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空気アレルギー

 みんな、自分自身が、あるいはまわりの誰かがアレルギーを持っている、というケースはあるかな?

 いや、ここで開帳するつもりはない。今日はちょっとアレルギーについて、話してみたいことを伝え聞いたんでね。時間を取ろうかと思ったんだ。

 世の中、様々なアレルギーがあるけれど、その中で一番珍しいアレルギーを知っているかい? そう、水アレルギーだ。

 詳しいことは各々調べてみると分かるだろうが、水が肌に触れることによりジンマシンなどの症状が出てしまう。自身の汗や涙などにも反応し、毎日の洗顔やシャワーを非常に苦痛なものとさせる。

 水そのものの摂取も難しいケースがあり、このときは牛乳などで代用するそうだ。乳製品に含まれる糖質、脂質、たんぱく質がうまいこと体の免疫系をすり抜ける役割を持っているとみられている。

 これは世界全体でみても、100件に満たないというごくごく少数のお話。ただしウソではなく、確かに世界に存在している。自分の触れられない世界は、どうしても意識が距離をとってしまい、実感が湧きづらいのよな。

 でも、逆に身近にあったなら、それはこの上ない真実となろう。

 そして、話すのが先生の友達の一件なんだ。


 かの友達の所属していた文芸部に、ほぼ幽霊部員な子がいたという。

 友達の通っていた学校は、生徒全員に部活動への参加が義務付けられていた。そのため、意に沿わない部ばかりの場合は、無理やりにそこへ参加して義理程度に顔を出す……というのは、そこまで珍しいことでもなかったという。

 友達の文芸部の活動としては、自由に小説を書いて発表することがメインだが、ときおり課題図書の形で特定の本を読んできて、それに対する感想を言い合うこともある。

 強制参加の上、熱心に作品を書いて来る部員ともなると、さらに数は限られてくるもの。年間で原稿用紙何百枚は書くように、というノルマがあるから、学年末になって「超大作」と向き合うこともままあった。

 その中にあって、かの幽霊部員な子は顔そのものをあまり出さず、代わりに文芸部が独自に用意していた情報共有のソフトウェアの中へ作品をポンポンと出していた。感想なども、そこのファイルの中へ投じるかっこうをとっていたそうなんだ。


 友達も、なぜにこうもその子がやってこないのか、というのを先輩に尋ねたことがあるらしい。その子の同級生にあたる、ね。

 で、その話によると例の子は「空気アレルギー」なるものらしい、と話してくれた。

 我々の生きる地球は、その大気組成が8割近い窒素、2割ほどの酸素、そのほかアルゴンや二酸化炭素などなどが占めているが、その子はこの空気にさらされると、肌がやけただれてしまう体質の持ち主。

 特殊な環境下以外では、全身に防護服を身に着けるSFじみた服装でなくてはいけない。それを嘲笑されるのがつらくて、こうしてネットワーク上でのやり取りにとどめている、とのことだった。

 友達も、それが事実なら難儀だな、と思ったらしい。まだまだ自尊心の高い年頃だったこともあり、自分が同じことを強いられたらストレスが溜まって仕方なかっただろう、と。

 その人の作品や感想などについては、これまでネットワークを通じて拝見している。エンタメよりも純文学よりな印象だが、何よりも「おかたい」と感じたそうだ。

 おそらく文芸部の誰よりも文法に忠実。ついやってしまいがちな「ら」抜き言葉から、つい市民権を得た別の意味で使われそうな言い回しまで、きちっと語源通りになぞったものを展開している。

 おもしろいか、というと難しいが、正確さを競ったら自分もかなわないだろうと、つねづね感じていたそうな。


 その文芸部の活動中、数えるほどだけじかに会ったことがあるらしい。

 はじめて会ったときは、秋と冬の境目で、その日は当番などもなく、部室である第三会議室へ一番乗りできるだろうと思っていたそうだ。

 ところが、会議室の戸を開けてみると奥の窓際の席の一角に、フィクションの世界から抜け出してきたような宇宙服の人が腰かけていたそうだ。

 最近、映画で見た宇宙物の作品で主人公チームが身に着けていたものとそっくり。ひと目でそのデザインと分かり、ひとかどのコスプレイヤーか何かと思うほど。

 目の前の長机の一角には、印字した紙が何枚も。ちらりと見たものの中には、今日出した自分の作品のフレーズがのぞいた。おそらく今日の発表文だ。

 宇宙服の人はドアを開けた友達のほうへ顔を向けると、「こんにちは」と変声機ごしの特徴的な声を出す。友達も返事をしながら、自分の定位置へつく。

 文芸部で誰がどこへ座るかは、ほとんど決まっていた。いま、宇宙服の人が座っているのは、いつもみんなが空けていた席だ。すなわち幽霊部員の人の。

 やがてみんなが集まり出し、例の空気アレルギーについて教えてくれた先輩をはじめ、ちらほらと宇宙服の人へ声をかけていく。宇宙服の人もそれへ律儀にあいさつしていくが、どうもボリューム調整は難しいのか、かなり大きめな一定の調子を保っている。

 これでは小さい声でこっそり話すのも難しいだろう。それゆえか、あいさつ以外のおしゃべりにはほとんど参加せず、話を振られたときだけ手短に返す、という格好だった。


 その日はみんなの感想発表に終始する。例の宇宙服の人も、はじめて長くしゃべった。

 変声機ごしの声は理路整然とし、その言い回しは正確さを重視している。あの文章を書く人ならば、このように話してしかるべきだろう……という、お手本になる日本語だ。

 いや……あまりにお固すぎて、ひと昔前からここへいきなり現れたかと思うほど、奇妙さを覚えたという。

 先輩の話では年に数度、本人が希望するときにこうしてひょいと部へ顔を出すのだという。友達以外の新入生にもあらかじめ話はしてあるとのことだった。


 果たして、どのような御仁なのか。

 友達は直接話す機会に恵まれないまま、かの人の卒業を見送ったのだが、ひとつ覚えていることがある。

 その宇宙服の人が先に会議室を出て、ちょうど友達もそれに続く形で部屋を出た。

 この会議室のある棟は階層が高くて、エレベーターがそなえつけられている。会議室を出ると長い廊下の先に階段、脇へエレベーターのドアがあるかっこうで、宇宙服の人はいつもエレベーターを利用していたらしい。

 あれだと歩きづらそうだし、空気アレルギーが本当なら下手にコケて服に穴とか開いても大変そうだしな……と友達は思っていた。そして今、その開いていたエレベーターのドアが閉まろうとしていたんだ。

 ボタンを押した人は途中であきらめて、階段を使ってしまったのだろうか。箱の前にも中にも人はいない。が、その距離は長く、今からじゃ走っても間に合わない。


 そう友達が思った矢先。

 目の前の宇宙服の先輩が消えた。「え?」と目を見張ると、先輩はすでにエレベーターの箱の中、こちらへ背を向けた状態で乗り込んでいたそうなんだ。

 すぐに閉じてしまうドア。友達はあわてて階段を駆け下りるも、エレベーターの到着には勝てなかった。けれど棟を出るとき、はるか遠くにゆったりゆったりと遠ざかっていく、宇宙服の姿を見たのだという。

 以降、かの人は部にあらわれることなく、もっぱらネットワーク上のみでのやり取りに終始したそうな。

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