ゴミ召集葉
みんなは世界で一年間、どれくらいの量のごみが出ているかは、聞いたことがあるかな?
なんと21億トンあまり。トンでさえ桁違いに多いイメージなのに、それが21億倍となったら、想像するだに山か海のようだろうね。
ではそのうち、リサイクルできているものはどれくらいか? なんと20%に満たない程度の割合しかないらしい。
単純計算で16~17億トンのゴミは、そのまま処理されるときをひたすら待ち続けるわけだ。しかも、それらが消化しきるより前に次々とゴミが追加されていき、ときには臨時の大量増加に悲鳴をあげるようなこともある。
一説によると、ゴミの由来は木の葉のことをゴミと呼んでいたかららしい。そこへ塵や芥が混じっていき、ほかの不要なものまでサイズを問わずごちゃまぜになっていき、今の認識となったとか。
いわば木の葉は、元祖ゴミ。現在ではなかなかお目にかかれず理解もされていない要素が「祖」には隠されているかもしれない。
先生が昔に体験したことなのだけど、聞いてみないか?
先生はよく実家の敷地の掃き掃除を任されていた。
実家は地元だとちょっと広い土地持ちだったのでね。そこへ植えられている木の数は多いし、風に乗ってどこからか紛れ込んでくる輩もいる。
寒い季節になれば葉が散っていくらか楽になるけれど、皆無とはいかなかったなあ。一年の半分から3分の2ほどは、ほうきを手に掃除をする日だったよ。
たいていは、およそでやる掃き掃除と変わらないのだが、ひとつ注意されていることがある。敷地内の落ち葉はくまなく処理することが求められるが、それらの中に表と裏で色がまったく異なる葉があったなら、全部で何枚あるかを調べて報告してほしい、とのこと。
はじめのうちは、そんなことがあるのか? 疑いの目を向けたけれど、実際に見つけてしまうと「なるほど」と思わざるを得なかった。
夏真っ盛りであるなら、落ちてくる葉もほぼ緑色だ。中には暑さにくたびれたのか、燃え尽きたような茶色をしている場合も、まれにだがある。
しかし、その葉をひっくり返してみると、この二色とは全然異なる色をたたえていた。
赤とか黄とか、紅葉を思わせるものでもない。鮮やかな青色だったという。
自然界において、青色はごくごく珍しい色とされる。植物だと青色色素であるデルフィニジンを作ることのできる遺伝子は、全体で10%を下回るほどにしか含まれていないと目されているからだ。
誰かが塗ったとも思えなかった。指でこすっても色落ちする気配はなく、雑な色ムラのたぐいも見られない。生来より、そのままであったといわんばかりの見事さだ。
当初は、一度の掃除で見つかったとしても二、三枚。報告をしても問題なしといわれて、少し拍子抜けだった。珍しいものには、珍しい体験がついてきてほしいという願いは当時の先生も持っていたからね。
――どうせ、手間がかかるのなら相応の良い報いがあってほしいな。
そう思い、夏も終わりを告げんとしていたある日。
やはり先生は掃き掃除を頼まれて、ほうきで葉っぱをかたしていたのだけれど。
圧倒、の一語に尽きる。
その日の葉っぱはこれまでの中でも指折りの多さで、もはや木の葉が庭でじゅうたんと化したかと思うほどだった。
それらは表こそ緑だったり茶色だったりと、この猛暑の夏に生きたらしい証を浮かばせていたものの、裏側はあのときに見た青一色だった。
表裏で色の一致する葉など、まさに数えるほどしか存在しない。先生は「いよいよ、面白いことになりそうだぞ」とわくわくしていたものの、いざ親に報告してみると顔色を変えられちゃったよ。
「すぐ、家じゅうを閉め切るぞ」
まだ熱気がふんだんに残るこの日に「正気か?」とも思ったけれど、親は早くも家じゅうの窓を閉めにかかる。それどころか雨戸がついているところは、そいつまで引き出して完全に閉じこもり態勢だ。
先生も手伝うようにうながされ、昼間のうちから先生宅は冬の夜のごとき様相を呈することに。
なぜ、このようなことを? とすべてをかたしてから尋ねると、「戦争が起こるからだ」と返される。
「戦争の臨時召集令状が、赤い紙を用いられたために赤紙と呼ばれていたことは、知っていよう。それが葉に青ならば、それは自然における臨時召集令状というべきものだ。数が少ないなら遠出になろうが、ああもここへ集まったならドンパチが近いというわけだ」
戦争!
戦いごっこに純粋に興味があった先生は、ちょっと窓を開けてのぞいてみたいといったら、頭をはたかれたよ。
流れ弾でさえ致命傷になるのは、どの戦も同じだ。間の抜けたことを考えないで、ことがおさまるのを待て、とね。
家を密閉してから10数分ほどが経つ。
にわかに、家じゅうの雨戸を細かい無数の粒が叩く音が響き出した。まるで雨降りのそれのようだったが、ところどころ金物を固いもので打ち付ける、かん高いものも混じっている。
心なしか、摩擦熱が作り出すような独特の臭いらしきものも、家の中へ漂い出していた。長短を交えながら響くその音たちを聞いていると、なるほど容易にのぞいてはならないものだと、先生も身の危険を覚えたよ。
かれこれ一時間ほどが経過しただろうか。
音がすっかりやんでしまうと、先生は親に連れられて外へ出た。
親は細長い針やくしを何本も携えながら、雨戸たちを見て回る。先生もそれに続くと、硬質の表面に、いくつも細かい穴が空いているのがわかったんだ。
針やくしを渡され、先生は親にならってそれらをほじくっていく。すると中から、大小の差がある植物の種らしきものがこぼれてきたんだよ。
家じゅうの穴を回って、実にその数132にのぼった。これらをそのままにしておくと戸ばかりか、家の壁の中まで貫いて育ってしまう恐れがあるとか。
そして例の青葉っぱたちは、もはやすっかり姿を消していたのだよ。




