仇花の仇
ものを燃やす。
これほど身近で危うく、それでいて興味深いものはなかなかない。
今や私たちはガスコンロをはじめ、ちょっとしたことで火を扱うことができる。マッチやライターなどに関しても、昔の人にとっては画期的すぎる発明だ。火種を消さないよう、囲炉裏の隅の中で、慎重にキープをしていたとのことだからな。
そして、ものが燃えていく過程、というのも心惹かれるものがあったりする。私などは葉や花が焼けて、焦げが広がっていくさまを見るのを興味深く思っていた。
同じ種類の葉や花であっても、いかように燃えていくかはそのときどきによって異なる。その違いの存在に魅せられたというかね。
これだけだと、ちょっとアブナイ子供だろうな。しかし、渡りに舟というべきか。かの時期で花を燃やさなくてはいけないミッションを、私は帯びるときがあったんだ。
そのときのこと、聞いてみないかい?
「皆さんにはこれから、『あだばな』を燃やしてもらいます」
学校の理科の実験、アルコールランプを用い始めたころに、先生がそう告げてきた。
私もみんなも、顔を見合わせたよ。あだばなと聞いて、思い浮かべるのは「徒花」。実をつけずに散る花だったり、季節外れの花だったり、なんならもっと不穏な意味で使われそうなワードだけど、先生が黒板にチョークででかでかと文字を書く。
「仇花」と。
「これは我々にとって不倶戴天の存在。一緒にいてはならないとされる存在です。彼らを踏んづけたりすると、その花びらから毒を含んだ花粉の類が散らされます。人間の寿命を縮める良からぬものですよ。
その花の毒花粉をきちんと処理できるのは、焼却のみ。これから仇花が増えるという情報が入ったものですから、皆さんにも処理を学んでもらわねばなりませんので、この機会にやっておきましょう」
この地域で暮らしてはじめて耳にすることだったが、先生もおよそ10年ぶりの事態とのことで、当時の私たち全員に経験がないのもおかしくはなかった。
話のあと、先生から仇花たちが渡される。
形として近いのは、よつ葉のクローバー。しかし、その色は紫を基調として、真ん中に白い筋が入っているもの。それを火をともしたアルコールランプでもって、あぶっていくんだ。
仇花は火のつきがとても遅く、温度の高まる火の上部へ掲げたとしても、数分間はもとの状態を保つ場合も多い。
しかし、一度火がつくとそこからは一気に変化を見せる。瞬く間に花弁そのものを焦げが駆けあがって灰にしてしまうときもあれば、器用に両端だけを上がったうえで蛇行を繰り返し、複雑な模様を描いたのちに燃え尽きてしまうこともある。
子供心に、楽しいと思ってしまった。次に火であぶれば、こいつらはいったいどのような燃え際を見せてくれるのだろう、と。
残念ながら授業では、数えるほどしか燃やさせてもらえなかったが、これから「仇花」の姿が確認できなくなるまで、私たちも自分の判断で仇花を燃やす許しが出たんだ。火の扱いにくれぐれも気をつけるよう、申し渡されたうえでね。
実際、学校帰りにそこかしこでかがみこんで、ライターなどをいじる人の姿が見られたよ。まじまじとは見なかったけれど、そいつはきっと仇花だったんだろう。
平日、私たち子供が堂々と着火器具を学校へ持ち歩く、というのはいかに仇花ありとはいえ、いいかっこうをされない。それを建前に犯罪のたぐいを行うかもしれない、と思われるかもだしね。
私の仇花燃やしは、もっぱら休日に入ってからだった。
学校で聞いた通り、よくよく探してみると、仇花は他の花々に紛れるようにして、ちょこんと一輪だけ咲いていることがほとんどだ。
他の花も巻き込まないよう、私は手渡された100円ライターであぶる。自生しているものは摘んだものより生命力にあふれているのか、理科の授業以上に長い時間を経なくてはいけないものも多い。
しかし、燃え広がりのバリエーションは当時の私を飽きさせることがなかった。葉の中心から十字になる部分だけのこして、茎以下すべて燃えきってしまい、最後に十字の部分が焼け落ちていく……他の植物ではおおよそ見ることができない光景だった。
時間も忘れて、その日は私はどんどん遠くへ足を伸ばしていく。そこで確か……とある倉庫の跡地へたどり着いたんだ。
その裏手はかつての駐車場だった空き地が広がっていたんだが、その一角に仇花が大挙して生えていたんだよ。
まだ誰も気づいていない。そう思い込んで、私は目の前にニンジンをぶら下げられた馬のように飛びついてしまったんだ。そいつらが意識して、身を寄せ合っている可能性など、考えもせずに、ね。
私が端へライターの火を当てると、それはたちまち燃え広がって、仇花の集まり全体を焦がした。
しかし、炎立つその中心部だけ、異様に燃えていない箇所がある。近くにあったフェンスによじ登り、その燃えていない箇所を見てみるとよつ葉のクローバーそのものの形をしていたんだ。
それが確認できた、次の瞬間を私は忘れていない。
花園すべてをいっぺんに潰す巨大な足が、天から降ってきたんだ。踏みしだいたのは一瞬だけで、すぐに足は視界から消える。見上げてもそこには何もない。
けれども、地上にはあった。あの仇花の色を宙へとどめたかのような花粉たちが、ガスのように立ち込めていたんだ。
弾けるように広がり、飛んできた私はそれをかわすことができず、もろに顔へ受けた。これまでのどの花粉症よりもひどい涙とせきと鼻水に苦しめられ、ようやく落ち着いたときにはもう、仇花の園は跡形もなくなっていたんだ。
以降、私の身体の機能は数十年単位で歳を取り過ぎていると診断されてね。改善に動いてはいるものの、老化に太刀打ちできずにいるんだ。




