花船ばなし
うーん、空飛ぶ車の実用化へ向けて……か。
想像しやすいものだし、フィクションでもしばしば見受けられるアイデア。それが現実のものになるのだとしたら、なかなか感慨深いね。
人間、陸を歩くことはできるし、肺活量などを鍛えればわずかな間とはいえ、水の中へ素で潜ることもできる。けれど、空を飛ぶというのは体ひとつじゃ、まずできない。大ジャンプなどできる人はできるだろうけど、跳躍と飛行をいっしょくたにするのはちょっとなあ。
人間にできない代表的なことのひとつ、空を飛ぶ。それを道具の力を借りたとはいえ、実現にこぎつけるあたり、並々ならぬ熱意を覚えるよ。飛行機などをはじめとした乗り物が普及する以前は、数多くの失敗作もあったし、成功しながらも条件などが厳しくてお蔵入りしてしまったものもあるだろう。
実はちょっと前に、一部の条件下でしか空を飛べない乗り物の昔話を聞いたんだけど耳へ入れてみないか?
かもとりごんべえの話、君も知っているだろう。
いざ話し出すとバリエーションがいくつもあって、内容の食い違いなども生まれるだろうし、詳細は割愛する。今回、注目するのはかもたちによってごんべえがさらわれた形になった、というファクターだ。
何者かの力を借りて、自分が空を飛ぶという着想で、マイナーなところでは様々な方法が試みられていたらしい。僕の地元だと、特にユニークなのが「花船」の話だ。
こいつは花畑に大量に集まったちょうちょの姿を見て、ある男が思いついたとされている。このちょうちょの無数の羽を一か所にとどめて、いっせいにはばたかせたならば空を飛ぶ力に生かせるんじゃないか、と。
男が想像している案は、はた目にも破綻していた。ちょうが飛び立つ際に花ごと持っていくようなことをしなければ、土俵に立つことさえできない考えだからだ。
花にちょうが止まるのはいっときだけ。用が終わったらちょうだけで、花から離れていくもの。たとえ花に包まれた状態でちょうを集めようが、やがてちょうだけが遠ざかって花が残されるだけ。花と一緒に浮けるわけがない、と。
多くの人がそう話したのだが、男の決意は固かった。彼はかつて自分が使っていた、小さな小舟を家の裏山にある野原まで運び込み、花と同化させんと試みたらしい。
三方を崖に囲まれたその花畑は、不思議と寒さ厳しい冬場であっても、花が顔を見せるほどのぬくもりに満ちた不思議な場所だったらしい。その神秘は村人たちの知るところでもあったが、気味悪さを覚える人も少なくなく、春を迎えるまではその得体のしれない状態に触れないよう注意がなされていたという。
その、ほぼ禁忌と化していた空間に男は舟を運び込んだ。ときに根っこごと花をたっぷり積み、ときにそこに生える花々が自然に舟へつたの類を巻いていくに任せた。
船そのものが傷むまま、完全に解体されてしまうのを防ぐために、男は定期的に最低限の補修は加えるものの、大半は自然に花たちに巻かれるがままであるよう努めたのだとか。
その計画のはじまりから、数十年が過ぎた。
男はかの船以外の、自分が人生でやるべきであろうことをほぼ終えて、生き飽いた老人となっていた。
もはや、この身がいつ朽ちても惜しくはない。そう達観するに至った彼は、残る家族へ手紙を書き記し、いよいよかねてよりの「花船」の計画を実行に移すことにしたんだ。
数十年の月日、季節を問わずに茂る花々、それでも船の形は最低限とどめることができるように心掛けた男の細やかな補修により、船の形をした花たちの集まりがそこにできあがっていた。
老人は、時期も選んでいる。これまでの数十年間でちょうが一年のうち、どのあたりで一番集まりがよいかを研究していたんだ。多少の差はあったものの、これから数日間はこの一帯が余り物の花がないほどに、大量のちょうで埋め尽くされるときになる。
そうなれば、花船を試すのに絶好の機会となるだろう。老人は持ち込んだ毛布と水筒を手に、ずっと面倒を見続けてきた船の中へ乗り込むと、できる限り花を踏みつぶさないようにしながら、その中へ横たわった。
寄る年波には体もかなわないか。かつては軽々とこなしたここまでの道のりも、老人にはつらく感じるようになっている。身を横たえるや、たちまち睡魔に襲われてしまい、持参した毛布へくるまるや、そのぬくさに招かれるまま老人は目を閉じたんだ。
ふと目が覚めたときだ。
老人は見上げる空が暗くも星が見えず、されども東側より微妙な光が差し込んできている。夜明けの直前といった頃合いだろうが、問題はそこではない。
空が動いている。わずかに見える雲の影が、頭の上をどんどんと後ろから前へどんどん流れていくんだ。老人本人は横になったまま微動だにしていないというのに。
ここは水の上ではない。かつて船がその仕事を果たしていた水場の気配などみじんもない。自力で土の上を動くことなどできないはずだ。
ちらりと脇を見ると、寝そべる前に咲いていた花たちのことごとくに、ちょうがとまっていたらしい。彼らはまるではかったように、同じ拍子で羽を閉じては広げを繰り返していく。
それは老人がかねてより頭に思い描いていた、花船の飛ぶさまの様子そのままだったという。
老人は自らの願いがかなったと確信し、持てる力でもってぐっと体を起こして、船のへりから外をのぞこうとした。飛んでいるという証を、その目で確かめようと思ったんだ。
しかし、いくら補修し続けてきたとはいえ、不備がなくもなかったか。老人が身を乗り出したとたん、へりはたちまち崩れてしまい、破片もろとも老人を船の外へ追いやってしまった。
ぐんぐん加速しながら落下していく景色を見るほんのわずかな間で、老人は確かに自分が飛んだ証拠を得る。その後、したたかに全身を地面へ打ち付けた。
見たところ、くだんの花畑を囲う崖たちよりもはるかに高い場所から落ちている。衰えた自分の体も踏まえれば即死は免れがたいところだが、老人は生きていた。
確かに大きな音と衝撃はあったが、痛みらしい痛みを覚えなかったと老人はのちに語る。場所は花船を用意したところより半里離れた森の中。ほとんど痛覚が機能せず、四肢にも目立った支障のない体を運び、元の花畑へ戻ったところ、船の姿はなくなっていたそうだ。
帰還した彼は、花船のことを皆へ大いに語って回った。遺書代わりの手紙を渡していた、自分の家族たちにもだ。
そうして触れ回った彼は、自らの住まいとした小屋へ戻ったが、それきり何日も外へ出ようとしなかった。怪しんだ者たちが老人の家をのぞいてみたところ、そこには老人の衣類に身を包んだ無数の草花があるばかりだったとか。




