変わらぬ証
子供のころにあったものが、大人になったらなくなってしまっている。
おそらく、多くの人が経験することじゃないかと思う。建物、遊び場、誰かとの関係……昔のままでいた感覚を一気に打ち砕かれるがごときだ。
その中にあって、変わらずにいてくれるもの、というのはよけいに尊く思えるのだろうな。おそらくは自分自身も変わってしまっているからだろう。そのありがたみが余計に心へ沁みる。
私もこの間、少し実家へ戻ったよ。いや、少し目を離していると、お店の並びとかがちらほら変わっていてね。前回はなじみだった本屋まで、別のお店に変わっていて少しショックを受けたものだよ。
でもひとつ、変わらないでいてくれたものがあった。そいつの話について聞いてみないかい?
家に荷物を置いてゆっくりした翌日。天気も良かったから散歩に出たんだ。
それで先ほどの様変わりした街並みを見物しつつ、私は少しずつ郊外へ足を伸ばしていった。昔は田んぼだったところが、一軒家や駐車場に変わっているところもあったが、まだまだ耕作面積は残っている。
主要な道路から離れていくと、より昔ながらの田んぼの姿が色濃く残る一帯が広がっていく。おそらくは倉庫に使われているだろう、トタンをふんだんに使った小屋が数十年経っても残っている姿に、ちょっと感慨を覚えたりしたね。
だけど、今回の話の肝はそこじゃない。それらを超えた先の小川にある。
数十年前から、その小川は流れが途切れることなくそこに横たわっていた。
長さにしておよそ10メートルそこそこ。架けられた橋によっては車もそこそこ通るものの、私の家からの最寄はさほどメジャーじゃないところ。通行人をちらほらと見かけるくらいだ。
安全のためと思しき柵が設けられていたが、あくまで子供のためのものらしく、大人ならば簡単にまたぎこせる。私は策を越えて、緩い斜面をとととっと降りていき、川べりに立つ。
友達と遊ぶ時以外にも、ここへひとりで来ることが多かった。当時はメダカをよく見かけたこともあり、彼らの泳ぐ様子を眺めているだけで何時間も粘ることができた。
彼らも流れに乗って、そのまま泳いでいくとは限らない。ふと流れに逆らってとまったり、不自然に横へ動いたり……そのときの彼らが、いったい何を考えてそのようなことをしているのか、想像しているのが楽しかったんだよ。
今また目を凝らして川を見てみるが、彼らの姿は見えない。やはり、これも時代の流れかと思われたとき。
ふと、この一帯を占める水のせせらぎに混じってきたものがある。
リコーダーの音だ。それだけでも奇妙であろうが、私には別に心をざわつかせるものがあった。
数十年前に一度だけ、同じようにリコーダーの音が聞こえてきたことがあったためだ。周囲に笛を吹いている人の姿など、見られないにもかかわらず。
しかも、その音色は音楽の時間で鑑賞した古い曲のひとつということもあり、笛の音の主はもしやウチの学校の生徒か、とも思った。姿を見せないまま、何か細工をすることでここまで音を響かせているのかと。
しかし、そうではない。音はじょじょに強まりながら、こちらへ向かって近づいてくるんだ。川の上流から。
あのときの私も、今このときの私も、上流を見やった。
この岸の完全に向こう側。川べりにそって浮きつ沈みつ、流れてくるものがある。
リコーダーの部品だ。頭部管にあたる部分が、口を上にして川を下ってくるのだ。それが上下に動きながら、例の古い曲を奏でているのだ。
目をいくらこすっても、リコーダーは確かにそこへあり、演奏を続けていた。が、対岸には水面にかかるかというくらいに垂れた、柳の木が残っていた。数十年経っても、変わらない位置にだ。
川面の一部を完全に覆い隠せるほどの密度。そのトンネルの中へ誘われるように入ったリコーダーの頭部は、その先へ出ていくことはなかった。
――同じだ。あのときと。
数十年前もこうして流れるリコーダーが、枝のトンネルへ隠れていくのを見た。
となれば、ここから先も同じになるかもしれない。
その期待の通り、新たな音が加わった。いまだ枝のトンネルの中から響くものと同じ、曲の調べが上流から流れてくる。
中部管だ。無数の穴を川の水につけては離し、先に流れてきた頭部と寸分違わない拍子でもって、一層の音量を付け加える。その姿もまた、あの緑のトンネルの中へ取り込まれていき、音を響かせるばかりとなる。
そして三つ目。
足部管だ。もはや、音を奏でるためにどのようにすればいいのか分からない形でありながら、これまでの音を二倍から三倍に高めて、胴と頭の後を追い、足もまた枝の中へ隠れていく。
ふと、音が「舞い上がった」。
枝のトンネルの中、川に近いところからふと、地上の柳の木の幹あたりへ音の出どころが瞬時に移動したのだ。
すっと私も目を移す。ほどなく柳の幹の影から、ひとりの男の子が姿を見せた。
あのとき。数十年前に見たときも、ひと目で人じゃないと思った。1メートルほどの背丈の彼は、その身体のまわりに時期外れの蛍のごとき、淡い緑色の光点をいくつも浮かべていたからだ。
彼を取り巻きながら、光は現れては消えるを繰り返す。彼自身もまた、その光に全身を包み込まれているんだ。
何より、全裸体。服の一枚も身につけず、こちらのは禿げ上がった頭部と背中、臀部と足を見せつけながらも、その顔の横からちらりとずらして、あのリコーダーの姿を見せてくる。
頭、中、足のすべてつながった姿。そうしながらも、彼はこちらをいっさい振り返らないまま、ゆったりと対岸の土手を上がっていく。
昔と変わらない、その姿のまま。
彼がいる限り、この川の一帯も無事であり続けられるだろう。
見送りながら、無性にそう思えてならなかったんだ。