた、という話が本当ならば帰っても迎えてくれる人はいない……それでも、ひとりの時間で何かしらすることはないのだろうか。
ふと、雨と風がやむ。
今日は朝からこう、何度もやんでは降ってを繰り返しているから、今更おどろきはしない。けれどもいとこは、コートのおじさんに対して目を見張った。
おじさんのコートが、色鮮やかに輝いていたんだ。
それは雨上がりの虹の色をそのままコートへ移したかのようだった。風雨の中では、濡れそぼって黒一色に思えていたそれが、やんだとたんにあの色合い。
おりしも授業時間に入ってしまい、いとこも号令のためにいったん姿勢をただす。先生が板書をはじめるころに、またちらりと外を見ると雨と風が再び幅を利かせている。
それでもコートおじさんは、授業が終わるまでの40分あまり、ずっとそこに立ち続けていたそうだ。ぎゅっとコートを巻き付けることはやめないまま。
その間、雨と風がやむこと3回。そのいずれでも、おじさんのコートの色は様々に変わったのだそうだ。
虹色の次は草原を思わせる黄緑色、その次は海を思わせる深い青色だったそうだが、残るひとつはなんとも形容しがたい色をしていたと語る。
人が通常の状態で見ることができる色は、およそ180万色という。その中のどの色なのかと問うと、最初はスノーホワイトを思わせる色だったそうだ。
けれども、その色だと認識するとコートはたちどころに色を変える。あ、紫だ。あ、黄色だ。などといとこが思うたび、そこから逃げるように色が次々と変化していったのだとか。
まるで普段、他人から距離をとり、逃げ続けるおじさんの仕草を反映しているかのようだ。こちらの認識から逃げ続ける色を、あのコートは帯びていたんだとか。
それを見ると、おじさんはかぶっていたソフト帽のつばをちょっとつまみ、ようやく歩き去っていったのだそうだ。満足なブツを見つけた、といわんばかりに。
それからもコートおじさんはたびたび姿を見かけたが、あのコートそのものが、いまやすべての身内を失ったおじさんの心のなぐさめなのではないか、といとこは思っている。
いつか、おじさん自身の心にかなうコートに育てる。それが年中、コートを着る目的であり育成過程なのだろう。




