黄色のマジシャン
暦の上では残暑でも、実の上では暑さの盛り。
恐ろしい歴史の転換点に、俺たちは差し掛かっているのかもしれないな。9月に入った実感が年々薄れていく感じがするぜ。
そういえばよ、今年ってセミの気配をどんだけ感じた? ここらへんは、いつもに比べてセミの声が少なかった気がすんだよ。それどころか、カブトやクワガタといった夏には定番の虫たちもあんまいなかった。
以前に比べて、虫取り少年の数が減っている印象だから、虫の乱獲という線は少し考え難い。むしろ増えてもいいところだが、虫そのものの数が減っているのか、こちらも暑さにへばってしまっているのか。
あるいは「黄色のマジシャン」の仕業、かもな。
――ん? 黄色のマジシャンを知らない?
おお、だったら聞いといていいかもしれないな。
手品師って意味のマジシャンじゃない。モノホンの魔法を使っているんじゃないか、とうわさされている厄介な手合いだからな。まあ、タネが分かっていないから魔法て言われているんであって、いずれは科学的に証明されるかもしれんが、現段階ではマジックさ。
そいつの存在について、話をしようか。
黄色のマジシャン踊るとき、虫どもこぞってそこへと集う。ひとえに「こぼれ」にあずかるために。踊れ踊れ、マジシャンよ。今宵はお前が晩の飯。
俺たちの地元で、誰が歌い出したか、このような歌が伝わっている。
横文字を使うあたり、そこまで歴史は古くないのだろう。その黄色のマジシャンが現れたのは、遅くとも近代あたりと俺はにらんでいる。
歌われるとおり、黄色のマジシャンはお友達になれそうな相手じゃない。なにしろ、晩飯に飢えているのだからな。下手な真似をしようものなら、俺たちが晩飯にされちまう。
で、虫どもはその飯のおこぼれにありつくため、マジシャンのもとへ集まる。そのため、普段見かけるはずの虫たちがいなくなるから、警戒しておけよ……というものらしいな。
虫たちを身近でとんと見かけなくなる。それを何かしら理由づけたい土地柄、時代柄での迷信、言い伝えの一種と考えられるだろうな。
しかし、この黄色のマジシャンを目の当たりにしたという声は、地元だとたびたび聞かれる。俺が聞いたのは、親父からのものだったな。
親父が若いころの地元は、林業で少しは知られていたところだが、そのぶん事故の報告もあった。
チェーンソーなどの工具は作業の効率化をはかれる反面、人体を容易に損壊せしめる威力があるからな。難しい操作はできる限り経験豊富な人へ任せ、簡単な操作であっても誰かの指示や補助を受けて行うほうがいい。
まあ、こういうのは理想論だ。仕事、納期、その日の気分もろもろで、必ずしも守れないことだってあろう。ゆえに事故は完全になくすことはできないし、被害だって出続ける。
ただ、それが黄色のマジシャンの仕業か否かは、伝聞だけでは分からない。
夏休みが終わった後の、親父の学校では木工の授業が行われていたらしい。
電動糸のこを使う授業。親父はどうも、この手の刃物を使うものが苦手だった。
意見はまちまちだろうが、俺としては電動糸のこはそこまで危ないもんとは思っていない。たぶんカッターナイフほど危なくないな、せいぜいハサミレベル?
だって、刃物でケガするときを考えてみ? たいてい変な力を入れたとか、手が滑ったとかじゃないか? そいつは刃が比較的、自由に動かせちまうからだろ。
刃を固定して、そこでしかものが切れないっちゅうのは、危険地帯と安全地帯がはっきりしているわけで。あえて踏み込む、スーサイドな真似をしなければケガもそうそうしないことだ。準備や手入れの不備とかも踏まえてな。
それでも親父は、授業中ハラハラしっぱなし。課題を提出し終わるまで、生きた心地がしなかったほどだとか。
けれども、そうして一息ついて気が付いた。そういえば、今日は全然セミの鳴き声がしないな、と。
昨日までは、セミたちが残った命を燃やし尽くさんと、ミンミンうるさく鳴き続けていた。学校にいる間じゅう、ずっとだ。
なのに、今日は皆が一斉に黙りこくっている。例年なら数匹くらい、周回遅れを取り戻さんとするかのように必死に鳴きまくり、その声は何日もかけて絶えていく。
それが皆、判で押したかのように黙りこくるとはどういうことだ。生存競争なめているか、みんな勝ち組ユートピアが成り立ったとでもいうのか?
そういぶかしく思いかけていたところ。
「あっ」という突然の悲鳴で、工作室の皆の視線が一斉に集まった。
クラスメイトの女の子が右手をおさえている。握りこんだ左手のすき間から血がぽとぽとと垂れている。
糸のこでやったか? と一瞬思うが、このときはセミの鳴き声を心配してしまうような静寂の中だ。どの糸の子も動作していない。
親父を含めたみんなが戸惑う中、先生はさっと窓際へ目を向け、叫んでいた。
「黄色のマジシャンだ!」と。
みんなもそれを聞いて、窓の外へ目をうつした。かの地元へ住まう者なら、黄色のマジシャンの歌は小さいころから聞かされている。あの場にいた全員、すぐに存在を察しただろう。
技術室は一階。その数メートル先のグラウンドに、そいつは立っていた。
親父の見たそいつは、ファンタジー作品に出てきそうな黄色いターバン、黄色い顔布、黄色いローブで身を包んでいた。ローブには長いスリットが入っていて、そいつの長い両足がほぼ丸見えになっている。
何より、見える手足が真っ黒なのだ。黄と黒の組み合わせは、危険を知らせる警告色。ひとめでヤバい奴と分かったし、親父も鳥肌が立たずにいられなかった。
そいつは体の骨がないのではないかと思わせるくらい、くねくねと体をひねり、手足を不規則にばたつかせる、奇妙な踊りを展開している。
しかもよくよく目を凝らすと、足踏みするあいつのそばには、セミたちがこぞって身を寄せ合い、うぞうぞと蠢いているのがわかったとか。
「みんな、こいつを投げろ! 早くしないと、もげるぞ!」
先生が一喝するとともに窓際へどかっと、大きい箱を置いた。
大量の石だった。いずれも投げやすい大きさのものになっている。
黄色のマジシャンへの対抗策は、踊りをやめさせること。ただし、直接や道具越しに触れるのはダメだ。
丸ごと斬られる。触れたところも、そこにつながっているところも。だから飛び道具で対抗するしかない。
痛みに苦しむその子以外の全員が、夢中で石を投げつけた。これが同じ地上で、ある程度距離が近いというのが幸いした。野球関連の心得がある者なら、キャッチボールのときと大差ない間合いだ。
彼らが主力となって、踊るマジシャンへ次々と石を投げつけた。親父はノーコンを自称していたが、それでも何度かマジシャンの手に、足に、胸に、頭に石がぶつかったそうだ。
何発食らっただろうか。
マジシャンの血と思しき青い液体が、身に着ける黄衣を濡らし始めると、急に思い出したかのように、マジシャンは踊るのをやめてうずくまってしまう。そのままばたりと倒れてしまうと、蠢いていたセミたちが次々に乗っかっていく。
やがて、セミたちがほうぼうへ飛び立ち、またうるさい鳴き声を出し始める時にはもう、マジシャンの姿はどこにもなかったという。
例の子は、親指をのぞいた右手の指四本の根元に切断すれすれの深い切り傷を負っていたそうだ。縫った痕は残ってしまったが、さいわいにも神経などもちゃんとつながり、生活に支障は出ずにすんでいるという。